◎究極の知識は稲妻のようなもので、突然、単一のビジョンで全体が見えます
OSHOバグワンの“ヨガ: アルファとオメガ、第 9 巻第7章 ” 最高の知識: すべてを一度に”の説明。
※『究極の知識は完全かつ絶対的なものです。一瞬ですべてが明らかになる。 』とは、パノラマ現象とか、一炊の夢というようにソフトに表現されているのだろう。
(まことかたればきくひとはなし (本居宣長))
ポイントは、以下。
1. ヨーガスートラの経文:現実の認識から生まれる最高の知識は超越的であり、すべての対象の同時的な認識を含み、過去、現在、未来のあらゆる対象とプロセスに関わり、世界のプロセスを超越する。
...そしてプロセスの世界を超え、すべてのプロセスの世界を超えます。
タラカム サルヴァヴィシャヤム サルヴァヴィシャヤム
アクラム・チェティ・ヴィヴェカジャム・ギャナム。 (パタンジャリのヨーガ・スートラ(Yoga Sutras)の第3章54節:識別知は、あらゆる対象(過去、現在、未来を含む全て)と、それらのあらゆる様態(状態、性質、変化など全て)を、段階を踏むことなく、同時的に把握する超越的な知識である)
2. 目を通して私たちは現実の一部しか見ることができません。その部分により、人生はプロセスのように見えます。人が道路を歩いていくと、事物が近づいて、現れ、遠くなり、見えなくなる。これは人が目で知覚するためで、これがプロセス。全体が同時には見えないことがプロセス。
3. この経典には、「現実の認識から生まれる最高の知識は超越的です...」と書かれています。それは、存在と過程、静と動的、波と粒子、生と死、過去と未来のすべての二元性、極性、すべての二元性、すべての極性を超越します。それは超越的です。 「タラカム・サルヴァヴィシャヤム」――それはあらゆる知識の対象を超越する。
4. 「……すべての対象を同時に認識することを含む……」 そして、この意識に対して「全知」という言葉が使われます。すべては同時にそのために存在します。非常に理解するのが難しく、理解するのはほとんど不可能です。
5. それは、究極の理解者にとって、彼があなたを見るということは、あなたが母親の胎内にいたとき、そしてあなたが生まれつつあるとき、そしてあなたが成長し、子供になり、若者になり、女性と結婚し、恋に落ち、子供たちが生まれ、あなたが年をとり、あなたが亡くなり、人々が葬列に参加しているとき、すべて同時にあなたを見ることになるということです。全体がトータルで出てきます。
6. 通常、私たちはあらゆるものを、カルマの中で、段階的なプロセスで、子供が若くなり、若者が年老いていくのを、まるで映画がスクリーンに非常にゆっくりと映し出されているかのように、ゆっくりと見ています。私たちはそう考えています。しかし、究極の知識は完全かつ絶対的なものです。一瞬ですべてが明らかになる。 その究極の知識は稲妻のようなものです。突然、単一のビジョンで全体が見えます。