◎あらゆる二択を超越しなければ、天国と地獄とを超越した悟りに届かない
他人に嫌われたりすることを意に介しない聖者たちが、時々出る。
1.OSHOバグワン
『本当に幸せになりたいなら、若々しく、生きていて、泣いたり笑ったり、あらゆる次元に対応し、流れ、流れ続けなければなりません。そうすればあなたは幸せなままになります。ただし、同情は得られないことを覚えておいてください。人々はあなたに石を投げるかもしれませんが、それはそれだけの価値があります。人々はあなたを無宗教だと考えたり、非難したり、悪口を言ったりするかもしれませんが、心配する必要はありません。それは問題ではありません。重要なのはあなたの幸せだけです。 』
(パタンジャリのヨーガ・スートラ巻末(Yoga The Alpha and the Omega CHAPTER 10. I AM IN FAVOR OF LOVE)の問答の回答から)
これは、批判されたり、悪口を言われたりするが、それでも悟りを求めるべきだと考えていることが、わかる。
2.龐居士
禅僧薬山を訪ねた龐居士が辞去した。薬山は十人の禅客に門のところまで見送らせた。
居士は空中に舞う雪を指さして言った、「見事な雪だ、一ひらひらが余計な場所には落ちない(最初からそこに落ちることが決まっていたかのように、きちんきちんと落ちる)。」
折から全禅客という男がいて、「どこに落ちますか。」
居士は一発平手打ちをくらわせた。
全禅客、「居士どの、乱暴は困ります。」
居士、「君はそんなことで禅客だなどというが、閻魔大王の前では通用しないぞ。」全禅客、「居士どのはどうです。」
居士はもう一つ平手打ちをくらわして言った、「目はあいていても盲同然、口はきけても唖(おし)同然だ。」
龐居士は、ずけずけとした物言いで、未悟の者の応対には容赦がない。
批判されたり、悪口を言われたりすることには、真理の前には頓着しない。
3.普化
ある日、臨済と普化が法要後の会食に招かれた。席上臨済が「一本の髪の毛で大海を呑み込み、芥子粒一つに巨大な須弥山を納めるというがこれは、超能力の奇跡か、それとも見性者に自然に備わる働きか」と質問をしかけた。
すると普化は、いきなり食卓を蹴り倒した。
臨済が乱暴じゃないかと言うと、普化は「ここで乱暴とか穏やかという場合ではあるまい」と応じた。
次の日二人は、別の法要後の会食に招かれた。臨済は、「今日のメニューは昨日のと比べてどうだ」と問うと、普化はまたまた食卓を蹴り倒した。
臨済が「それはそれで良いが、あまりに乱暴すぎる」というと、普化は「馬鹿野郎。仏法に穏やかだの乱暴だのということがあるか」と返したので、流石の臨済も驚いた。
4.荘子
荘子の妻が亡くなった際、友人の恵子が弔いに訪れると、荘子がひざをかき合わせ、歌を歌っている姿を目にした。
恵子が「妻が亡くなったのに歌を歌うとは何事か」と非難すると、荘子は「私も最初は悲しかった。しかし、妻の生と死、そして宇宙の移り変わりを考えると、悲しみに囚われる必要はないと悟ったのだ」と答えた。
これは、世間的には、鼻つまみ。
5.一休
不淫戒を守るはずの一休宗純が大徳寺の法事で大勢の読経の声が聞こえる別室で、愛人と快楽の限りを尽くした。
自戒集によれば、長禄元年(1457年)の冬至に、紫野大徳寺の兄弟子養叟のやり口があまりに出鱈目なことに憤慨して、一休宗純は、法華宗(念仏門)に入信したと明記がある。禅の高僧が改宗するとは。
一休は、少年時から男色になじみ、尼さんとの情交も厭わず、晩年には盲目のうら若き30代女性との同棲までこなした。
ぎゃふんの一言しかない。
他にもあるかと思うが、汚いものときれいなもの、陰と陽、男と女、冷暖、富裕貧困等々あらゆる二択(選り好み)を超越しなければ、天国と地獄の間の往復をやめて、天国と地獄とを超越した悟りに届くことはない。
よって、法や真理に厳しい聖者ほど、批判されたり、悪口を言われたりすることを気にしない場合がある。往々にしてこのような人は世間の評判は悪いが、他の聖者からは評価される。