たぶん2011年ころのブログです
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「悩み」と「苦しみ」。
若い頃は「悩み」がいっぱいあって,毎日が大変でした(もう一度若くしてあげる,といわれても,お断り!という感じです)。
でも,年を取ると鈍感になるのか(?),少し「悩み」が減ってきて,少しだけ楽になってきた感じがします(それでも毎日がいろいろな「悩み」や 「苦しみ」の連続であることには変わりがありませんが…)。
「悩み」はこうして乗り越えなさい,とか,「悩み」なんて大丈夫,なんてことはとても言えません。
しかし,若い時は「悩み」がずっと続いて,「絶望的」になって,先が見えない,と思いがちですが,そうとも限らないのかもしれません(実は六〇近くになったじーじにもまだわかりませんが…)。
ただ,「悩み」が「苦しみ」に直結するようなことは,ひょっとすると年とともに減ってくるのかもしれません。
それは単に鈍感になるせいかもしれませんし,周囲からちやほやされるのが減ってくることが普通になるせいなのかもしれません。
いずれにせよ,少しだけ「平穏」になってくるような気がします。
あるいはまた,人生にある程度の「諦め」ができるせいなのかもしれなせん。
ちなみに,「諦め」という言葉は,夏目漱石さんもいうように,もともとは仏教用語で,人生を明らかに観る,という意味だそうです。
年を取って,いろいろと「諦める」ことが多くなって,それで「苦しみ」が多少とも減るなら,それもいいことかもしれないですね。
「幸せ」はその先にあるのかもしれません。
若いさなかのいろいろと敏感な状況にいて,さまざまな「悩み」で苦しんでいる人には,そうはなかなか思えないかもしれませんが,長い目で見ればそういうこともあるのかもしれません。
そう信じたいと思います。
いずれにしても,「悩み」や「苦しみ」が全くなくなるということはなさそうです(それでは仏さまです)。
私たちは人間ですから,「悩んだり」,「苦しんだり」して,当然です。
大切なのは「悩み」や「苦しみ」があっても、なんとか生きていくことではないでしょうか。
ごくたまにはいいことがあるかもしれません。
それが「幸せ」なのかもしれないです。
「幸せ」とは「悩み」や「苦しみ」が全くない状態ではなくて,それらがあっても,なんとか生きていくことなのかな,とも思います。
「悩み」や「苦しみ」とうまく付き合いながら,あまり焦らずに,ゆっくりいろいろと考えていきたいなと思います。 (2011?記)
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2020年12月の追記です
フロイトさんは、耐えがたい不幸を普通の不幸にするのが精神分析、といいました。
いいかえると、精神分析は不幸と付き合っていける力をもたらす方法なのかもしれません。 (2020.12 記)
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ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介
経歴 1954年、北海道函館市に生まれ、旭川市で育つ
1977年、ある四流私立大学文学部社会学科を卒業、浦和、新潟家庭裁判所などで家庭裁判所調査官として司法臨床に従事する
2014年、定年退職間際に放送大学大学院(臨床心理学プログラム・修士)を修了
2017年、臨床心理士になる
仕事 個人開業で、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを研究しています
学会 精神分析学会、遊戯療法学会会員
論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)ほか
住所 新潟市西区・北海道東川町(夏期)
mail yuwa0421family@gmail.com