しるべの記し

教会音楽家でクリスチャン・エッセイストのしるべです。
イエスさまの十字架を「道しるべ」として歩んでいます。

びっくりバターナッツ

2014年09月30日 | 食べ物・飲み物


房総のおみやげ、びっくりバターナッツ。
これ、かぼちゃなんだ。



らさも、さりーも、びっくり、「これなぁに



しるばぁたが、カボチャグラタン・ピッツァ風、創作いたしました
おいしかった~
残りは、スープ、いっぱい作りました。

九月も今日で終わり。
楽しかったなぁ。
気候も良くなったし、小旅行に行きました。
マナとらさとさりーと横浜観光、ヒロと東京ドーム試合観戦してから東京ドームホテルに泊まって、夫と房総にいって。
わぁ~、三回もお泊り旅行したよ~
近場に旅行ってこれまであまりしなかったけど(前橋以外は)、こういうのもいいなぁ。
これからいっぱいやってみたい。

南房総の旅

2014年09月23日 | お出かけ
夫の誕生日。久しぶりに二人で南房総一泊旅行。

二人とも千葉県の隣の葛飾に住んでいたので、小学校の時は臨海学校に行ったり、家族で海水浴に行った思いでの海岸です。
天気もいいし気分最高、知ってる地名、懐かしいなぁ~


海って、元気にしてくれるぅ~



房総最南端の地、灯台に上りました。


唱歌「浜千鳥」の歌碑


白い砂、きもちい~


不動滝。なんか、黒光りしていて秘境って感じ。人っ子一人いないんだ・・・


ホテルの名物料理はかさごの姿揚げ。三度揚げとの事。骨まで食べれました。頭からしっぽまでよーーく噛み噛みして、感動的な美味しさ
長狭米のご飯はとても美味しかったです。でも、おかずでお腹いっぱいになり、一口しか食べられず…


ホテルの部屋から日の出を見ました。
これぞ、オーシャンビュー

脳ドック

2014年09月19日 | お出かけ
脳ドックというのに初めて行きました。
親族数人(父親も含め)が脳卒中で亡くなってるし、そろそろ心配もありますから。

MRIに入る時、「何かあったら、鳴らしてください」と、ブザーを渡されて、ちょっとドキドキ
寝かされて、ものすごい工事現場みたいな音の中に頭から突っ込んでいきます・・・うううううるさ~い

しかし・・・しるべは眠ってしまいましたシアワセ者です

帰り、虎ノ門ヒルズに寄りました。



おしゃれなオフィスビル、フロントも素敵


「トラえもん」くんのお出迎え


ファミマまでが、おっしゃれ~

信仰告白

2014年09月08日 | 信仰 平和
昨日、Y教会に転入会しました。
その時の信仰告白です。
一部修正してありますから、ちょっとへんな文章のところもありますが、もしご興味があればお読みください。
しるべのこれまでの歩みです。

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私は22歳の時、日本キャンパスクルセード主催、アメリカのクリスチャン・ホームに滞在し教会生活を経験するという一か月の旅に参加し、イエスさまに出会いました。
当時私の両親は別居中だったため、クリスチャンの柔和な愛に満ちた家庭生活というものに、大きな憧れをもちました。
帰国してすぐにキャンパスクルセードから紹介していただいた、家の近くの東京都葛飾区S教会に通うようになり、イエス・キリストの十字架は自分の罪のためであるということをはっきり示され、K牧師からバプテスマを受けました。その後、教会学校のクラスで一緒に学んでいた青年(現在の夫)と結婚、子ども三人が与えられ「憧れのクリスチャン・ホーム」を築くことができたのです。
もっとも、この頃は、「クリスチャン・ホーム」という意味が理解できず、信仰を貫きながら家庭生活の中の問題や試練に立ち向かうことが、どんなに大変なものであるのかは全く分かっていませんでした。
 結婚して7年後、夫の転勤のため前橋の教会に転会し、子どもたちは付属幼稚園で育ち、6年間前橋で教会中心の生活を送りました。
東京に戻ってからは、それまでT神学校の通信教育を受けていましたが、通学が可能となり、音楽科マスターコース卒業後、狛江市にあるT教会の音楽主事に就任、夫も職場が厚木勤務となったので、1995年4月東京都葛飾区から川崎市に引っ越しをしました。
2001年T神学校神学科を卒業したと同時に、T教会協力牧師W先生から派遣按手を受け、夫がワシントンDCに転勤となった現地にあるP・B教会日本語部の協力牧師に招聘され家族で渡米いたしました。 帰国後はK教会の牧師として4年間牧会させていただきました。
 一方、長い間町田で開拓伝道を始めたいという幻を持って祈っておりましたが、2007年町田駅前のビルの一室で開拓伝道を始め、チャレンジと希望に満ちた毎日でした。しかし事情があって昨年の5月末で、7年間一歩一歩積み重ね築いてきたM教会を閉鎖することになったのです。
これまで家族にも支えられ、祈りながら前進してきましたが、文字通り崖淵に立たされ、前にも進めない、後ろにも戻れない、自分の居場所がなくなり、立ち位置が分からなくなり混乱しました。
 自宅に近いY教会に家族と行くことにしました。将来、足に障がいがあるHもひとりで通える教会ですし、一信徒として地域伝道の働きをしていきたいと思います。Y教会の信徒となり、神さまに用いていただきたいという強い思いでした。
 Y教会は家から車で10分、近いと言え、誰一人として知り合いもなく、不安でいっぱいでした。しかし主の導きであると信じ勇気をもって礼拝に、祈祷会に、ホーム・グループに、教会学校に出席し、K先生を初めとして、皆さまとの交わりの中で、だんだん緊張もとけて、心を開くことができるようになりました。
 今年の1月には、転入の希望を表明し、準備会の時をもつことができるようになったのですが、ある時K先生から質問されました。「今、何か目的はありますか?」というものでしたが、私はこう答えました。「目的、目標は過去にはありました。でも、今は全くありません。」この言葉を言いながら、それは失望感からくる消極的な言葉ではないと気が付きました。私はこれまで、目的、目標をもって神さまのためにと突っ走ってきました。目的を達成するために、ものすごく努力もしましたし、その目的が叶いますようにと、ただただ祈り、神さまに訴え続けてきた、情熱だけでやってきた信仰生活でした。
でも、今は何も目的も目標もないのです。
しかしそれは決して虚無感、敗北感からのものではありません。
これからの信仰生活、今度は「神さまの私への目的」を教えていただくために祈っていこう、そして「それが何なのか知りたい」という期待からくるものでした。主は私をどのようにお使いになられたいのか、そのことを聴いて行こう、それに従っていこうという希望に溢れた思いだったのです。

ヨハネによる福音書21:18
「はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」

これはイエスさまがペトロの将来を示された言葉です。
若い時にペトロは自分で帯を締めて勇ましく世界伝道に旅立つけれど、年老いた時、迫害者たちによって拘束され、行きたくないところに連れて行かれるだろうというものです。もちろん現実にはペトロは迫害者たちの手によって連れて行かれたのかもしれませんが、実はその背後に、神さまが迫害者の手を借りて、ペトロを行きたくない所に置かれて、そこで働くようにと、そこで伝道し証しするようにとされたのだと、私はこの箇所を読み取りました。
私は今、自分では思いもよらない場所に連れてこられたというのが正直な気持ちです。若い頃から情熱をもって行きたいところに行き、チャレンジし続けてきましたが、今は主がこのY教会に連れてきてくださって、ここで働きなさいと言ってくださっているのです。ここに置いてくださったのだと、心から確信いたします。
 これからY教会で、皆さまと共に神さまのために働きたいと希望いたします。これまで30年専門で学んできました「礼拝音楽」をご一緒に分かち合えるなら、さらに共に学び合うことができるならと思います。
また現在T神学校教会音楽科で講師として働いておりますが、次の世代へ礼拝音楽の橋渡しをする者として用いていただけたらと、その中で神さまの「私への目的」を示していただきたいと心から、祈っています。

夏休みの最後に

2014年09月06日 | お出かけ
横浜のホテルに一泊して、遊びました。

マナも私も大学は横浜でしたから、もう珍しい場所ではないはずでしたが、行ったことのなかった所がこんなに多かったなんて・・もう、楽しすぎて、楽しすぎて、満喫の一泊二日の旅でした。


orbi yokohama不思議な不思議な空間でした。

きゃ~


皆でシマウマになりました。


ホテルはマリンタワーの隣でしたから、初めて上りました。(ホテルの部屋から写したマリンタワー)


朝は海を見ながらジョギング


イギリス館でコンサートを聴いた後、「ねずみくん40周年」の展覧会が神奈川文学館であったので、またまたみんなでネズミになりました。


美味しいハワイアンのお店でお腹いっぱいだ~