昨今、企業においても官公庁においても「無駄を省く」ことが叫ばれている。人員整理、余分な公務員の削減、医療においても入院期間の削減、医療費の削減ととにかく全てにおいて出費を抑えることが「是」とされている。一見「無駄の削減」は絶対的に正しいことであるとして、有無を言わさず進めて良いものと考えがちであるけれど、本当にそうであろうか。
日本の伝統的な雇用形態は「終身雇用制度」と「年功序列賃金」であった。同期で入社した人達は特別なことがなければ定年まで同じ会社にいる。当然出世する者とそうでない者が出る。出世街道に乗れなくても「閑職」「窓際」などと言われるものの、それなりに職が与えられていて安定した給与が保証されていた。若い時は安い給与で人一倍働かされるのだけれど、年を取ればそれなりに安定した給与と地位が保証されていると思うから、安心して激務に耐えることができたのではないか。出世街道から外れた者も、出世した同僚の足を引っ張ったりせずに、彼らを尊敬し、時に愚痴をきいてやり、人が足りなければ助け、若い人の相談にのることで立派に役に立ってきた。
一億の日本人が中流の生活を維持するには大量の無駄な人事が必要なのである。10人いると2-3人は非常に良く働く、5-6人は普通、残り2-3人はサボり気味であるというのは小中学校の掃除当番の時から学ぶ「人間社会」というものの常識である。しかし給食は掃除をどのように行おうと皆同様に食べる。これは社会でも同じなのである。
成果主義により、良く働く者は給与が増え、閑職にある者は解雇される。能率があがり、経費が削減されて会社の利益率が上昇する。株式の配当が増える。これは短期的には正しいことに見えるが、このような会社は100年持たない。100年持たない会社は文化と呼べるブランドが育たない。そんな会社ばかりだと結果としてその国の文化が育たず、みすぼらしい貧相な国になってゆく。
不要な所に人を配置するのはまさに無駄であり、必要とされる部署に人を多く配置するべきだが、忙しく働く人間以外を人員カットするのが無駄を省く事だという考えには断固反対である。日本の社会には無駄な人員も必要なのである。
少し見方を変えて、医学の世界の無駄を考えてみる。成人病の元として悪名高い「高血圧」であるが、ヒトには高血圧遺伝子なるものが存在すると言われる。これは人類が進化する過程で塩を十分に採る事ができない内陸の居住者達が塩分を体内に保持する目的で獲得した遺伝子であると言われている。つまり生きてゆく上での必要性から出てきた物であり「無駄」な遺伝子ではないのである。
同様に「肥満」遺伝子は度々おこる飢饉を生き延びるために獲得してきた遺伝子であろうと考えられ、黒人に多い、血栓症を起こす「鎌状赤血球」」遺伝子はマラリアの発症を抑えるために獲得されたものと言われている。
人間には他人を押しのけて「自分さえ良ければ良い」という自己中心的な卑怯者、いわゆる「やな奴」がいる。一方で他人の犠牲になって死んでゆくような素晴らしい人もいる。恐竜が絶滅した様な地球規模の天変地異、大災害が起きた時に、皆が「良い人」ばかりであったら人類は滅亡してしまう。しかし他の人間を押しのけて自分だけ助かろうという人は、天変地異を生き抜いて人類を絶滅から救うことになるかも知れない。
平時において皆に嫌われているような「こいつは本当にやな奴だ」という人間に会う時、人類を絶滅から救うのはこんな奴かも知れないと思う事にしている。人知の及ばぬ天の配剤とはそのようなものであると思う。私が遺伝子治療に疑問を持つのはそのような理由からであるが、社会においても無駄を省くということが本当に良い事なのか、無駄と有用が正規分布の両端に入る範囲に収まっているならば、それ以上の操作は却って社会を不安に貶めるのではないかというのが私の主張である。
日本の伝統的な雇用形態は「終身雇用制度」と「年功序列賃金」であった。同期で入社した人達は特別なことがなければ定年まで同じ会社にいる。当然出世する者とそうでない者が出る。出世街道に乗れなくても「閑職」「窓際」などと言われるものの、それなりに職が与えられていて安定した給与が保証されていた。若い時は安い給与で人一倍働かされるのだけれど、年を取ればそれなりに安定した給与と地位が保証されていると思うから、安心して激務に耐えることができたのではないか。出世街道から外れた者も、出世した同僚の足を引っ張ったりせずに、彼らを尊敬し、時に愚痴をきいてやり、人が足りなければ助け、若い人の相談にのることで立派に役に立ってきた。
一億の日本人が中流の生活を維持するには大量の無駄な人事が必要なのである。10人いると2-3人は非常に良く働く、5-6人は普通、残り2-3人はサボり気味であるというのは小中学校の掃除当番の時から学ぶ「人間社会」というものの常識である。しかし給食は掃除をどのように行おうと皆同様に食べる。これは社会でも同じなのである。
成果主義により、良く働く者は給与が増え、閑職にある者は解雇される。能率があがり、経費が削減されて会社の利益率が上昇する。株式の配当が増える。これは短期的には正しいことに見えるが、このような会社は100年持たない。100年持たない会社は文化と呼べるブランドが育たない。そんな会社ばかりだと結果としてその国の文化が育たず、みすぼらしい貧相な国になってゆく。
不要な所に人を配置するのはまさに無駄であり、必要とされる部署に人を多く配置するべきだが、忙しく働く人間以外を人員カットするのが無駄を省く事だという考えには断固反対である。日本の社会には無駄な人員も必要なのである。
少し見方を変えて、医学の世界の無駄を考えてみる。成人病の元として悪名高い「高血圧」であるが、ヒトには高血圧遺伝子なるものが存在すると言われる。これは人類が進化する過程で塩を十分に採る事ができない内陸の居住者達が塩分を体内に保持する目的で獲得した遺伝子であると言われている。つまり生きてゆく上での必要性から出てきた物であり「無駄」な遺伝子ではないのである。
同様に「肥満」遺伝子は度々おこる飢饉を生き延びるために獲得してきた遺伝子であろうと考えられ、黒人に多い、血栓症を起こす「鎌状赤血球」」遺伝子はマラリアの発症を抑えるために獲得されたものと言われている。
人間には他人を押しのけて「自分さえ良ければ良い」という自己中心的な卑怯者、いわゆる「やな奴」がいる。一方で他人の犠牲になって死んでゆくような素晴らしい人もいる。恐竜が絶滅した様な地球規模の天変地異、大災害が起きた時に、皆が「良い人」ばかりであったら人類は滅亡してしまう。しかし他の人間を押しのけて自分だけ助かろうという人は、天変地異を生き抜いて人類を絶滅から救うことになるかも知れない。
平時において皆に嫌われているような「こいつは本当にやな奴だ」という人間に会う時、人類を絶滅から救うのはこんな奴かも知れないと思う事にしている。人知の及ばぬ天の配剤とはそのようなものであると思う。私が遺伝子治療に疑問を持つのはそのような理由からであるが、社会においても無駄を省くということが本当に良い事なのか、無駄と有用が正規分布の両端に入る範囲に収まっているならば、それ以上の操作は却って社会を不安に貶めるのではないかというのが私の主張である。