しるべの記し

教会音楽家でクリスチャン・エッセイストのしるべです。
イエスさまの十字架を「道しるべ」として歩んでいます。

さらなる祝福を受け取る

2005年12月31日 | 日々の出来事・思うこと
2005年もいよいよ終わろうとしています。
今年はなんと言っても、長女が婚約したことが一番の恵みでした。
なにしろ10代の時からのお付き合いの彼ですから、気心も知れていて、もう家族みんな、喜びでいっぱいです
そしてブログを始めたことは私にとって大きなチャレンジでした。
来年も神さまの祝福をしっかり受け取っていこうと思っています。
用意されている祝福を、よそ見していて気がつかないなんてもったいないことのないように、積極的に祝福を受けていきます。
そして、そのためにも新しいことにチャレンジしていくぞ~ぉ

続交通違反 

2005年12月30日 | 日々の出来事・思うこと
「これまでに交通違反をしたことは一度もありません」と胸を張って断言できるドライバーはいるでしょうか?
むしろ制限速度でノロノロ走ったら、まわりに迷惑になることもありますし、私も「ちょっとだけ」と路上に駐車することはよくあります。
捕まらないのは運がよく、捕まったのは運が悪いからということもうなずける気もします。捕まったことがないだけであって、交通ルールを完全に守っているのではないということです。
 人間の罪というのは、そのようなものではないでしょうか。 私たちの心の中は、人に知られたくない、見られたくない罪で満ちています。後ろめたいこと、明るみに出ては困ること、それらを隠しながら生きています。完全に聖書に書いてあることを守り通せる人なんて、いるわけがありません。
そんな汚れた部分を、隠し通して他人に運良く知られることはないとしても、本当の自分の姿をイエスさまだけはご存知です。隠そうとしても、捕まりたくなくて逃げたとしても、イエスさまは私の罪を全てとらえていらっしゃいます。いいかっこしようとしても、全部筒抜けというわけです。でも、そんな私をまるごと愛してくださるのが、イエスさまなのです。

交通違反

2005年12月29日 | 日々の出来事・思うこと
娘が新車を買い、今日その車がやってきました!!うらやましい・・。
名前は、Harryとつけました。(我が家の車にはそれぞれ名前があり、私の車はLattieです。ああ、かわいい!)娘は、その前までは真っ赤な車に乗っていたのですが、今年スピード違反二回、駐車違反一回も捕まりました。彼女いわく「どうしてこんなに、警察に目を付けられるの!?赤い色が目立つからだ」ということなのです。
アメリカでは赤い車はスピード狂の印として、保険料も高いのですから、それも否めないかも知れません。ということで、赤い車はやめてHarryに買い換えたのですが、さてさて、これからはおとなしい運転をするようになるのやら・・・。
それにしても、「これまでに交通違反をしたことは一度もありません」と胸を張って断言できるドライバーはいるでしょうか?

年賀状書き

2005年12月27日 | 日々の出来事・思うこと
今日年賀状書きに追われました毎年、何枚か失敗するのですが、奇跡的に一枚の書き損じもありませんでした
ただ、単にラッキーだったのでしょうか?
実は私、明後日は神学校の授業があって(この年末だと言うのに)講義の準備しなくちゃならないし、夫の会社の経理のお仕事も年末なので切羽詰ってるし、日曜の説教の準備もあるしで、パニックなのです
この緊張感・・・年賀状書き、間違っちゃいけない、時間がないよー!!
朝、真剣に祈ったのです。「神さま、一つ一つ整えてください!!」
そして無事終わって、今夜のお祈りは、
「あーーー、神さま、ありがとうございます、明日も明後日も綱渡りですから、手を引いてください」
こんなことでよいのでしょうか?
神さま、あきれないでください

あわただしい年末になりました!

2005年12月26日 | 日々の出来事・思うこと
昨日までクリスマスで一色だったのに、今日からいきなり「フツーの日」になりました。しかも、超忙しく、銀行も郵便局も長蛇の列で、あちこち並んできました。年末なので、早く、早く・・・
でも、最近の銀行などの並び方は「フォーク型」というのでしょうか、一列に並んで、先頭の人が空いたATMに行く方式なので、スムーズで平等で、長蛇の列と言ってもそれほど時間がかかりません。合理的になってきました。
さてさて、これから年末、お正月とますますあわただしいですが、新年は一月一日が主日なので、わたしたち牧師はボヤボヤしていられません。気持ちの切り替えをしなくては・・。女性牧師としては、主婦でもありますので、本当にそれは難しいのです

クリスマスおめでとうございます

2005年12月24日 | 信仰 平和
☆***☆ MERRY CHRISTMAS ☆***☆
私たちは小さな小さな伝道所です。
しかも畑の、ど真ん中にあって、調整地区ですから、まわりに家が建つ見込みはありません。伝道するにはサイアク・・・。でも、みんなが車に乗って集まってきます。(駐車場は畑のまわりに止め放題
昨日のイヴも今日のクリスマス礼拝も、ほぼ全員の信徒や求道者が集まることができました!!こんな恵みってありません。そして素晴らしい賛美で溢れました。
私は牧師として、本当に幸せだな~、と思ったのです。
快い疲れの中で、お休みなさーい

12月23日(クリスマス・イヴ・イヴ)

2005年12月23日 | 信仰 平和
12月23日は不思議な一日です。ある時から、その日は祭日になったわけですが(17年前?)、それまではフツーに過ぎていった、フツーの日だったわけです。それが、最近では「クリスマス・イヴ・イヴ」とか言って、クリスマスの一部みたいな、とにかく特別な一日へと昇格したような感じです。(もちろん、本当は天皇誕生日
まあ、私たちクリスチャンはアドヴェントからずっとクリスマスの準備をしています。23日が祭日だと、クリスマス・イヴ礼拝の練習やリハーサルができて、とっても便利になりましたから、何も文句はないのですが・・。
とにかく今年は三連休初日でもありますから、やはり12月23日は私たちにとって大いに特別な日となっているようです。


34丁目の奇跡

2005年12月21日 | 鑑賞・観戦
今日は久しぶりに、ミュージカルを観て(聴いて)きました。ミュージカルは日常と全く違う世界に、わたしたちを連れて行ってくれます。
この「34丁目の奇跡」も、映画「ポーラ・エキスプレス」と同じで、「サンタクロースって、信じられる?」というのがテーマでした。
「目に見えないもの、匂いの嗅げないもの、さわれないものは信じない」という親子が、サンタクロースを信じるようになるというストーリーです。
世の中はそのメッセージを繰り返し、手を変え品を変えながら、伝えているんですね。
クリスマスのイルミネーションやパーティーはどんどん派手になります。
「クリスマスの本当の意味をみんな分かっているの!?」とは思いますが、実は多くの人たちが求めているんだ!
目には見えない確かなものを・・。
本当に自分の心を満たしてくれる何かを・・・。
イエスさまは目に見ることも、匂いを嗅ぐことも、さわることもできない方です。
でもその方にこそ真実があるということ、イエス・キリストを世に真剣に伝えましょう!!

たったひとつのクリスマス・ツリー

2005年12月18日 | 信仰 平和
中世ドイツではクリスマス・イヴに教会の前で、キリスト降誕祭の一部として「エデンの園におけるアダムとイブの罪の物語」劇が演じられていました。このとき舞台の中央に禁断の果実がなった木がおかれていて、これがツリーの起源になったといわれています。そして、常緑樹であるモミの木を「生命力」、「永遠の命」の象徴として使われるようになりました。

ツリーの飾りにはそれぞれ意味があります。てっぺんの星は「キリストの降誕を知らせる星」、ロウソクは「この世の光」を象徴するキリスト、りんご(赤いボール)は「禁断の実」、または「神の恵み」、ベルは「魔よけ」、または「羊飼いのベル」、松・松ぼっくりは「豊穣」、クリスマス・カラーの赤は「キリストが流した血」、クリスマス・カラーの緑は「生命の象徴である緑」「自然」だそうです。

アメリカに住んでいた家の近くに、ガーデン・ショップがありました。クリスマスのシーズンになると、そのお店はクリスマス一色になります。店内に、一歩入るとそこは別世界でした。色々なツリーが所せましと並んでいます。あるツリーはリボン一色、あるツリーは動物、あるツリーは果物・・・。そして、色も赤に統一したものや、金・銀のバージョン・・。とにかく、どのツリーも「自分のクリスマス・ツリー」、独創性のあるものとして並べられていました。お店の人に相談すれば、自分だけの個性あるオリジナル・ツリーが創作できるわけです。
それらを見て、クリスマスに、自分だけの心のツリーを神さまに捧げたいと思いました。自分だけしか捧げられないオリジナル・ツリーを。

私だけが捧げられることって何だろう。それは決して豪華なツリーでないかもしれませんが、心から捧げる時、神さまは、「たった一つのクリスマス・ツリー」として、それを喜んで受けてくださるのだろうと思ったのでした。



ポーラ・エキスプレス

2005年12月04日 | 鑑賞・観戦
クリスマスのDVDを、おすすめします。
トム・ハンクスが一人六役を演じています。CG技術を駆使した絵本のように美しい作品で、トム・ハンクスが少年や車掌やサンタクロースになって話すセリフが、心にしみました。

サンタクロースって本当にいるのかと、疑いをもち始めてきた主人公の少年は、クリスマス・イブの夜ベッドの中で息をひそめてサンタクロースを待っていました。突然の大きな音に飛び起きたら、玄関に巨大な機関車「ポーラ・エキスプレス(急行北極点行き)」が停車していました。この汽車に乗れば北極点に行ってサンタクロースに会えるのです!!汽車にはたくさんの子ども達が乗っていて、色々な出会いが待っていて、わくわくするような冒険の連続の末、とうとう北極点に着き、サンタクロースが現れるのです。
 でも他の子ども達はサンタクロースが見えるのに、少年だけはサンタクロースが見えません。

「なぜ?」・・・それは、疑っているから。

「見ることは信じることだ、だけど、見えないものも大切だよ」

車掌の言葉に励まされて少年は、「信じる」のでした。

そして、とうとうサンタクロースを見ることができて、素敵なプレゼントをもらうのです。

クリスマス物語は私たちに見えないものの大切さを教えてくれます。御使いの言葉をエリサベトは「「主はいまこそわたしに目を留めてくださいました」と喜び受け入れ、マリアは「お言葉どおりこの身に成りますように」と信じ、二人は母親になりました。
この二人も、「目に見えない神の業を信じる」ことによって、それが実現するという信仰を、私たちに示してくれるのです。