しるべの記し

教会音楽家でクリスチャン・エッセイストのしるべです。
イエスさまの十字架を「道しるべ」として歩んでいます。

沖縄楽し

2014年01月28日 | お出かけ
3泊4日の旅、夫と沖縄に行って来た。1980年に一歳だった娘のマナと三人で行って以来の沖縄。

美しい自然を守らないといけない。
なんと美しい島だろう
(八重山)

辺野古のことに思いを寄せながら・・でも、本当に印象としては貧しさを感じた。
基地ができることによって生活が潤うことを望む人がいるのも現実だろう。


世界遺産のある「今帰仁城跡(なきじんじょうあと)」

桜祭りが開かれていたのには、びっくりでした


車で宇古利(うこり)大橋を渡り、宇古利島に行く。
おぉ、なんと美しい海


首里城を見学。
琉球王国だった沖縄は、当時中国の管轄の下、政も行われていた。
見学には中国と韓国の人たちでいっぱい、日本人よりも多いくらい。
「やっぱり、沖縄は中国のものだ」なんて考えてしまう人もいるかもしれない。ちょっと心配


日曜の朝は、那覇新都心キリスト教会の礼拝に出席。
週報の中にも、牧師の説教の中にも、辺野古のこと、選挙のこと、政治満載でびっくりした。
礼拝の中に政治を持ち込む・・沖縄だからなのだろうか?


平和記念公園

戦没者の名前が刻まれている石碑がどこまでも続いていた。


ひめゆりの塔。

そして資料館では、本当に心が痛んだ。
ところがガイドブックになどは、この地はあまり取り上げられていないので、見学する人は修学旅行生くらい。
もちろん、中国人も韓国人もほとんどいない。
負の遺産をもっと大切にすべきだ。

最後の夜は、ライブをやっている沖縄料理店に行った
皆大騒ぎで踊りまくってるので、しるべも夫もノリノリ。
夫もかんぱーいぃ

ちびっこまでもが、ノリノリで踊ってたのにはびっくりだった。


その後

2014年01月23日 | らさちゃん/さりーちゃん
らさちゃんの登園拒否はなかなかなおらず・・昨日なんて、さりーちゃんの予防接種でママが忙しいので、らさは幼稚園休んでしるべと二人で「サンリオピューロランド」に行ってきたのでした。
「ママとさりーちゃん、今ごろ何してるかな?」とかしきりに気にする。
「今頃、注射してワンワン泣いてるよ」とか、「泣き疲れて眠ってるよ」とか、とにかくママと二人で楽しくしているという想像はさせないように、しるべ必死。
ちょっと、いつもより楽しめなかったなぁ・・なにしろ、さぼって行ったものだから、なんとなく後ろめたいわけです
その後、先週お教室に入れなかった、造形教室に連れて行き、楽しく作品を仕上げて、ママとさりーちゃんと車でお迎えしてくれたので、大喜びのらさでした。

一方、さりーちゃんの足は、右足が顕著に太く、そして長くなってきた。
オムツを替えるたびに、何だか不憫で不憫でたまらない
歩行できるのかな?
心配だ。

そんな日常から離れて、明日からしばらく沖縄に夫と二人で行ってきます


生姜

2014年01月21日 | 食べ物・飲み物
tataちゃんと、新百合ヶ丘で有名な生姜料理のお店に行きました。
何回もTVで放映されたお店です。

もちろん、ランチは美味しかった、もう、サイコウでした

帰りに高知県産のでっかい生姜を買ってきました。お値段もリーズナブル。


家に帰ってスライスして、蒸して、天日干ししました。
効用は30倍だそうです。
ものすごく辛くなるけど、身体によさそうだ~



こんなに縮んじゃうけど、ばっちりなんだそうです

弁当三つ

2014年01月20日 | 日々の出来事・思うこと
今月から夫が週二回、新宿にある特許事務所からの要請で、半年間仕事をすることになった。
なぁ~んと、なぁ~んと、十数年ぶりの会社通い
一番喜んでるのは、しるべでありまする

いいな、いいな、夫のいない日中。
お昼作らなくていいし、嬉しいな
家では、掃除と洗濯したら、のんびーーりできるんだもん
こんな嬉しいことは、ありません。
しかも、時給5千円だぞ
半年と言わず、ずっと、毎日でも行ってほしいよ。
「いってらっしゃーい」って玄関から送り出すのって、何てしんせ~ん

しかし、本業の自分の会社の仕事も超忙しくなってきて、年明けからドタバタの毎日なのです(しるべではなく、夫のこと)
ヒマだと、山にばっかり行くから、いいことだ、いいことだ

しるべが大変なのは、弁当作り。
夫、ヒロ、マサ、三個作る。
皆、甘え過ぎ
まぁ、それが、今のしるべの仕事なんです。へへへ

赤ちゃん返り

2014年01月17日 | らさちゃん/さりーちゃん
らさちゃんの話題ばかりが続きますが、5歳になったら急に「赤ちゃん返り」し始めました

皆から、「もう5歳だから」とか、「お姉ちゃんだから」とか言われて、プレッシャーかかったのだろうか
一昨日は、ママから離れて造形教室の中に入れなくて、ワンワン泣きで帰ってきた。
昨日も幼稚園バスに乗るとき、ギャーギャー泣き、ママが抱っこして、バスの先生に渡しました。
今日の保護者参観も、ママが帰ろうとしたら、「ママと一緒に帰る~」と、もうギャンギャン号泣、周りの人たちはもうびっくり、ママは無理やり帰ってきたけど、「連れてきたらよかったかな?」と、ただただ困惑

初めは怒ってたマナでしたが、徹底的に「ママはらさが好きなんだよ」って、ただただ言い続ける、「お姉ちゃんだから」とか、「泣いちゃだめ」とかは、ぜったいに言わないと決めたのでした。

しかし、夕方マナから電話がかかってきて、「ピアノ練習しなさいって言ったら、やだと言って泣いてる・・・これって、ただのわがままじゃないの」って、怒りが納められない様子。
「ママのこと試してるんだよ。どんなことしても、ママは自分のこと可愛いって言ってくれるかどうかを」ってしるべはマナを励ましましたが・・・。
あぁ・・・たいへんだよなぁ・・・子育てって、ほんとたいへんだ。ご苦労さん。
しるべもたいへんだったんだよな・・なんか遠い昔のことです

初めてのスケート

2014年01月13日 | らさちゃん/さりーちゃん
東京ミッドタウンのアイスリンクで、らさちゃんはパパと初めてスケートをしました。
いっぱい転んだみたいですが、だんだん立って滑れるようになりました。
本当に、子どもってすごいです。

しるべ一家も、子どもたちが小さい時は前橋に住んでいたので(25年前)冬になると軽井沢のスケートリンクに遊びにいきました。
しるべだけ、まったく立てないので見学・・・お父さんはスケート得意なのでマナとマサと装具を履いたヒロを引き連れてスーイスイと走って、みんなでけっこう楽しんだのでした。
だから、今でも子どもたちは恐怖心とかなくてスケートできます。

らさちゃんも、子どもの時からこうして転びながら覚えたら、一生滑れるんだろうな。


この冬一番日の出の遅い日

2014年01月12日 | 日々の出来事・思うこと
(しるべの家から見える朝の山々)

今日の日の出は、6時51分だった。
朝走ろうとしたのだけど、あまりに暗くて、しばらく布団にもぐって明るくなるのを待っていた。
どうして、「冬至」も終わったのに、日の出がどんどん遅くなるのだろうか?
まったく、「一年で一番日の短いのが冬至」だなんて、本当に嘘っぱちだと思っていた。

ところが日の出と日の入りの時刻を調べてみると、確かに1月12日の今日が日の出が一番遅いのだが、なんとなんと、日の入りは12月からどんどん遅くなっているではないか!!
そういえば、夕方4時になると暗くなっていたのに、最近は5時位まで明るい。
だから全体に一日の明るい時間は確実に長くなっているのだ。

毎年冬の朝走っていて「冬至」になると、「あぁ、明日から日の出が早くなるんだ」と思いきや、1月半ばまでは実際には日の出の時間が遅くなるばかり・・・。
だから、辛くて、辛くてたまらないのが今の季節なのだ。

だけど、確実に明日から日の出が早くなって、日の入りも更に遅くなって、日中が長くなるのだ

しるべは昨年大きな試練に遭った。
本当に、辛い辛い日々が続いて、いつになったら苦しみから逃れられるのだろうと、いったいいつになったら夜明けは来るんだろうと思っていたけれど、知らない間に明るい時間が増えてきているのだ。
神さまが約束してくださっているのだ。
「明けない夜はないんだよ

今日の礼拝の後、百合丘教会の川井牧師に転入会する希望を告げた。
先生は本当に喜んで受け入れてくださった。
準備に3か月くらいかかりそうだけど、夜明けはどんどん早くなってる気がした。


車欲しい~

2014年01月11日 | 日々の出来事・思うこと
この前、車すっちゃってから、車を買い替えたくてしょうがない、しるべ。
消費税も上がることだしね。

それで、色々見てるんだけど、車種だけ決めました。
「HONDA フリード」
夫がN自動車に勤めてたから、HONDAは初めて
これ、スライドドアだから、足の悪いヒロにも、赤ちゃん乗せるにも、都合がいいし、7人乗りなのに、今乗ってるティーダよりも、何と長さが短いのだ!!見た目は長いのだけど、びっくり(幅は同じで高さがあるから、何か大きく見えるのです)
試乗してみて、ものすごくお気に入り

ところが、愛車のラッティを査定してもらったら、なんと、なんと、1万7千円なんだよ
バカにするな
ラッティがかわいそう過ぎる
そりゃぁ、しるべがいっぱいぶつけたり擦ったり、さんざん傷だらけだけど、車検やったばかりで、タイヤも全部替えたばかりなんだぞ~
まぁ、8年乗って、12万キロ走っちゃったけどさ・・・。
もう、このディーラーからは、ぜったいに買わない

あんまり、ラッティが不憫になってしまい、もうしばらく乗ることにしました。
だけど、近い将来フリード買うことは決定です。

クラスメイト

2014年01月08日 | 日々の出来事・思うこと
今日は、ワシントンDCで英会話のクラスが一緒だった友人と新宿で会いました。
ベトナム人のホアは、日本人のご主人と結婚して、二人の娘さん(6年生と1年生)がいます。42歳。
モト君は30歳、今はカンボジアで働いていて、帰国中。
年齢がこんなに違うクラスメイトも、珍しいし、あれから10年以上たってるのに、たまぁにこうしてクラス会をしているのも珍しい。
しかも、ホアとは初めての授業での自己紹介で、どこから来たかということを紹介し合った時、「日本から来ました」「日本の神奈川県です」「神奈川県の川崎市です」「川崎市の読売ランド前という駅です」・・・びっくりしたよ、アメリカに来て、まさか同じ最寄りの駅に住んでいる人がクラスにいたなんて
もちろん帰国したら、すぐに家の行き来をするようになったのでした。
それで、モト君が帰国すると、こうして会うわけです。

さりーちゃんの病院

2014年01月07日 | らさちゃん/さりーちゃん
さりーちゃん、子どもの日本の最先端病院「国立成育療育研究センター」に初めて検査に行きました。
びっくりするくらいのすごい病院!!

なんだか、どこかのショッピングセンター?みたいなショップ。



面白い遊び場がいっぱい。


カフェもおしゃれ。


なんで、もうびっくりでした。

でも、全国から重症な病気や障がいの子どもたちがいっぱいで、30年前にしるべも当時最先端と言われる東京のK病院に、双子のヒロとマサを連れて、必死で通ったことを思いだしたのです。二人とも障がいがあると言われて、本当に苦しんだのです。不安だったのです。
だけど、その病院には、若いお母さんたちが、重度の障がいをもつ子どもたちを連れて、でも明るく、ほんと、そうなんだよね、思い出したけど、皆若いお母さんたちが、たくましくって、明るくって、一生懸命に子ともたちのために病院通いしてる。
しるべも・・・そーーーだったよなぁ~思い出した
あの頃、必死だった。
だけど、周りのお母さんたちの元気をもらって、しるべもいつも笑っていたよ。

そんななつかしさの中、さりーちゃんの検診にはちょっと緊張
結局、まだわからないので、じっくり定期健診することになったのです。
マナ、頑張れ
ママが笑っていないと、さりーちゃんもらさちゃんも、元気に育たないよ

マナが言ったのです。
「お母さんがヒロとマサのことばかりで、私はいつもさみしくって、お母さんのこと恨んでいたけど、本当に今初めてお母さんのその時のたいへんだった気持ちが分かったよ・・・
マナ・・・泣いてました。

さりーちゃん、元気に育ってほしいです。

映画「永遠の0」

2014年01月03日 | 鑑賞・観戦

先週読み終わった百田尚樹の小説「永遠の0」の映画を観た。
岡田准一主演、すばらしくステキだった
またまた、号泣
しかし、どうだろう?やっぱり小説には及ばなかったなぁ。
良かった、初めに小説読んで。

この小説のテーマは二つあると思う。
①戦争の只中、「お国の為に」「日本の為に」と死んでいく若者たち。しかし本心から死にたいと思っていた者がどれだけいただろうか?心の内は、家族を思って、死にたくなかった者がほとんどだったはずだ。
そのことを岡田君演じる宮部久蔵は、その本心を「臆病者」と言われながらも貫き通した。
どんな極限状態の中で洗脳されたとしても、本当の心の底には、自分の愛する人と別れていくことの悲しさ、そしてそのひとりひとりが、本当に辛く苦しい体験をしていたという日本中が共通していた悲しみを、もう二度と繰り返したくないということ。反戦の思いだ。
②自分たちの死というものが、その子どもや孫たちの世代にとってどのような意味をなしていくのだろうか?50年100年後の日本は、どのような国になっているのだろうか?そう思いながら死んでいった人たちの死を、私たちがいかに受け取っていくか、そして、子、孫に伝えていくかということ。彼らの死を無駄にしてはいけない、その悲しみの犠牲によって成り立つ私たちの幸せを、しっかりと受け止めて生きていかなくてはいけないのだということ。

原作も映画も良かったけど、ちょっと残念だったのは、映画は②がもうひとつ描ききれてなかった。
まぁ、限られた時間内で表現するのだから、しかたないかもしれないけど・・・。
残念なのは、最期に宮部久蔵が特攻で突っ込んだとき、「ニコッ」といい笑顔をして死んでいったのは、まずいでしょーーが
それじゃぁ、戦争美化じゃないか
岡田君の笑顔は超ステキだったけど、宮部久蔵は、泣きながら悔しみながら死んだのだと思う。
もちろん、妻と子供を託して自分は死んでいく安心感はあったから悔いはないという考え方もあるけれど、私はやっぱり「生きて帰りたかった」って泣きながら悔しみながら、突っ込んだと思うのである

新年

2014年01月01日 | 信仰 平和
新しい年で、おめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

「新」という字は、「立っている」「木」を「切る」という意味があるそうです。
切り取った木を火にくべるのではなく、切った部分も大切に家を作るとか、何かのために使うことが大切です。
2013年は、辛いことがあったけど、それを忘れてしまって気分を変えるのではなくて、大切な経験、宝として人生の一部として、何かを作っていかなくてはいけないと思うのです。
そして切り株となった新しい木の部分は、新たなみすみすしい力を根っこからもらって、伸びやかに成長したいと・・・。

・・・なんて、新たな思いをもって、元旦礼拝から帰ってきたら、家の駐車場で車を擦ってしまったのだ~

しょんぼり

今朝ジョギング途中の、初日の出


こうこうちさんの手作りプレゼントの「お飾り」