モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

御霊の光

2021-03-06 06:00:56 | 福音について
どうすれば御霊の力をより強く受けることができますか?


昼間の晴れ渡った空を思い浮かべてみてください。
太陽の光が降り注いでいます。

小さな雲が、太陽の光を遮ることがあります。
厚い雲が垂れ込めると、太陽の光は弱まり、暗く感じられることさえあります。
そのようなときに、なんとなく不安を感じたことはないでしょうか。

人は心に陰りがあるとき、太陽の光を遮る雲のように御霊の光が暗くなるときがあります。
その‟心の陰り”をもたらすものを、わたしたちは罪と呼びます。

(この世で一般的に罪と呼ばれるものと、主の教えで罪と表現されるものには、意味に違いがあるので注意が必要です)

福音の教えでの‟罪”とは、‟御霊の光を遮るもの”を意味します。
主が「罪を犯さないように」と教えたのは、「御霊の力をより強く、より明確に受けられるように備えなさい」という意味です。

福音の教えに従うときに、わたしたちは御霊の光(導き)を受けやすくなります。
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聖い

2021-03-06 05:53:48 | わたしに従って…
「主の前を聖く歩む」とはどのような意味でしょうか。
(わたしに従ってきなさい 3月7日)

「聖さ」とは、‟罪のない状態”です。
福音の教えにある「罪」とは何でしょうか。
この世で一般的に言われる罪とは意味が異なるようです。

御霊の光(導き)を‟何の遮るものもなく受けることのできる状態”を「聖い」と表現します。
罪とは”御霊の光を遮るもの”です。

主の戒めを認識していながらそれに反するときに‟心に暗さを感じた”ことはないでしょうか。
それは御霊の光を遮るものだからです。

怒りや敵意、争いの心があるときはどうでしょうか。
焦りや苛立ち、不安などによって平安を失ったことはありませんか。

ジョセフ・スミスはカーセージに向かう朝、このように言っています。
「わたしは夏の朝のように心穏やかである。わたしの良心は神に対してもすべての人に対しても、責められることがない。」(教義と聖約135:4)
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