弁理士『三色眼鏡』の業務日誌     ~大海原編~

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【雑記】世界は自分が見たいように見える…のか?

2020年06月03日 08時25分32秒 | 趣味・その他諸々の雑記
おはようございます!
空気はムシ暑いですが良いお天気の@湘南地方です。

6月に入って3日。
緊急事態宣言が解除されて10日目。また感染者数が徐々に増えているとの報道もありますが果たしてどうなるか。
当方は、(もともと大きく生活シフトしたわけでもないですが)通常運転に戻っています。

さて、
子供のころから「好き嫌いせず食べなさい」と言われたもので。
小さいときは生野菜全般が苦手、特にトマトときゅうりが苦手だったなぁ。
給食の時間が終わってもお皿とにらめっこ、先生と根競べ、な日々。
ほんと、苦痛でしかなかった。

それが大人になると、不思議なもので食べられるように。
飲みに行っても冷やしトマトときゅうりのぬか漬けをアテに一杯やるのが好き。

こうなれたのも子供の頃のあのにらめっこの日々…なわけがない。
いろんな食経験をして、味覚の幅が広がって食べられるようになっただけのこと。
自分で選ぶ喜びと責任。

情報は、どうだろう?
出されたものを文句言わずに受け入れる…わけもない。
好きな本を読み、好きな映画を観て、好きな情報を自ら選んで取っている。
…「自ら選んで」?本当だろうか。
もともとの選択肢が偏ったものでしかなかったら?
どっちのお皿を選んでも同じメニューしかなかったら?

誰かのツイートに、
「ワイドショーばかり親が見て家庭が殺伐となるのでHuluとネットフリックスだけにしたら猫動画ばかりみるようになって平和になった」
なんて書いていた。
意識せずに歩いていると無理やり口の中に突っ込まれてしまうような情報がたくさんありすぎる。
歩く道も選んでいかないと、選ぶ自由があったことすら忘れてしまう。

自分で求める限りにおいて、情報は自分の求める秩序に従って入手することが可能になる。
視野狭窄に陥ると「自分の求める秩序」が世間と離れすぎて生きづらくもなってしまうが、
多様性の時代、ケアしなきゃいけない世間体もそう大きな存在でもない。

「世間」に合わせる必要はないけれど、社会の中で営みを続ける以上「隣人」と共通言語でコミュニケーションを取れる程度に
情報は仕入れておかなければいけない。
自分に見えている世界の姿は、実は他人とのやり取りの中でしか感じ取ることはできない、と思う。
(※ごく一部の、自然との対話によって自分の輪郭を感じることができる人を除いて。そういう方々を本当に尊敬している。)

色んな経験をして食の世界が広がったように、
他人のレコメンドに耳を傾けて、別の観点からの世界の眺め方を試してみることも、時には必要なのだな、と思う。
自分に見えている世界の姿も、別の人の目からは異なる姿で映っていることを確認できれば、
自分が世界にどう作用することで理想に近づけることができるか、を少しだけ早く知ることができるのだと思う。

まあ、だからといって好きでもないモノを無理やり口の中に突っ込まれるのはゴメンだけど。
コメント
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