英国と米国が支那市場を巡ってつばぜりあいを続けていたことを述べてきました。
また、米国は東アジアへの航海日数が、英国に比べ不利でありましたが、カリフォルニアの取得により格段に縮まる可能性が出てきて、太平洋ハイウェイ構想を米国に理解させたのが、英国ロスチャイルドの代理人であるアーロン・パーマーという人物であったも紹介してきました。
そのパーマーが太平洋ハイウェイ構想実現のためには、日本をか帰国させ、米国蒸気船のための石炭補給や船体修理、あるいは嵐の際の避難港を提供させようとしていました。 パーマーはこの日本開国事業をスタートさせるためには、政治家や国民世論に受けやすい米国捕鯨船乗組員の保護を謳うことが得策だと考えました。
そのために、日本は哀れな漂流民を虐待する非人道的な国であると訴えました。 日本開国事業が具体的に動き始めた、ペリー艦隊が日本に派遣されますが、何故、ペリーが選ばれたのでしょうか。
日本鎖国政策をよく知っていたアーロン・パーマーは、日本の開国のためには軍事力による威嚇が必要になる可能性も示唆した開国提案書に改訂します。
彼の改訂日本開国提案書は、実質「対日戦争計画書」でした。 従って、日本を開国させるために事業は軍事行動になったのです。 そうなると、開国事業の指揮官は、軍人でなくてはなりません。
パーマーは、ある人物を想定していました。それが日本人なら誰もが知っている、黒船を率いてやってきた、マシュー・ペリーでした。
何故、ペリーは提督として抜擢されたのでしょうか。 そこには日本開国計画を立案したアーロン・パーマーとペリー提督をつなぐ深い人脈がありました。 パーマーは、英国ロスチャイルド家の銀行、N・M・ロスチャイルド&サンズのエージェントであったことを紹介しました。
N・M・ロスチャイルド&サンズは、パ-マーの他に、もう一人のエージェントを雇っていました。 それが、オーガスト・ベルモントです。ベルモントは、ドイツ・フランクフルト郊外で生まれたユダヤ人です。1813年生まれのベルモントは、フランクフルトのロスチャイルド家に奉公し、文字通りの叩き上げで、同家の幹部に出世しました。
1837年、英国ロスチャイルドのN・M・ロスチャイルド&サンズの代理店であった、JL&S.ジョセフ・カンパニーが破綻します。フランクフルト・ロスチャイルド家も米国に投資していたため、その残務処理に、オーガスト・ベルモントをニューヨークに派遣しました。
ベルモントには、その作業を終え次第、キューバのバハナ行きが命じられていました。フランクフルト・ロスチャイルド家は、キューバの砂糖事業にも大きな投資をしていました。
ところが、ベルモントは米国内での仕事を終えても、バハナに移行つぃませんでした。 彼はこれからの米国の発展を肌で感じていました。この国でのファイナンス事業に大きな将来性を感じて独立を決意したのです。
フランクフルト・ロスチャイルド家は、「悪党、ろくでなし、奴には首輪をつけておくべきだった」と、この背信行為を激しく非難しました。
しかし、捨てる神あれば拾う神ありで、ロンドンのロスチャイルド家のN・M・ロスチャイルド&サンズが、ベルモントを米国代理人として雇いました。 このような経緯でN・M・ロスチャイルド&サンズの代理人となったベルモントは、日本開国計画を企画したアーロン・パーマーと同僚になります。
ロスチャイルド家のファイナンスのやり方を熟知してベルモントは、、わずか3年で、当時ニューヨークで最も裕福な40人の富豪に成り上っています。
ニューヨークの大富豪になったベルモントは、ニューヨーク・ブロードウェイのナイトスポットである、ニプロ・ガーデン劇場で、ある男とのいざこざに巻き込まれます。 にプロ・ガーデンヘイワードに女性への侮辱を注意したベルモントと口論になりました。 二人は、当時の紳士としてケジメをつけるために、1841年8月25日、メリーランド州セシル郡にある小高い丘グレイスヒルで決闘します。
この決闘で銃弾を受けたベルモントは、障害足の不自由な生活を強いられますが、ヘイワードが侮辱したのが、キャロライン・ペリーという女性です。 この事件をきっかけに、ベルモントとキャロラインは1849年に結婚。
この年は、アーロン・パーマーが「対日戦争計画書」をクレイトン国務長官に提出した年でした。キャロラインは当時の社交界でも評判の美女でした。 彼女の父こそが、後に黒船で日本のやってきて開国を迫った、マシュー・ペリーです。
マシュー・ペリーは米墨(米・メキシコ)戦争で、戦艦ミシシッピ号の艦長として活躍した海軍の高官でした。ベルモントとキャロラインが結婚した1849年当時は、ニューヨーク・ブルックリンにあった海軍工廠のトップでした。
アーロン・パーマーと同時に英国ロスチャイルドのN・M・ロスチャイルド&サンズの米国代理人であったオーガスト・ベルモント。 そのベルモントの結婚相手がキャロライン・ペリー。 キャロラインの父が海軍の高官マシュー・ペリー。
そしてその頃のパーマーは、日本を愛軍力を使って開国させることを米国に説いていました。 ここに、ペリーが日本開国に航行してくる背後の人脈が見えてきます。 パーマーは早い時期から対日開国交渉のトップに、マシューペリーを考えていました。
パーマーは開国プロジェクトの指揮官が決まる前の1849年からプロジェクトが決定する1952年の間に、ペリーと何度も会っており、日本開国プロジェクトを説明したことを明かしています。
そして、ペリー提督が黒船に乗って日本に来航し、開国を迫ったのが、1853年。 受験生は、「いやでござんすペリーさん」で年号を覚えましょう。
続く。
日本開国 ペリー来航の真実 ここまでのまとめ
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