映画 「空軍大戦略」1969年 に見る大英帝国の衰亡
監督 ガイ・ハミルトン 製作 ハリー・ザルツマン
出演 ローレンス・オリビエ マイケル・ケイン クルト・ユルゲンスほか
当時映画「007シリーズ」の収益のすべてを注ぎ込んで製作されたと評判の映画。1940年夏、破竹の勢いでヨーロッパを席巻したドイツ第三帝国がその勢いのままイギリスに襲い掛かり、まず英空軍を無力化してから英本土上陸を目論んだ作戦(あしか作戦)に対して、700機のイギリス空軍で2600機のドイツ空軍と戦い、見事打ち負かした3ヶ月に渡る空の戦いを描いた作品である。
1960年代にはすでに希少となっていた第二次大戦当時の機体を実際に飛ばして撮影され、特に英空軍のハリケーン、スピットファイアとメッサーシュミットとの空戦を実機を飛ばして撮影(撮影はB25の改造機を使用)したところが貴重な映像になっています。ドイツ軍機(メッサーシュミット109とハインケル111爆撃機)は当時スペイン空軍でまだライセンス生産されて使用されていた機体を買い上げて用いたため、実にふんだんに登場します。
航空ファンの私にとって小学生の時初めて見たこの映画はバイブルに匹敵します。多くの航空映画のみならずフライトシミュレーションゲームもこの映画に感化されています。10年ほど前英国の友人が「毎年この時期(7月終わり頃)になるとこの映画をテレビで恒例のようにやるよ」と話していたのを思い出します。
英国は陽が沈むことがない帝国であったのに、第二次大戦を機会に多くの植民地を失い没落しました。あろうことかここで描かれる時はまさに新興ドイツに本国が負けそうであったのです。この映画でも「我々は敗ける」という台詞が何度も語られるのですが、当時の英国人は100年以上語る事のなかった台詞でしょう。第二次大戦の戦勝国なのに没落した国としての忸怩たる思いを戦後の英国人達は持っていたはずです。この戦いでは少数の英国空軍パイロットの活躍で窮地を脱するのですが、映画の節目節目で出てくるスピットファイアの勝利の旋回(victory roll)はこれを見ている1970年の英国人達にそれとなく「我々はやれる」という過去の栄光を復活させる勇気を与えようとしているかに見えます。(1回目は今はそれどころではない、2回目はまだ早い、そして3回目は?)ドイツを悪や卑怯者として描かず、どちらも正々堂々の勢力として描いた目的もそのあたりにあるのかも知れません。
中西輝政氏の著した「大英帝国衰亡史」PHP文庫2004年 刊 によると、この栄光に満ちたバトルオブブリテンこそが、大英帝国の終焉を飾る最も輝かしいステージであったと評しています。そのステージの指揮をとったのがウインストン・チャーチルですが、この映画はそのチャーチルの死(1965年)を機に製作が本格化したのではないかと推察されます。
第一次大戦の疲弊により大英帝国の衰退は誰の目にも明らかになり、代わりにアメリカが経済産業の中心的役割を担うようになってきました。しかしイギリス人であれば誰でも帝国の衰退を何とか防ぎたいと考えるのは当然であり、ヒトラーがドイツ帝国を再興しつつあるときもチェンバレン率いる英国は自国の国力衰退につながる全面戦争を極力避ける方針を続けていました。ドイツがポーランドに侵攻し、英国がドイツに宣戦布告してからも「まやかし戦争」と言われたように全力でドイツと戦うことを避けてきたというのが本当でしょう。しかし、ダンケルクの撤退からバトルオブブリテンに到ってチャーチルは全面戦争を決断、帝国の滅亡やむなしと「ふっきれた」わけです。
輝かしい40年の暮れには英国の外貨準備は殆ど底を付いていたとされ、41年のアメリカとの「レンド・リース法」によって無尽蔵に武器や食料を調達して全面戦争が続けられる見通しがついたものの、45年の終戦時には三十三億ポンドの対外債務に膨れ上がり、続く「英米金融協定」によって容赦なく大英帝国の経済ブロックにアメリカが自由参入できる、つまり帝国がおわりを告げることになったと解説されています。
第一次大戦以来英国の政治中枢でその衰亡を実感してきたチャーチルは帝国の消滅を既に悟り、消滅にあたっては英国を次の時代を象徴する自由への戦いの立役者として位置づけることを選んだのだと思います。この映画はそのような位置づけを再確認する意味で当時のイギリス映画界が全力を挙げて製作したのだと考えるとまた感慨深いものがあります。
映画公開の後71年に英国はECに加盟します。政治的にはアメリカと同盟して欧州の一部になることを拒んできた英国も、今はユーロ圏への参入を検討する段階にあるように思います。現在のユーロ圏は第三帝国の版図に近いものがあるように見えますが、ヨーロッパの西端の国になることを拒み続ける英国の意地をこの映画は象徴しているのかも知れません。
監督 ガイ・ハミルトン 製作 ハリー・ザルツマン
出演 ローレンス・オリビエ マイケル・ケイン クルト・ユルゲンスほか
当時映画「007シリーズ」の収益のすべてを注ぎ込んで製作されたと評判の映画。1940年夏、破竹の勢いでヨーロッパを席巻したドイツ第三帝国がその勢いのままイギリスに襲い掛かり、まず英空軍を無力化してから英本土上陸を目論んだ作戦(あしか作戦)に対して、700機のイギリス空軍で2600機のドイツ空軍と戦い、見事打ち負かした3ヶ月に渡る空の戦いを描いた作品である。
1960年代にはすでに希少となっていた第二次大戦当時の機体を実際に飛ばして撮影され、特に英空軍のハリケーン、スピットファイアとメッサーシュミットとの空戦を実機を飛ばして撮影(撮影はB25の改造機を使用)したところが貴重な映像になっています。ドイツ軍機(メッサーシュミット109とハインケル111爆撃機)は当時スペイン空軍でまだライセンス生産されて使用されていた機体を買い上げて用いたため、実にふんだんに登場します。
航空ファンの私にとって小学生の時初めて見たこの映画はバイブルに匹敵します。多くの航空映画のみならずフライトシミュレーションゲームもこの映画に感化されています。10年ほど前英国の友人が「毎年この時期(7月終わり頃)になるとこの映画をテレビで恒例のようにやるよ」と話していたのを思い出します。
英国は陽が沈むことがない帝国であったのに、第二次大戦を機会に多くの植民地を失い没落しました。あろうことかここで描かれる時はまさに新興ドイツに本国が負けそうであったのです。この映画でも「我々は敗ける」という台詞が何度も語られるのですが、当時の英国人は100年以上語る事のなかった台詞でしょう。第二次大戦の戦勝国なのに没落した国としての忸怩たる思いを戦後の英国人達は持っていたはずです。この戦いでは少数の英国空軍パイロットの活躍で窮地を脱するのですが、映画の節目節目で出てくるスピットファイアの勝利の旋回(victory roll)はこれを見ている1970年の英国人達にそれとなく「我々はやれる」という過去の栄光を復活させる勇気を与えようとしているかに見えます。(1回目は今はそれどころではない、2回目はまだ早い、そして3回目は?)ドイツを悪や卑怯者として描かず、どちらも正々堂々の勢力として描いた目的もそのあたりにあるのかも知れません。
中西輝政氏の著した「大英帝国衰亡史」PHP文庫2004年 刊 によると、この栄光に満ちたバトルオブブリテンこそが、大英帝国の終焉を飾る最も輝かしいステージであったと評しています。そのステージの指揮をとったのがウインストン・チャーチルですが、この映画はそのチャーチルの死(1965年)を機に製作が本格化したのではないかと推察されます。
第一次大戦の疲弊により大英帝国の衰退は誰の目にも明らかになり、代わりにアメリカが経済産業の中心的役割を担うようになってきました。しかしイギリス人であれば誰でも帝国の衰退を何とか防ぎたいと考えるのは当然であり、ヒトラーがドイツ帝国を再興しつつあるときもチェンバレン率いる英国は自国の国力衰退につながる全面戦争を極力避ける方針を続けていました。ドイツがポーランドに侵攻し、英国がドイツに宣戦布告してからも「まやかし戦争」と言われたように全力でドイツと戦うことを避けてきたというのが本当でしょう。しかし、ダンケルクの撤退からバトルオブブリテンに到ってチャーチルは全面戦争を決断、帝国の滅亡やむなしと「ふっきれた」わけです。
輝かしい40年の暮れには英国の外貨準備は殆ど底を付いていたとされ、41年のアメリカとの「レンド・リース法」によって無尽蔵に武器や食料を調達して全面戦争が続けられる見通しがついたものの、45年の終戦時には三十三億ポンドの対外債務に膨れ上がり、続く「英米金融協定」によって容赦なく大英帝国の経済ブロックにアメリカが自由参入できる、つまり帝国がおわりを告げることになったと解説されています。
第一次大戦以来英国の政治中枢でその衰亡を実感してきたチャーチルは帝国の消滅を既に悟り、消滅にあたっては英国を次の時代を象徴する自由への戦いの立役者として位置づけることを選んだのだと思います。この映画はそのような位置づけを再確認する意味で当時のイギリス映画界が全力を挙げて製作したのだと考えるとまた感慨深いものがあります。
映画公開の後71年に英国はECに加盟します。政治的にはアメリカと同盟して欧州の一部になることを拒んできた英国も、今はユーロ圏への参入を検討する段階にあるように思います。現在のユーロ圏は第三帝国の版図に近いものがあるように見えますが、ヨーロッパの西端の国になることを拒み続ける英国の意地をこの映画は象徴しているのかも知れません。