日本は戦後70年になりますが、この間、他国と戦いをしていません。
現在多くの日本人が戦争というものを知らないということです。
40年以上前に「戦争を知らない子供たち」という歌がヒットしました。
♪「戦争が終わって 僕らは生まれた 戦争を知らずに 僕らは育った
おとなになって歩き始める 平和の歌を口ずさみながら
僕らの名前を覚えて欲しい 戦争を知らない子供たちさ」
その「戦争を知らない子どもたち」を歌ってた人たちは、いわゆる「団塊の世代」現在もう60代後半という年齢になりました。
ほとんどの人たちが戦争を体験していない・・・。
先日の安全保障関連法案が衆議院通過され、今は参議院で審議されているという動きの中で、恐ろしい時代の予兆を感じずにいられません。
「戦争を知らない子供たち」が、大きくなって国会議員になると、今のような政治をするようになるの?
「戦争を知らない子供たち」を歌っていた世代の人たちは、平和の中で生きてきましたが、何と自分の子どもたちが・孫たちが戦争に巻き込まれてしまうかもしれない危機に直面しようとしているのです。
戦争で自分の子どもたちが殺されるのももちろんNGですが、殺す方に身を置かせるなんていうことも、とんでもない事です。
イエスさまは山上の説教で「平和を実現する人々は、幸いである」とおしゃっています。
口語聖書では「平和をつくり出す人たちは、さいわいである」となっていますが、「平和」とは、何か一定の状態であるということより、聖書で「平和」とは常につくり出すものであると語られています。
「平和」はつくりだそうとしなくては、逃げて行ってしまうものなのです。
それほど人間とはつくりだす努力」をしなくては、罪の中に陥ってしまう、戦争という流れに突入してしまうという、哀れな生きものなのだと言えるでしょう。
人間はその心のまま、自然にそれに任せていってしまえば、平和と反対側に流れてしまうものなのです。
争いの中に身を置いてしまうものなのです。
平和は逃げていってしまうものなのです。
平和は人間の努力なしには実現しないものなのです。
国と国だけでなく、一軒の家においても、家族がそれぞれに平和を築こうという努力がなくては、その方向性を確認しながら家庭を築かないと、行き違い、すれ違いが生じてしまう、それが人間というものなのです。
人間は、本来自分と違う考えの人を受け入れない、一緒にいられないものなのです。
それが人間の罪の一つであるのです。
そもそも人間とは、一線を引きたがる者なのです。
国境、宗教、言語、文字、民族、人種、隣、家族、自分…。線を引いてしまう者なのです。
どうしてそうなるのか。異なるものを受け入れられず、共に歩めないのか。
自分と違う人と共に平和をつくりあげていこうというのは、たいへんな作業だということなのです。
教会は戦争に反対する事だけではなく、積極的に平和をつくり出し実現させることを、もっと語らなくてはならないはずなのです。
それこそが本物の「積極的平和主義」なのだと思うのです。
それなのに、安部首相はなんだか見当はずれな「積極的平和主義」という定義づけをしていましたね。*「積極的平和主義」ということに関する国際的定義は、平和研究の父、ヨハン・ガルトゥング(1930-、ノルウェー)によって確立しています。それによれば、「戦争のない状態」を「消極的平和」とするのに対して、「戦争がなく、貧困・抑圧・差別などの構造的暴力のない状態」を「積極的平和」とする、とあります。主イエスが「平和をつくりだす人は、幸いである」と語る言葉も正にこのような「積極的平和」理解を裏づけます。誤解を恐れずに言えば、憲法九条にさえも、真の平和をつくることはできないのです。人間が作ったものだからです。キリストを土台とした愛の中にわたしたちが生きるその生き方のみが、積極的に平和を生きることであり、本当の平和をつくりだすことができるのです。
その生き方をしたい、そしてそれを教会が伝えなくてはいけないと、戦後70年にあらためてしめされました。
*ヨハン・ガルトゥング「積極的平和主義は概念の盗用」