・ロスチャイルド財閥-295 ロスチャイルドという名前のために
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/a473edb118dfc0d6ef24d0edb3ffb439
からの続き
第二次世界大戦が終わって、ナチス・ドイツのユダヤ人に対する 「最終決着」 の恐るべき迫害の実態が白日の下にさらされると、生き残ったヨーロッパのユダヤ人は制止を振り切って、一斉にパレスチナに向かいました。
まるで幼くして生き別れた母親のもとに走っていくように。
世界の中で、あまりに悲劇的な現実の前に、もはや正面切って『シオニズム』に反対できる人はいなかったのです。
1947年11月29日、ニューヨークの国連本部でパレスチナ分割案が採択され、それから6ケ月後にイスラエルは建国を宣言しました。
それは、アラブ諸国との血みどろの戦い(第一次中東戦争、パレスチナ戦争ともいいます)の最中の事で、多難な将来を予感させる船出でした。
しかしながらユダヤ人にとっては1900余年の民族離散の苦しみの末にようやく手中にした祖国でした。
ロスチャイルド一族もそれぞれに新しいユダヤ人の国を訪れ、独立が達成されたことで、その貢献が見直されて『祖国の父』と呼ばれるようになったエドモンの先駆的な植民事業の場所に足を運びました。
エドモンは、1934年に亡くなりましたが、その遺体は妻の遺体と共に1954年にフランスから再興なったユダヤの国に運ばれ、地中海を見下ろすラマト・ハナディーヴの洞窟に埋葬されました。
3年後、エドモンの長男ジェームズ・ド・ロスチャイルド(1878~1957)が1600万イスラエル・ポンドを国会議事堂(クネセト)の建設費に当てるようにと遺言を残して亡くなりました。
その意思が守られて、新生イスラエルのクネセトがエルサレムの丘にさっそく建設されました。
その妻ドロシーは、ハナディーヴ財団を設けて、生まれて間もないひ弱なイスラエルにロスチャイルド家の潤沢な資金を注ぎ込みました。
それはヘブライ大学の建設維持、教育テレビの開設から芸術文化、病院施設、老人病対策、さらには畜産振興に至るまで、あらゆる分野に及びました。
ロスチャイルド家の多面にわたる慈善活動は続いており、ハナディーヴ財団はエルサレムの最高裁判所の建物(1992年)をそっくり寄付しました。
パリ・ロスチャイルド家の一員であるクラシック・バレエ・ダンサーのベサベ(1914~)はイスラエルに移住してバレエ学校を創設。また、バレエ団を率いて各国を公演して世界的に知られています。
慈善というよりは事業のためにイスラエルに乗り込んだのは、エドモンの孫のエドモン・アドルフ(1926~1997)で、イスラエル・ゼネラル銀行を設立し、原油をアカバ湾から地中海沿岸へ運ぶためのピぷラインやホテル、ゴルフ場を建設しました。
このような事業は、イスラエル首相だった故ベン・ぐリオンと話しあった末のことだったといわれています。
戦争に次ぐ戦争、膨大な軍事費のため止まることを知らないインフレのためにビジネスとしては散々な目に会いましたが、イスラエルの基盤整備には大いに役立ちました。
第三次中東戦争(1976年)のときには、パリ家のいとこのアランとともにイラスエルで銃を握りました。
イスラエルにはエドモン男爵が独立前に創設した企業が成長して、セメント会社やブドウ酒醸造販売会として発展しており、エドモン・アドルフが創設した会社群とともにロスチャイルド家の存在は大きなものがありました。
地中海に面したテルアビブには、ロスチャイルド通りと名付けられた通りがあります。
ロンドン・ロスチャイルド家のヴィクター(第三代ロスチャイルド卿)は、新生イスラエルの諜報機関モサドの創設にかかわったとされていますが、諜報世界の真相を確認することは至難です。
第二次大戦中からイギリスの諜報機関との関係を深め、自らスパイ尋問を行ったこともあるヴィクターは戦後、密かに私的諜報機関を作って中東、さらには中国情勢を探っていたとうから、なんらかのつながりがあったとしても不思議ではありません。
斯うした諜報活動の前歴から、ヴィクターについては何度か「ソ連のスパイだった」との報道が行われ、1986年12月には、サッチャー首相がわざわざ声明を出して噂を否定する騒ぎがありました。
ユダヤ人の代表格であるロスチャイルド家の当主は、それぞれの国のユダヤ人協会のトップに推されており、当然のことながらスラエルが誕生してからは、密接なかかわりを持って政治的にも陰に陽に支援しています。
各国とイスラエルの関係が紛糾するようなときには、その人脈tと影響力を駆使して、調整役として奔走しています。
(関連情報)
・ロスチャイルド財閥-280 ユダヤ人差別という宿命https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/ebb8c4fc7c78defcb59d4ea79147bf59
・ロスチャイルド財閥ー281 タルムードとオッペンハイム銀行https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/c916730cb1ef112bbce34c1aa888bfb7
・ロスチャイルド財閥-282 ディアスポラの歴史 そしてキリスト教の教父アウグスティヌス
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・ロスチャイルド財閥-291 国際連盟https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/e28f09215098cfde353dc9cd85036f88
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https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/a473edb118dfc0d6ef24d0edb3ffb439
・ロスチャイルド財閥ー296 イスラエルへの支援https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/f0e2b5c41f30e712829498a5b2fb3b50