◎Coolな出口王仁三郎
(2014-04-18)
大本教の大立者であった出口王仁三郎は、音に聞こえたクンダリーニ・ヨーギ(行者)。雲にのってアストラル・トリップをしまくるなど、超能力を自由自在に使える人であった。また明治31年の高熊山の洞窟修行で、この世の行く末を見たようである。
『日本は二分、外国は三分になる。信仰のないものは助からぬ。経済界は目茶目茶になる。』
(新月の光/八幡書店/木庭次守編から引用。以下『』内は同様)
これは、大本神諭に人類は三分しか残らないとあるのを意識した発言。
それでは、信仰とは何か。
むらきもの心に神の宿るとき 三千世界一目に見えすく(王仁三郎)
『聖師を真渓涙骨氏の案内にて西本願寺の大谷光照法主が訪問されての一問一答
問:今後の宗教はどうしたら良いでしょうか。
答:拝みたい者には、富士山でも造って拝ましたらよいでしょう。』
築山として富士山でも造ってとは、まだ自分以外の何かを拝むことが宗教だと思っている人もいるだろうから、そういう人には築山も必要。しかし本筋は、自分の内なる神、主神に自らアプローチすること。
『問:聖師様(王仁三郎)を友達のようにしては、いけませんね。
答:いやこのほうが王仁三郎は好きじゃ、神様は民主主義じゃからな』
預言者が、一般人の友人として現れる時代であることを肯定している。
『○○○には、○さんの霊がついている。
○(○○○)には○○の霊がついているのである。
神がかりにだまされる者は、神の綱が切れる。』
スピリチュアル系ブログでも、プレアデス、オリオンなど天体の名を冠した霊がかりをいう者あり、古代の聖人の霊をいうものあり、ガブリエルなどの天使や龍の名を語る霊がかりあり、多彩なことである。
出口王仁三郎も、 霊がかり、神がかりに騙されてはいけないと諭している。
霊がかり、神がかりは、ポジティブなインスピレーションを採用する程度で十分であって、懸かる霊の先に本流が流れているなどと見誤り、帰依してしまうと「だまされた」ということになりがちであることを言っている。
それを見分けるために王仁三郎は、審神(さにわ)をいうが、その違いの分かる人は、昔も今も少ないのだろう。