現在使われている電波と比較して高速・大容量・低遅延の通信が可能なうえ、国際的な周波数調整が不要、秘匿性が高いなど多くのメリットを持つ光衛星通信の、本格的な実用化に向けた大規模な実証実験が始まった。
2023年4月2日、米国防総省(DoD)の宇宙開発局(SDA:Space Development Agency)は、計画中の軍事用低軌道衛星コンステレーション「Proliferated Warfighter Space Architecture(PWSA)」*1を構成する最初の衛星の打ち上げに成功した(図1)。
図1 最初の衛星の打ち上げに成功
2023年4月2日、「Proliferated Warfighter Space Architecture(PWSA)」を構成する最初の衛星10機が、SpaceXのロケット「Falcon9」で打ち上げられた(出所:SpaceX、Space Development Agency)
*1 これまでProliferated Warfighter Space Architectureは、「NDSA(National Defense Space Architecture:国家防衛宇宙体系)」と呼ばれていたが、SDAが2023年1月にその名称を変更した。
今回打ち上げたのは、「Tranche(トランシェ)0」と呼ばれるSDAが策定した最初の独自標準に準拠した10機の衛星である。PWSAは役割に応じて7つの層で構成される。10機のうち、8機がデータを運搬する「Transport Layer(トランスポートレイヤー)」、2機がミサイル発射の探知と追尾を行う「Tracking Layer(トラッキングレイヤー)」の衛星である。今回、前者は米York Space Systems(ヨーク・スペース・システムズ)、後者は米SpaceX(スペースX)が開発した。
PWSAは低軌道に光衛星通信による高速かつ抗たん性(軍事施設が敵の攻撃に耐えてその機能を維持する能力)が高いネットワークを構築し、陸・海・空に展開する部隊に通信機能を提供する壮大な構想だ。その大きな目的の1つが、ロシアによるウクライナ侵攻で実戦において初めて使われたとされる極超音速ミサイルなど、極超音速兵器の探知・追尾だ。
極超音速兵器は、放物線を描くこれまでの弾道ミサイルと異なり、低空を超高速かつ変則的な軌道で飛ぶ(図2)。弾道ミサイルの場合、高度3万6000kmの静止軌道を周回する早期警戒衛星で、発射地点と初速、方向を探知できれば着弾点が計算できた。しかし、新型ミサイルの場合は、距離が遠い静止軌道からでは、その軌道を正確に捉えることは難しい。そこで低軌道を周回する衛星コンステレーションで極超音速ミサイルを探知・追尾し、即座に情報を地上に送ることを目指す。
PWSAではトラッキングレイヤーで探知・追尾したミサイルの情報を、メッシュネットワークを組んだトランスポートレイヤーの衛星を経由して、即座に地上や艦艇などのミサイル撃墜システムに送る(図3)。これを実現するためにも、電波と比べて桁違いとなる「ギガクラス(数Gbps以上)」のスループットを実現でき、秘匿性が高い光衛星通信が必須というわけだ。
図3 トランスポートレイヤーのイメージ
低軌道で光衛星通信によるメッシュネットワークを組み、トラッキングレイヤーの衛星が取得した情報を高速に伝送して地上などに下ろす。トランスポートレイヤー衛星には、光衛星通信端末を4~5台搭載する(出所:SpaceX、Space Development Agency)
PWSAは最終的に1000機以上の衛星コンステレーションによる大規模な構想であるため、SDAでは規格をアップデートしながら段階的に進める。実証フェーズのトランシェ0では、最終的に20機のトランスポートレイヤー衛星、そして8機のトラッキングレイヤー衛星を高度約1000kmの異なる軌道面に配備する。2回目の打ち上げを、2023年6月に予定している。
トランシェ0で実証を終えた後、2024年後半以降に「トランシェ1」の規格に準拠した衛星群で実運用を開始する。トランシェ1は126機のトランスポートレイヤー衛星と35機のトラッキングレイヤー衛星などで構成する(図4)。
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さらにSDAは2023年3月1日に「トランシェ2」規格の草案を発表し、衛星の選定プロセスを開始した。トランシェ2は通信速度をより高めるというよりも、運用上の安定性向上などに主眼を置いているようだ。
「国防という確固たるニーズから本格的な実用化に向けた動きが始まった」。日本の宇宙系スタートアップであるワープスペース(茨城県つくば市)代表取締役CEO(最高経営責任者)の東宏充氏は、開発の歴史は長いものの、これまでは実証や限定的な用途にとどまっていた光衛星通信が、SDAによる1兆円を超えるとみられる大規模な予算とスピード感のある開発によって大きな変化点を迎えていると話す。
ちなみに同社は、低軌道の衛星と光衛星通信をする中継衛星3機を高度約2000kmの地球中軌道に配備し、そこから電波で地上にデータを下ろす伝送サービスを開発中である。
欧州がマルチユースの通信衛星コンステ
SDAのPWSAと比較すると遅れは否めないが、欧州や日本でも光衛星通信の本格的な実証プログラムが始まった。
欧州連合(EU)は2023年2月14日、欧州独自の通信用衛星コンステレーションの構築計画「IRIS2」を認可した(図5)。EU向けに安全で回復力があるブロードバンド通信を提供するのが狙いで、防衛のみならず、政府(災害対応など)、民間ビジネスでのマルチユースを目指す。2027年のフルサービス開始を目指す。総予算は24億ユーロ(約3600億円)である。
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IRIS2は、複数の軌道を周回する衛星をネットワーク接続したコンステレーションである。2025年から2027年の間に、低軌道に最大170機の通信衛星を打ち上げ、その後、中軌道や静止軌道にも同様の衛星を打ち上げる。
「IRIS2はテクノロジーフォロアーではなくセッターである」。EUの政策執行機関である欧州委員会(EC)は、IRIS2についてこう記した。具体的には量子暗号通信や複数軌道のネットワーク接続などの先端技術を採用するという。
実は光衛星通信の採用については現時点では明言されていないが、高速で量子暗号通信が使えるネットワークを構成することから、業界関係者は光衛星通信を採用するとみている。光衛星通信の端末開発で世界をリードするメーカーの1つであるドイツのマイナリックは、IRIS2計画を歓迎するプレスリリースを出している。
日本は29年度までに実証
一方日本では、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が主導する「経済安全保障重要技術育成プログラム(K Program)」において「光通信等の衛星コンステレーション基盤技術の開発・実証」プログラムが2023年3月27日にスタートした。
NTTとスカパーJSATの合弁会社であるSpace Compass(東京・千代田)、NEC、宇宙系スタートアップのアクセルスペース(東京・中央)、情報通信研究機構(NICT)の共同チームが公募を通じて選ばれた。プログラムは2029年度までの最大8年間で、予算は最大600億円である。
K Programは、中長期的に日本が国際社会において確固たる地位を確保し続けるうえで不可欠な要素となる先端的な重要技術について、民生利用のみならず公的利用につながる研究開発や成果の活用を推進するもの。欧州と同様、政府、防衛、民間のマルチユースを目指している。
同プログラムでは、2024年度までに光衛星通信の端末を搭載した2機の衛星を同一軌道面に打ち上げ、光リンクなど要素技術の実証に着手する。さらに2026年度から2027年度にかけて10機程度の光衛星通信の実証衛星を打ち上げて衛星間の光通信機能・性能を実証する。そして、2029年までに複数の軌道面に地球観測衛星を含む複数の光通信衛星を配備し、日本近傍で光衛星通信ネットワークシステム としての機能・性能を検証するという(図6)。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/3f/35c5209be172a386a662a23f81516d0c.jpg)
4者の主な役割分担はSpace Compassがオペレーターとして全体を取りまとめ、NECが300~400kg級の中型光通信衛星、アクセルスペースが200kg級の小型光通信衛星や光学観測衛星を開発する。NICTはネットワーク技術を提供する。
通信速度の目標値は、同一軌道面内の衛星間で通信可能距離が4000kmの場合に2G~5Gbps以上、異なる軌道面で同距離の場合に2Gbps以上である(図7)。ちなみに通信可能距離はコンステレーションを構成する衛星の機数などに依存する。
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技術課題は山積
「光衛星通信は接続が難しい技術。実現に向けた課題は多い」。アクセルスペース取締役CSO(最高戦略責任者)の太田祥宏氏はこう言う。実際、光衛星通信では驚くほどの高精度が求められる。数百~数千km離れた距離にある衛星が搭載する直径10cm以下の光アンテナ(望遠鏡)の窓に、正確にレーザー光を当てる必要がある。
光衛星通信端末は、光アンテナ、粗捕捉追尾機構、精捕捉追尾機構などを含む内部光学系、光送受信系、制御装置などで構成される(図8)。まず、粗捕捉追尾機構で通信をしたい相手の衛星の光アンテナの窓を捕捉追尾し、内部光学系と同軸にある精捕捉追尾機構でロックオンをして送受信する。ところが、低軌道の場合は静止軌道などより衛星が速く動くうえ、異なる軌道面同士では相対速度が生じるので難易度が高い。
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「技術開発が難しい点として、恐らく異論がないのは、低軌道間の異なる軌道面同士での追尾・接続の維持。距離が数百km以上離れ、かつ相対速度があってお互いの位置が変わる中でジンバルを制御して光アンテナの窓にレーザー光を正確に当て続けなくてはいけない」(太田氏)。もし、接続が途切れたら次に接近してくる衛星と即座に接続を確立するなど自律的なネットワーク制御が重要になる。
実は低軌道の衛星同士が光衛星通信に成功した実証例はあまりなく、例えばDoD傘下の国防高等研究計画局(DARPA)は2022年に、低軌道衛星コンステレーション「Blackjack」プロジェクトで成功したと発表している。
大きな技術課題は他にもある。NEC航空宇宙・防衛ソリューション事業部門主席スペースICTエバンジェリストの三好弘晃氏は「SDAが採用して、関係者の多くがデファクトスタンダードになったと見ている1.55μm帯の赤外半導体レーザーは出力が低いという課題がある。ファイバーアンプを使った増幅器で出力を大幅に引き上げる必要がある。しかし、現状、ファイバーアンプは宇宙用の部品が1つもなく、研究開発をしなければならない」と指摘する。
1.55μm帯の赤外半導体レーザーは、地上の光通信で一般的に使われている。地上の場合はレーザー光を増幅する中継装置を置けるが、宇宙ではそれができない。SDAのPWSAにおける技術詳細は不明だが、数千km以上の距離を飛ばすためには、宇宙で使えるファイバーアンプ増幅器の技術開発が必要だ。「この分野では、NECが世界をリードしている」(三好氏)という。
日経記事 2023.05.22より引用