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『古事記』  多くの名を持つ大国主神(おおくにぬしのかみ)

2023-05-06 18:47:30 | 日本神話・神道・古事記・日本史

日本の最高神はアマテラスですが、はるか昔の出雲で最も尊いとされていたのは、出雲建国の立役者であったオオクニヌシでした。

「オオクニヌシ」には多くの異名があります。「大穴牟遅命(おおあなむちのみこと)」、
「葦原色許男命(あしはらしこおのみこと)」、「八千矛神(やちほこのかみ)」、

「宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)」、「大国玉神(おおくにたまのかみ」、

「大物主命(おおものぬしのみこと)」の6つがあります。

 

オオクニヌシは、なぜこんなに多くの別名があるのでしょうか。 オオクニヌシとは、大和朝廷に逆らった地方豪族の総称と考えられます。 オオクニヌシは妻子も事情に多く、この数は180柱といわれています。 このことから、現在は縁結びの神として祀られています。

オオクニヌシを祀る神社は全国に数多くあり、別名の神様はそれぞれ地方豪族だったのではないでしょうか。 結論はオオクニヌシと同じ神です。

 

 

 

『古事記』シリーズ

・『古事記』 いつ誰が何のためにつくった?
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/63163770c88394c3e87247bb83ca8bd8
・『古事記』のもとになった『帝紀』と『旧辞』
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0fca6d8a858f8a0b5fabb027c2064925
・『古事記』と『日本書紀』の違い
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/dca029e32e58761a110d75481ab848c4
・『古事記』 天地創造
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/820f1a76b6481b4c31bf7ea0e0eadc29
・『古事記』 日本の国生み
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/21dfc3018e715775fcdf96e570c9d804
・『古事記』 どのように日本は創られたのか? イザナギ・イザナミ神話
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1b3184a6a3c2e6fb2ee546704bac35df
・『古事記』 捨てられ流された水蛭子(ひるこ)のその後
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/bdb58f54db4f0d43e1d6a7c1b486227c
・『古事記』 イザナミが向かった黄泉の国
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/39838b21c2105a150193e2a5dffff796
・『古事記』 あらすじ概要
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/8cb9518edddf1b7c1e633e98668e29c1
・『古事記』 アニミズム と 八百万の神
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/9eac1238d018f1d753a3e733abf9957b
・『古事記』 イザナギはどのようにして黄泉国から脱出できたのか
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0bd8c4745ab2c63204a3ffa17aee5cda
★東北大学の名誉教授が語る 古代日本とユダヤの関係 
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/2ed82756d232597506c3c4d3834e86f2
・『古事記』 イザナギが嫌った「穢れ」とは?
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/554a6051c7786dea76ce36ecf84c34cf
・『古事記』 三貴子
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/c1c7f9f43d18dff92211379098d2ce19
・天つ神と国つ神の違い
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/b27ae97f052aadf3189e31318ac43272
・登場する神々の序列
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6595fb6893f4e073365e60db304c96c9
・『古事記』 アマテラス と スサノオの 誓約(うけい)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1399f09b2e3f5869dcf5f19d15442d58
・『古事記』天岩戸神話の闇とは
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/546c22964d3af34ddbf5387bc5dbab38
・『古事記』 巫女神楽のルーツ 天岩戸神話
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/b4f3d2a8251870667bc5a56899bdcc8c
『古事記』 スサノオは、なぜ暴れるのか?
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/d14da04d573a841b4095afecaa2d47b0

 

 


伊藤博文(いとうひろぶみ)

2023-05-06 15:53:03 | 日本政治・外交

 

 

どんな本を読んでも、すこぶる評判の悪い、日本最初の内閣総理大臣・伊藤博文。 伊藤は幼名利助、理介、利介、理介、利輔、俊介俊輔、大物を暗殺し、9回目に博文と変えた後、殺し屋を卒業したが人を使って暗殺。 最下層身分生まれの。卑怯な殺し屋の生涯。無類の下品な女好き。こんな人物が「大日本帝国」の「初代内閣総理大臣」だという。
さすがに、これは酷すぎて、真実味がないと思い、Wikiで伊藤博文の出自など調べてみた。


伊藤博文(1841-1909)
明治時代の日本の政治家、位階勲等爵位は従一位大勲位侯爵。
明治時代に4度にわたって内閣制度発足以降の内閣総理大臣(初代、5代、7代、10代)を務めたことで知られる。

 

諱(いみな)は、博文(ひろぶみ、「ハクブン」と読むこともある)。明治政府公文書には越智宿祢(おちのすくね)博文と署名した。 幼名は利助(りすけ)、後に吉田松陰から俊英の俊を与えられ、俊輔(しゅんんすけ)とし、さらに春輔(しゅんすけ)と改名した。

 

生い立ち

天保12年(1841年)9月2日、周防国熊毛郡束荷村字野尻(現・山口県光市束荷村字野尻)の百姓・林十蔵(のちに重蔵)の長男として生まれる。 母は、秋山長左衛門の長女・琴子。 

弘化5年(1846年)に破産した父が、萩へ単身赴任したため母とともに、母の実家へ預けられたが、嘉永2年(1819年)に父に呼び出され萩に移住した。

萩では久保五郎左衛門の塾に通い(同門に吉田稔麿)、家が貧しかったため、12歳ごろから父が長州藩の蔵元付中間・水井武兵衛の養子となり武兵衛が安政元年(1854年)に周防佐波郡相畑村の足軽・伊藤弥右衛門の養子となって伊藤直右衛門と改名したため、十蔵・博文父子も足軽となった。彼は一人っ子であり兄弟はいない(歴代内閣総理大臣としては他に三木武夫も一人っ子である)。

 

松下村塾入門

安政4年(1857年)2月、江戸湾整備のため相模に派遣されていたとき、上司として赴任してきた来原良藏と昵懇となり、祖の紹介で吉田松陰の松下村塾に入門する。 伊藤は友人の稔麿の世話になったが、身分が低いため塾の敷居をまたぐことは許されず、戸外で立ったままの聴講に甘んじていた。

明治維新

明治維新後は伊藤博文と改名し、長州閥の有力者として、英語に堪能なことを買われて参与、外国事務局判事、大蔵少輔兼民部少輔、初代兵庫県知事(官選)、初代後部卿、宮内卿など明治政府のさまざまな役職を歴任する。 

これには木戸孝允の後ろ盾があり、井上馨や大隈重信とともに改革を進めることを見込まれていたからであった。


女好き

女好きは当時から有名であり、女遊びの相手が掃いて捨てるほどいたことから「箒」(ほうき)という綽名(あだな)がついた。時には先述の明治天皇にすら「少し女遊びを控えてはどうか」と窘められたこともあるという。

地方に行った際には一流の芸者ではなく、二流三流の芸者をよく指名していたという。これは、伊藤の論理によると「その土地々々の一流の芸者は、地元の有力者が後ろ盾にいる。

そういう人間と揉め事を起こさないようにするには、一流ではない芸者を指名する必要がある」とのことであった。40度の高熱に浮かされているときでも両側に芸者2人をはべらせたという。



柳橋の16歳の芸者りょうを大正天皇の伯父・柳原前光と後落を争い、結果、前光が囲って産まれたのが柳原白蓮である。このような様を、宮武外骨は自身が発行する一連の新聞で、好色漢の代表格としてパロディの手法を使いたびたび取り上げた。

しかし実際は、伊藤にはそれほど多くの子どもはできなかった。衆議院議員松本剛明はその子孫の一人である。ちなみに日本で最初のカーセックスをした人物と言われる。

 

通称の変遷

当初は自身の曽祖父「利八郎」と「助左衛門」から「利」と「助」をとり「利助(りすけ)」と名づけられたが「としすけ」とも読み「としすけ」の音から「俊輔」とも書かれるようになり、そうなると今度は「しゅんすけ」と読まれることになり、その音から「春輔」とも表記され、こんどはそれが「しゅんぽ」と音読されたので、最終的に「春畝」をにしたものである。

wikiより引用

 

 

(関連情報)

何事も失敗の原因の本質は根拠なき楽観! 日本政治編
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/9babed52cad9d1e5f3969218268e7444

ロスチャイルド財閥-27 幕末・明治維新
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/2355a3b6e6b91eda6703f158d91a9b83




東レがミリングボールの耐摩耗性を大幅向上、イットリウムも不要に

2023-05-06 05:07:44 | 日本の企業・世界の企業、ビジネスマン、技術者


図2 ボールミリングの概要 ボール同士の衝突時に、材料が粉砕される(出所:東レ)


東レは2023年4月12日、積層セラミックコンデンサー(MLCC)や電池向け材料の粉末化に用いるボールミリング(またはメカニカルミリング)用酸化ジルコニウム(ZrO2)のミリングボール(以下、ジルコニアボール)の耐久性を向上させる量産技術を開発したと発表した(図1)。加えてこの新技術では、これまで結晶構造の安定化のために加えていたレアアースのイットリウム(Y)を使っていないため、材料の調達不安の心配がないという。

図1 東レが今回開発したジルコニアボール
直径は0.05mm(50μm)。水熱処理+分散試験を施した後のもの(写真:東レ)

市場シェア倍増でトップを目指す

開発品は2023年度初頭にサンプル提供を開始し、同年度末までには量産を始める計画。これまでも東レは、ジルコニアボールを「トレセラム」という名で製造、販売してきたが、今回のジルコニアボールでは、2030年に市場シェアを現状の2倍以上に伸ばしてシェア1位を狙うとする。市場全体の拡大も期待できることから、売上金額では、現状の数倍となる数十億円/年の達成が目標だ。

材料の粉砕に利用

 ボールミリングは材料を粉砕、そして粉末化する手法の1つ。容器の中に硬いボールと水、そして粉砕したい材料を入れ、容器を回転させるなどして中身を激しくかき回すことで、ボールと容器の壁、またはボール同士の衝突時に材料が粉砕される(図2)。

東レによれば、材料はボールの直径の約1000分の1に粉砕されるという。例えば、ボールの直径が0.1mmであれば、材料は、直径約100nmの粉末になる。

このボールミリングで粉末化する材料は例えば、MLCCの絶縁材料となるチタン酸バリウム(BaTiO3)や各種電池の電極材料、ディスプレーに用いるカラーフィルター向け顔料など。また、ベアリングなどミリング以外での用途もある。

 こうした用途では必然的に、ボールの耐久性の高さが大きなポイントになる。耐久性が低ければ、ボール表面が削れて、粉砕したい材料に不純物が混ざることになる上に、頻繁に交換しなければならず、材料加工のコストが上がってしまう。

東レによれば、今回のジルコニアボールは耐久性が大きく向上し、利用できる寿命が従来の数倍長いという。

イットリウムが不要に

 従来のトレセラムとの最大の違いは、ジルコニアボールの結晶構造の相転移を防ぐために、ZrO2に添加していた酸化イットリウム(Y2O3、イットリア)を使うのをやめ、代わりの安定化材料として、より一般的な材料の酸化セリウム(CeO2)、酸化マグネシウム(MgO)、酸化カルシウム(CaO)などにした点だ注1)

注1)これらのうち、どれにしたかは現時点では非公表。ただし、量産時には公表する方針だという。
 
ZrO2は造粒して、セ氏1500度前後で焼結した後、温度が下がるにつれて、結晶構造が正方晶から単斜晶へと相転移する性質がある(図3)。この際、体積が膨張するためクラックが入りやすい。しかも、単斜晶のZrO2は正方晶時に比べて耐摩耗性が低い。特に、セ氏60度以上の環境で水(H2O)に触れると耐摩耗性の低下が加速するという。

 
 
(a)温度とY2O3の添加量と結晶構造の関係      (b)単斜晶と正方晶
 
 

これまではY2O3を3mol%ほどZrO2に添加することでこの相転移を起こりにくくしていた。ところが、Y2O3のYはレアアースで産出国が限られ、安定的な調達に不安がある。エネルギー・金属鉱物資源機構(JOGMEC)による2018年の調査報告では、Y2O3の日本への輸入元の約9割が中国だ。

 東レはこの地政学リスクを低減するため、2年前から非レアアースベースの安定化材料を用いたジルコニアボールの開発を進めていたという。ところが、この代替材料は調達が比較的容易な一方で、H2Oなどへの反応性が高く熱にも弱く、凝集して“ダマ”になりやすいという課題があった。東レは詳細は非公開とするものの、造粒、焼結工程で同原料に適した製造条件の制御と生産管理を厳密にすることで課題を解決したとする。「これにはかなり苦労した。競合他社はまだ成功していないようだ」(東レ)。

耐摩耗性が大幅に向上

 レアアースを使わないこと以外の副産物も得られた。焼結温度が従来のセ氏1500度から同1250度で済むようになった上に、耐久性、特に耐摩耗性が大きく向上したことだ。

 後者についてより詳しく紹介すると、従来のジルコニアボールはオートクレーブ135℃×湿度100%(3気圧)の水熱処理をすると、単斜晶に変化する部分が次第に増え、累積50時間ほどで4割が単斜晶になってしまう。一方、新ジルコニアボールは、同じ時間でほとんど単斜晶化しなかった。

 さらに、実利用を想定した加速試験として、この水熱処理を48時間実施後、新ジルコニアで作製したビーズを用いたBaTiO3の粉砕処理を3時間続けた場合も、既存のジルコニアボールは3割弱が摩耗したのに対し、新ジルコニアボールの摩耗は5%前後にとどまった(図4注2)

†ビーズ=ミリング用ボールのうち、直径が小さいもの。この場合では、直径0.05mm。
注2)BaTiO3は処理前は直径約1μm。これを同80nmにまで粉砕した。
 
 
図4 耐摩耗性が大幅に向上 実利用を想定した劣化の加速試験の結果を示した(出所:東レ)
 

リサイクルが可能に

 この結果、材料に不純物が混ざる可能性が低くなり、上述のようにボールの利用寿命が従来の数倍になった。さらには、従来品では摩耗が進みすぎてできなかったボールのリサイクルも可能になったとする。

 具体的には、顧客から使用済みビーズを回収した後、表面を研磨して付着物などの汚れを除去し、洗浄、乾燥後、異物除去やサイズ調整などの分級をして再生し、顧客に再び届ける計画である。「お客様と連携して、2年以内には実現したい」(東レ)。

東レは既存のトレセラムをこの新ジルコニアボールに置き換えていく姿勢だが、当初は、摩耗が少ない“高品質品”という位置付けで、交換頻度が下がる一方で、必ずしも価格は安くならないもようだ。

「新ジルコニアボールの製造プロセスに一定の労力がかかる」(東レ)。ただ当初は、特別な新規投資は不要で、滋賀県の東レ滋賀事業場にある既存のトレセラムの工場で製造可能だとする。製造規模は当面は最大100トン超/年であるという。

日経 2023.04.13記事より引用

 

レアアースのY(イットリウム)を使わないのが良いですね。 さすが東レさん。


【都市伝説】明治維新の闇 4つの大事件・大問題

2023-05-06 03:30:30 | 日本政治・外交

Ⅰ 徳川十四代将軍家茂毒殺事件(慶応二年七月二十日)

Ⅱ 孝明天皇弑逆事件(慶応二年十二月二十五日)

Ⅲ 睦仁親王即位後、睦仁新天皇弑逆事件(慶応三年夏から秋)

Ⅳ 長州によって大室寅之祐が明治天皇にすり替えられた事件(慶応三年十二月まで)

これら重大事件の主役は長州藩と朝廷内部では岩倉具視とする説。

 

 

(関連情報)

蜷川新(にながわあらた)、1873-1959。 明治のはじめ徳川幕府旧幕臣の息子として生まれ、後に法学者となり、大正から昭和にかけて、精力的に学術、著述活動を展開した学者です。

蜷川新は、東大法学部卒、大学院で国際法専攻、ベルサイユ講和会議、ワシントン軍縮会議に、日本政府代表団の一人として参加しています。 その祖先は、室町時代の政所(まんどころ)代を代々務めた蜷川新右衛門という名門です。


孝明天皇の暗殺は、明治維新(大英帝国の東アジア戦略に便乗した、下層階級による革命)ですから、日本の歴史家としても見逃すことができないものですが、明治以降、昭和の日米戦争の敗戦まで、伊藤博文ら長州によって日本の史学アカデミーは研究の自由を奪われていました。


だから長州の田布施町という寒村から総理大臣が8人も排出されているのです。 伊藤と同じ田布施町出身の、岸信介、その弟佐藤栄作、岸の娘を貰った安部家が、英(ロスチャイルド財閥)、

米(ロックフェラー財閥)の下僕となり、その見返りに、日本での権力を与えてくれていたのです。 しかし、調子こいて、英米を敵に回し、日本という国は本当に壊滅され無くなってしまう危機を迎えていたのです。

1945年(昭和20年)8月の日米戦争での敗戦により、日本の言論状況は少ししづつ緩やかになりました。英米・ユダヤについては言論統制があるものの、明治維新・長州については自由とまではいわないものの明治維新の闇についても言論活動ができるようになりました。 日米戦争は米・英連合軍vs満州国(長州勢がつくった)との戦いで、敵でしたからね。

慶応大学の武田教授(明治天皇の玄孫)も動画で語っているように、明治維新、特に孝明天皇に関しては徹底した情報統制・隠蔽が行われ、

国会図書館で情報収集しようにも、他の天皇に関する情報は腐るほどでてくるのに、孝明天皇に関しては情報は完全に隠蔽されてきたのです。

長州・明治国家にとっては、よほど都合が悪かったのでしょうw

人気シリーズ、伝説の第一回目を全公開!①竹田恒泰の幕末・孝明天皇論1~封印された天皇1/6(平成27年10月9日収録)
https://www.youtube.com/watch?v=wyzUbrniiv0


そして、何人かの著述家が続いて孝明天皇・父子弑逆事件を取り上げれるようになりました。
蜷川新はその一人で、日本の敗戦・独立回復(サンフランシスコ条約)後は、旧幕臣の立場から明治維新の真相を解明する発言を開始していますが、何せ今日の日本政界も流れとして、薩長のインチキ勢力が牛耳っているので。まだまだ情報統制・隠蔽されています。 

安倍政権での公文書改ざんとか今日の先進国では、ありえないような事がまだ起こっている事を、日本国民は認識する必要があります。

孝明天皇弑逆は、その直前の徳川将軍・家茂の毒殺と、表裏一体です。 『徳川慶喜』全六巻、『明治天皇』全六巻を書いた山岡荘八は、『明治維新と日本人』の中で、次のように述べていると言います。


将軍・徳川家茂の死因

私(山岡荘八)が調べた所によると、(家茂が)息をひきとるとき、御小姓組番頭で、蜷川相模守(いまの京都府知事の祖父にあたる)が一人そばについてきた。 この人が漏らしているだけで、あとは極秘になっていて、ただ病気で亡くなられたということになってはいるが、将軍は亡くなった7月20日の四、五日くらい前に風気味でふせっていた。 

そこへ「宮中からさし回された」といって医者が訪ねて来た。 名前ははっきりしていない。孝明天皇と将軍とは和宮さまが降下されてから非常に仲が良かった訳だから、なにも疑わなかった。その医者を居間に通した。

脈を診て、「いやたいしたことはありません。 ではこの薬を召し上がってください」といって、薬を調合して置いて帰った。 それを飲んで、それから三、四日目に亡くなっているわけである。

将軍の胸のあたりに紫の斑点が出て大変苦しがって、その蜷川という御小姓組番頭に首が折れるほどしがみついたまま息を引き取った。 この蜷川相模守という人は、五千石の旗本であるが、この人がずっと遺体に付き添って江戸まで持って帰っている。 (鹿島昇著『日本侵略興亡史、383-4頁』)

 

 

国際法学者蜷川新の告発 「維新史にこれだけのウソがある」

将軍家茂の内室は、天皇孝明の妹和宮である。 すなわち義兄弟である。 この二人は仲が良かったことは事実である。 この二人がこうして固く協調している限り、「尊王攘夷」派は策の施す余地がなくなってしまう。 

彼らの一切の計画は壊滅する。 策士などは本来誠実の人ではない。」いずれの時代においても策士の心事は常に陰険極まるものである。 それであるから、薩長および公卿の策士たちが当年の政治上の二人の頭首すなわち、天皇と将軍を除こうと策謀したのは必然の帰結である。

(「維新史にこれだけのウソがある」蜷川新、『日本侵略興亡史』所収、384頁)

 

これについては、武田教授も同じことを動画で言っていましたね。

人気シリーズ、伝説の第一回目を全公開!①竹田恒泰の幕末・孝明天皇論1~封印された天皇1/6(平成27年10月9日収録)
https://www.youtube.com/watch?v=wyzUbrniiv0

【竹田学校】歴史・江戸時代編⑫~暗殺された孝明天皇~|竹田恒泰チャンネル2
https://www.youtube.com/watch?v=x4hQREPTpyg

 

田布施の闇

田布施とは、山口県の人口約1万6000人の町。安倍晋三首相の祖父・岸信介や大叔父・佐藤栄作の両元首相らを輩出した土地だが、「この小さな町が日本を支配する」という説がまことしやかに囁かれている。『陰謀論の正体!』の著者・田中聡氏が解説する。

 「明治維新後、田布施近隣出身の伊藤博文、木戸孝允、松岡洋右らが政府の要人となり、日本を牛耳っているという説で、『田布施システム』と総称されます。

 この説の基盤になっているのが『明治天皇替え玉説』で、明治天皇の即位の裏には、幕末に伊藤博文らによって孝明天皇が暗殺され、当時の周防国熊毛郡田布施村に住んでいた大室寅之祐という人物が替え玉になり明治天皇として即位したという話です。この田布施システムによって、現在の安倍首相も政権を維持しているというものです」

 

 

 

 

(おまけ)

何事も失敗の原因の本質は根拠なき楽観! 日本政治編
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/9babed52cad9d1e5f3969218268e7444

明治維新の闇 孝明天皇の暗殺説
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/07b3ee3858ca78d9f5fad1d8bfcde27d

将軍・家茂暗殺を目撃していた蜷川相模守
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fbe1bdbdcd2f0b065c32ddcb614a5b6c

何事も失敗の原因の本質は根拠ない楽観! ペテン儲け話編
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/3eb054314256b5c4f26a0012eefa502b

 

 

何か、都市伝説だと思えないんですけどね。 竹田教授がいわれるように、なんで情報を隠蔽する必要があるんでしょうね。国会図書館でも他の天皇の情報は腐るほど多く出てくるのに、孝明天皇と明治天皇の出自に関しては情報がほぼシャットアウト。

若者よ、真実を研究して明らかにしてください!