◎ベン・シラの知恵-1
(2013-03-01)
真剣な求道者でもって、敬虔な生活態度であればあるほど、その物質生活は質素なものである。
さて日本では、他人の富や成功へのねたみ、そねみが文化として根付いてしまっている。これを、旧約外典の一つである「ベン・シラの知恵」では、けちな人物と称する。
けちな人物が数ある中で、最低のけちを自分に対してけちな人間とする。
この文脈からすると自分に対してけちな人間ほど、自分に今すでに与えられているもので満足せず、他人の富をねたむ者であろう。
自分や先祖の幸福を願って感謝報恩行をやっていても、平素から他人の成功をねたみ他人のリッチなことをうらやんでいるような手合い、こうした人こそ自分に対してケチな人なのではないか。
本来人は、少なきを憂えず均からざることを気にしないものである。そうした代表格がマザー・テレサやパオハリー・バーバーであり、またその心情を語るものとして趙州十二時の歌がある。
『一
口をすべらせたこともなく、罪に悩んで胸を痛めたこともない人はさいわいである。
二
良心の苛責をおぼえたことなく、期待を裏切られたこともない人はさいわいである。
三
けちには富は不似合い、そねむ人間が金銭に何の用があろう。
四
守銭奴は他人のために貯めているに等しく、赤の他人が彼の資産の恩恵に与かるであろう。
五
自分に対して冷淡な者はだれに対して親切ができよう。そういう者は自分の資産を楽しむことはけっしてできない。
六
いちばん悪いのは自分に対してけちな人間で、これがそのけちの報いである。
七
たとえ善行をしてもそれはうっかりしてやったのであり、最後には彼の吝嗇ぶりが露呈する。
八
出し惜しみする者は冷酷で、顔をそむけ、危機に頻している人から目をそらす。
九
貪欲な者の眼はおのれの分では満足できず、欲張りの不正は魂をひからびさせる。
一〇
吝嗇家はパンを惜しみ、その食膳はお粗末である。
一一
子よ、できるだけ人生を楽しみ、主に対する供え物はきちんと献げよ。
一二
死の到来が手間どることはなく、黄泉の定めはきみに示されてはいないことを記憶せよ。
一三
死なないうちに友人には親切にし、君の力の及ぶかぎりこれを助けよ。』
(聖書外典偽典2 教文館/P114-115から引用)