モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

ふさわしさ

2021-04-24 06:14:58 | 福音について
主を信じて、モルモン書を読み、祈ることによって、モロナイの約束が果たされます。

さて、ここで質問です。
「主を信じて、モルモン書を読み、祈る」ことは自分の力でできるものでしょうか?
もしも自分の力でできるのであれば、御霊の助けは必要ありません。

見た目上の形だけはできると思います。
しかし、疑いを捨てて主を信じることも、モルモン書に記された神の御心を理解することも、
祈りの応えを受けることも、御霊の助けなしには誰にもできません。

「主に頼り、主と共に歩むことによってのみ可能」になります。
つまり、「自分の力だけで手に入れるものではない」のです。

「では、何をどうすればいいのですか?」
神が求めているのは‟主を信じて、モルモン書を読み、祈る”ことです。
自らの望みによってそれらを行うなら、御霊の助けがあると信じられますか?

その信仰と行いによってふさわしさが認められれば
、‟モロナイの約束”が果たされます。(モロナイ10:3~)

ずいぶん遠回りしましたが、これが‟ふさわしさの基準”ではないのでしょうか。
つまり‟御霊(聖霊の力)を受けられる状態”だと思います。
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救い

2021-04-24 06:13:05 | モルモン書
「救いは律法だけで与えられるものではない」モーサヤ13:28

「戒めを守っているから大丈夫、バプテスマを受けたし、毎週聖餐も受けている、
神殿にも入っているから安心」と聞くと心配になります。

「聖約は守っていますか?」と尋ねて、
「はい、守っています」と言われると、ますます不安です。
神との聖約を完全に守れる人はあるのでしょうか。
それができるなら、主の贖いは必要ないことになります。

「主の贖いがあるから、心配ありません」と言われたら、次の聖句を思い出します。
「『神様、罪人のわたしをおゆるしください』…
神に義とされ…たのは、この取税人であって…」(ルカ18:13~)


救いは御霊によってもたらされるものであり、
戒めを守り、バプテスマと聖餐を受け、神殿に参入するのは御霊を受けるための備えです。
御霊を受ける前の段階で安心しているとしたら、心配になります。
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