モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

2021-04-26 06:12:26 | 総大会
教会の強さは、その会員の努力と成長を続ける証にあります。
(歓迎の言葉 ネルソン大管長)


証はその人の信仰を表し、そして教会を表します。
たとえ意識していなくても、証するときには誰もが主の前に立っているからです。

信仰が強ければその証は力強く、心が霊に向いていればその証は霊的なものになります。
この世に心が向いているならこの世のことを語り、確信がなければ不安が見えます。

その人の受けている御霊の状態がそのままに表れるようです。

「努力と成長」もその証には表れます。
そして「教会の強さ」はそこに集う人々の証に見えます。

それは証を聞くすべての人が感じていることです。
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律法の目的

2021-04-26 06:10:03 | モルモン書
「彼らは律法を理解しただろうか」モーサヤ13:32
「神の贖いによらなければ誰も救われない」モーサヤ13:32


「走るだけではゴールにたどり着けない、ゴールに向かって走らなければ」
(誰の言葉か忘れました w)

イエスの時代の律法学者がそうであったように
律法の目的を理解していない(ゴールに向かっていない)とすれば、
何のために戒めに従うのでしょうか。

戒めを窮屈に感じているとすれば、
向かっている方向を確認する必要があるかもしれません。


救い(贖い)を受けるためには戒め(律法)を守る必要がありますが、
「救い」と「戒め」の間に「御霊」が必要です。
「戒め→御霊→救い」 です。
救いを得させるものは御霊であり、戒めは御霊を受ける備えのためにあります。

「戒めを守っていれば御霊を受けているはず」ということもできるかもしれませんが、
自分が御霊を受けているのか確信を持てずに不安になっている人もあります。
おそらく、ゴールが見えていないのではないでしょうか。

皆さんは御霊に対して確信を得ていますか?
(ゴールが見えていますか?)
得ているとすれば、確信を持てない人のために何を勧めることができますか?
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