アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

今ここを生きれば生と死は同時にある

2024-11-30 03:25:21 | アヴァターラ神のまにまに

◎私は今死につつあり、私は今、生きている

クリシュナムルティは、時間すべては今であると唱えた。それにまつわる説明。過去も現在も未来も、今であるということ。

 

クリシュナムルティの説明。

『ですから、知識はありません。冥想はありません。修練はありません。あらゆるものごとは止まります。

問いを異なったように言ってもよいでしょうか。たとえば仮に、私は、自分が死のうとしていることを知るとします。今と死との間に時間の間隔があります。すなわち、私は一月一日に死ぬでしょう。(私は現実には一月一日に死ぬことにはならないでしょう!)医師たちは私に話したのです―私には末期の癌があり、そして一月一日までしか生存できない、と。ですから、私は死ぬまで二箇月程あります。時間すべては今であるなら、私は〔今〕死につつあるのです。

 

ですから、私は時間をもちません。私は時間がほしくありません。ですから、死は今です。人間の頭脳はいつのときも死とともに生きることができるでしょうか。理解していますか。

 

私は死のうとしていますそれは確かです。そして、私は言うのです―後生だからちょっと待ってください、と。しかし、私は、時間すべては今であるという事実を悟るならそれは、死と生きることはともにある〔という意味〕、それらはけっして分離していないという意味です。

 

ですから、知識は私を分割しているのです――私は一月の終わりに死ぬことになるという知識が、です。そして私は怯えるのです。「どうか、どうか、待ってください、待ってください。私は遺言を残さなければいけない。私はこれをしなければいけない。あれをしなければいけない」、と私は言うのです。

 

しかし、私は死とともに生きるなら、いつのときもそうしているのです。すなわち、私は遺言を書き上げるのです。私は今死につつあるのです。それは、私は〔今〕生きているという意味です。私は生きているし、死は隣にあるのです。生きることと死ぬことの間には、離別も分離もないのです。

 

あなたはこれができるでしょうか。それとも不可能でしょうか。それは、死が「あなたは何も持っていけない」と言う、という意味です。あなたの知識、あなたの書物、あなたの妻と子ども、あなたのお金、あなたの性格、あなたの虚栄、あなた自身で築き上げてきたすべて――あらゆるものごとは、終わりに死とともに去るのです。

 

あなたは、輪廻転生する可能性があると言うかもしれません。しかし、私はあなたに尋ねているのです――あなたは、何にも最小の執着もなく、今生きることができるでしょうか。なぜこれを―すなわち執着を-病床まで先送りするのでしょうか。今執着から自由でありなさい。』

(明日が変わるときクリシュナムルティ最後の講話 J.クリシュナムルティ/著 UNIO P68-69から引用)

 質問者たちからクリシュナムルティに、どういう冥想をすればそうなるかという質問は出なかったようだ。「ただこんな風になる」とだけクリシュナムルティは説くが、後継者が育たなかったのは、教え方の問題か、縁の問題か。

今ここに関する講演を聞いたり、今ここの話を読んだりする人もいるかもしれない。生活実感として“今ここ“を生きるということは、『私は今死につつあり、私は今、生きている』という、日常感覚からは全く理解できない現実を、平常心で生きることだとわかる。

これが、平常心是道

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小雪のバランスと歩行改善と転倒防止エクササイズ

2024-11-29 07:00:37 | 天人五衰、ロコモ、フレイル

◎目のかすみ、うすら貧血、嚥下のひっかかり、痰のからみ、呼吸が浅くなる対策としての上半身運動

 

晩秋の気配は感じられるものの、まだ樹々の紅葉は進んでいない。最高気温が連日25度を下回るようになってから、ほぼ一か月半、外での散歩60分を30日ほど続けたが、全身で踏ん張るという力はつくものの、膝の力はむしろ弱まり、また目の弱り(視神経がすぐ疲れる、バランスの悪化)も進んだので、外での散歩は20分に短縮し、Olivia Lawsonのwalkingやstandingを20分×2に切り替えた。

竹脇まりなの室内ウォーキングは、上半身の動きがあまりなく、その点でOlivia Lawsonの方がはるかに優れている。

 

この結果、膝回りの肉がついてきて、中腰中膝の姿勢が楽になり始めた。walkingやstandingでふくらはぎがぱんぱんになったところでの、きくち体操の30分程度は継続している。

 

全体として感じるのは、どの程度の量と時間の歩行系運動をやれば、老化による筋肉やせを止め、さらに筋肉をつけるかが不明だったが、私の場合その均衡点がどうやら

外での散歩は20分+Olivia Lawsonのwalkingやstandingを20分×2というところだとわかってきた。よって今後はOlivia Lawsonを増やしていきたい。

昨冬、Dougのバランス回復運動を一生懸命やったが筋肉やせ対策としては、あまり効果がなかった印象。

また散歩20分から有酸素運動に切り替わるものだが、最近はへばって20分以上はやらない。酷暑の影響はあるかも。

 

目のかすみ、うすら貧血、嚥下のひっかかり、痰のからみ、呼吸が浅くなるなど、上半身にまつわる老人的不調はあるが、きくち体操の説明を聞いたりしていると、これらは実は、腕の筋肉やせと連動していることがわかる。

よってチャトランガという浅い腕立て伏せ、にゃんこポーズ、四つんばいでの腕の屈伸、さらに上体そらし、プランク1分やっている。プランクはうつ伏せで両肘を立てて胸から下半身を一直線に伸ばす姿勢を維持するもの。これで腹からお尻、腿にかけての血流がドッコンドッコンする。今後はさらに腕振り系を増やしたい。

 

きくち体操については、肚(丹田)の力を入れ続けるという状態を継続するのが特徴だが、庭の枝切りなどは肚に力を入れ続けるので、結局家事時間が減っていくと肚(丹田)の力が弱まっていくということなのだろうと思った。

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NAOKIMANと日月神示の仲矢伸一の対談

2024-11-28 07:08:56 | 人と神の「実際のところ」

◎古史古伝、生成AI、日月神示、みろくの代

 

Youtubeを何本か見たのだが、非常に考えさせられるものがあった。

一本は、NAOKIMANと日月神示の仲矢伸一の対談(秘密結社Naokiman Show

日本最強予言書『日月神示』を解読した男とは?!

https://www.youtube.com/watch?v=7ovGVsk7ZSg)。これは、なんと144万回視聴。大体知っている話が多かったのだが、竹内文書などの神代文字の古文書のことに言及があり、一度は文書を見ているのだなと思った。確かに古史古伝系は重要で、神代文字は多くの種類があるものの、所詮古い時代の予言であり、その将来像は多くは古いがゆえにズレが大きいのだろうと思う。というのは出口王仁三郎は古史古伝への重視はあまり唱えなかったからである。

 現代は、わが身このままで未来予知もできる肉体に進化したからには、特にそうしたものに興味のある人以外は、あまり研究してもしょうがないのではないかと思った。

 

次に生成AI。これは、多くの人の話を聞いてみると、詮ずる所、核ミサイルのボタンを生成AIが握って人類絶滅までに至る可能性を懸念していることがわかる。仲矢伸一は生成AIの将来についてははぐらかしていた。私からみれば、生成AIは飛び魚であって、水平にしか移動、拡大しない。生成AIは、垂直ジャンプできないのである。生成AIは次元を超えるという真似ができないから、古代ギリシアでも低評価だった水平移動しかできない飛び魚に似たテクノロジーなのだろうと思う。ただし生成AIはSNSと相俟(ま)って、何が正しくて何が誤りなのかわからない混乱をますます深めることになると思う。

なお日月神示は出口王仁三郎の審神を経ていないから、私はあまり評価していない。

youtube動画界では、2025年危機説が盛んだが、これは1999年危機説と同様で、世界滅亡に至るカタストロフィーが2025年に起きるかどうかが問題なのではなく、2025年に各人に意識の絶対的な危機状況がやってきて、そこで覚醒できるかどうかが問題なのだと思う。肉体死が起きるからといって、その際誰もがニルヴァーナに入ったことを自覚するわけではない。

 

この対談では、令和時代が来たようにみろく時代が来て、各人は漫然と何もせずともみろく時代が来るような共通理解があるようなのだが、たとえ驚天動地のポールシフトが起きても、その時自分が悟るかどうかは別の話。

またこの対談では、みろくの代では、全人類が霊感覚を持つことにも言及されていたが、その霊感覚は悟りの結果随伴するもので、悟りが主で霊能力があることが従。霊能力があって悟っていない人は、昔も今も一杯いる。

 

Naokimanのしゃべりは絶妙で、関心の方向は現代的であり、まさに危機の時代だからこそ百万再生を稼ぐのだと思った。

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みろく三会とは神人合一した人間の姿

2024-11-27 03:13:10 | アヴァターラ神のまにまに

◎万代の常夜の闇も明けはなれ みろく三会のあかつき清し

 

出口王仁三郎が、第二次大本事件後、裁判長にみろく三会の説明をする。

『一審での庄司裁判長と王仁三郎との息づまる対決は?その行方は?――

「昭和三年三月三日のみろく大祭の祝詞奏上の後でお前は

『万代の常夜の闇も明けはなれ

みろく三会(さんえ)のあかつき清し』

という歌を詠んだそうではないか」

「ハア、詠みました」

「みろく三会とは、天のみろく・地のみろく・人のみろく、この三つが1つになるということだそうだネ」

「さようです」

「この歌によると、地球上でお前が一番偉いという意味になるのではないか」

 

「それは、私の宗教上の悟りです。宗教上の悟りを法律上で解釈されては叶いません。釈迦でも天上天下、唯我独尊と言うているが、宗教を開く者はそれ位の悟りの自覚がなくては、宗教が開けるはずのものでないと思うとります。私は別に悪いと思うていません」』

(出口なお・王仁三郎の予言・確言/出口 和明/みいづ舎P302-303から引用)

 

上述のとおり、出口王仁三郎は、みろく三会を宗教上の悟りと断じている。

彼はさらに、みろく三会とは、天地人、又法身、報身、応身のミロク一度に現はれるという意味で、これが真の三位一体であるとしている。

 

神人合一して第七身体ニルヴァーナにあるとき、天のみろく・地のみろく・人のみろく、この三つが1つになるということがあるのだろう。

 

また出口王仁三郎は、人はすべらからく神人合一を目指すべきだと言っている。

『元来宗教なるものは、仏教にもあれ、基督教にもあれ、人と神(仏と人、大我と小我)との融合一致に重きを置くものなり。即ち四諦観といひ、三位一体説といふも、其の意義に於て異ることあるなし。所謂天人合一を主とするに在るのみ。』

(出口王仁三郎全集 第2巻 第2章 宗教の害毒から引用)

 

古事記でも、天の安の川原で天照大神の霊と素盞嗚尊の霊とが一緒になって、伊都能売神になったことで、これで三位一体の成立を示している。

 

要するに究極の悟りを得て、ひとりの人間として世界を振り返れば、天のみろく・地のみろく・人のみろくという何の問題もない状態が広がっているのだろうということ。仏教でも三身というが、仏教でも究極の悟り涅槃に入れば、同じように三位一体を確認することになって、それが三身なのだろう。

 

ともすれば、みろく三会の時代とはみろくの代のことだと言われるから、いつその時代が到来するかばかり気になりがちだが、実は自分自身がみろく三会となることを確認することだったのだ。

 

【以下、霊界物語 第48巻 余白歌から/出口王仁三郎作】

甲子のの空を待ち佗びし
    胸にみろくの鼓うつなり

三千年の岩戸の七五三(しめ)も解けにけり
 みろく三会の神音の響に
     
内外の国のことごとマツソン
    毒牙にかかりて苦しみ艱める

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次の日本の敗戦から至福千年への道

2024-11-26 03:32:25 | メインストリーム予言と先行モデル

◎次の掃除も外国の手によって

 

大正時代の第一次大本事件(大本教に対する大弾圧)は、第二次世界大戦時の日本の運命の先行モデルとして位置づけられた。

昭和10年の第二次大本事件は、第一次大本事件に比べ激烈で徹底したものだったが、日本の将来の運命としてはまだ実現していない。

 

この経緯を踏まえて、出口王仁三郎の終戦直後の予言。

『マッカーサーが日本に進駐してくると王仁三郎はその意義を家の大掃除にたとえて説き明かす。

 

「世界を1軒の家にたとえると、日本は家の中の神床にあたる。ところがその神床が非常に汚れ塵埃がたまっているので掃除せねばならぬが、日本の神床を日本人自身にやらせると、血で血を洗う騒ぎをくり返すばかりでできはせぬ。そこで神は、マ元帥という外国出身の荒男をつれてきて掃除をさせられるのや。

 

ところが神床はもともと神聖な所なので、

掃除をするにしても、絹の切(きれ)でこしらえたハタキとか紙製のきれいなハタキとか使って掃除せねばならぬ性質のものだが、そこは外国出身の荒武者のことだから、竹の荒ボウキを持って神床を掃除するような時もおころう。

神床のゴミをはたくと、次は座敷の掃除が順序じゃな。世界の座敷はどこかというと朝鮮・支那になる。そして掃除は座敷をもって終わるものじゃない。庭先の掃除が必要になってくる。世界の庭先とは、ソ連や米国にあたる」』

(出口なお・王仁三郎の予言・確言/出口 和明/みいづ舎P296-297から引用)

 

第一次大本事件をプロトタイプとした先般の日本の敗戦を目の当たりにして、出口王仁三郎は、『こうならぬとこの神は世に出られぬ』ともらしたという。

 

今後第二次大本事件をプロトタイプとした再度の日本の敗戦が予言されているが、そののち、朝鮮・支那が戦場となり、最後は米ロの掃除が予見されているということ。

 

神様から見た掃除であるから、旧約聖書創世記でソドムの破壊前夜に天使が正しい人の人数を数えに来たようなことが日本でもあるのだろう。その時日本は一定数以上の神知る人の人数を抱えていなければ、来る至福千年(みろくの代)で日本が世界の中心となるのは夢物語。

 

さらに日本の大峠(至福千年前夜のカタストロフィ)では、出口ナオが、助かるべき者が助かるように、三、四月、八、九月に発生するように祈っている。

 

第二次大本事件では、起訴された信者61人のうち、厳しい拘禁生活の結果、昭和20年9月の無罪言い渡し時に存命していたのは、約三分の二の40人であった。『助かるべき者が助かるように』早く無罪が出たのだろうか。

 

今後の第二次大本事件をプロトタイプとした再度の日本の戦争では、前回以上の思想信教の締め付けがあり、またも軍事政権となることが予言されている。また日本が敗戦となるのに、次の時代は日本が世界の中心になるという予言があるのは、一見奇妙だが、神人合一してその仕掛けを読み解く人も続々と出てくるのではないだろうか。

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世界情勢とわが立居振舞

2024-11-25 03:41:57 | 時代にFace it

◎人間を生きづらくする政治は問題だが、神仏に近づかない自分の方がもっと問題

 

旧ソ連崩壊で、アメリカ独覇時代が続いて略30年。その当時には想像もつかなかった荒涼とした風景が、日常と世界に広がっている。

典型的な豊かな個人の日常生活と言えば、1950年代のアメリカ市民の暮らし。旧ソ連崩壊で、鉄のカーテンの冷戦も終わり、西側も東側も、リッチで少々ゴージャスな生活がこれからはできるのではないかと、当時は、夢想していた。

それ以前は、西側が善玉で東側が悪玉という世界の見方だったから、それも当然。

ところが、日本は中国に対し実質的な戦時賠償の意味合いも込めて、資金も人材もノウハウも技術も豪雨のように投入し、中国が世界第二位の製造大国、経済大国となることを大いにサポートし続けた。その結果、日本の政治家は、あの手この手で籠絡され、今や与野党の7、8割程度が媚中派、買弁議員となり、日本の政界は実質的に中国の属国同様になり果てたといえよう。

戦後の日本の急速な経済復興のノウハウを日本の官僚から学んだ中国は、果たして日本を上回る急速なスピードで経済成長を成し遂げた。

こうして国力を増強した中国は、ロシアと協力して米ロ中心の国際秩序を破壊して中国之夢なる中国中心の世界秩序構築の野心を表明して、現在に至る。

豈はからんや、中国GDPの3割を占める不動産業で中国は不動産バブルとなり、にわか成金が多数発生したが、いまや不動産バブルは完全に崩壊し、民間企業、地方公務員の賃金不払が多発し、スマホと監視カメラで完全に国民の思想・行動を管理しているはずが、無差別殺傷事件が連続発生するという経済麻痺と民心不安の状態に立ち至っている。

 

一方で欧米は、環境政策と移民受入れ促進、LGBTなどのリベラル政策により、産業基盤は弱体化し、伝統的な家族制度は崩壊、治安も悪化して、リベラル政策にはほとんどメリットのないことが、欧米各国の国民の反発により、明らかになりつつある。あきれたことに、米国民主党の圧力のもとに、これらリベラル政策を周回遅れで導入しようというのが日本である。

 

冷戦以前は、国際政治は西側が善玉、東側が悪玉とわりに単純だった。ソ連崩壊以後は、一時オール西側に見えたものが、いつしか中ロが叛旗を翻し、残った旧西側諸国は、なぜか自国民の利益にならないリベラル政策を重ねているように見える。

こうした状況は、私が見るところ、地球全体として人類絶滅政策に誘導しているようにも見える。

人類絶滅策と言えば、全面核戦争を思い浮かべる人が多いだろうが、婉曲に見えるが、ほとんどの人を生きづらくさせる圧政を行うのも、家族を含む人間関係がぎすぎすし、外では治安が悪化し、大局的に個人間も国家間も争いを起こしやすくなるということで、これも立派な人類絶滅策である。中国のことわざの「苛政は虎よりも猛し」は、時代を超えた真理である。

(「苛政は虎よりも猛し」:

孔子が泰山付近を通ったときに、女性が墓の前で泣いているのに出会った。女性は、舅と夫とわが子が虎に食い殺されたと言う。彼女がそれでもこの地を捨てて出てゆかないのは、税金が安く国民負担率が低いからだと答えた。:日本の国民負担率はなんと6割となった。)

 

為政者が人類絶滅政策に誘導しているなどということは、人の好い善男善女や社会の常識人には信じられないことかもしれないが、為政者が悪人であったことは、ヒトラー、スターリンを挙げるまでもなく史上いくらでも例はある。

 

ただし、旧約聖書イザヤ書にあるように人類愚民化と絶滅が神の意志であることを示す古伝承、神話もあるものだ。古事記でイザナミ命が毎日1000人ずつ殺すと言ったのに対し、イザナギ命は毎日1500人の子供が産まれるようにすると言ったのもそうした例の一つと考えられる。

政治にも期待できない中、自分ができることは、冥想により本当の自分を見つけて神仏に出会うことである。そうして初めて自分は本当に自分らしい生を生きることができる。

 

自分が神仏に出会うあるいは神仏となる体験とは言えない体験を経れば、世界は争いのない時代に向けて一歩踏みだす。自分が他人を傷つけることなど決してできやしないとわかれば、そうした人が徐々に増え、人類絶滅を回避し至福千年の新たな時代を現実化することができる。

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現代社会は巨大なカルトのようなもの

2024-11-24 03:33:32 | 時代にFace it

◎何か牢獄に暮らしている感じ

 

アメリカでは、ゾンビ映画やドラマが隆盛で、たまには目にすることもある。だが、ゾンビというのは、ほとんど思考力をなくした現代人のようなものだと思ってぞっとすることがある。

 

さてカルトでは、勧誘してきた若者たちを集め、彼らに信仰を注入しようとする。

同様に現代社会では、彼らに社会常識や金儲けや商品知識や異性との出会いの手ほどきなど無数の情報を入れ込もうとする。

 

カルトでは、長時間にわたって説教や講義を繰り返し、教学書や聖典の朗読のyoutubeを聞かせる。食事中も、トイレに入っている間もそれを止めない。さらに、神仏や教祖を賛美する歌を延々と歌わせたり、聖なるマントラを唱えさせたりする。しかも、これが続く間、ほとんど休みを与えず、食事や睡眠を満足にとらせないのだ。     

同様に現代社会では、テレビやスマホで長時間にわたって広告やプロパガンダを繰り返し視聴し、その間、国際情勢、政治・経済・商業に加え、宗教・道徳・金儲け・防犯から知っている他人・知らない他人の情報まで視聴する。ややもすれば、食事中も、トイレに入っている間もそれを止めない。この結果、一日の余暇時間は、このように洗脳される時間となり、しかもこれが毎日続くので自分で考えたり冥想する時間はなく、結局に食事や睡眠を満足にとらないことになる。

 

実は、これは十分に考え尽くされたやり口なのである。こういった状態が長く続くと、感覚が麻痺して くる。頭の中は空白になり、自分が今やっていること以外のことが考えられなくなっていく。

カルトでは、聖典の文句や歌が絶えず頭の中で鳴り響いている状態になってくる。そして、カルトの側の教えやメッセージをそのまま鵜呑みにしてしまうのだ。

一方社会では、政府、マスコミ、コマーシャル提供企業などからの情報や、SNSでの“らしい”言説を、無意識に受動的に信じ込み、あたかもそれが自分の考えであるように思ったりしゃべったりするに至る。

 

これが、洗脳(マインド・コントロール)の過程である。洗脳された若者や中高年者の人格は変わり、表情までややうつろになってくるので、人格は確かに改造されたことがそれでわかる。

社会的洗脳手段(マインド・コントロール/世論操作)がここまで大量・巧妙・大規模に行われていると、人はしばしば洗脳されていることに自分では気がつかない。

こうした状態を落ち着いて感じ取ってみれば、人はある牢獄にいるような気分を感じとるのではないだろうか。すなわちマスコミなど誰か知らない他人に作られた想念や思想や感情に作られた壁でこしらえられた牢獄に、自由のない自分が置かれているのではないかと。

これを脱出する方向には、本来の自分らしい生き方を見つけるという方向と、神仏を知るという方向の2種ある。ただし前者は悟りと関係がなく根本的解決ではないので、ダンテス・ダイジは、その方向は肯ぜず、すべての人が悟るべきだと考えていた。悟るとは、本来の自分に気がつくということ。

今日も冥想を。

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ヤコブ・ベーメの決定的な15分間

2024-11-23 19:40:01 | 錬金術neo

◎隠された自然の最も内奥の根底へ

(2017-02-05)

 

ヤコブ・ベーメは、1575年にボヘミアに近いドイツの小村アルトザイデンベルグに農家の五人兄弟の4番目として生まれた。彼は靴職人として靴屋に徒弟として入り、24歳で親方になり、結婚もした。

靴屋の遍歴修行時代の18歳の頃、彼は魂が輝かしい安息に導き入れられ、神的光に包まれて七日間の間、神の観照と大歓喜のうちにあった。

そしてベーメ25歳のときに決定的な15分間の体験とは言えない体験が起こる。彼は再び神的な光に捉えられ、錫の容器にしばらく見入るうちに、彼のきらめく魂の霊とともに隠された自然の最も内奥の根底あるいは中心へと導き入れられたという。

残念ながらこの時起きたことを彼は語るすべなく、そのことが文章に昇華されたのは12年後の37歳の時であり、それがアウローラ(黎明)という著作になった。それまでは、それは起きることは起きたが、彼には理解できなかったというものである。

 

アウローラの内容は全体的には霊がかりではあるが、世界の創造のあり様をも幻視しており、それなりのレベルではある。

それと15分は、黄梁一炊の夢の時間にも相当し、本人は15分だと感じているが、実際は数秒だったかっもしれない。なんとなれば、彼は蘇生し、生還したからであって、目立った肉体の損傷もなかったように見受けられるからである。

15分も血流が止まっていれば、肉体はいろいろな後遺症を抱えるものなのではないか。

またやはり、「世界の秘密を見た者はそれを語りたがる」の法則があるのだろう。

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ダニエル書の予言、日本の世界統一

2024-11-23 03:28:06 | メインストリーム予言と先行モデル

◎日本が諸々の国を打砕き世界を統一する

 

旧約聖書のダニエル書第二章に日本の勃興と世界統一が予言されている。

ネブカドネザル王が巨人の夢をみた。その巨人の像は、首は金で、胸と両腕は銀、その腹と腿とは銅で、その脛は鉄、そして脚と趾とは一部は鉄で一部は泥で出来ていた。そして一個の石が人手を藉(か)りずに山よりけずれ落ち、その巨像の足を撃ったと思うと、たちまち巨像は夏の禾場(うちば)の糠の如く粉砕して風に吹払われ、これを撃った石は大なる山となって全地に充ち拡がった。

ダニエルはこの夢の密意を解いて、その巨像こそ治乱興亡の世界歴史を示すものであって、最後に人手を藉らずしてある国が現はれて、諸々の国を打砕き世界を統一することを予言した。

出口王仁三郎の解説では、金の国バビロン、銀の国ペルシヤ、銅の国ギリシヤと相次いで倒れ、鉄の国ローマもまた北方より侵入した泥の国ゲルマンに滅ぼされ、今や欧州は趾(あし)の如く、鉄と泥との小国に分離して互いに相争い、混沌として統一できない状態に陥っている。

人手を藉らずしてある国とは、人手を藉らず神が建てた国日本のこと。日本は、これらのもろもろの国を打ち破って滅ぼして世界を統一し、永遠に至る。

政治も経済も宗教も道徳もことごとく八咫の鏡に照らされて審かれる日が来たのだ。

そうなるためには、日本人一人一人が神を知り、「神ながらの大道」を歩まねばならない。

 

これは、ユダヤ・キリスト教では、人に打ち捨てられた石が北東に置かれるのだが、それが長い年月の末に、滅びることのない神の神殿の基礎となるという伝承と連動。これは、出口王仁三郎が、長年月北東に監禁されていたもともとこの世の主宰神であった艮の金神を舞台の中心に引き出したのと同義。

以下、出口王仁三郎の原文。

『二六〇〇年の昔バビロンの王ネブカドネザルがある夜巨人の像を夢みた。その像は首は金で、胸と両腕は銀、その腹と腿とは銅で、その脛は鉄、しかして脚と趾とは一部は鉄で一部は泥で出来てゐた。しかして一個の石が人手を藉らずして山より鑿れ落ち、その巨像の足を撃ったと思ふと、たちまち巨像は夏の禾場の糠の如く粉砕して風に吹払はれ、これを撃った石は大なる山となって全地に充ち拡がったといふのである。

 

 この時、神を信ずる青年ダニエルはその夢の密意を解いて、その巨象こそ治乱興亡の世界歴史を示すものであって、最後に人手を藉らずしてある国が現はれて、諸々の国を打砕き世界を統一するものなることを予言したのである。

 

 果たせるかな、金の国バビロン、銀の国ペルシヤ、銅の国ギリシヤに相次いで倒れ、鉄の国ローマもまた北方より侵入したる泥の国ゲルマンに滅ぼされ、今や欧羅巴は趾の如く、鉄と泥との小国に分離して互ひに相争ひ、混沌として帰一する所を知らざる状態に陥ってゐるのである。

 

 かくしてその予言は今日までことごとく的中して来たのであるが、然らばダニエルの言った「この王らの日に、天の神一つの国を建て給はむ、是はいつまでも亡ぶる事なからむ、この国は他の民に帰せず、かへってこの諸々の国を打破りてこれを滅ぼさむ、是は立ちて永遠に至らむ」とある世界統治の大使命を課せられたる国家、即ち人手を藉らずして成りし一個の石は、果してどこの国を指示するものであらうか。

 

 視よ! 今日の欧羅巴はまさに奈落の底に転落せむとするものの最後の踠きである。しかしてかく欧羅巴が滅び行く苦悩に呻吟してゐるその時、桜咲く東方日出の国では、新興満洲国皇帝陛下を御迎へして、国を挙げて感激に浸り、両国の親和契盟はいよいよ鞏固を加へた。これこそ没落欧羅巴と黎明亜細亜の姿を如実に描き出してゐるものでなくして何であらうか。

 

 この際吾々日本人は何物にも囚はれない活眼を開いて世界の形勢を洞察し、吾々の為さねばならぬ使命を天の声に聴くべきである。亡び行く欧羅巴を模倣するものに破綻が来たり、伸び行く日本精神に生きるものに光明の世界が展開する。それは誰にでも解る至極平凡なる真理である。

 

 人手を藉らずして建てられたる国とは、天祖天照大神の開き給ひし神国日本である。しかして人手を藉らずして造られた道とは、人の智をもって築かれた欧米の理論哲学でもなく、人によって説かれた道徳や宗教でもなく、実に天地剖判の時より吾らの魂の中に伝へられたる「神ながらの大道」なのである。しかし世界がかくの如く旧き殻を打破って新たなる生に活きむと悩んでゐる如く、日本もまた欧米模倣の旧殻を脱して新日本文明の建設に苦闘してゐるのである。しかしてもし日本が一日でも早くこの大道に覚醒して国内の立直しを完成したならば、それはただに我が国の為に慶賀すべき所以たるにとどまらず、全人類のこの苦悩を一日でも早く癒す所以であって世界の為に祝福さるべきことである。

 

 だがもしも神から課せられたるこの大使命を日本が怠るやうなことがあったならば、功罪共にその責の重大なるをもとより覚悟しておかねばならぬ。

 皇道の大精神に叛くものは、あだかも夏の禾場の糠の如く風に吹き払はれる。それは国の外と内とを問はない。政治も経済も宗教も道徳もことごとく八咫の鏡に照らされて審かれる日が来たのである。そしてダニエルの予言が、いよいよ神国日本の飛躍によって完成される時が来たのである。』

(惟神の道/ダニエルの予言と神国日本/出口王仁三郎から引用)

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メルクリウスの水の作り方

2024-11-22 03:24:12 | 冥想いろいろ

◎正しく理解してさえいれば、賢者の石は短時間でできあがる

 

『錬金術師の入門式については、いくつかおもしろい話がある。見たところ実話のようだが、実際にはほとんど寓話だろう。歴史家はよく、エルヴェシウス(ヨハン・フリードリッヒ・シュヴァイツァー)の話を引用する。というのも、錬金術の達人との出会いをありのまま語っているように見えるからだ。『金の子牛』から、その物語を要約してみよう。

 

一六六六年十二月二十七日のこと、見知らぬ男がハーグにあるエルヴェシウスの家に現われた。男は「小さなクルミくらいの大きさで、透きとおった青白い硫黄の色をした」物質のかけらをいくつか見せ、「哲学者の石」だと言った。ほんのひとかけらもエルヴェシウスにくれようとしなかったが、石を貴石に変える方法と、霊薬や「清らかで澄んだ、蜂蜜よりも甘い水」(おそらく、有名なメルクリウスの水)の作り方を教えてくれた。錬金術の金で作ったメダルも見せてくれた。

三週間後、男が再びやってきたので、エルヴェシウスはしつこく頼みこんで、ようやく小さな石の「かけら」をもらった。しかし、それっぽっちでは何も作れそうにない。すると、男は石のかけらをとりあげて半分を火に投げこみ、残りの半分を返してくれた。そして石を調合する方法を教えてくれた。それによると、必要な物質は全部でたったふたつ。それに坩堝がひとつあればできる。正しく理解してさえいれば、石は短時間でできあがるし、費用も少なくてすむという。男はそれきり、二度と戻ってこなかった。

エルヴェシウスは妻の助けをかりてその石で変成をなしとげた。できあがった金は正式に鑑定した結果、良質であることがわか った。』

(錬金術 心を変える科学/C.ジルクリスト/河出書房新社P74から引用)

 

上掲『必要な物質は全部でたったふたつ。それに坩堝がひとつ』の必要な物質はあらゆる正反対のもの、坩堝とは肉体。

なぜ石を半分だけくれたかは、師の教えは半分であって、残り半分は自分でたどり着くものだから。

 

メルクリウスの水とは、処女の乳、生命の水、火とも呼ばれ、この水で死者を生き返らせたり、病気を治したり、不死に到達したりできるとされる。メルクリウスは、水銀のこと。

 

メルクリウスの水や賢者の石が、さる冥想状態であるとは普通気がつかないが、全身全霊で人生をかけて、「人生はかくも理不尽、不条理であるのは何故か」と追求しきるエネルギーのある者だけが、そこに気がつくのではないだろうか。

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ヤコブ・ベーメ

2024-11-21 13:03:43 | 錬金術neo

◎怒りの水銀、神の水銀

(2006-12-10)

 

ヤコブ・ベーメは、1575年生れの北ドイツのゲルリッツの無学な靴職人。

 その著作の一つであるシグナトゥーラ・レールムの次の文を読むと、錬金術の述語である水銀、黄金、肉体、キリストなどの用語が、自らの体験を裏付ける表現として用いられていることがわかる。

 『(人間は)黙って横たわった。既に形は崩れ、獣のような醜い姿になっていた。とても天使には見えない。ましてや天国に迎え入れられるとは思えない。悪魔の原石のようだ。

 そこに含まれた金は、じっと身を潜め、沈黙している。至福の姿は彼にあってなきが如し、目には映らない。肉体は毒の中でまだ生きのびてはいたが、まるで悪臭を放つ死体のようだ。それはまた邪悪の茨の茂みのようでもある。

 けれどもそこからは清らかなバラの莟が、いばらを超えて顔をのぞかせ、有毒な怒りの水銀の中で隠れてじっとしていたものが姿をみせる。

 造り主である錬金術師が手にとって、死に絶えていたその金に、至福の姿に、生きた水銀を注いでやることによって。

 そうして神の優しさと根源的な愛から生れたものが、一時隠されていても、ふたたび莟をもち花開く。神の水銀、すなわち神の言葉によって。それは沈黙していた人間の心にしみ入るのだ・・・・・。

 そののち天から授かった水銀は、怒りの水銀をあるべき姿に変え、そしてキリストが誕生する。キリストは悪魔の頭を叩きつぶし、・・・・・そして清く正しい人間がよみがえり、神の前に生きる。(神々しいその姿は)地上の材料に潜んでいた金のように輝き始める。』

(錬金術 心を変える科学/C.ジルクリスト/河出書房新社P99-100から引用)

 

水銀は最初は有毒であるが、後に神の言葉に変容するところをみると、かの白銀色のエネルギー・コードが神から肉体までを貫いているクンダリーニのアーキテクチャーからすれば、水銀とはクンダリーニのことと意識していた印象を受ける。

 生きた水銀である神のバイブレーションを注いでやることによって、クンダリーニは活性化し、神とつながり、キリストとして誕生する。「自分自身がキリストとして誕生する」とは書けないので、誰が成るのだかわからないが、キリストが誕生すると書いたのだろう。

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岡本天明が出口王仁三郎に会いに行く

2024-11-21 06:57:17 | 古神道の手振りneo

◎二度目の面会チャレンジも失敗

(2015-05-22)

 

岡本天明は、日月神示のシャーマン。依代の常として、降りた神示の解釈は、岡本天明自身が行うことはできず、通常は審神者が行うもの。

 日月神示は、昭和19年6月から岡本天明に降りて、自動書記した。天明は、神示を降ろしている神は、出口ナオに関係する神霊らしいと考えて、天明は、日月神示の審神を受けに亀岡に向かった。しかし、中矢田農園に居る出口王仁三郎に2度に亘って面会を試みたが、結局出口王仁三郎に会えずじまいだった。

 二度目の面会チャレンジも失敗におわり、口をきいてくれた倉田地久の前で、天明は男泣きに泣いたという。

(以上出典、岡本天明伝/黒川柚/ヒカルランド)

 

出口王仁三郎は戦後も数年存命であったが、その後存命中にも審神を受けたことはなかったのだろう。

 日月神示は、出口王仁三郎の審神を受けずに、結局漢数字だけの部分の解釈など高田集蔵という人物によるところが多く、今に至るらしい。

 日月神示は、大本系でありながら、出口王仁三郎の審神を経ていない。よって私は十全の信用を置けるものではないように思う。内容や言葉使いなど、既に審神済の大本神諭、いろは歌などに似ているが、内容的にはどんなものなのだろうか。

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どうしてもロシアを核戦争に引きずり込みたい勢力

2024-11-21 06:40:01 | 時代にFace it

◎臆病者は戦いを避けさえすれば、いつまでも生きられると思っている

 

2024年11月20日、ウクライナは、英国製の長距離ミサイル「ストームシャドー」を初めてロシア領に向けて発射した。前日の米国製の長距離地対地ミサイル「ATACMS」に続き、2日連続で西側諸国から提供された長距離弾を使用しロシアを攻撃。

 また北欧のバルト海で海底の通信ケーブルが切断されたり損傷したりしているのが相次いで見つかり、沿岸のスウェーデンなどの当局が捜査を始め、11月19日、ロシア将校が船長を務める中国船「イーペン3号」が、バルト海の2本の重要な海底通信ケーブルの破壊に関与したとして、デンマーク海軍の船「Y311ソーローベン」に拿捕された由。

 どうしてもトランプ就任前に、ロシアを核戦争に引きずり込みたい勢力がいるようだ。

 

荒野に火の玉が燃える』(ダンテス・ダイジの核戦争予言)

金でつぶれる世の中」(日月神示)とはいうが、実際にソ連は破産して解体済(金でつぶれる)。いままさに不動産バブル崩壊で中国は、ネット規制が厳格なのに不思議なことだが、弱い者がさらに弱い者を無差別に殺傷する『社会への報復』が同時多発。中国之夢も金でつぶれるのか。

ダライ・ラマは、存命中での中国共産党の終了を予言。

 ダンテス・ダイジは中国四分割を予言。

 

なお中国の不良債権総額は、少なく見ても1000兆円以上などと噂され、日本のバブル時のそれの10倍は超えるとも言われている。なお日本のバブル時の不良債権は約80兆円などと言われてきた。日本はバブル解消に30年かかったが、中国はその10倍か?また中国の若年失業率は実態は50%を越えるのではないかという話もある。毛沢東は、政権は銃口から生まれるといったが、政権を転覆させるのは学生だった。

 

今ホットな北欧神話からオーディンの箴言。

『王者の子たる者は、寡言と沈思をたっとべ。

戦いにのぞんでは果敢であれ。 すべて人たる者は、死を迎えるまで、明るく、快活であれ。(一五)

 

臆病者は戦いを避けさえすれば、いつまでも生きられると思っている。だが、槍先から勘弁してもらったとしても、老いから勘弁してもらうわけにはいかない。

 

食事によばれたおろか者は、目をむいて、ぶつぶつとつぶやくか、おしだまっている。だがひとたび酒がはいれば、その分別もたちどころに消えてしまう。

 

遠く旅をし多く歩いた者だけが、もしも知恵をそなえているなら、世の人々の心ばえを知るというものだ。』

(筑摩世界文学大系  10 [中世文学集]  エッダ  筑摩書房P20から引用)

今日も冥想を。

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ヤコブ・ベーメ、予兆と召命

2024-11-20 06:38:50 | 吉凶禍福、占い、癒し

◎洞穴で黄金を発見する

 

ヤコブ・ベーメは、靴屋の職人だったが、後に光明を得た。

『ある日、ぼくは羊の群を追って山にいた。ふと、赤い大きな岩のつみかさなったかげに、地中へおりていく入口があいているのに気がついたぼくは、ふらふらと地下へおりていくと、樽いっぱいにつまった金の山がぼくの目を射るではないか。突然われにかえったぼくは、おそろしさに無我夢中で穴から逃げ出し、あとで友達をさそっては何度もその場所へ行ってみたが、洞窟の入口などかげかたちもなかった。』

(ヤコブ・ベーメ 開けゆく次元 南原実/〔著〕 哲学書房P26-27から引用)

 

これは、窮極を黄金として垣間見た。

中国なら洞天福地、壺中天。

 

『ぼくが親方のうちに丁稚となって仕事を習っていたある日、みなりはいやしいがどことなく威厳のある男がひとり店に入ってきて、靴を一足買いたいといった。ちょうど親方もおかみさんも留守で、ぼくひとり店番をしていたので、どうしていいかわからず困っているのに、男は靴を売れとしつこくいってきかない。それならべらぼうの値段をつけてやれと思って高いことをいうと、男はしりごみするどころか、いいなりの代金を払って靴を買っていってしまった。ヤコブ! 出てきなさい!―――ぼんやりしているぼくの耳にとつぜん呼ぶ声がきこえ、おどろいて外へ出ていってみると、さっきの男が外に立っていたのでした。

会ったこともないこの男が、なぜまたぼくの名前を知っているのか、気をのまれていると、きらきら輝く目をした男はぼくの右手をにぎり、ぼくの目をのぞき込むようにしていうのだった――ヤコブ、お前は、まだ年もいかない小さな子供だけれども、大きくなったら、世界中の人がおどろくような全くち がった人間になるだろう、だから、神さまをうやまい、神さまの言葉を大切にしなさい、なにより、聖書を読むことだ、聖書こそなぐさめを与え、困ったときにはどうしたらよいのか教えてくれる、お前は、やがてみんなから迫害をうけて、貧乏にも苦しむだろう、だが、心配するな、勇気をだして、神さまはいつもそばにいて、お前を守ってくださるにちがいない――こういうと、その男は、ぼくの目をもう一度のぞき込んで、どこかへ消えていってしまったのでした・・・。』

(ヤコブ・ベーメ 開けゆく次元 南原実/〔著〕 哲学書房P27-28から引用)

 

威厳のある男は、神使である。こういうイベントを召命と言う。こういう出会いがしばしば一生を決める。

ノストラダムスが、若き無名の修道士に、「後にあなたはローマ教皇になる」とひざまずいて予言したシーンにも似ている。

働き始めの時期は、誰にとっても苦しいものだ。

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地震兵器考

2024-11-19 07:07:02 | 時代のおわりneo

◎日本人は逃げる

(2011-03-20)

 

今回の東北北海道大震災の震源が10キロと浅いことから、これが地震兵器によるものではないかと疑いを持つ人たちがいる。現状では、地震兵器の実在は確認されていないが、存在するならば、非人間的な兵器である。非人間的な兵器は他にもあって核兵器もそうである。地震兵器は、謀略論好きで空想たくましい人たちのいわば想像の産物に過ぎないかに見えるのだが、必ずしもそうとも言えないところがある。

出口王仁三郎のつぶやきによれば、東洋全体に火の雨を降らすことを研究している手合いがいるそうなので、そんなことが人力で可能ならば、地震兵器などはそれに比べてはるかに簡単にできるのではないかと思われるからである。

出口王仁三郎は、大本事件の時に大勢の信者が逃げたように、日本魂が腐っているから、いざという国難の時、ほとんどの日本人は逃げると見ている。外国にも大勢逃げるだろうし、日本魂を捨てて、アメリカナイズや中国化される人が主流となるということだろう。最後には、古神道や仏教など日本固有の信仰を持っているだけで摘発されるような時代になることを、出口王仁三郎は見ているのではないか。

終戦後、さる信者の前で、出口王仁三郎が、玉串を最初は座布団の上に出し、次に座布団の下に隠し、最後は自分の懐にねじ込んだ。信者がどうしてそんなことをするのかと問うと、出口王仁三郎は、「今に見い、こういう時代が来る」と語ったそうな。

原発事故処理の延長で言論封殺が行われ、そういう時代が来る可能性はある。放射能被害の問題は万人共通の生活の問題となるからである。

 

大本神諭に日本の立替は三四月、八九月とあり、果たして三月に火蓋が切られたのだろうか。立て替えるには、一度は元のをつぶさないと新しいものは建たないが・・・・。始まったら半年みたいだし。

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