アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

和歌に見えるアストラル・トリップ

2024-06-30 06:05:11 | 古神道の手振りneo

◎神を知らない段階でのアストラル体の漏出は危険

(2010-06-07)

 

アストラル・トリップと中心太陽突入とは全く異なるもので、昨今世間で話題の体外離脱はほとんどがアストラル・トリップのことである。そして人間の根本的救済、あるいは苦悩からの超脱は、アストラル・トリップにはなく、中心太陽への突入の側にしかない。

そもそも肉体レベル(物質レベル)には無数の銀河、宇宙があり、エーテル体レベルにもおそらくは無数の宇宙があり、またアストラル体レベルにも無数の宇宙があるのだろうから、たとえばポイント50やエリア70を探検したからといって、それは実に膨大な宇宙の中の極く一部を垣間見たに過ぎないのだと思う。

 

出口王仁三郎の雑誌神霊界の中に鎮魂御伝という文章があり、和歌に見えるアストラル・トリップを特集している。鎮魂とは、瞑目静座し、一心不乱に、一切の妄想なり感覚を蕩尽して、身体外の玉に向ってわが霊魂を集中すること。

 

細流抄に、「魂の出ぬるを結び止むる事あればなり 結びとどめよ」とは、浮かれる心を本心に返しなさいとのことであると王仁三郎のコメントがあるので、アストラル・トリップで霊線につながって飛び出しているアストラル体を(改めて)しっかりつなぎ止めなさいということ(へそから出るケースは当時から目撃されていたのだろう)ではなく、一心不乱に行に集中しなさいと戒めている意味なのだろう。

 

今はテレビゲーム、モバイルゲームに熱中する人がアストラル体が出るというが、昔は激しい恋愛でアストラル体がしばしば漏出したのだろうか。

トランスに入れば、意識より無意識が優勢になり、臍に穴が開いてアストラル体が遊離することがあるのだろう。だが、神を知らない段階でのアストラル体の漏出は、意図せざる霊能力の開顕ということになり、百害あって一利ないものである。

 

たまむすび

思ひあまり出にし玉の有(しる)ならむ 夜深く見えば玉むすびせよ

(伊勢物語 下)

 

もの思ふ人の魂は、げにあこがるる物になん有りけると、なつかしげにいひて

なげきわび貌(そら)にみだるゝわがたまを むすびとゞめよしたがひのつま

                              (源氏物語 葵)

※あこがるる:ふらふらと出歩く。

※したがひのつまとは、着物の下前の褄だから、臍下丹田=スワジスターナ・チャクラのことを指すと見る。

 

魂ひも あこかるるとは誠にぞ いまはうつし心も無き心地して

あくがるゝわがたましひも復(かへ)りなん おもふあたりにむすびとゞめば

玉しひのかよふあたりにあらずとも むすびやせまししだへのつま

(狭衣物語)

 

見人魂歌

たまは見つ 主は誰ともしらねども 結びとゞめよしたがひのつま

(袋草子 四) 

 

物おもへば 沢のほたるも我身より あくかれ出る魂かとぞ見る

(後拾遺集の和泉式部)

 

古代日本の人は、自我の殻が薄く、ちょっとした情動の高まりでトランスに入り、肉体からアストラル体が出てしまうことがままあったのだろう。源氏物語の六条御息所の生霊もそういうことなのだろう。漏出すれば、丹田スワジスターナ・チャクラに戻しなさいと言い慣わしていることはわかる。だが、オカルトだが、神仏とは関係ないのだ。今の人はゲームのやり過ぎで出るが、パンクとかサタニズムとかはそれと全く関係のないことでもないのかもしれない。ドラッグだけが誘因ではないかもしれない。

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エッセンス オブ ジェイド・タブレット(裏)

2024-06-30 03:22:03 | ジェイド・タブレット

《1.出生と乳児》 
 意識することなく、神(仏)と人間の結節点(結び)を生きている。
  
《2.三歳》 
 一旦神を喪失し、再び神を生きることを目指す探求の旅が始まった。
  
《3.思春期の水平の道》 
 心身のアンバランスをてこに、自分自身に向き合い、物質、時間、空間という固定観念を打破する。
  
《4.思春期の垂直の道》 
 霊能力や超能力にこだわらず、トランスに入り、脱身して神人合一を真似ぶ。
  
《5.青春期以降の水平の道》 
 大悟覚醒し、その馥郁たる香気を持ちながら仕事も家事も行う。
  
《6.青春期以降の垂直の道》 
 あらゆるマインド・コントロールを払拭し、一段一段、脱身から神人合一を目指す。
 
 《7.天国まで》 
 ひたすら天国的に生きて行けば、神も悪魔も超える試練があるが、それが自分自身に直面するということ。

《8.地獄も超えて》 
 天国を乞い願う気持がピークになると、なぜか悪魔が登場するが、そこで神に復(か)えるのだ。
  
《9.コーザル体・完全人・両性具有》 
 見る自分が残っていると悟りを開けないが、見る自分が最後の人間であって、逆転の直前である。
  
《10.垂直上昇への仕掛け》 
 個別の自分である一直線の光り輝くエネルギーが、中心太陽に突入する不可思議。 
 
《11.アートマン》 
 君という神と僕という神とのドラマが終わったところに神のドラマが始まる。
  
《12.ニルヴァーナ》 
 時間も空間も現象もない君が、時間と空間と現象の中に、あらゆる物語を戯れている。
  
《13.冥想自在》 
 冥想自在とは出入自在のことで、 あらゆる宇宙を自由自在に出入する。

ジェイド・タブレットのストラクチャー

 

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エッセンス オブ ジェイド・タブレット(表)

2024-06-29 03:10:23 | ジェイド・タブレット

《1.出生と乳児》      

乳児は幼き帝王だが、生まれながらにして覚醒しておらず、無意識にいる。

      

《2.三歳》   

人は三歳で、全能感を感じ、初めて神を喪失する。

      

《3.思春期の水平の道》  

神を感じやすい時期で、自分の希望を持ち、生への希望を持って生きる。

      

《4.思春期の垂直の道》  

しみじみとした心で、目覚めた神秘のエネルギーにより究極を目指す。

      

《5.青春期以降の水平の道》  

大悟徹底を目指し、中間段階はなく、身心脱落した後は、日常生活がそのまま真理あるいは仏法として生きる。

      

《6.青春期以降の垂直の道》  

まず見神見仏を目指し、中間の段階をステップアップしつつ、最終的に神人合一する。

      

《7.天国まで》  

人はまず天国的なものを希求するが、肝心の神仏は、天国にはなく、天国の先にあるけれど、天国の側を窮めることだけが神仏への道。

             

《8.地獄も超えて》  

その生は地獄のようであって恐ろしく悲惨だが、真に幸福に生きるための神秘の段階を履む隠された道がある。

      

《9.コーザル体・完全人・両性具有》 

個たる人間の最後の姿は、あらゆる正反対のものを包含して完全人であり、ミクロコスモスのようなものである。

      

《10.垂直上昇への仕掛け》   

どこから歩いても同じ一つの終着点に至るような、人間共通の神に至る道が垂直上昇。

      

《11.アートマン》    

個人間は、すべてのすべてである神であったことに気づく。

             

《12.ニルヴァーナ》

もはや体験とはいえない体験を経て、なにもかもなし。

      

《13.冥想自在》

神である自分を生きることと人間である自分を生きること。

 

ジェイド・タブレットのストラクチャー

 

     

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禅の孤独と寄る辺なさ

2024-06-28 06:46:48 | 達磨の片方の草履

◎枯淡、峻厳、孤独

 

伝灯録15の洞山の章から。洞山の室に、燈明もつけないで真っ暗なところに、一人の僧が参禅にきた。以下の先生とは洞山のこと。

 

『ある夜、灯明に火がついていなかった。僧がでてきて、質問した。あとで、先生は侍者に火をつけさせて、今の僧をよび出させる。僧は、進みよる。

 

先生、「二つぶ三つぶ、香をもってきて、この上座にやってくれ」

僧は、袖をはらってさがるが、これがもとで道理に気づく。そこで、持っていた衣を売りはらって、みんなに食事を供養した。

 

僧は三年たって、先生にいとまをつげる。

先生、「気をつけてな」

ちょうど、雪峰がそばにひかえていて、こうたずねる。

「この僧、あんなふうに出ていって、いつ帰ってくることか」

 

先生、「あいつは行くことしか知らん、再来はできまい。」

僧は僧堂にかえり、自分の座席で、坐ったまま死んだ。雪峰がやってきて、先生に報告する。

先生、「それにしても老僧とは、三度生まれかわるほど距離がある」』

(禅の山河/柳田聖山/禅文化研究所p458から引用)

 

この僧は、暗がりで香をもらって大悟した。そして3年を洞山の下で過ごしたが、自分の座席で坐ったままの往生となった。誰も看取ることもなく、殺風景な僧堂でたった一人で死んでいったのだ。

 

大悟できずに逝った僧と洞山には三生の差がある。つまり今生でかの僧は死んだが、同様の生死を三回やって師の洞山の境涯に追いつくだろうと言っている。

僧は、衣を売ってすべてを棄てたかに見えたが、それでもすべてを棄て切れなかった。洞山と雪峰が見るところ、かの僧は臨終時にも大悟できなかった。肉体死と自我の死は異なる。

 

昨今欧米や日本に向けて難民が多いが、実は人間は皆難民である。人生に仮の宿はあるが、人生の荒野に安住できる安全安心な家などない。来ることは来たが、どこかに行こうにも行く場所などない。だがそれでも何の問題もないことを知っている。

 

これが禅僧の世界観であって、枯淡、峻厳、孤独が好きだから禅画もあのように孤独で取りつくしまがないというわけではない。彼らは寄る辺などない世界に生きているのだ。その世界こそが真実の世界だが、それは大逆転の先にある世界なのだ。

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炊事の繰り返しで悟る

2024-06-27 07:09:01 | 達磨の片方の草履

◎焼餅屋だった龍潭

 

道元のことにも出てくるが、禅寺の典座(炊事係)でも悟りの修行ができる。以下に示す龍潭は、もともと門前の焼餅屋さんであったが、出家してからは、食事係ばかりやらせられて、一年経っても和尚が悟れる秘訣を教えてくれないとぼやく話である。

禅の六祖恵能は、坐らせてもらえず、ずっと寺で米つきばかりやってた。

実は、これらは坐らないからには、一行専心の修行であって、坐る冥想とは全く異なる行である。

禅の坐る冥想とは、只管打坐、隻手や無字などのマントラ禅、公案禅に大別されるが、一行専心は、坐らないので全く別種。

 

一行専心とは、仕事を精密にやり続ける事上磨錬、武道(柔道、剣道、合気道)、芸道(書道、茶道、華道、香道、歌道、舞踊、ダンスなど)に加え、絵画、彫刻、建築、工芸、デザイン、写真、作曲、声楽、器楽、指揮、ダンス、演劇からスポーツといったものまで含まれる。ただしそれが道と呼ばれるためには、神仏への敬虔があって、人間の努力の限界を超えようとするモチベーションがなければならない。

ただし、一行専心は、往々にして見神見仏見道にとどまる。要するに禅の十牛図で言えば、見牛第三止まりである。稀に一行専心でもニルヴァーナに至る者もいるが、見神見仏見道から先に進むには、やはり冥想による方が早いのではないかと思う。

 

祖堂集巻四の天皇道悟の章から。

『澧州龍潭崇信禅師〈天皇に嗣ぐ〉は、焼餅をつくる家業であった。天皇和尚を礼して出家した。

天皇は言った、「あなたが、わたしに師事してから後に、あなたに心要法門を説いてあげよう」。

 

およそ一年が経過した。 龍潭、「ここに来ました時に、和尚さんは、心要法門を説いてあげるといわれながら、いまだに指示していただけません」。

天皇、「わたしは、あなたに説いてあげてから永い間たった」。

龍潭、「どこに和尚さんはわたくしのために説かれましたか」。

天皇、「あなたが『ごきげんいかがですか』といえば、わたしは、すぐさま合掌する。わたしが坐っている場合、あなたがすぐさま側に控える。あなたが茶を運んでくれば、わたしが受け取る」。

龍潭はしばらく黙った。

 

天皇、「見るときはそのまま見る。思慮せんとすれば、とたんに間違う(見則便見、擬思即差)」。

龍潭はそこで大悟した。(河村本-150頁)』

(中国禅宗史話/石井修道/禅文化研究所P455-456から引用)

 

龍潭は、もともと悟っていたが、一年かけてそれに気づいただけと言うのは簡単である。龍潭が、寺で坐ることなく悟ったのはなぜだろうか。禅寺の炊事係なら誰でも悟るわけでもない。

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禅問答の二つの相

2024-06-26 06:11:34 | 達磨の片方の草履

◎いつまでも続けることができない

 

禅は、悟っているか悟っていないかであって、中間段階はない。そして禅問答の大半は、悟っていない弟子が悟った師に問答をしかけるが、けんもほろろに相手にされていない問答になっている。

だから退屈なのが多い。

禅の公案は、ジュニャーナ・ヨーガのネタであり、そもそも正解のない問題を「正解のない」ことを世界全体が受け容れるまでやる。

 

だが、そのような問答の中には、悟った後の世界の二重性について言及しているものがある。

 

長沙和尚の話。

『三百則下56則の「長沙刈茅割稲」の話も、自己の立場を明確に示している。

ある僧が長沙に問うた、「本来人は、一体、成仏するのでしょうか」。

長沙、「あなたは「中国の天子が茅(かや)を刈り稲を割(か)るかどうか』言ってみよ」。

僧 、「成仏するのは、誰でしょうか」。

長沙、「外ならぬあなたが成仏してるのだ。わからぬのか」。(河村本一八九頁)

出典は「円悟頌古」39則である。本来人が実体視されるのも誤りであり、自己の外にあるのも誤りである。

 

長沙は、自己について、『光明』『十方』『諸法実相』の巻に引用される『伝燈録』巻一〇で、次のように言っている。

長沙和尚は、上堂して言われた、「わたしがいちずに宗教を宣伝したら法堂の中は一丈の草が生い茂るであろう。

わたしは、だから、やむなく諸君らに言うのだ、「宇宙とぶっつづきが出家 者の眼であり、宇宙とぶっつづきが出家者の全身であり、宇宙とぶっつづきが自己の光明であり(尽十方世界是自己光明)、宇宙とぶっつづきが自己の光明の中に在り、宇宙とぶっつづきが自己でないものは一人もいないのだ」と。

わたしはいつも諸君らに言っているだろう、『過去・現在・未来の諸仏たちと全世界の衆生とが摩訶般若(偉大な智慧)の光である』と。光が発しない時は、諸君らはどこに任(まか)せるのか。光が発しない時は、まだ仏もいない衆生もいない様子であり、どこに山河国土を得ようか。」。

 

その時、ある僧が問うた、「出家者の眼とは何ですか」。

長沙、「いつまでも続けることができない」。また、答えた、「仏祖と成り続けることができないし、六道輪廻のままで続けることができない」。

僧、「一体、何を続けることができないのですか」。

長沙、「昼に太陽を見て、夜に星を見る」。

僧 「わたくしにはわかりません」。

長沙「妙高山(スメール)の色はどこまでも青い」。(四部叢刊本二丁左~三丁右)

 

自己が摩訶般若の光と説く長沙の言葉に接して、一種の驚きを感じる。一般に弥陀の絶対他力を説く浄土系の信仰に対しては、禅は自力の宗教と枠組みされる。長沙の宗教は自力といえるようなところは全くない。道元禅師の宗教も一般にいう自力と把握するのは誤りであることを、この長沙の説法は教えてくれる。』

(中国禅宗史話/石井修道/禅文化研究所P270-272から引用)

 

この『長沙、「いつまでも続けることができない」。また、答えた、「仏祖と成り続けることができないし、六道輪廻のままで続けることができない」。』(上掲書から引用)という箇所が、みじめでなさけない人間である自分と、すべてのすべてである仏である自分の二重性の実感を説いている箇所。

 

これは、ダンテス・ダイジの詩『おれは神』と同じことを言っている。

 

同様に『「仏祖と成り続けることができないし、六道輪廻のままで続けることができない」』(上掲書から引用)は、同時に二者でいられないことを示し、それは、山本常朝の葉隠の『浮き世から何里あらうか山桜』で感じとれる。

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米欧ロ核戦争の噂

2024-06-25 06:43:09 | 時代にFace it

◎かいなき終わり世の終わり

 

2024年6月4日米紙ニューヨーク・タイムズは4日、米国製の武器を使って、ウクライナ軍がロシア国内を初めて攻撃したと報じた。

米国製武器をウクライナがロシア領攻撃に使用するのは、核兵器を保有するロシアと米国の直接戦闘につながると懸念されていたが、これでNATOの欧州とアメリカ対ロシアの核戦争の可能性がぐっと高まった。実際に各紙や専門家の論調は、数か月以内の欧米とロシア間での核戦争を予想するものが増えている。なぜ数か月以内かというと2024年11月の米大統領選挙以前での開戦の可能性を予想しているからである。

 

NEWSWEEK日本版“ 【動画】米ロ全面核戦争シミュレーション”2022年9月15日(木)19時07分では、米ロ核戦争がエスカレーションして、両国とも全滅する核戦争が上がっている。

【動画】米ロ全面核戦争シミュレーション|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト (newsweekjapan.jp)

 

これは、プリンストン大学のシミュレーションであって、最初は、ロシアとNATOが警告と報復で放った一発づつの戦術核の応酬ではじまるが、4時間半後には、全面核戦争になり終了し、米ロ合計犠牲者9150万人(うち死者3610万人)であり、両国とも復興できない状況になることを予想している。

国連の中核である五大国の軍事コントロールがロ中により効かなくなっている現在、それは非現実的な夢物語とは言えない段階まできている。

 

ネットニュースでは、日本の大手メディアでは、そうしたのっぴきならない情報はヘッドラインには上がらず、人々はそれを知らないままで、日々野球やサッカーやゲームや芸能やどうでもよい動画やロ中筋の流した煙幕情報に踊る。これをマインド・コントロールと言わないのだろうか。

 

出口王仁三郎予言などでは、人類の生存率三分の一を唱えるが、このシミュレーションの犠牲者1億人弱は、世界人口80億に比べたらいかにも少ない。

それよりも、このように自国の経済も文化も日々の生活もすべて壊滅せしめるような政策をとっている人物たちが国際政治の実権を持ち続けている異様さに驚愕せざるを得ない。

 

仏教は日本以外ではほぼ壊滅。欧米のキリスト教バックボーンの社会は、思想信教の自由の旗の下に実質無神論に転化。そして大規模移民により先進国の文化・伝統は内から蝕まれ、風前の灯となっている。

 

これを反転させるには、一人一人が冥想により意識の限界状況を通過して神を知り、本当の愛を知ることしかない。そう考えている人はとても少ないが。

 

※かいなき終わり世の終わり:

『れん合の国の軍は強くとも、心は割れて四ツ五ツ、いつか勝負の果も無く、力は既にイングリス、艮に以太利て雨リカの、フランス跡に地固めの、望みもつきてカイゼルの、甲斐なき終り世の終り、金も兵糧も尽き果てて、互に臍を噛みながら、猶ほ懲りづまに向きを替ヘ、良き支那物を奪はんと、命限りに寄せ来る、其時こそは面白き、茲に仁義の神の国、豊葦原の足に掛け、蹴え放ららかし息の根を、絶ちて悪魔を絶滅し、世界一つに統べ守り、祭政一致の神政を、天地と共に楽しまむ。』

(瑞能神歌 いろは歌/出口王仁三郎より引用)

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少年宗峰妙超、ペットの子犬を難詰する

2024-06-24 04:50:37 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎播磨の悪童

(2017-11-11)

 

今の日本の禅は、曹洞宗と臨済宗に分かれ、臨済の方は大燈国師宗峰妙超の系流だけが残っている。

宗峰妙超は、大徳寺の開山だけあって、日本人の精神性に相当に大きな影響を残してきた。

 

少年宗峰妙超は、ある時子犬を綱でつないで引っ張ったが、犬はついてこようとせず、一歩も動かなかった。

彼は怒り、子犬を竹杖でたたいた。あわれ子犬は、悲しそうにキャンキャンと吠える。なおも彼は「畜生のくせに死を恐れるのか」と子犬を叱る。

これを見かねた通りすがりの人が、「お前だって死を恐れるだろう。まして子犬のことだ。」

宗峰妙超は、「生あれば必ず死がある。人が死を恐れるようでは、犬と何ら異なることはないではないか。」と。

通りすがりの人は、この小童の言葉を聞いて舌を巻いて驚いたという。

 

一日、ある人が刀を磨いていた。その人に向かって少年宗峰が、「刀を磨いて、いったいどうするのか」と問うた。その人は「よく切れるようにするためさ」と答えた。

宗峰「切れないところに、却って切れるところがあるのを知っているか」

その人がおやっと思って刀を磨く手を休めたところ、宗峰は呵々大笑した。両親がこれを見てはらはらして「もうやめなさい」というと、宗峰は逆に親のことを棒でたたいた。

 

宗峰妙超は、播磨に育ったが、少年の頃から相当にキテいた人物であって、いわゆる前世で相当に修行の進んだ人物と見える。禅をやりに来たのだ。

いまでもこういう子供は、動物虐待で親にも暴力を振るうとんでもないガキだが、当時はもっと悪評だったのだろう。

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夏至のバランスと歩行改善と転倒防止エクササイズ

2024-06-24 03:43:25 | 天人五衰、ロコモ、フレイル

◎きくち体操復活、身体バランス練習、シニア向け

 

1か月ばかりOlivia Lawsonの室内散歩20分×2を中心のエクササイズにしたら、膝裏が硬くなり、猫背になってきたので、これは、猫背、へっぴり腰、膝を曲げたままの老人の歩行姿勢になりそうなことがわかったので、きくち体操を復活した。

といっても、きくち体操は一貫して継続して朝一番の体操メニューに10ポーズ程度は入っていたが、短時間過ぎて効果がなかったということ。

 1年ほど前にきくち体操を大幅カットした理由は、ふくらはぎなどの筋肉がついてこないことが理由だった。確かにOlivia Lawsonの室内散歩は強度があって、筋肉の張りは出る。だけれど筋肉増強までには至らなかった。

 

最近一日にきくち体操を40分から1時間やってみると、きくち体操は、老化により筋肉がやせたり弱ったりしそうなところを重点的に動かして血行を促進して筋肉復活を図るもの。

要するにきくち体操は老人の筋肉やせ対策に特化した体操であることが改めてわかった。中野ジェームズ修一さんのストレッチでは、筋肉の伸ばしは、15秒以上やれば効果があると説明しているが、きくち体操では、筋肉の伸ばしを平気で2、3分やることが多い。老人は、伸ばしは15秒では足りないのだろう。

きくち体操は、筋肉の伸ばしの時間が長いのでこなせるメニュー数は少ないが、背筋は伸び、膝裏も力がつき、効果はすぐ実感できる。この辺が菊池和子先生数十年のノウハウなのだろう。

きくち体操を実質復活して間もないが、歩行バランスも若干の改善が見られる。

 

また猛暑の季節が始まる。室内ウォーキングと体操のメニュー選択の重要性を再認識させられた。

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ヴィパッサナーとボクシング

2024-06-23 07:26:27 | 覚醒のアーキテクチャー

◎感情が優勢で思考は効かなくなるブリザードでの冥想

 

現象という動画は、無数の静止画と隙間によってできている。隙間が無(ニルヴァーナ)であって、静止画が有(アートマン)。

よって人間は静止画は認識できていると思い込んでいるから、冥想とは、隙間を認識しようとすること。

 

2千年前は人間の中心は肚だったが、次第に胸に移り、今人間の中心は頭に移った。これを頭人間と云う。

標高8千メートル以上の高山では、感情が優勢となり、思考は効かなくなる。感情とは無意識の側であり、思考とは意識の側。無意識の側にも静止画の側と隙間の側の両方がある。人間は無意識の側が完全に優勢になれば、これを発狂と呼ぶ。

冥想修行とは、無意識を操作することだが、コントロールしづらくなる無意識のブリザードの中で、神仏のサポートを受けつつ、素直で冷静に最終段階まで自分を失わず、持っていくのが、大変なところ。なお最終段階では、自分を棄てて飛び込まないと、先へは行かない。

想念の消し方については、いくつか例を挙げてみた。それ以外にヴィパッサナー(呼吸覚醒:アナパーナサティ)というのもある。

ヴィパッサナーは、釈迦がこれで覚醒したという技法。ヴィパッサナーといっても単発の冥想テクニックではなく、複数技法の複合。アーサナとプラーナヤーマで身体の質を変え、ヴィパッサナーで入息出息を見つめ心の質を変えると、自分が体でも心でもない一つになった瞬間が来る。ここで気づいている自分のない、“気づき”そのものになった時が、爆発、ジャンプアウトのチャンス。

 

なおヴィパッサナーは、発狂しやすいということをダンテス・ダイジはコメントしている。終始入息出息を見つめるという行は頭人間である現代人には難しいのだろうか。

 

ボクシング世界チャンピオン井上尚弥は、人間は3分間集中し続けるのはむずかしいと言っていたわけだが、なんと2024年5月6日のルイス・ネリとのタイトルマッチで生涯初のダウンを喫した。この試合は、井上尚弥の勝利となったが、井上尚弥ですら3分間集中し続けるのは難しいということなのだろう。

その点で、釈迦は集中を継続し得たのだろうからすごい。その状況は、おそらく標高8千メートル級の死の地帯で、感情が優勢となり、思考は効かなくなるブリザード状態でのヴィパッサナー。そこを突破し得た者だけが、窮極ニルヴァーナに至る。だから釈迦は英雄と呼ばれる。

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白隠の和風公案

2024-06-22 04:52:42 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎男も女も、恋愛に、ライフ・プランに惑う

(2020-06-18)

 

本木くんの出演する映画ファンシィダンスの法戦式シーンでは、華麗な禅問答が漢語で次々と戦われるのだが、初めて聞いてわかる人は相当に禅籍を読みこなせている人だけだろう。

事ほど左様に中国の禅問答は、よほど古代中国の歴史と仏教の歴史、禅僧の来歴、中国の風俗、生活習慣に詳しくないと意味がとれないところがある。十牛図であってもそう。

そこで、中国公案では単なる記憶力ゲームになるとして白隠が和風公案を出してきた。

 

「海上の帆掛け船をここにいて止めなさい」

 

「印籠の中から富士山を出してみなさい」

 

「東海道に一人も人が通らないのはなぜか」

 

「両手をうてば声がするが、隻手(せきしゅ)(片方の手)には何の音があるか」

 

こうして漢文の素養のない者でもストレートに疑団に取り組むことができるようになったが、帆掛け船とか、印籠とか、東海道を足で歩くとか、今見れば大時代な用語である。

 

そこで隻手の公案の優秀性がわかる。ダンテス・ダイジもこれで見性した。

 

離婚3割で生涯未婚率も男性23.4%、女性14.1%。一生涯一職業は成り立ち難く、専業主婦はいまやほとんど絶滅危惧種。男も女も、恋愛に、ライフ・プランに惑う。かくして今の日本に生活すること自体が疑団となった。そして中国の狡猾な侵略と北朝鮮の核による恫喝、韓国のいいがかりと居並ぶ反日国家群の攻勢が米軍の弱体化を後目にかまびすしくなっている日々。

 

世界の未来と日本国民の運命は切り離せないが、日々冥想を。

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中国ドラマ「花散る宮廷の女たち」

2024-06-22 04:49:13 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎禅の六祖壇経

(2020-09-21)

 

東京12チャンネルで中国宮廷ドラマ「花散る宮廷の女たち」を放映している。

中国宮廷ドラマは、時々見ることがあるのだが、今回のドラマの特徴は、キスシーンが多いこと。それと、いつも必ず出てくる「皇帝が何枚もある夜伽の女性札から一枚をひっくり返すと、簀巻きにされた当の女性が皇帝の寝室に運び込まれるシーン」がないこと。

 

康熙帝には、35男20女の子がいて家康もびっくり。後継者争いは年長の9男くらいで争ったが、後継者争いのしこりは、四男雍正帝が即位してからも残った。

 

雍正帝は自らの後継者問題を防止するために皇太子を置かず、後継者の名は錦の箱に入れて乾清宮の正面の額の裏に置いて、皇帝の死後に衆人立会いの下でこれを開くという「太子密建の法」を採った。

 

この方法で後継者争いは起きなかったとされるが、太子密建の法は先帝が何度も中身を変更できるというメリットはあるものの、大盗賊やら有力宦官やら大物政治家が密かに中身を変更しても、開いた中身が先帝の意図したものだったかどうかは死後ではわからない。

 

一方日本の将棋タイトル戦においてすら封じ手を書いた封筒は三枚用意するもので、まだ太子密建の法よりも公正のように思われる。

 

もっとも仏教の信仰厚いチベット密教でもダライラマ後継者選定は毎度問題になっていて金瓶掣定というくじ引きをやっていたので、清朝のことは笑えない。

 

おやっと思わされたのは、四男が禅の六祖壇経の

『菩提本(もと)樹無く

明鏡も亦(また)台に非ず

本来無一物

何れの処にか塵埃を惹かん』を読み上げるシーンがあったこと。

 

これは、禅の五祖弘忍禅師の最上位の弟子神秀が、「この身は悟りの本だからいつも努力して汚れを掃除していないければならない」と偈を出して来たのに対し、一介の米つき男慧能が、「本来無一物なのだから元々汚れなどない」と大逆転シュートを放った故事。

 

清王朝はラマ教であり、禅籍を学ぶことはまずないはずなのだが、後の禅僧弾圧からヒントを得たのだろうか。中国人がアメリカに大勢渡りアメリカの禅ブームに刺激を受けたのか。アメリカでは、小粋くらいの意味の形容でzenが使われるのだが、そういう逆輸入か。

 

禅は日本に入って、臨済系と只管打坐系で残っているが、中国でも禅僧禅刹が残っているから禅が残っているとは言わない。禅で大悟した人がいてなんぼである。

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ジェイド・タブレット外典のストラクチャー

2024-06-22 03:15:06 | ジェイド・タブレット外典

《1.出生と乳児》
水平と垂直(冥想十字マップ)

《2.三歳》
 世界的に意識レベルが低下していく時
 終わりの世の意識レベルの低下

《3.思春期の水平の道》
 科挙不合格組、不登校組-1-呂洞賓
 科挙不合格組、不登校組-2-王重陽
 科挙不合格組、不登校組-3-空海
 科挙不合格組、不登校組-4-ダンテス・ダイジ

《4.思春期の垂直の道》

 

《5.青春期以降の水平の道》

 天の露あるいは天の精気-1
 天の露あるいは天の精気-2
 タロットの宇宙
 天の露とオルゴン 

 月の露
 天の露、コエンドロの実
 コリアンダー、パクチー、香菜(シアンツァイ)から天の露
 千利休の一碗の茶の真の味
 丿貫の利休評など

 

《6.青春期以降の垂直の道》
 イエス・キリストができたこと、できなかったこと(薔薇十字団、薔薇色の血の意味)
 イザヤの召命(木の切り株だけ残っても)
 宇宙空間への一時疎開(第三の選択)
 フリーメーソンをどう見るか-1(出口王仁三郎の石屋観)
 フリーメーソンをどう見るか-2(ユダヤ人の七不思議)
 世界統一しようとする動きと国家意識のせめぎあい-1(赤いフリーメーソン)
 世界統一しようとする動きと国家意識のせめぎあい-2(社会主義を沢山加味した宗教)
 超能力についての概説
 予言、予知
 前世記憶-1(本山博、ダンテス・ダイジなど)
 前世記憶-2(過去世を遡上)
 前世記憶-3(未来透視実験)
 前世記憶-4(マイケル・クライトン)

ラビ・レーフの魔術(プラハのユダヤ人マスター))

 空海-1-即身成仏義の偈(帝釈天の網のように世界をフルカバー)
 空海-2-空海と神道(別の高級神霊群との共存)
 空海-3-不空三蔵(政権との結びつき)
 空海-4-空海の仕掛け(同行二人)
 空海-5-国家鎮護―後七日御修法(空海と日本人の安閑)
 空海-6―空海の病気治療と人間観(地水火風の不調と悪霊のたたりと悪いカルマ)

 OSHOバグワンの父親-1(はた目からは大不運を幸運として謝す)
 OSHOバグワンの父親-2(朝3時から6時まで毎日冥想)
 

《7.天国まで》

《8.地獄も超えて》

《9.コーザル体・完全人・両性具有》

《10.垂直上昇への仕掛け》

 オシリスとホルスの神話(父なる神オシリスと神の子ホルス)
 ダンテス・ダイジの人類史観から(シリウスからエジプトへ)
 聖霊の話(二位一体)
 死の世界を扱う技術(死には自我の死と肉体の死がある)
 チベット死者の書の特徴(呼吸停止、心拍停止、肉体離脱)
 究竟次第について(利他、死の修行の非社会性)
  持続するトランス、持続するエクスタシー(サマーディ)(全体と個人の逆転)
  ソーマ・パイロットの言葉(芸術と武道とスポーツと仕事での見神、見仏)

《11.アートマン
  クンダリーニとアートマンの合体(そのものズバリに近いが証明は困難)
  迷いから究極までの段階の数(ケン・ウィルバーのアートマン・プロジェクト)

 {世界樹}
イグドラシル(エッダの宇宙樹) 

わたし自身に我が身を犠牲に捧げて世界を逆転(世界樹に吊り下がっている人間の姿)

視点の転換と世界そのものの転換の違い(世界の転換)

 錬金術の世界樹(その根は高く、枝は下に広がる)

建木=中国の世界樹(影を造ることなく音もない)

閻浮樹(閻浮樹の根には黄金が埋まっている)

 ユダヤの生命の木(五つと五つが向かいあっている)

空海の声字実相義(五大にみな響あり)

  アオウエイの五声(言葉は「道」であり「神」である)

  すべての次元にガイドがいる(ヘルメス、猿田彦命)
  中国の天への階段(崑崙山)

  キリスト教の梯子(人一人が通れるだけの巾の狭い青銅製のはしご)

  ミトラ教の梯子(七つの惑星から情念と性質を受け取る)

  古神道の天の柱(地球の中心火球の黄金柱)

  最初の指と後の指(この指は只の指ではなくて、世界樹である)

 

《12.ニルヴァーナ》

 {タロット・カード}
  愚者と世界(ニルヴァーナから迷いまで)
  前半が生の世界で後半が死の世界(前半が光、後半が闇)
  生の側の10枚(輪廻転生して、人間を卒業する、あらゆる実感を経る)
  11 力(聖音オーム)
  12 吊された男(世界が逆転)
  13 死神(名無し)(身体も心も二つながら共に死ぬ)
  14 節制(至高体験は自発的にやってくる)
  15 悪魔(大悟覚醒の直前に登場)
  16 塔(神の家)(クンダリーニの筒にして錬金術の炉)
  17 星(明星を見る釈迦、空海、日蓮、クリシュナムルティ)
  18 月(水底の世界にも月の光の救済は行われる)
  19 太陽(月と合体して、真夜中の太陽を見る)
  20 審判(永劫)(過去も未来も現在も、現界も霊界も)
  21 世界(おれは神)
  0 愚者(無番号)(神、仏、タオには2つの顔がある)
  22段の生の側の道、死の側の道(前半は顕教的、後半は密教的)

 

《13.冥想自在》

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ネガティブ予言をどう考えているか

2024-06-21 03:00:04 | 吉凶禍福、占い、癒し

◎まずは自分が神仏を知る

 

私がネガティブ予言を考える場合に、次のような判断軸がある。

  1. 実現するのかしないのか。
  2. 現実化する予言なのか、単に霊界だけで起きていて、現界に移ってこない予言なのか。
  3. 予言をした人は、悟っているのか、悟っていないのか。
  4. 予言をした人は、予言の実現時期をわきまえている人なのか、そうでない人なのか。
  5. ネガティブ予言は、一人でも多くの人が神仏を知ることで、ネガティブ予言が現実化しないようにすることができる。ただし、極ジャンプのように神仏を知る人の多い少ないにかかわらず、起きてしまうようなものもあるようだ。

 

「1.実現するのかしないのか。」は、その予言を発した瞬間に、事象はズレはじめ、結果的にはずれることがままある。つまり、予言した瞬間にはずれはじめるというのが、予言一般の基本性質。

 

「2.現実化する予言なのか、単に霊界だけで起きていて、現界に移ってこない予言なのか。」これは、最初から現実化しない予言が大半であって、予言の時点で一部現実化する予言があるということ。ただし、そうした現実化するはずの予言であっても、1で述べたように予言した瞬間からズレ始める。

 

「3.予言を見た人は、悟っているのか、悟っていないのか。」

現実を最終的に起こすのは、神仏。大悟覚醒した人が、現実化すると見たビジョンは、予言時点では現実化するのが確実だが、時間の経過とともに変質し、はずれたりすることがある。

予言の当たる程度は、その人が大悟覚醒した人であるかによる。

逆に大悟覚醒していない人の見た予言ビジョン(幻視)は、正確性が大悟覚醒した人よりも落ちる。

 

「4.予言を見た人は、予言の実現時期をわきまえている人なのか、そうでない人なのか。」

これは、過去数万年レベルの記憶が、本山博とダンテス・ダイジでは全く異なるということからも、こうした疑問がわくものだ。

大正時代に関東大震災の予言を実際より早めの日付で予言して世間が大騒ぎになったが、時期が数年はずれて顰蹙をかったことがあった。これに関しての出口王仁三郎のコメント。

 

『正夢は時間、場所、事柄等、見た通り些しも違はず実現するものである。霊夢は比喩的に見せられるから、其判断を誤ると間違つて来る。假へば、空にお月様が二つ出た夢を見たとすると、二月とも取れるし、又あるべからざる事実として凶兆とも取れない事は無い。故に正しい判断をせねばならぬ。霊眼もこれと同じであつて、見せられた事が本当であつても、其判断のしかたを知らねば間違つて来る。空に五五と云ふ文字が現はれたとしても、五十五日、五十五年、五月五日、五年五ケ月、二十五日、と幾様にも取れる。正しい判断の仕方があるのである。』

(水鏡/正夢と霊夢、霊眼/出口王仁三郎から引用)

 さらに

出口王仁三郎が語る、霊眼に映った出来事が現実化するメカニズムは次のようなものである。なおこの文章では、神界幽界をまとめて霊界とよんでいるように読める。

 

『ここで自分は神界幽界の現界に対する関係をちょっと述べておこうと思う。

 神界と幽界は、時間空間を超越して、少しも時間的の観念はない。それゆえ霊界において目撃したことが、二三日後に現界に現れることもあれば、十年後に現れることもあり、数百年後に現れることもある。また数百年数千年前の太古を見せられることもある。

 その見ゆる有様は、過去、現在、未来が一度に鏡にかけたごとく見ゆるものであって、

 あたかも過去、現在、未来の区別なきが如くにして、しかもその区別が歴然推断され得るのである。

 霊界より観れば、時空、明暗、上下、大小、広狭等すべて区別なく、皆一様平列的に霊眼に映じてくる。』(霊界物語第一巻/出口王仁三郎から引用)

 

つまり、予知あるいは予言した瞬間に、その内容に合わせて現在も過去も変貌してしまうのだが、その様子を『あたかも過去、現在、未来の区別なきがごとく』と言っているのだろう。

 

「5.ネガティブ予言は、一人でも多くの人が神仏を知ることで、ネガティブ予言が現実化しないようにすることができる。ただし、極ジャンプのように神仏を知る人の多い少ないにかかわらず、起きてしまうようなものもあるようだ。」

つまりネガティブ予言には、揺るがすことのできない人類の大スケジュールあるいは地球の予定というものと、多数の人間の悪想念の結果起こる、天変地異、戦争、動乱、飢餓、疫病などという二種がある。

 

世間では、一言でカタストロフィ、大峠などと十把ひとからげに言いがちだが、そこは気をつけてみたい。

そして大災害を緩和し得るものは、その地に何人の神仏を知った人がいるかどうかである。ある日突然全員が大災害の危急に直面して、全員が悟るなどということは夢物語。日々の冥想の基礎の上に悟りが起こるもの。

まず自分の無力を実感し、日々の冥想を。

 

たつき諒2025年7月予言

覚者や超能力者、霊能力者の時間認識

ダンテス・ダイジの死と転生-1

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上実下虚と下実上平

2024-06-20 06:40:14 | 浅い霊感から神人合一まで

◎憑依と脱身

 

日本では、古事記以来帰神の伝統があるので、神下ろしすなわちシャーマニズムが津々浦々にある。神下ろしに好適な状態は、上実下虚。本山博によれば、上実下虚は、気が胸、背部、頭部に上がった状態で(上実)、特にスワジスターナ(丹田)とムラダーラ(会陰)で気が足りなくなった状態を言う。

この状態は、非常に不安定な状態であって、変な霊がとりつきやすい状態である。こうなると呼吸は速く、浅く、心拍も速く、意識はぼーっとしていて、神仏の信仰心がないか薄い場合は、アストラルの変な霊がとりつきやすいという。

これに対して、ムラダーラ、スワジスターナが気が充実し活性化され、胸部、頭部が羽毛のように軽く、明るく、呼吸がないようになるのが、これが、下実上平。

(以上参照:神秘体験の種々相1/本山博P172-179)

 

下実上平は、定(有想定、無想定)の状態で、自分がまだ残っている状態。この場合は、上実下虚はダメで、下実上平はよしというように書いているが、

脱身直前は、あらゆるエネルギーが頭部に集まることは知られている。ババジの絵で、両目が上方を向いているのを見たことがあるだろう。つまり、脱身直前は、上実下虚になるのだ。

 

だから一概に、上実下虚はダメで、下実上平がよいとは言えない。

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