おはようございます!
すこしずつ柔らかくなる空気に春の訪れを予感させられる今朝の@湘南地方です。
さて、今週に入り、コロナ関連でさまざまなイベントの中止や延期、規模縮小が報道されています。
他人事ではなく、当職も影響を受け始めております。
所属団体(日本弁理士会)から連絡があり、
委員会として主催予定だったセミナーの中止×1
講演予定だったセミナーの中止×3
出席予定だった研修の中止×1
それ以外でも、ショートピッチ予定していたイベントが1つ中止に。
“何もいまやらなくてもいいんじゃん?ほとぼり冷めてからで”という見方もあるので、仕方ないといえば仕方ない、のですが、
主催側の立場としては、この忙しい時期に万難お繰り合わせの上参加しようとしていただいていた方には申し訳ないです。
それでも、出口が見えない状況下にあっていたずらに拡散させる可能性のある行動をとるのは現状では適切ではない、
という考えです。
いつまでもこの状況ではない、と思います。
好転する材料がないと一気に悲観的なものの見方に流れるのがこの国の国民性な気もしていますが、
たぶんこういうときこそ「正しくおそれる」なんでしょうね。
今朝のニュースで「リスクコミュニケーション」?の専門家の方が
“多くの情報を発信すること。情報が枯渇すると良質な情報は生まれない。質は量から生まれる。”
といった趣旨のことをおっしゃっていました。
でも、その内容については疑問に思いました。
疫学的に「正しい」ことが、そうした「世論」で形成されるものなのでしょうか?
世論を形成する側のリテラシーが一定水準以上であるか、または「情報」が「事実」に置き換われば、
ある程度信ぴょう性は担保されるのではないかなと。
マスメディアもCGMも、「事実」と「立場」と「視点」と「私見」とがごっちゃまぜになって(場合によっては「立場」を意図的に隠して)垂れ流されているなか、
上述の国民性と群集心理で適切な解に辿りつけた事例が果たして存在するのでしょうか?
その意味で、クルーズ船の事案で専門家の医師がYoutubeで告発したことと、これを受けた別の専門家がFacebookで区々コメントしていたのは、良い傾向かな、と。
「専門家」は、自己の「立場」を明確にしたうえで発信するから情報の質が担保されています。
見方の異なる「専門家」が各々発信することで、何が共通認識で何について見方が分かれていてその理由が何かが見えてくるから、
有益な判断材料が提供されることになります。
有事の際のSNSの即時性の有益さはこれまでの災害でも証明されているところだけど、
有益な情報は常に顕名(=匿名じゃないということ)でされていた、ということは、よくよく肝に銘じたい。
そのことはSNSの特性を損なったりはしない。
“発言するなら立場を明確にして”というのが、とりわけこういうときのルールというかマナーではないかな、と思います。
本来ネットだろうがリアルだろうがそこは常にそうあるべきなのですが。
すこしずつ柔らかくなる空気に春の訪れを予感させられる今朝の@湘南地方です。
さて、今週に入り、コロナ関連でさまざまなイベントの中止や延期、規模縮小が報道されています。
他人事ではなく、当職も影響を受け始めております。
所属団体(日本弁理士会)から連絡があり、
委員会として主催予定だったセミナーの中止×1
講演予定だったセミナーの中止×3
出席予定だった研修の中止×1
それ以外でも、ショートピッチ予定していたイベントが1つ中止に。
“何もいまやらなくてもいいんじゃん?ほとぼり冷めてからで”という見方もあるので、仕方ないといえば仕方ない、のですが、
主催側の立場としては、この忙しい時期に万難お繰り合わせの上参加しようとしていただいていた方には申し訳ないです。
それでも、出口が見えない状況下にあっていたずらに拡散させる可能性のある行動をとるのは現状では適切ではない、
という考えです。
いつまでもこの状況ではない、と思います。
好転する材料がないと一気に悲観的なものの見方に流れるのがこの国の国民性な気もしていますが、
たぶんこういうときこそ「正しくおそれる」なんでしょうね。
今朝のニュースで「リスクコミュニケーション」?の専門家の方が
“多くの情報を発信すること。情報が枯渇すると良質な情報は生まれない。質は量から生まれる。”
といった趣旨のことをおっしゃっていました。
でも、その内容については疑問に思いました。
疫学的に「正しい」ことが、そうした「世論」で形成されるものなのでしょうか?
世論を形成する側のリテラシーが一定水準以上であるか、または「情報」が「事実」に置き換われば、
ある程度信ぴょう性は担保されるのではないかなと。
マスメディアもCGMも、「事実」と「立場」と「視点」と「私見」とがごっちゃまぜになって(場合によっては「立場」を意図的に隠して)垂れ流されているなか、
上述の国民性と群集心理で適切な解に辿りつけた事例が果たして存在するのでしょうか?
その意味で、クルーズ船の事案で専門家の医師がYoutubeで告発したことと、これを受けた別の専門家がFacebookで区々コメントしていたのは、良い傾向かな、と。
「専門家」は、自己の「立場」を明確にしたうえで発信するから情報の質が担保されています。
見方の異なる「専門家」が各々発信することで、何が共通認識で何について見方が分かれていてその理由が何かが見えてくるから、
有益な判断材料が提供されることになります。
有事の際のSNSの即時性の有益さはこれまでの災害でも証明されているところだけど、
有益な情報は常に顕名(=匿名じゃないということ)でされていた、ということは、よくよく肝に銘じたい。
そのことはSNSの特性を損なったりはしない。
“発言するなら立場を明確にして”というのが、とりわけこういうときのルールというかマナーではないかな、と思います。
本来ネットだろうがリアルだろうがそこは常にそうあるべきなのですが。