しるべは、堀辰雄の「風立ちぬ」も読んだことないし、堀越二郎という人のことも知らない。
宮崎駿のことも、ジブリの映画のことも知らない。ただ、映画の中のことを通しての感想だ。
戦争の悲惨さ、恋人の死の場面もふれていないけれど、その描かれていない部分に、ものすごい想像が膨らんだ。
自分が造る飛行機零戦が、戦闘に使われ、多くの若者たちがそれに乗って死んでいったという、心の葛藤も描かれていなかったけれど、それだからこそ、その奥底に彼の苦しみを思うことができたのだ。サラッとした表現に、ものすごい重さを感じた。
「空を飛びたいという夢は、呪われた夢でもある。飛行機は殺戮の道具になる宿命を負っているのだ」とう夢の中に出てくるカプローニの言葉に、二郎は「私は美しい飛行機を作りたいと思います」と答えた。
「美しい飛行機を作る」ことが、彼の夢であり、美学であり、意志であったのだけれど、それを実現できる世の中ではなかった。
それでも彼は夢を実現しようとした。それはエゴイズムだと言えるのだろうか?
恋人菜穂子の病気、結核も、その時代には「不治の病」であったわけだし、まことに行き難い時代、苦しい時代であったのだ。
しかし恋愛も仕事も、彼は諦めなかった。これが・・・悲しい。貫こうとしたんだ。これが・・・涙。
でも、結局妻となった菜穂子は死んでしまい、夢を追った飛行機は全てが無となった。夢も愛も全てが瓦解してしまった。
そんな時代を生きなくてはいけなかった、堀越二郎が悲しかった。
彼は飛行機は大好きだったのだけど、戦争は大っ嫌いだった、あたりまえだ。
戦争で勝利するために、零戦を開発したのではなかったのだ。
菜穂子が死んでもいいから、サナトリウムから自分のところにひきとったのでもないし、菜穂子もそれを知っていたからこそ、彼の傍に寄り添い、彼の夢の実現のために共に生活した、死を覚悟してまでも。
挿入歌のドイツリート、シューベルトの「冬の旅」があまりにも切なく、象徴的だった。
もうひとつ、煙草を吸う場面が何回もでてきたことに対して、日本禁煙学会が苦言を呈したことについて。
しるべは、どの喫煙の場面もすんなり受け入れらたし、むしろ重要な場面と思った。
しるべ自身は煙草は吸わないし、大っ嫌いだし、レストランでちょっとでも匂いがしたら不快になる。
でも、時代背景を考えたら大切な描写だと思った。
ドイツに飛行機の視察に行った時、日本の煙草がきれてしまった。友人の本庄が「煙草ない?」と聞くと、堀越は残念ながら「ない」と答える。異国の地で自分の国の煙草が、もうなくなってしまった・・・外国で暮らしたことがあれば、その気持ちわかるだろう。しるべも煙草ではないけど、アメリカに住んでいた時、日本の食料品大切に大切に使ったっけ。
軽井沢でドイツ人のカストルプがドイツの煙草がきれてしまい、がっかりしている時、二郎は「僕もドイツにいった時同じ経験をしました。日本の煙草も吸ってみませんか」と、日本の煙草「チェリー」をすすめる。これって、「国際交流」を感じた。
菜穂子の病状が悪化したとき、二人で寄り添って貴重な時を過ごした。二郎は煙草を吸いたいと思い、外に出ようとした。菜穂子は「ここでいい」と促し、彼は菜穂子の傍で煙草を吸う。この場面はものすごいヒンシュクを買った場面だけれど(結核の病人のいるところで煙草を吸うなんて!!)、でもしるべは感動した。もう離れ離れにならなくてはならないことを知っている菜穂子は、一瞬でも彼と共にいたかったのだもの・・・。
同じ映画を観たけど、意見はまっ二つ。
それも、ありだよね