風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

心を満たす

2009年10月13日 02時37分38秒 | エッセイ、随筆、小説




あなたにとって心を満たすものは、その瞬間はなにですか?と訊ねた。
若くして某大手副社長になっていた知人に向けた、すこし意地悪な質問だ。

考えてみましたが答えはひとつではないでしょう。
敢えて言うのであれば、人生は一回なので、好きなことを好きなようにやりたいと思うだけです、と言う。

なぜ私が「あなたにとって心を満たすものは、その瞬間はなにですか?」と問うたのは、
13年、あなたを想ってきたからです、という内容のメールが届き困惑したためだった。

彼は私が思っていた以上に紳士だった。
メールの内容も、食事への誘い方も、段取りも、立ち振る舞いも、すべてが紳士的で魅力的だった。
でも、人生は一回なので、好きなことを好きなようにやりたいと思うだけです、との返信が届いたとき、
違和感があったというか、心にたくさんの隙間があることに気付いてしまったとでも言えばいいのだろうか。

必死でなにかを埋めようとする。
でも、それは心を満たすものではないために、心が削られたり削がれたりはしても、
満たすために功を奏しない。
彼は心の満たし方を酒や女性で一時的に、継続的に今でも「満たしてくれるもの」だと信じてやまないが、
彼の手の振るえをみたとき、誰か彼を止める人やなにかがなかったのかと悔まれた。
目前にいるのは世間的にみれば成功者かもしれないが、
傷だらけのただのひとりの男にしか私には見えない。
誰か彼を本気で愛したり、抱きしめたりしなかったのだろう、と喉まで出しかけた言葉を一気に飲み込んだ。

私をマイペースで、自分の時間軸で生きている人、という表現をしたので、
それは障害を持っているために、そうした生き方しかできないためです、とその話題を持ち出した。
その話題とは私の障害のことで、なにも自分で好き勝手に選択したものでもなければ
自分の時間軸ではなく、この時間軸でしか生きられないのが私なのです、とすこし声を荒げた。

みえない障害のために、普通であるかのように振舞う自分がいる。
そのために、本当に私に障害があるのかと、それは嘘や悪い冗談じゃないかと言う人たちもいる。
でも、すべてが事実だし、無理をするのは、私の悪い癖であるのと、やさしさだと彼らは知らない。
仮にそれをやさしさだと表現した場合、なんのためのやさしさだ?と詰め寄られるのが落ちだろう。

人生は一回しかないからと、自分の好きなように生きるのは勝手だ。
私はそれについて、とやかく言う権利など持ち合わせてはいない。
ただ、私はそうした考えを持っていないし、
一回きりだからなんでも思うように、好きなように生きたいとも思ってはいない。
それはもしかしたら障害というものを抱えた現在において、
多くの人が歩む人生の軌道を生きていないからだとの説明は理解してもらいやすいだろうか。

酒を飲む慣習もなければ、酒を付き合う席からも遠のき、夜も出歩くことはなくなった。
ただ静かな、静か過ぎる1日を、自分なりに精一杯生きている繰り返しの最中にいて、
自分の心を満たすものと向き合い、自分の時間軸に慣れようとしているのが私なのではないだろうか。

なにをあなたの心を満たすものなのでしょうか?と質問を続けた。
すこし考えてみます、こうして質問をされると整理しやすくなるので、
遠慮なく、なんでも聞いてください、と返信には書かれていた。

私が質問をしたのは、私が彼の心を満たすためになにかを知りたいというものではなく、
人間として、ひとりの男として、どのような人生を歩み、考えや価値を持ち、
今を生きているのかという興味があるからに過ぎない。

 


大人の恋

2009年10月12日 15時31分44秒 | エッセイ、随筆、小説




アロマディフーザーをセットした。
ドリカムやJUJUのPVを流して、ベッドに寝そべったまま、毛布に包まり空を見上げる。

青くて高い空。
秋の風がインド綿の布を柔らかく膨らませたり萎ませたりしながら揺らしていく。

高い空という表現が好きです。
今日の体調はどうですか?と短いメールが届いた。

昨日、私が胸を借りた商社マンからのもの。
私を、彼を知らなければ体調を心配させることもなかったのに・・・とすこし胸が痛んだ。
私の体調は安定しているものの、さっきまで眠っていたことも、今日は出掛けられないことも内緒にした。
今はカフェで、お茶を飲みながら医療の勉強をしています・・・・・と返信に宛てる。
本当はベッドで、毛布に包まって、青くて高い空をただぼんやりと眺めているだけだというのに。

優しさに触れると涙腺が緩んでしまう。
だから、外出ができない。
難解な医療本を目前にしていても、優しさを思い出しただけでどこでも泣けてしまう。
泣ける歳になったということなのだろうか。
それとも、泣けるだけの思いを、出来事を重ねて来たということなのだろうか。

あなたの1日が終わるときに傍にいるね。
なんにも言わないでやさしいキスをして。
そっと髪を撫でて肩を抱いて傍にいるね。
あなたが眠るまで、やさしいキスをして。

西日の、緋色の色彩があまりにも美しすぎて、仕舞ってあるはずの切なさをどこかから引き出してくる。
生命の色が緋色だという話をしたのは、確か、14年前の、あなたとの会話、NYにて。




※一部、ドリカムの「やさしいキスをして」を引用しています。



 


人生という濃淡

2009年10月11日 22時31分40秒 | エッセイ、随筆、小説

 

 

男の胸を借りて久しぶりに泣いた。
嬉しくて、わんわん声を出して、鼻水も涙もごちゃまぜになった。
そして、しばらくの間、抱きしめてもらった。

海外を行き来しているときに知り合った商社マンたちがいる。
かれこれ月日を数えたら、14年も歳月は流れていて、お互いに歳を取ったことに加え、
私が負った障害を、人生の変更を余儀なく受容せざるを得ない数年を振り返った。

知人たちへは当初、私の障害を隠してきた。
食事の誘いも断り続けた今がある。
多忙や国外にいるという嘘をつき断り続けたものの、
いつしかなぜこそこそしなければならないのかと思うようになり、すべてを告白することにした。
たぶん、彼らがショックを受ける姿を私が見たくなかったのだろう。

昼下がりの銀座、とあるフレンチレストランにて。
15歳も歳の差のある知人たちに泣かれた。
やっぱり。
なにも知らなくてごめん・・・・・・と謝られた。
ずっとずっとごめんと繰り返すばかり。

傍からみたら私がおじさんたちをいじめているように見えるから、お願いだから泣かないでくれと頼んだ。
謝まらないでくれ、と。
人生という厄介な世界に生きているのだから、障害を負うのは稀ではないと。
私は不幸ではないから、
むしろ、障害から見えてきた新しい世界があるからよかったのだと思うと伝えると、
鼻水を啜る音がすこしだけ治まった気がした。
こうして泣いてくれる人たちに支えられている私は誰よりも幸せ者だと思った。

人の温もり、抱きしめられる感触、護られているという安心感、撫でられる髪の動き、かかるお互いの息、
男の人が怖くてたまらなかった私が、男の人の腕の中で泣いている。
しかも、それが心地よいとさえ感じたし、ずっとずっとこのまま抱きしめていて欲しいとさえ思った。

人生にもし濃淡があるとしたなら、私の人生は濃いものだったと思う。
たぶん、薄い人なんていないんじゃないかと考えたとき、
ぬくもりの奥行きや深さや広さが人生の濃さを物語っていて、
私を受容する人たちの温かさが胸に染みてくる分、また涙があふれ出てしまう。

男の胸を借りて久しぶりに泣いた。
嬉しくて、わんわん声を出して、鼻水も涙もごちゃまぜになった。
そして、しばらくの間、抱きしめてもらった。





 


関係の存在

2009年10月09日 14時18分43秒 | エッセイ、随筆、小説






どうか僕にこの案件を最後まで任せてもらうことはできませんか?
彼の経歴は華麗で見事だ。
ただひとつ難点があるとするのであれば、若いという以外私には思いつかない。
性格も温厚で、人格も整った人物。
以前、紹介されたときに、こんな人が世の中にいるのだと私は思った。
やっぱり日本人は優秀なんだ、と。

不安定なものをどこまで受容できるのかが、たぶん人生というやつの正体だろう。
その不安定極まりない「私」という存在を、見捨てるのではなく、任せて欲しいと頭を下げたというのだから
腹の奥行きや器量や許容や根性に至るまで、私は「彼」を見せ付けられた気になっていた。

輪郭があるわけではない。
人間の関係性という存在を語るとき、自分という“素”を表現するには、誰を受身に選ぶのかが重要になる。
目に映る世界が同じ人でなければならないだろうし、生きる尺度、思考、フレームワークといった領域まで
膠着語である日本語が通じ合う相手でなければ意味を成さない、それが関係の存在なのだと思う。

数値化できないものをどれだけ大切にして生きているのか。
人間というものは関係の中でしか存在できない生き物であるという本質を無視して、
取引の材料に、消費の対象に、資本の基本とでもいうような現状を
厳しく非難する目を持っている人間にしか、その素質を持っている人間にしか、
損得では語れないはずの領域を、つまり、品格や人格、価値や人間性といった力量を
身に付けていくことは困難だと思うのが、長く人生を、弁護士をやってきた自分の人生への私見だ、と。

どうか僕にこの案件を最後まで任せてもらうことはできませんか?と言ってくれた彼の上司との会話で
あなたという人物も、あなたが抱えている案件も、彼の人生を大きく左右するものになる。
だからこそ、あなたの素というものを彼にぶつけてやってはくれませんか。
彼はそこから必ず「人間の関係性」を確実に学ぶはずですから、と。

台風が去った後の日本橋には、爽やかな風がそよぎ、緋色に染まる西側の空のなんと美しいこと。
日本も悪くないわよ、と思わせてくれる人たちがいる。
そう思わせてくれるたびに、私の不安定極まりない立ち位置がすこしだけ地に近づく錯覚を覚える。
日本も悪くはない。
彼らに育てなおされている自分が心地よい。




手紙

2009年10月07日 11時52分39秒 | エッセイ、随筆、小説






眞由美さん、こんにちは。
しばらくでした。
そう、日曜にマリーナに行かれたのですね。
お目にかかれず残念でした。
私はもう1年以上マリーナには行っていないのです。
別に身体のどこがどう具合が悪いというわけではないのですが、
「フネに乗ろう」という元気が出なくて足が遠のいてしまいました。
昨年末にいただいた貴方のメールから厳しい状況が伺われ気にはなっていました。
身体の状態は落ち着いておられるようでよかったですね。
難病は気長に付き合って行かなければならないので、
焦らずに我が身の一部にするつもりで対処するとよいかもしれません。
私がどうにかできるものでもありませんが、
何か話したいことでもあればいつでも話しかけてください。
貴方もお身体ご自愛ください。


難病を、しかも私よりも重く苦しい病気を抱えているヨットクラブの先輩から手紙が届いた。
秀才で生きてきた彼に病が発症したのは大学2年のときだったと聞いた覚えがある。
以前、医療放棄をしてもう30年になるのだという話題が突如浮上したとき、
私には現実がわからなかった。
すでに、私の身にも病が発症していたというのにだ。
彼が味わったであろう悔しさや悲しさや絶望という類を想像するには無知過ぎた。

この優しさの裏にはどれだけの葛藤や挫折や死が手招きをするような出来事があったのかと思うと
そっと抱きしめたい気持ちになることを私は知っている。
徐々に硬直していく筋肉は、指先を麻痺させ、足の筋肉を奪い、24時間介護になるまでに
そう時間がかからなかったと言われたとき、私は押し黙ったまま顔をあげることができずにいた。

いつでも話しかけてください。
心のこもった、優しさに溢れた、人間性という意味では誰も適わないのだと、この一言から窺える。
静かに死を待つ彼の難病を考えずに、私が生きている価値があるのかと感情をぶつけたのが
彼のいう昨年末の私が送ったメール、痛みに耐えられなくなっていた。

たとえば自由に歩けないことを恨んだのだろうか、不安定な精神、24時間継続する肩から上の激痛、
でも、私の病は死を前提にはなされていない。
たぶん、死なせて欲しいといった愚痴を彼に送ったのだろう、
あなたを想うと胸が痛む・・・・・とだけ短い返信が彼から届いたとき、
私は酷な内容の手紙を送った自分というものに気付かされた気がした。
そして、なんと愚かな人間であるのかと、自分の未熟さを恥じた。

心地よさそうに髪が風に流される彼の姿を船上で眺めたのは、もう何年も前の夏の終わりのことだった。
宝石のようにきらめく水面に目を細めながら、小麦色に焼けていく肌にローションを塗ったのは私で、
感覚のない脚をさすり、その冷たさに愕然とさせられた。
たぶん気付かれたのだろう、ショックを受けるなら触るな、と平然と言われた記憶がおぼろげに残っている。
しかも、彼は笑顔を浮かべていた。

いつでも話しかけてください。
いつでも話しかけてください。

私は支えられて生きているのだということを彼に思い知らされる瞬間があって、
彼の難病を考えたとき、素直にならざるを得ない自分がいる。
常に降参させられるのだ。
この優しさという武器の前では唯一、素でいられる自分というものを発見する。



 


やさしくない街と自覚と高次脳機能障害

2009年10月07日 05時12分39秒 | エッセイ、随筆、小説





表参道の石畳の溝、道と道とをつなぐ段差、信号の、横断歩道の白線、マンホール、
なんという名前かわからないのだが、
車道なのだけれど歩行者との境がないような小さい道にある通学路を示す絵、減速を促す矢印のでこぼこ、
アスファルトの緩やかな傾斜、スローブ、雨の日のタイル、銀行内の水濡れの床、
芝生に潜む土のたんこぶ、階段は奥行きが見え難いせいか、手すりを使っても怖くて立ちすくむ。
それからエスカレーターの右側を歩く人が多い場合に必ず発生する独自の前後した揺れ、
点字ブロック、石に施してある滑り止めのための細い何本かの線(凹凸如何に問わず)、
数え始めるときりがない。
が、上記は私が躓いた、または上記を理由にバランスを崩し転んだものを列挙してみた。

信号の白線に段差を感じるなど誰が思うのだろう・・・・と書きながら考える。
でも、私は白線は滑る塗料を使用していることも覚えたし、
足の置き場如何によってはつま先が取られてしまい、
転ばなくてもひっかかりやすいために靴がすぐダメになることを自覚しはじめた。

小石なんて論外だ。
なんと表現したらよいのだろうか。
足が地に付いていない感覚、長時間正座をして、
その後、立ち上がったときに足の取り扱いが不明確になりよろめく状態とでもいえば伝わるだろうか。
そこに視覚という厄介なものが進入してくるために、身体と視覚と動作という連動がちぐはぐになる。
私の場合は・・・・・・と一応付け加えておく。

昨日、主治医が保健所で確認を取るように・・・・・・と言ったので連絡をしてみた。
確か、意見書が届いたので作成したのだが、
おそらく負担はしなくて済むはずだから手続き方法を、領収書で大丈夫なのかどうか聞いてみるように、と。

精神通院に関しては保健所が管轄になるため連絡を入れた。
すると、保健所は意見書を医師に郵送することはまず有得ないと言った。
その後、自立支援医療受給者証についても、ご本人が有効期限内に手続きをしてもらうことになっていて、
こちらから有効期限が切れるので手続きをしてください・・・・・・とは言いません、と言う。
説明責任は病院に、主治医にあるので、患者であるあなたから連絡をして、
どこから郵送され、なにに使う意見書なのかを確かめるのが筋です、と。
おいおい責任転換か?と思った。
説明責任は医師にある。
それをあなたがもう一度まちがえのないように確かめて、その後、もう一度連絡を、と言われた。
体調がよかろうと悪かろうと患者の都合も状況も関係なく・・・・・・か。
それがスムーズにいくのであれば、家になど篭っている性格じゃない、と心の中で怒鳴り散らした。

私は言った。
記憶力の定かではない患者本人である私が、今年が平成21年で、10月だと気付いたのは昨日です、と。
自己責任とか個人情報とかを楯にして、
できるだけ手続きの更新をしてもらいたくないのだと思った。
無理ですよ、と言った。
私の程度がどのレベルかはわかりませんが、障害者手帳を取得している本人がすべてを把握して
手続きの更新がいつで、どのように行うのか、しかも、用紙もなにもかもは窓口に取りに行くのが前提、
それができる方々なら体調は悪くないでしょうから、障害者手帳の申請は通らないでしょう、と。
語尾が強くなっていくのが自分でもわかった。
なので、たまたま電話に出たあなたを責めているのではありません、でも理不尽です、と加えた。

ため息がとめどなく。
悲しくなってくる。
受けられるサービスも、更新手続きも、ほかのすべてを知らない、忘れたあなたの責任なのだからと言う。
平然と言う。
どこかがおかしいとは思わないのだろうか、しかも体調の悪い人たちを取り扱っている部署だというのにだ。

自分がこの立場にならないと見えてこなかった世界がたくさんあり過ぎて混乱している。
なぜだろうと思う。
こういう出来事があるたびに、健常でなければ生きる資格がないと言われている気がしてならない。





刹那の人(高次脳機能障害)

2009年10月05日 07時54分45秒 | エッセイ、随筆、小説






高次脳機能障害ではその人のそれまでの人生が如実に出る、といわれている。
脳の一部が壊れたとき、脳は残された正常な機能を総動員して、
壊れた部分を補い、危機を乗り越えようとするものらしい。
そのため、昔とった杵柄にしろ叩けば出る埃にしろ、
その人の歴史が浮かび上がってくるというのである。

壊れた脳存在する知 著者 Yamada Kikuko(講談社)



考えてはみるもののまったく思い出せないことがある。
それは健康である状態、
つまり、どこまでが健康と呼び、どの線を越えると健康ではないのかが私にはわからない。
自覚の問題なのかとも思うが、以前の主治医に「本人の自覚なし」と書かれた診断書を目にしたとき、
確かに私には自覚がなかった。
が、その主治医のいうとおり、診断書を通して「今の自分」を確認できた経験は、非常に面白いものだった。

また同様に、病前性格がどのようなものであったのかふと知りたくなるときがあるのだが、
明るかったのか暗かったのか・・・・・という過去の継続である現在の私を知りたいと思うものの、
今のところ「私はこうでした」とは自信を持って言う状態にない。
ただし、大型バイクに乗って事故に遭ったわけだし、当時は全国的にも有名なヨットクラブにも所属し、
紅一点、男になんか負けるものかと仕事や遊びに夢中だったわけだから、大人しかった・・・は通用しない。

中村先生にご紹介いただいた本の読後、私が物を書くようになったのは事故後であることに気付いた。
上記著書を読みながら泣き、そうそう私も同じとか、足の、地面に、階段に置く感覚の不安定さ、
やさしくない街に住んでいることも、やり場のない感情の消化も、言うほど簡単じゃないと嘯いた。

もともと散文は書いていたものの、
継続的に、書くきっかけになったのは怒りの矛先を「書く言葉」にぶつけはじめたからではないか、と思う。
呂律が回らない時期があり、以前勤務していた会社上司と筆談やメールでやりとりをした。
またどのような経緯があったのか不明なのだが、
知人に某出版社社長を紹介され、寝たきりでも本を読んだり、書いたりはできるのではないかと提案され、
その社長が編集者の役割をかってでてくれたのだと、この文章を書きながら思い出した。
読み手という対象者がいるといないのでは、書き手の言葉の使い方や丁寧さや思いの込め方が違ってくる。

高次脳機能障害ではその人のそれまでの人生が如実に出る、といわれている。
その人の歴史が浮かび上がってくるというのである、と。
私の人生が、歴史がなんであるのか、なんであったのか、なにが如実に出ているのか検証をしていないが、
タイトルにもある上記著書内に“刹那の人”という表現が、私を読後、いつまでも魅了し続けている。

ちなみに刹那とは、『大毘婆沙論』同所の科学的説明によると、
1昼夜=30須臾(しゅゆ)、
1須臾=30臘縛(ろうばく)、
1臘縛=60怛刹那(たんせつな)、
1怛刹那=120刹那である。

1昼夜を24時間として計算すると、1刹那は75分の1秒になる。
仏教哲学では「刹那」は、物質的、精神的、
なかんずく精神的な現象の瞬間的生滅を説明するときに使われる、と辞書には書いてある。

私には難解過ぎてまったくわからないのだが、感覚的には「瞬間的生滅」という言葉で
今の自分を他者へ説明しなければならない場合、これは使える、と思った。
このフレーズがしっくりくるのは間違えではないし、嬉しい発見にもなった。






加害者天国日本

2009年10月03日 18時15分39秒 | エッセイ、随筆、小説





覚えていますか?
いつだったか私の記憶は定かではないのですが、と前置きした上で、
イラクで日本人の青年が見殺しにされた出来事を・・・・と言った。
主治医は首を斜めに傾けながら、気の毒だったよね、と思い出したと同時に言葉が唇を動かした。
気の毒だったよね・・・・・・と何度か繰り返し呟いていた。

その頃から急激に「自己責任」という言葉が世の中を席巻していくように蔓延り、
すべてが自己責任として片付けられる風潮が、すぐさまこの国には根付いた。

会社を突然解雇されるのも自己責任。
医療拒否されるのも、交通事故被害者になるのも自己責任だと言われ、
その発言が正当だと疑わない友人とは、大喧嘩を繰り返す羽目になった。

自分が他者の不注意によって交通事故被害に遭い、造影剤の副作用が起きたとしても、
その検査オーダーした病院は受け入れを拒否、
他の病院もうちがオーダーした結果ではないとの理由から救急搬送中にたらい回しにされる。
ようやく検査オーダーした病院に辿り着いたとしても、今度は院内でのたらい回しが待っている。
脳外科がオーダーしたのだから、脳外が面倒をみろ、という調子だ。

病気を理由に会社を突然解雇されたときに、被害者になったときに、
もし同じ発言ができるのであればそれは立派だと思うわ、と返すのがやっとだった。
当事者にならない限り、私にだって現実の厳しさがわかったかどうかは不明だとも思った。

当事者になったことにより「弱者」という新たな言葉も私の辞書には加わった。
患者は弱者になる。
自分がそう思おうと思わざるとも、必然的に、病院に足を踏み入れ、医療が必要な身体になった時点で
弱者になってしまう。
たとえば、患者がいくら主訴を訴えたとしても、医師がないといえばないとされるし、
患者がないと訴えても、医師があるといえば存在する、患者の無自覚によるものとの判断が下される。

そして、いくら急激に痩せようとも院内で倒れようとも、ダイエットや演技だと解釈される。
病気だなんて誰も思わないのは当然ですよ、と何度言われたことか。
点滴中に聞こえないと思っているのか、医療者から私に向けた中傷を耳にしたこともある。
厄介者がまた来たと言いたげな目つきで、私を見る。
睨む。

患者にとっては禁忌であるはずの医師の移動などの情報を口を滑らしたようにわざと漏らし、
あら、あなたは先生が特別扱いしている患者さんだから、すでにご存知なのだと思ったので、と嫌味。
その後、患者は動揺し、体調を崩すことをわかってやっている確信犯なので、
私はこの看護婦を陰で「鬼」と命名してやった。
医者との関係は不明だが、明らかに私に対して敵対心を持っていたのは確かだろう。

血管の細い腕になかなか入ってはくれない点滴針をぐいぐいと押し込まれ、
肘から下が内出血や針痕でひどい状態になり、何度か警察に職務質問をされたこともあった。
杖をついている姿に気付かない医師たちは「あなたのように元気な患者を初めてみた」とか、
気のせいだとか、事故よりも性格による要因が痛みを増長させているとか、医療依存するなとか、
医療の限界だから病院から出て行け、なにもすることはない、と怒鳴られる。
何度、トイレに駆け込み、悔し泣きをしたかわからない。

暴言を浴びせられるたびに、私は自分の姿かたちや顔のつくりや元気そうにみえてしまう自分を恨んだ。
しかも病人慣れしているはずの医療従事者たちに言われるのだから、
私の方がおかしいのか?と一瞬考える。
自分を責める。

交通事故に遭って間もない時期に、まさか性格による痛みだと言われるなど誰が思うのだろう。
他の方は、性格のよい方は治っていますよ、と駆け出しだろうが医師に言われたため、
なにも言葉など発していない私の性格のどの部分に問題があるのかと尋ねたら、
そういう質問をする性格だから・・・・・と真顔で言われた。
本当は病院名や医師名を書きたいところだが、彼らがいつか自身の問題に気付き、
改心をすることを期待しているため、また名誉のために実名は明かさない。
が、これは事実だ。

当時の私はひどい痛みや症状に苛まれていた時期であり、
急性期ではないが、慢性期でもなかった。
でも、その事実に気付く医師や医療従事者はいなかった。
途方に暮れるという経験をしたのも、その頃だったと思う。

厳しい現実に消耗していく私を見かねた盟友が、
「実は兄が医者なの。表参道で開業しているから行ってみな」と手を差し伸べてくれたことで
事態は大きな変貌を遂げた。

立場を、組織を、医局に精通している医師は私に言った。
「あなたなら赦してあげることができるでしょう。不条理なことなど世の中にたくさん転がっている。
あなたなら彼らの未熟さを気の毒だと思えるでしょう。
だからといって、被害に遭ったことを自己責任として諦めろと言うのとは違う。
今までの経緯をみても、彼らはあなたを傍観してきただけで、検査もやり尽くしていない。
どのようなことかといえば、疑いのある部分を潰すことなく、満足な治療ができるわけがない。
だから、あなたが“おばけ”にしかみえなかったのだと思いますよ」と言った。

医師は続けた。
「あなたをみていると、もしかしたら医療の敗北を感じるのかもしれません。
死や治らない病は医療にとって本来敗北ではないのに、
彼らが信じる医療とは積極的治療可能なものを指し、症例数を増やす道具と化し、
あなたのような『見えない障害』は、
見えないままの方が都合がよかったと言っても言い過ぎではないはずです」と。
結局のところ、わからないと言えない苦悩があったことも理解してあげてください、と医師は言った。

何を書きたかったのかわからなくなってしまった。
ただ、昔を思い出しただけだ。
手の甲に出来た湿疹が点滴針の痕によく似ているために、
普段は仕舞っているはずの苦い経験が、ふとした瞬間に蘇ってしまう。
息を吹き返してしまう。
だからといって、私はなにかを思うわけではない。
医療に傷ついてきた私も、
傷付けているとは思いもせず、医療に従事する者たちも、気の毒だとは思う。
あまりにも生臭い話だけに、どんな消臭剤も効き目がない。

だから、生臭さだけが院内に充満して、
いつしかその病院の色というか、臭覚が嗅ぎ取るニオイとでもいうのか、
病院が醸し出だす雰囲気で、その病院の良し悪しがわかるように成長した。
自分を護る唯一の方法は、危険なニオイのする病院には近づかないことは鉄則となった。

余談だが、被害者が交通事故被害を処理する以前に、医療との格闘がある。
日本では基本的に被害者が被害の立証責任があるために、被害者は不調や怪我をしながらも、
立証するために二重三重の苦悩が待ちわびている。
加害者は・・・・・と言えば、私の場合は業務用の運転手だったが、
車の修理が終わった時点で職場復帰を果たしていた。
謝罪はない。
5年経過した今でも謝罪はなく、私の現状を知り驚いたそうだが、だからといって他人事のように
普通に生活を送っている。
ある病気を宣告され、まともに話ができない状況にあることを担当検事から聞いたことがあるが、
話ができず、まともに歩くこともできないというのに、いまだに車には乗車し、仕事をしていると思う。
事故を繰り返さない限り、この人種にはなにもわからないのだろう。
だから刑罰を重くするしか被害者が救われる道はないと思うのは当然だ。





自分への賛美

2009年10月03日 08時49分07秒 | エッセイ、随筆、小説





あの長い難解な書き方をした日本語を、時間がかかったが訳したとある。
日本語に慣れている私たちでさえ、ときに日本語の奥深さを思い知る。
追記すればわざと難解にしたのは彼への仕返しのつもりだった。
自分の愚かさを、恥を思い知れという、ほんのすこしの私の意地悪が含まれていた。
というのは私の強がりゆえの言葉上の妄想に過ぎないのだけれど。

予想をはるかに超えた反応に正直驚いたのは私の方だった。
彼が返信にあてた内容よりもまず、私の文章が、言葉が、表現が他国でも通用するという喜びを味わった。
そして、私の中に置き去りになったまま淀んだ色彩の粘着ある感情は、
今朝の空のように、高く、青く澄み渡っている。

清々しい風はヨットの船上を思い起こさせてくれる。
勇ましい男たちの声が、ヨットを自在に操り、自然の雄大さや怖さを見せ付けてくれたものだ。

あなたという人があのノート(メッセージ)によってより明確に理解できたように思います。
また自分という人間の思いやりのなさやわがままさや身勝手さも、同時に突きつけられたように思います。
もしあなたのノートに、あの文章の中にひとつでも、僕を批判するような言葉をみつけられたなら
あなたという個人ではなく、あなたの背景にある日本や日本人へ向けた批判をしてただろう自分に気付くと
背中に流れた汗はとても冷ややかなもので、自分でも寒さを覚えました。
けれど、何度も何度もあなたのノートを読み返してみたものの、
あなたは私のナショナリティ(国籍)やオリジナリティ(民族)には触れることなく、
「私」という個人へ向けたメッセージに終始していました。

それは私とあなたについてだったり、私たちの関係性についてだったりでした。
私があなたに送ってきた言葉ゆえにあなたが私を信じてくれた証だったのでしょうが、
あなたをひどく傷付けてしまっている自分というものが見えました。
また、あなたという人間性を私に教えてくれる素敵なノートでもありました。

ときに人は現実逃避をしたくなるものだ。
私は違うなどという馬鹿げたことは言うつもりはない。
が、自分が現実逃避をするが手段として他者を巻き込まなければ行えない場合は、
その傷はいずれ自分に返り血のように跳ね返り、
自分で自分を追い込み、自分で自分を傷付ける結果を巻き起こす。
もちろん巻き込んだ他者へも、自分の身勝手な行動の結果として、傷を負わせるのは目に見えている。

わかって欲しい・・・・・という言葉を私は何度聞いたのだろうか、と思った。
返信の最後には、考える時間が必要なことに加え、
自分の立場や責任をようやく自覚したという言葉が添えられていたが、混乱しているともあった。
だから僕から電話をするまでは連絡を控えて欲しいと記されていた。

僕はなにをするべきかがわからない、とある。
でも、あなたがしてきた結果よ、と心の中の私が呟いた。

あなたは私にあなたが信じている宗教を押し付け、環境を、状況を、あやゆるものを一方的に
私だけに理解させようとしてきた。
でも私はいつも思ってきたのよ。
あのノートに記したように、あなたが私の立場であったなら、
あなたがいう宗教や、環境や、状況を理解できるのかしら?と。
それは酷なことだとわかるのには、あなたの立ち居地からはもしかしたら見え難かったかもしれない。
あなたが抱えている日本人へ向けた民族性のコンプレックスや他のもろもろまでもが。

いつまでも考えたらいい。
あなたの未熟さや愚かさや身勝手さと同時に、
私があなたに向けて書いたノートにあるように、
あなたが私にくれた優しさや幸せが私にはとても大切なものであるという事実を。
それも含めたものが、あなたであるということなのだから。







ことば

2009年10月02日 19時03分25秒 | エッセイ、随筆、小説





久しぶりにテレビのスイッチをONに。
すると、オリンピック招致プレゼンの真っ只中で、
シンガポール在住の15歳の体操少女が満面の笑みを添え、スピーチをはじめるまさに瞬間だった。
そこから日本のプレゼンははじまった。

言葉ってすごいなぁ・・・・・とあらためて思った。
いいや、思わされたといった方が正解かもしれない。
失敗の許されない責任重大な場面において、
少女も大人たちも、心の、熱の、力のこもった言葉を話していることに、私は呆然とした。

言葉といえば、私の拙い英文では気持ちが伝えきれないと思い、
日本語で綴ったエッセイを、一方的に別れを切り出して終焉をしたと思い込んでいる彼に送った。
以前、ネイティブアメリカンが「つむじ」について触れた文章をみつけ、
私たちにはつむじや指紋があって、それは風の容れ物だという神話を日本語で伝えたとき、
完璧に英訳したことがあったので、今回の私のエッセイも、英訳して理解できると信じている。
指紋は風で、それがあるから人間は繋がり合えるのだということを確か書いた記憶がある。

これだけやってみてダメなら、私の言葉が軽かったのだときっぱりと諦めることにすると決めた。
私の頭の片隅には、今でも残っている言葉がある。
“障害を持っていても、それを僕たちはシェアすればいいじゃないか”と。
その言葉は嘘だったの?とは聞かない。
問いただしたりもしないわ。
でも、その言葉が嘘だったと信じるには、考える以上に私たちには時間が必要なことを
あなたは知らないと思った。

自分の言葉を信じよう。
そしてその言葉が彼の心を動かすにいたらぬものだったなら、きっぱりと諦めることにする。
夢をみていたと思えるかしら?
長い長い、あまりにも甘く、幸せ過ぎた夢だと。