モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

祈り

2021-04-23 06:13:45 | 福音について
「祈りの応えが分からない」という人には、いくつかの共通点があるように感じます。

・ 形にこだわる
ひざまずいて目を閉じて腕を組んで、宣教師に教えられた方法で、文句を言ってはいけない…
それも大切かもしれませんが、それらのすべてに勝って大切なことがあります。
それは‟心から溢れる言葉”であることです。
あなたは「飾られた言葉」と「真心からの言葉」のどちらに心を動かされますか?

・ 質問をしない
祈りの基本は神との会話です。
普段の会話を思い起こしてみれば、そのほとんどは‟質問と応え”で成り立っています。
質問するので相手が応えてくれるのではないでしょうか。
聞く耳を持たず、一方的に喋りまくる人との間で、会話は成り立つでしょうか?

・ 応えられるという自信がない
「祈りが応えられるという自信がない」のは、「主を信じられない」のかもしれません。
考えられる理由は‟経験が足りない”のではないでしょうか。
主の教えを試して、それが確かなものであるとの確信を積んでゆく必要があるかもしれません。
試してみることに何か問題はありますか?
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むさぼる

2021-04-23 06:11:54 | モルモン書
「あなたは…むさぼってはならない」モーサヤ13:24

わたしにとって、もっとも難しいことの一つです。
「むさぼって」いるもののTop3(Worst3かな?)を挙げてみました。

① 時間
「安眠をむさぼる」という言葉がありますが、
心地よさについ時間を無駄にしてしまうことがなんと多いことか。
後悔する回数は最も多いかもしれません。

② 快楽
愉快で楽しいことがあるとそのことが心に残り、
大切なことに集中できなくなることがあります。
「心が浮かれて」と言った方が分かりやすいでしょうか。

③ 他人の不幸
大きな災害や事件があるとその話題で盛り上がってしまいます。
他人の不幸を喜んでいるつもりはないのですが、
よく考えてみると、それは「対岸の火事」です。

お金は無いのでむさぼれません。
必要なだけはあるので、それは祝福かもしれません w
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ウソ

2021-04-23 06:11:02 | モルモン書
「あなたは隣人に対して偽証してはならない」モーサヤ3:23

主を信じるなら‟人を欺く”ことはできません。
人の心を見ることのできる主の前で、欺くことなどできるはずがないからです。

だからと言って‟バカ正直”になるのも考え物です。
愛しているがゆえにウソをつくことはないでしょうか。

ウソの中には、バレたときにその愛ゆえに感謝されるものもあります。
ウソを勧めているのではありません。
愛することを勧めているのです。

サタンはウソをつかずに人を欺くことができます。

皆さんはどう思いますか?
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正しい選択

2021-04-23 06:09:16 | 福音について
誤った選択に後悔があるとき、どうすればいいですか?

すべてのことにおいて正しい選択をすることができれば、最善だと思います。

わたしの人生は‟自分で選択した結果の調整(補正?)”にほとんどの時間を費やしています。
後悔すればキリがないほどです。
それは選択を誤ったからでしょうか。
それとも人生とはそういうものなのでしょうか。


もっとも悩むのは相手があるときですね。
自分が改めようとしても、相手が応じてくれないとき、皆さんならどうしますか?
夫婦関係で最も多い悩みだそうです。

あきらめずに訴え続ける。
関係かこじれてしまうこともあります。

ひたすら耐える。
希望が失われなければいいのですが。

関係を清算する。
当事者間の問題のみでは済まされないときの最終手段かもしれません。


御霊はあなたに何を勧めるでしょうか。
状況次第、人それぞれでしょうから、御霊に尋ねるしかないでしょうね。

ただ一つ、忘れてはならないことがあります。
すべての赦しは御霊から与えられます。

‟御霊に逆らうことが赦されない罪”であるのはそのためです。
逆に言えば、‟御霊に従うならそれは正しい選択”と言えるかもしれません。

では、「御霊に従い正しい選択をすれば、問題と悩み、後悔は消え去る」のでしょうか。
ジョセフ・スミスの人生を見て、皆さんはどう考えますか?
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殺してはならない

2021-04-23 06:08:12 | モルモン書
「あなたは殺してはならない」モーサヤ13:21
「男も女も、若い者も老いた者も…ことごとく…滅ぼした」ヨシュア6:21

モーセの十戒とエリコを滅ぼしたヨシュア、この矛盾をどう説明しますか?
ラバンを殺したニーファイでもいいですね。

矛盾を説明できないときには‟戒めの言葉以上のもの”があることを忘れているかもしれません。
理解できない人に説明すると混乱する可能性があるので、理解できる人だけ理解してください w


教会の中には未婚や離婚に負い目を感じている人が少なくありません。
確かに結婚は大切な戒めです。
この話をオープンにすると、
まるで未婚や離婚を勧めているかのように誤解されると困るので公表はしませんが、
負い目を感じている人の多くが‟戒めの言葉以上のもの”を忘れているかもしれません。

それは御霊に従うことです。

皆さんはどう思いますか?
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