◎4チャクラ説、5チャクラ説、6チャクラ説
密教では、4チャクラ説、5チャクラ説、6チャクラ説がある。
1.5チャクラ説
A.大日経と金剛頂経
7世紀前半の大日経では「五字厳身観」という5チャクラ説が採用され、また7世紀後半の金剛頂経では「五相成身観」という5チャクラ説が採用されている。
これによると、
(1)空(頭頂):サハスラーラ・チャクラ
(2)風(眉間):アジナー・チャクラ
(3)火(心臓):アナハタ・チャクラ
(4)水(臍):マニピュラ・チャクラ
(5)地(腰下):ムラダーラ・チャクラ
であり、喉のビシュダ・チャクラと、臍下のスワジスターナ・チャクラが無視されている。脈管の数については、中央と左右の3本ということで一致している。
曼陀羅上には、五チャクラに五仏や五梵字が配当されており、それによって5チャクラ説による観想を行なうものであることがわかるようになっている。
この数だと、4元素にはバッチリ合うし、神道の一霊四魂説は、意外にこうしたものの影響を受けて照応させてきた説かもしれないと思う。
B.時輪タントラ以前
時輪タントラ以前のインド後期密教では、次の5チャクラ説が採られてきた。
(1)(頭頂):サハスラーラ・チャクラ
(2)(眉間):アジナー・チャクラ
(3)(喉):ビシュダ・チャクラ
(4)(心臓):アナハタ・チャクラ
(5)(臍):マニピュラ・チャクラ
ここでは、ムラダーラ・チャクラがはずれて、ビシュダ・チャクラが入って来ている。
2.6チャクラ説
6チャクラ説は、インド最後の密教経典である時輪タントラ。
(1)(頭頂):サハスラーラ・チャクラ
(2)(眉間):アジナー・チャクラ
(3)(喉):ビシュダ・チャクラ
(4)(心臓):アナハタ・チャクラ
(5)(臍):マニピュラ・チャクラ
(6)(腰下):ムラダーラ・チャクラ
(参考:超密教時輪タントラ/田中公明/東方出版)
このようにムラダーラ・チャクラが復活しているものの、スワジスターナ・チャクラはついに採用されていない。
スワジスターナ・チャクラは臍下丹田、大安心のチャクラである。もともとスワジスターナ・チャクラは、現世を生きるための方策を強化するために、重視されるチャクラだと思う。従ってインドのように社会全体が、社会における自己実現よりは、精神的なものにもともと価値があるとされる社会のなかでは、スワジスターナ・チャクラは、修行者のカリキュラムの中では無視しても差し支えあるまいという判断があったのではないだろうか。
逆に中国発祥の臨済禅では、意識全体を不条理に陥れることにより、スワジスターナ・チャクラを盛んに刺激して、大安心を発現させ、悟りに導くと見られる手法が用いられたのは、社会全体に精神的なものに理解がなく、生き抜くことが極めて厳しい中国の風土では、臍下丹田・スワジスターナ・チャクラを重視せざるを得なかったためではないかと思われる。
近代西欧文明は、中東の影響の色濃い近代西欧文明であるから、これまた中東伝統の7チャクラ説が採用されるということになるのだろう。
なお、チャクラを微細エネルギーの集中ポイントと見れば、チャクラの数は7どころではなく、200と見る人もいるそうだから、チャクラはいくつあるかと議論にあまり意味はなく、多数あるチャクラの中でどれを重視すればクンダリーニ覚醒に至るかがポイントであることになるだろう。
◎饒速日命(ニギハヤヒノミコト)
十種神宝(とくさのかむだから)とは、物部氏の祖神である饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が伝えたとされる十種の神宝である。
先代旧事本紀によると、饒速日命の天下りにあたり
『正哉吾勝勝速日天押穂耳の尊(まさかあかつかちはやひあまのおしほみとのみこと)は、天照大御神に奏上してのべました。
「私がまさに天下ろうと思い、準備をしている間に、生れた子がいます。これを天下すべきです。」
そこで天照大御神は、これを許した。
天神の御祖先神は、みことのりして、天孫の璽(しるし)の瑞宝十種を授けた。すなわち
嬴都鏡(おきつかがみ)
辺都鏡(へつかがみ)
八握の剣(やつかのつるぎ)
生玉(いくたま)
死返玉(よみかへしのたま)
足玉(たるたま)
道返の玉(みちかへしのたま)
蛇の比礼(おろちのひれ)
蜂の比礼(はちのひれ)
品物の比礼(くさぐさのもののひれ)
の十種である。
天神の祖先神は、次のように教えた。
「もし痛むところがあれば、この十種の宝を、
一(ひと)・二(ふた)・三(み)・四(よ)・五(いつ)・六(むつ)・七(なな)・八(や)・九(ここの)・十(たり)と言ってふるわせよ。ゆらゆらとふるわせよ。このようにするならば、死んだ人は生き返るであろう。」これはすなわち「布瑠の言(ふるのこと)」の起源である。』
(古代物部氏と『先代旧事本紀』の謎/安本美典/勉誠出版から引用。)
十種神宝が身体の10チャクラのことであると書いたものは勿論ないが、チャクラ活性化が布瑠の言であり、振玉であると見れば、十種神宝が10チャクラであると見るのが自然である。
また多くの人の死では、マニピュラ・チャクラから肉体を出て行くが、それが、死返玉になっており、また大安心の座であるスワジスターナ・チャクラは足玉になっており、またクンダリーニが三周半とぐろを巻くムラダーラ・チャクラは道返の玉となっており、雰囲気は出ていて、バッチリである。よってこのように十種神宝を身体の10チャクラに当ててみる。
嬴都鏡(おきつかがみ)・・・《サハスラーラ・チャクラ》
辺都鏡(へつかがみ) ・・・《アジナー・チャクラ》
八握の剣(やつかのつるぎ)・・・《ヴィシュダ・チャクラ》
生玉(いくたま)・・・《アナハタ・チャクラ 》
死返玉(よみかへしのたま)・・・《マニピュラ・チャクラ》
足玉(たるたま) ・・・《スワジスターナ・チャクラ》
道返の玉(みちかへしのたま)・・・《 ムラダーラ・チャクラ》
蛇の比礼(おろちのひれ)・・・《太股のチャクラ》
蜂の比礼(はちのひれ)・・・《ふくら脛のチャクラ》
品物の比礼(くさぐさのもののひれ)・・・《足裏のチャクラ》
『このようにすれば、死んだ人が生き返る』とは、チャクラ活性化を行い、クンダリーニの覚醒により、肉体を飛び出して死の世界に入っても、死の世界から帰還できることを言ったものではないかと推測できる。
このことから、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の天下りとは、神と分離して、人間が10のチャクラを備えて、登場したステージのことを言うように思う。
◎石上神宮への奉遷
さらに、旧事本紀によると、饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)は、天磐船(あまのいわふね)に乗って、大空を飛翔して、空から大和の国をみて(「そらみつ大和の国」の起こり)、まず河内のいかるが峯に天降り、次に奈良県桜井市三輪山に遷座されたという。
この宝は、饒速日尊の御子、宇摩志麻治命(うましまちのみこと)より神武天皇に奉献され、天皇が橿原宮で御即位された時、宮殿内に奉斎された。
その後崇神天皇の時代に、饒速日尊の六代目の子孫伊香色雄命(いかしきおのみこと)によって、瑞宝十種は、宮殿より石上(いそのかみ;天理市布留町布留山)へ奉遷され、布留大神として祭られる。これが石上神宮の始まり。また七代目大新河命(おおにいかわのみこと)が垂仁天皇より物部という姓を賜り、これが物部の始まりとなった。
神武天皇から9代開化天皇までの皇后は、饒速日尊の血族から出ているので、饒速日尊は天皇家と非常に近かったようだ(母系天皇制?)。
饒速日尊はまた三輪山に葬られ、大神神社に大物主櫛甕尊(おおものぬしくしみかだまのみこと)という神名で祭られている。
また天理市の大和神社に大和大國魂大神の神名で祀られている。
さて瑞宝十種は、神武天皇においては、統治権の継承のシンボルとされているが、それが10チャクラをコントロールする秘儀の継承であったとすれば、その秘儀は、神武天皇がまず継承したが、崇神天皇の時代に、何らかの事情で石上神宮で継承することになったのだろう。
古神道の粋の継承というものは、最初は血縁のつながりでもって継承したい(体統、血統)と思うものだと思うが、そもそも死の世界を極める技術なのだから、体統の継承では無理があって、自ずと霊統による継承ということに移っていったのではないか。
要するに直接的な血縁にはよらないが、饒速日尊を始祖とする教団内における霊統の継承(教団内での覚者による)に移行したのが、石上神宮への奉遷ではなかったかと思われる。
◎仏教十界説など
10チャクラ説は、7チャクラ説+3であり、7チャクラ説のバリエーションと考えて差し支えないだろう。
+3は、太ももチャクラ、ふくらはぎチャクラ、足裏チャクラであって、未悟の者には関係のないチャクラとされる。
10チャクラは、仏教十界説にも照応する。仏教十界説とは、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界である。
また中国の山海経の海外東経にも建木の別名の扶桑についての記述がある。これは、扶桑には10個の太陽が沐浴するところであり、9個の太陽は下の枝にあり、一個の太陽が上の枝にいる。10個の太陽は10チャクラ。上の枝の太陽はサハスラーラ・チャクラにあたり、別格であることを示す。
◎チャクラと七つの身体-6
◎七チャクラ説-3
○ヨハネの黙示録のチャクラ
キリスト教も万人向けのオーソドックスな宗教なので、チャクラについての言及がある。
『「振り向くと、七つの金の燭台が目についた」(ヨハネの黙示録1:12)
「それらの燭台の中央に、足まで垂れた上着を着、胸に金の帯を締めている人の子のようなものがいた。」(同上1:13)
「それらの右手に七つの星を持ち・・・」(同上1:16)
「あなたがわたしの右の手に見た七つの星と、七つの金の燭台の奥義はこうである。すなわち七つの星は、七つの教会のみ使いであり、七つの燭台は七つの教会である。」(同上1:20)
「右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の真ん中を歩く者が次のように言われる」(同上2:1)』
(聖なる科学/スワミ・スリ・ユクテスワ/森北出版p84から引用)
スワミ・スリ・ユクテスワは、これについて、「右手の七つの星」とは、神に至る正しい道筋にある聖霊の光であると言っているので、窮極の属性を有するメンタル体チャクラのことであると思う。
また七つの金の燭台は、尾てい骨のムラダーラ・チャクラから頭頂のサハスラーラ・チャクラまでの肉体に相応する位置の七つのチャクラのことであり、自我意識(人の子)はこの七つの中枢を通って神に向かって上昇していくと説明している。
◎チャクラと七つの身体-5
◎七チャクラ説-2
○太乙金華宗旨の7つのチャクラ
道教の聖典である太乙金華宗旨にも当然の如く、チャクラへの言及がある。
それは悟りの確証の体験の説明の一部として現れる。
『確証の体験の第一段階は、観無量寿経の瞑想法に「太陽は、大いなる水に沈み、立ち並んだ木々が存在する現象として、形をとってくる」とのべられている体験であろう。「太陽が沈む」というのは、混沌(現象があらわれる以前の世界、つまり叡智界)の中に基礎が打ちこまれたことである。これが無極(対立する両極を超えた状態)である。
最高善の状態は、水のように清らかで汚れがない。これがすなわち「太極」(大いなる極)の主宰者である。
「震」(東方)から帝(神)が出現することである。「震」のシンボルは木である。したがって「立ち並んだ木々」のイメージが生まれてくるのである。七重の並木は、身体の七つの穴(あるいは心臓の七つの穴)が光輝くことを意味する。』
(黄金の華の秘密/CGユング/Rウィルヘルム/人文書院P203から引用)
このストーリーは、太極という個性のない状態から、東方より、七つのチャクラが光輝く神が出現するという説明である。
特徴的なのは、チャクラが七つの樹の並木であると見ている部分で、七つのチャクラが並列であると見ているところである。一般的なチャクラの説明では、一番下にムラダーラ・チャクラがあって、その上にスワジスターナ・チャクラがあって、最高位にサハスラーラ・チャクラがあるとチャクラが垂直的に位置しているとするが、ここでは水平だという。
メンタル体チャクラでは、それぞれのチャクラが神の属性である。従ってすでにメンタル体チャクラにおいては、チャクラ相互の関係としては、並列と見ることができる。すなわち太乙金華宗旨で意識しているチャクラは、メンタル体チャクラであるということになる。
アストラル体以下で気を身体内に巡らすことを、通例大周天とよんでいるようだが、このようにアストラル体以下での気の周回は、太乙金華宗旨で呂洞賓がイメージしたものではないと言えるのではないかと思う。
◎チャクラと七つの身体-4
◎七チャクラ説-1
○荘子の7つのチャクラ
儵(しゅく)という名の南海の帝王と、忽という名の北海の帝王とが、ある時、世界の真中の『渾沌』の支配する国で、一緒に出会った。
訪れてきた儵(しゅく)と忽の二人を、渾沌は心から歓待してくれたので、儵(しゅく)と忽とは、渾沌の心からの歓待のお礼をする相談をした。
他の人には、七つの竅(あな/きょう)があって、その穴で、美しい色を視、妙なる音を聴き、美味(うま)い食物を食い、安らかに呼吸するが、渾沌だけには一つも竅(あな)がない。そうだ、せめてもの恩返しに、ひとつ七つの穴をあけてやろう。
毎日穴を一つずつ開けていったところ、七日目に混沌は死んでしまった。
《荘子(応帝王篇) 》
これは比較的有名な話なので、知っている人も多いと思います。
七つの穴とは、目2、耳2、鼻2、口1の合計七つの穴だという解説もあるが、それは7チャクラのことでしょう。7チャクラを窮めれば、死の世界に入らざるを得まい。
◎チャクラと七つの身体-3
◎チャクラの位置と性質
1.チャクラの位置
チャクラの位置については、シヴァ・サンヒター、「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」とも肉体には検出されないにもかかわらず、肉体上の位置で説明している。なぜそうなのかわからないけれども、位置については次のとおり。
サハスラーラ・チャクラ:頭頂。ブラフマランドラ、泥丸ともいう。
アジナー・チャクラ:眉間。
ヴィシュダ・チャクラ:のど。甲状腺の位置。
アナハタ・チャクラ:胸。両乳頭の中央。
マニピュラ・チャクラ:臍の少々上。
スワディスターナ・チャクラ:臍下丹田。
ムラダーラ・チャクラ:会陰。
2.チャクラの意味
チャクラの意味を古代七金属とか、七惑星に充てるような場合はあるが、きちんと説明したものはほとんどないと言ってよいのではないか。
「ニルヴァーナのプロセスとテクニック/ダンテス・ダイジ/森北出版」のP120で、只管打坐のステップとして挙げられているものが、チャクラの意味として使えるように見える。
『STEP1:固定静寂
エネルギー
パワー
STEP2:あたりまえな生命の暖かさ
意識する必要のない大安心
完全にあたりまえに生きていること
STEP3:至福
Everything is okの情熱と平安
実用的な霊的ビジョンと鋭敏な感受性
STEP4:すべてが自己であるという愛・慈悲
大いなるすべてのものに対するいとおしさ
すべてが一体であるという感謝
底知れぬ生命の絶望と悲しみ
STEP5:カオス・全面的な真っ暗闇
パーフェクトにデリケートなあらゆるもののクリエーション
美と調和のバイブレーション
STEP6:あらゆるレベルでの智恵・インスピレーション
直感・個生命としての完全な納得
個我を残した時点での限界的英知
Everything is everything
STEP7:エクスタシー・すべてのすべて
身心脱落・脱落身心
窮極の根底・ニルヴァーナ
唯一の私自身・私自身がない私自身
すべてのものとなって現われている私自身』
(ニルヴァーナのプロセスとテクニック/ダンテス・ダイジ/森北出版P120から引用)
これが、以下の各チャクラの意味に照応するように思われる。
STEP1:ムラダーラ・チャクラ
STEP2:スワジスターナ・チャクラ
STEP3:マニピュラ・チャクラ
STEP4:アナハタ・チャクラ
STEP5:ヴィシュダ・チャクラ
STEP6:アジナー・チャクラ
STEP7:サハスラーラ・チャクラ
チベット密教では、6チャクラ説(スワジスターナ・チャクラ抜き)、4チャクラ説(サハスラーラ、ヴィシュダ、アナハタ、マニピュラ)があることが知られている。
ダンテス・ダイジは、完全なる神の4つの現れとして、
智恵=アジナー・チャクラ
愛=アナハタ・チャクラ
自由=スワジスターナ・チャクラ
力=ムラダーラ・チャクラ
の4チャクラを挙げているが、これはチベット密教の4チャクラ説とは一致していない。
更にダンテス・ダイジは、6神通のチャクラとして、以下を挙げるが、これとて、チベット密教の6チャクラ説とも一致していない。
漏尽通=サハスラーラ・チャクラ
宿命通=アジナー・チャクラ
天眼通=ヴィシュダ・チャクラ
他心通=アナハタ・チャクラ
天耳通=マニピュラ・チャクラ
神作通=スワジスターナ・チャクラ
いろいろ挙げたが、チャクラの数は七が基本。チベット密教では、主要なチャクラの数は4だったり、5だったり、6だったりするが、世界的に見て基本は7と考えざるを得ない。
それと一種類のチャクラには、肉体レベル、エーテル体レベル、アストラル体レベル、メンタル体レベルという四つのレベルがあるということ。そしてメンタル体チャクラには、それぞれが絶対神の属性を有するということ。
最も肝心なことは、大悟していない者が、チャクラでもって勝手な超能力行使とかをやってはいけないこと。天意・神意を得ないで、そういう好き勝手なことはやってはいけないのだ。
◎チャクラと七つの身体-2
◎チャクラの数とポジション
チャクラは7個とか10個とか言う話が多いが、スワミ・ヨーゲシバラナンダの『魂の科学』の挿絵では明らかに1つのボディに20個以上見受けられ、チャクラが各身体でのエネルギーの集中ポイントだという基本に立ち返れば、チャクラは200以上あるという話にまでなるのも当然である。
したがってチャクラについての正しい認識のあり方というのは、感受性が開けて来てチャクラの存在を感じられるようになった場合の一つの道しるべということになるだろう。
チャクラの数ということて言えば、肉体(第一身体)からメンタル体(第四身体)まで各7個あるので、主要なそれは28個はあるということになる。
この考え方を基本とすると、チャクラと七つの次元の関係については、世間では誤解が多いように思う。どこが一番違っているかというと、
1.チャクラは各ボディ共通に一個だけ存在しているのではなく、たとえばムラダーラ・チャクラならば、肉体ムラダーラ・チャクラ、エーテル体ムラダーラ・チャクラ、アストラル体ムラダーラ・チャクラ、メンタル体ムラダーラ・チャクラと、同名チャクラがそれぞれ別のボディにバラバラに存在していること。
というのは、肉体は物質レベルであり、エーテル体は半物質レベルであり、アストラル体・メンタル体は非物質レベルで存在するのだから、それぞれのボディ・次元には、チャクラはバラバラに存在するはずだからである。
ところが世間には、一種類のチャクラはとにかく一個しか存在しないと信じ込んでいろいろ書いたりしゃべったりしている人が多いものだ。
アメリカやインドから輸入した教説とかメソッドについてくる理屈をそのまま紹介している人も多いのだろうが、そうしたものも結局単一チャクラ説が多いのだろう。またヨーガといえばハタ・ヨーガが大勢なので、その影響もあるのだろう。
またチャクラの挿絵も無数にあるが、大体が肉体図の上に7チャクラが描かれているものだけで終わっているのも誤解を招く原因なのだろう。
最大の原因は、メンタル体チャクラの機能まできちんと認識できている人が極めてまれであるということに尽きると思う。
2.チャクラはメンタル体までにしか存在しないこと。
一種のチャクラが一個しかないという説には、チャクラがどのボディにあるかという議論は生じてくるはずもないけれど、チャクラの機能を理解するためには、これは重要なポイント。
3.チャクラのことではないが、第七ボディ、第七次元である神・仏・窮極・ニルヴァーナのことを、他人や他者・他の物と同列に表現している場合は、その説は大方間違いであることが多いのではないか。
第七ボディ、第七次元についてちゃんとわかっている人にはある共通した表現の作法があるものだ。一方チャクラは、有の世界のことである。
結局次元とチャクラの関係性がもやもやしたままなので、世間的には次元とチャクラの教説は神秘のベールに包まれて魅力的なのかもしれないが、結局食い足りない印象を持たれて終わるのだと思う。
逆にそのすべてを明かせるほどには今の人間の進化は至っていないということもあるのだろうと思う。
◎チャクラと七つの身体-1
◎参考資料の現状
段階のある冥想コースであるクンダリーニ・ヨーガを論ずるには、チャクラと七つの身体論を避けて通れない。
ところが、自分のしていることが善なのか悪なのか理解できなくなった人間に対して,チャクラと七つの身体の情報を配慮なく公開するのは、気狂いに刃物を持たせるようなことになりかねない。
よって事の性質上、チャクラと七つの身体についてきちっと体系的に書かれたものは、未だないと言わざるを得ない。けれども世の中の書物の中から、間違ったことを書いていないもの、参考になることを書いてくれているものは次のようなものだと考えている。
1.ニルヴァーナのプロセスとテクニック/ダンテス・ダイジ/森北出版
チャクラや七つの身体について、せいぜい数行の説明ながら、大要は尽くしている。実際に死の世界をクリアした体験者が書いているのは強い。特に4ボディに各チャクラは基本中の基本。4ボディの各次元に同一のチャクラが共通にあるわけではないだろうことは容易に想像される。
2.続ヨーガ根本経典/佐保田鶴治/平河出版社
この本の後半部分にシヴァ・サンヒターがあり、その中に七つのチャクラに関する基本的な説明が置いてある。古代インドのものなので、説明はシンボリックで短い。
3.OSHOバグワン
体系的、懇切丁寧というわけではないが、各ボディ固有の性質については基本的な理解を得ることができる。
(1) 秘教の心理学/めるくまーる社
(2) 奇跡の探究Ⅰ&Ⅱ/市民出版社
4.本山博
クンダリーニ・ヨーガの実地経験者としての観点からの親切なアドバイスの数々は貴重である。
(1)チャクラ・異次元への接点/宗教心理学研究所出版部
(2)チャクラの覚醒と解脱/宗教心理出版
以下の資料は、あまりお勧めできるとは思わないが、ご参考までに。
1.魂の科学/スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ/たま出版
チャクラというものがどういう見かけのものなのかは理解できるが、実際どう活用するのかはよくわからない。
七つの身体の訳語が、
食物鞘=肉体
生気鞘=エーテル体
意志鞘=アストラル体
理智鞘=メンタル体
歓喜鞘=コーザル体
黄金鞘=アートマン みたいなのだが、やや読みにくい。
2.チベット密教/田中公明/春秋社
チベット密教における4チャクラ説と6チャクラ説が紹介されている。
3.神智学大要 全5巻/A.E.パウエル/たま出版
人間はコーザル体で輪廻転生するというマーツーマン輪廻説に立脚しているように読める。それってどうなんだろう。
4.ルドルフ・シュタイナー
アストラル体までなら微に入り細に入り書いているところもあるが・・・。
いずれもわざと穴だらけに書いている風だし、霊がかりなものも中にはある。クンダリーニ・ヨーガで行こうとする人は、善きグル、正師の指導を得ることが絶対条件である。
それと、大悟なき超能力狙い、神通力狙いは、ご法度である。悟っていない人が超能力に手を出してはいけないということ。人間の生きる道をメリット・デメリットで考えると大きな落とし穴が待っている。