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エリー湖の戦いとペリー代将〜USS「リトルロック」艦内展示

2024-10-13 | 軍艦

USS「リトルロック」の上甲板階に位置するタロスミサイルハウスに
右舷側から入り、左舷側に出てきて、ファンテイルといわれる後甲板で
少年海軍候補生団、NLCCの訓練光景を目撃し、
海軍公式に組織された青少年教育グループについて調べてみました。

今までこんな本格的な教育組織があるとは知らなかったので、
この日彼らを目撃したことは大変ラッキーだったと思っています。

おかげでまた一つ海軍の知識が増えました。

さて、これからいよいよ見学ツァー順路に沿って、
甲板から艦内に入っていくわけですが、


見学エリア#3と称されたところに入っていくには、
ファンテイルのミサイル外側に二つ設置された階段を降りていきます。


その階段というのはおそらく昔はハッチだったところに、
展示艦となってから上部構造を取り付けた状態であります。

床の黄色い線は見学順路。

右側に黒のゴミ袋が見えていますが、これを持っているのは
さっきまでファンテイルで話を聞いていたヤング候補生の一人。
おそらく今日のスケジュールが終わって片付けに入っているのでしょう。

ところで、この階段小屋?の壁に説明があるので見てみますと、
ここがかつてヘリコプターのランディングエリアだった旨説明があります。

「写真が示すとおり、このエリアは「リトルロック」艦載機の
SH-2シースプライトの着艦ポイント並びに倉庫がありました。

ヘリを後甲板に載せた「リトルロック」

この部隊は、

ヘリコプター戦闘支援飛行隊4
Helicopter Combat Support Squadron FOUR


通称「ブラックスタリオン」です。

スマイリングスタリオン


同部隊の駐屯地はイタリアのシチリア島にありました。

また「リトルロック」がオリジナルの軽巡洋艦だった頃、
二つのカタパルトが後方の両舷にあり、これは
SC-1シーホーク(水上艇)のためのものでした。

シーホークは1944年に太平洋戦線のために投入されたので、
1949年にはヘリコプターの登場と入れ替わりに姿を消します。

■ 艦内郵便局


それではいよいよ参る。ワッチユアステップ!


階段を降りたらそこは艦内郵便局でした。
甲板から郵便物を受け取流のには便利な場所かもしれませんが、
今まで見た軍艦でこんなところに郵便局があったのは初めてです。

矢印の方向に「映画鑑賞室」と「メールヘッド」があると書かれていますが、
Male headは「男性の頭」ではありません。男性用トイレのことです。

軍艦の中なので、一般人に対しても海軍隠語で通すつもりのようです。


左の棚の中に見えるカートンボックスには、
「USNSCC」と書かれています。
この意味、前回ログを読まれた方にはもうお分かりですね。

The United States Naval Sea Cadet Corps
アメリカ合衆国海軍候補生隊


であり、甲板で訓練をしていた少年たちのグループです。
NSCCが艦上で訓練するために必要なものが収納されているのでしょう。

棚の上の郵便物は、「リトルロック」現役時代のものです。

郵便物、手紙などは仕分けして右側の仕切られた棚に入れていき、
後でセクション別に配達がされるはずです。


タイプライター、書類収納用のスチールケース、重さを測る秤。
説明がなくとも郵便局であることがわかるコーナーですが、
棚の上の記念切手の拡大をご覧ください。

■ エリー湖の戦い

バッファローネイバル&ミリタリーパークは、
他でもないエリー湖沿いに位置するわけですが、その関係で?
ここに「エリー湖の戦い」記念切手が飾ってあります。



我々日本人には、アメリカとその同盟が、
イギリスおよびその同盟と戦った1812年戦争についてあまり知りません。
(知りませんよね)

北米で領土を広げるイギリスにアメリカが不満を持っていたところ、
イギリスがアメリカの会場貿易を封鎖し、実力行使したことから起こった紛争
といわれていますが、開戦の理由についてはいまだに議論されています。
(現在、英の拡張政策と双方がカナダ併合を狙っていた説が有力らしい)

一部の歴史家は、これを「第二次独立戦争」と呼んでいます。

わたしが今回知ってちょっと驚いたのは、双方に、
テカムセ連合(英)
イロコイ、チョクトー(米)

などの先住民が同盟「国」として戦ったこと、
そして五大湖がこの戦争の大きな舞台となったことでした。

そして、このエリー湖の戦いがなぜ切手になっているかというと、
この戦いで、アメリカ海軍がイギリス海軍を破って湖を制圧し、
イギリス軍からデトロイトを奪回した大きなターニングポイントであり、
アメリカ-イギリス戦争最大の海戦となったからです。

そして、我々日本人がぜひ注目したい人物がここにいます。

切手にあしらわれた絵で、ボートの上からどこかを指さしているのは、


オリバー・ハザード・ペリー代将
Comodore Oliver Hazard Perry(1785-1819)

名前からお分かりのように、日本に黒船でやってきた「蒸気船海軍の父」

マシュー・カルブレイス・ペリー
Matthew Calbraith Perry(1794-1858)


は、オリバーの9歳年下のであり、一緒に米英戦争に参加しました。

ペリー家はロードアイランドに移民した英国移民の家系で、
彼ら兄弟アメリカ海軍司令官を筆頭に、海軍飛行士、政治家、芸術家、
聖職者、弁護士、医師、社交界の著名人を排出しています。

変わったところではポロ選手、ニューヨーク地下鉄を作った人、
高位聖職者、小説家、フォークシンガー、画家などがいます。

そして、真珠湾攻撃が起こったときの駐日大使、
日本に理解があり戦争を避けるための努力を行なったとされる外交官、
ジョセフ・クラーク・クルーの妻アリスはオリバーの孫であり、
オリバーの息子つまりアリスの父トーマスはハーバード大学出身で、
慶應義塾大学で英文学を教えていたという因縁があります。

日本滞在中和室で演奏するオリバーの孫アリスと姉たち
画家だった彼女らの母リラ・ペリーによる作品

ジョセフ・グルー

寄り道を元に戻して。

切手の絵に描かれたシーンですが、
1813年、エリー湖上戦で司令官に指名されたペリー大佐が、
制水権を得ていたイギリス軍に初戦で旗艦「ローレンス」を破壊され、
砲火の下、ボートで1キロ先のUSS「ナイアガラ」を旗艦にするため
乗り移ろうとして「あれな」とさし示している瞬間です。

旗艦となった「ナイアガラ」は大砲で敵船隊を撃破し、戦いに勝利しました。


エリー湖上戦の様子

このときの勝利の大きな要因の一つは、チェサピーク湾、
そしてピッツバーグで鋳造された優秀な武器だったとする説があります。

戦闘に参加した艦船はアメリカ側9隻、イギリス側6隻で、
イギリス海軍はこの全てをアメリカ海軍に捕獲されました。

■米国市民権移民サービス



下の張り紙は、見学者への注意書きです。

安全のため、以下のスイッチに手を加えないでください。
スイッチ、回転バルブ、プルハンドルをいじらないでください!
バッファロー・ナーバル・パークは、安全上問題があると判断した場合、

入場を取り消す権利を有します。

そして上に書かれているのが、以下の説明。

米国市民権移民サービス

バッファロー海軍軍事公園とUSS「リトルロック」(CILG-4)は
20年以上もの間、

米国市民権移民局(USCIS)

米国市民権授与式を誇りを持って主催してきました。
USCISは米国への合法的な移民を監督する政府機関であり、

例年7月の第1週に開催されます。

USS「リトルロック」の後部メインデッキで行われる「宣誓式」には
毎年平均200人以上の帰化市民とその家族が参加しています。


移民局は就労ビザ、亡命、市民権の申請等、

さまざまな移民問題の処理と裁定を行う期間です。

地域の該当者を対象に授与式が行われるわけですが、
横須賀海軍基地でもこのような式が催されていることを知りました。

ズムワルト公使公式ブログ:横須賀での市民権授与式

ズムワルト公使ご自身がスイスからの移民で、
幼少期この授与式を経験していたことも書かれています。

続く。