おはようございます!
今日も良い天気!な@湘南地方です。
今日のBGMは、「Parachute Limit」 PSY・S (←懐かしい)
そんな懐かしいBGMを流しながら、懐かしい作業=英単語帳を見直したりしている。
「ターゲット1900」…これもまた懐かしい。
最低限の“筋トレ”というか、本当に何もしてないと本当に全て忘れそうな気がするので、
ごくたまにその気になった時だけやっている。
それで果たして効果があるのかは甚だ疑問だが、まあわずか10分やそこらで数百語浚えるからまあよいのかな、と。
で、これが面白いことに、
高校生の時に覚えるの苦労していた語は、この年になっても間違える。
頭の中にその語の意味する概念というかなんというか、がそもそも無いんだと思う。
結構意識して記憶しようとしないと頭にひっつかない、というか。
もちろん、お仕事の絡みで嫌が応にも覚えざるを得なくなった、
学生の頃には触れていなかったモノやコトに関する語は
大人になってからの行動や記憶に基づいて上書きされている。
要は、単語の難易の問題なのではなく、自分自身の「受け入れ態勢」というか「思考回路」の問題、ということか。
そうしてみると、語学力を高めていくために必要なのは語学の勉強だけじゃなく、実体験のバリエーションの拡張なのかな、とも思う。
語学のはなしとはちょっと離れるけど、
例えば今のお仕事で、特定の事案に関する書面を作成するとき、
私は先に骨組み(ロジック)を作って、パーツ毎にディテールを書いて、最後に全体を調整するのだけど、
同じ事案に対しては面白いくらい同じ骨組み(ロジック)をまずは構築する。
数年経って同じ事案に触れても、同じ。
まあ安定していると言えばその通りなのだが、ワンパターンといえばワンパターン。
成長してないのではないか…?と、うそ寒くなってしまうこともある。
ただそこで、新たな事実を「検討のまな板」の上に乗せると、途端に別のロジックが走る。
思うに、「装置」としての自分は結構リジッドで、
「環境」だったり「視野」だったりを変えてみることで変化したアウトプットを自ら確認することができる、
というのが実際のところなのではないか?
半ば諦観のようになってしまうけど、
人間なんて本質はそうそう変わらないもので、ただ時代や環境が変わったり、
自律性の無い生き方をしていることによるフィードバックに自らが毒されることで変わってしまったように見えるアウトプットをしてしまう、
それだけのことに過ぎないのかな、とも思う。
だからといって、成長すること、よりよく生きることを諦めてしまったら
それこそ「自律性の無い生き方」になってしまう。
その意味では、一生懸命成長しようと頑張って、ようやく「現状維持」ってくらいなのかもしれない。
“成長しないなぁ”と思っても、それは頑張って踏みとどまっていることの証なのかも。
うん、そう思うことにしよう。ポジティブ思考大事。
今日も良い天気!な@湘南地方です。
今日のBGMは、「Parachute Limit」 PSY・S (←懐かしい)
そんな懐かしいBGMを流しながら、懐かしい作業=英単語帳を見直したりしている。
「ターゲット1900」…これもまた懐かしい。
最低限の“筋トレ”というか、本当に何もしてないと本当に全て忘れそうな気がするので、
ごくたまにその気になった時だけやっている。
それで果たして効果があるのかは甚だ疑問だが、まあわずか10分やそこらで数百語浚えるからまあよいのかな、と。
で、これが面白いことに、
高校生の時に覚えるの苦労していた語は、この年になっても間違える。
頭の中にその語の意味する概念というかなんというか、がそもそも無いんだと思う。
結構意識して記憶しようとしないと頭にひっつかない、というか。
もちろん、お仕事の絡みで嫌が応にも覚えざるを得なくなった、
学生の頃には触れていなかったモノやコトに関する語は
大人になってからの行動や記憶に基づいて上書きされている。
要は、単語の難易の問題なのではなく、自分自身の「受け入れ態勢」というか「思考回路」の問題、ということか。
そうしてみると、語学力を高めていくために必要なのは語学の勉強だけじゃなく、実体験のバリエーションの拡張なのかな、とも思う。
語学のはなしとはちょっと離れるけど、
例えば今のお仕事で、特定の事案に関する書面を作成するとき、
私は先に骨組み(ロジック)を作って、パーツ毎にディテールを書いて、最後に全体を調整するのだけど、
同じ事案に対しては面白いくらい同じ骨組み(ロジック)をまずは構築する。
数年経って同じ事案に触れても、同じ。
まあ安定していると言えばその通りなのだが、ワンパターンといえばワンパターン。
成長してないのではないか…?と、うそ寒くなってしまうこともある。
ただそこで、新たな事実を「検討のまな板」の上に乗せると、途端に別のロジックが走る。
思うに、「装置」としての自分は結構リジッドで、
「環境」だったり「視野」だったりを変えてみることで変化したアウトプットを自ら確認することができる、
というのが実際のところなのではないか?
半ば諦観のようになってしまうけど、
人間なんて本質はそうそう変わらないもので、ただ時代や環境が変わったり、
自律性の無い生き方をしていることによるフィードバックに自らが毒されることで変わってしまったように見えるアウトプットをしてしまう、
それだけのことに過ぎないのかな、とも思う。
だからといって、成長すること、よりよく生きることを諦めてしまったら
それこそ「自律性の無い生き方」になってしまう。
その意味では、一生懸命成長しようと頑張って、ようやく「現状維持」ってくらいなのかもしれない。
“成長しないなぁ”と思っても、それは頑張って踏みとどまっていることの証なのかも。
うん、そう思うことにしよう。ポジティブ思考大事。