しるべの記し

教会音楽家でクリスチャン・エッセイストのしるべです。
イエスさまの十字架を「道しるべ」として歩んでいます。

新しい仕事

2015年08月17日 | 日々の出来事・思うこと
ちょっと引っ張りましたが、仕事の内容をお知らせいたします

障がい児の夏休みや放課後のケアーのお仕事です。
しるべの経験すべてが生かされます。

①障がい児を育てた
②音楽、メロディー・リズム遊びが得意
③おばあちゃんの経験豊富
④昔の遊び、お手玉、折り紙、あやとり、読み聞かせとか得意
⑤学校や自宅の送迎の車の運転もできる
⑥時間の管理は得意

+ヒロとプールに通っているので、それも役に立ちました。夏の間はプールで遊べます

こんなにぴったりの仕事はありませんよ~

もちろん楽しいばっかりじゃない。
本当に穏やかで可愛い子どもなのに、ちょっとした雑音や振動に刺激を受けて、いきなり凶暴になって暴れまくったり、ちゃぶ台返ししたり、噛み付いたり・・・。
どうしてこんなに変身しちゃうのか、ほんとはじめ悲しかった。

でも、障がい児のお仕事をしていたマサが言いました。
「そんなの、僕たちだっておんなじだよ。ちょっとした周りの言ってることが気になったり、心が揺らいだり、パニックになったり、落ち込んだり・・・あの子たちは、それをストレートにあらわすけど、普通は心の病になったり、仕事やめたり、登校拒否になったり、まったく変わらない、おんなじなんだよ。」

そっか~
毎日、毎日、いろんなことに気づかされます。

一つ一つの家庭の中に、苦しみ、悲しみ、ドラマがあるんだってことも、親御さんと話すとしみじみ感じます。
⑦として、やっぱり牧師をしていた経験が何かで役に立てたらと思うばかりです。

戦後70年の今日思うこと

2015年08月15日 | 信仰 平和
日本は戦後70年になりますが、この間、他国と戦いをしていません。
現在多くの日本人が戦争というものを知らないということです。
40年以上前に「戦争を知らない子供たち」という歌がヒットしました。
♪「戦争が終わって 僕らは生まれた 戦争を知らずに 僕らは育った
 おとなになって歩き始める 平和の歌を口ずさみながら
 僕らの名前を覚えて欲しい 戦争を知らない子供たちさ」
その「戦争を知らない子どもたち」を歌ってた人たちは、いわゆる「団塊の世代」現在もう60代後半という年齢になりました。
ほとんどの人たちが戦争を体験していない・・・。
先日の安全保障関連法案が衆議院通過され、今は参議院で審議されているという動きの中で、恐ろしい時代の予兆を感じずにいられません。
「戦争を知らない子供たち」が、大きくなって国会議員になると、今のような政治をするようになるの?
「戦争を知らない子供たち」を歌っていた世代の人たちは、平和の中で生きてきましたが、何と自分の子どもたちが・孫たちが戦争に巻き込まれてしまうかもしれない危機に直面しようとしているのです。
戦争で自分の子どもたちが殺されるのももちろんNGですが、殺す方に身を置かせるなんていうことも、とんでもない事です。
イエスさまは山上の説教で「平和を実現する人々は、幸いである」とおしゃっています。
口語聖書では「平和をつくり出す人たちは、さいわいである」となっていますが、「平和」とは、何か一定の状態であるということより、聖書で「平和」とは常につくり出すものであると語られています。
「平和」はつくりだそうとしなくては、逃げて行ってしまうものなのです。
それほど人間とはつくりだす努力」をしなくては、罪の中に陥ってしまう、戦争という流れに突入してしまうという、哀れな生きものなのだと言えるでしょう。
人間はその心のまま、自然にそれに任せていってしまえば、平和と反対側に流れてしまうものなのです。
争いの中に身を置いてしまうものなのです。
平和は逃げていってしまうものなのです。
平和は人間の努力なしには実現しないものなのです。
国と国だけでなく、一軒の家においても、家族がそれぞれに平和を築こうという努力がなくては、その方向性を確認しながら家庭を築かないと、行き違い、すれ違いが生じてしまう、それが人間というものなのです。
人間は、本来自分と違う考えの人を受け入れない、一緒にいられないものなのです。
それが人間の罪の一つであるのです。
そもそも人間とは、一線を引きたがる者なのです。
国境、宗教、言語、文字、民族、人種、隣、家族、自分…。線を引いてしまう者なのです。
どうしてそうなるのか。異なるものを受け入れられず、共に歩めないのか。
自分と違う人と共に平和をつくりあげていこうというのは、たいへんな作業だということなのです。
教会は戦争に反対する事だけではなく、積極的に平和をつくり出し実現させることを、もっと語らなくてはならないはずなのです。
それこそが本物の「積極的平和主義」なのだと思うのです。
それなのに、安部首相はなんだか見当はずれな「積極的平和主義」という定義づけをしていましたね。*「積極的平和主義」ということに関する国際的定義は、平和研究の父、ヨハン・ガルトゥング(1930-、ノルウェー)によって確立しています。それによれば、「戦争のない状態」を「消極的平和」とするのに対して、「戦争がなく、貧困・抑圧・差別などの構造的暴力のない状態」を「積極的平和」とする、とあります。主イエスが「平和をつくりだす人は、幸いである」と語る言葉も正にこのような「積極的平和」理解を裏づけます。誤解を恐れずに言えば、憲法九条にさえも、真の平和をつくることはできないのです。人間が作ったものだからです。キリストを土台とした愛の中にわたしたちが生きるその生き方のみが、積極的に平和を生きることであり、本当の平和をつくりだすことができるのです。
その生き方をしたい、そしてそれを教会が伝えなくてはいけないと、戦後70年にあらためてしめされました。

*ヨハン・ガルトゥング「積極的平和主義は概念の盗用」

さりーちゃん二歳

2015年08月14日 | らさちゃん/さりーちゃん


仕事を始めるきっかけは、さりーちゃんが8月1日で二歳になったこともひとつの理由です。


病気のこともあって、走るところびやすいですけど、とにかく元気で活発です。
おしゃべりもできるようになったよ。
「じ~た」と、おじいちゃんのこと大好きで連発。
しかし、なぜか「ばーた」と発音ができず
らさちゃんは、まず「ばーた」って言えたから、それがしるべの呼び名になったのでした。
さりーちゃんには発音しにくいのか、「ばーたって言ってよ」と言うと、「・・・。」だんまり体制になります

仕事

2015年08月14日 | 日々の出来事・思うこと
仕事を始めた
62歳で(決まった時は61歳だった)、よく決まったもんだ

牧師になるように、神様に呼ばれているのか、按手礼も受けている「特別」な選びがあるのに、いつまでもぼやぼやしていていいのだろうか?ずっと、ずっと悩んでいました。
牧師がしたい、でもやりたくない、やっぱりしたい、いややめとこ・・・の繰り返し。

福岡に行ったとき、昔からお世話になっている教授と話しをしました。
「もう、いいよ」って感じのこといわれました。苦労しないでいいよってことかな?
女性がリーダーシップとって行くことは本当に難しい。はっきり言って、いろいろ甘くみられるし、実際しるべはリーダーシップがないのかもしれない。
そうだよ、もう苦労しなくていいんだよなぁ・・・。
神学校で週一回教えて(けっこう準備たいへんだ)、孫の面倒みて、それでいい。
今の教会も本当に気に入っているし。
夫もすっかりみんなと仲良くなってきたしね。

だけど、なんか、物足りない・・・。
地域の中で何かしたい。ボランティアじゃなくて、仕事として、これまでの経験が役に立つ仕事がしたい。
今更そんなことしなくてもいいよって、心の中でもう一つの声がする。

それと、他の理由がある。
おばあちゃんしてるのは楽しいけど、それを良いことに、マナに使いまくられていることが不満でたまらない。
だって、病気だとか歌の練習とかならいいけど、友達と会うとか美容院いくとか・・・。
しるべが仕事したら、いやでも自分でやらなくちゃならないからね。
しるべがなんでもやっちゃうのは、マナにもよくないと思う。
(実際、仕事を始めてから二週間くらいして、しるべ大爆発してマナと大喧嘩したけど)

しるべは、偶然仕事を見つけました。
って言うか、神さまの導きとしか思えません。
もちろん牧師じゃないよ。
しるべにぴったりの仕事だよ~

はい、すぐには教えません
第二段のご報告をお待ちください、もったいぶってますへへへへ

中古だけど

2015年08月05日 | 日々の出来事・思うこと
皆様ごぶさたしています。
猛暑お見舞い申し上げます

ずっとPCが調子悪くて修理に出してもだめ、ほんとつながりが遅くて、それは我慢できたとしても、打ち込んだ文字がなかなか書けなくて、イライライライラ
ブラインドタッチなんてしたら、完全に迷子になっちゃって使い物にならないのです。

まだ4年なのにこんなんじゃたまらない。
それで、中古のPCを捜していいの見つけました。型は古いけど、重いしね・・・でも使いやすいです。TOSHIBA dynabookですよ、いいよ~

いくらだと思いますか?
7500円だったよ
14500円のところ、ポイント使って現金払いは7500円でした
これなら、使い捨てでもいいや~