この記事の3つのポイント
- 日立製作所は2023年4月に役員報酬改革を実行
- 海外競合の株価と比較し報酬額が増減する仕組みを導入
- グローバル競争で勝つべく海外投資家と目線合わせる
山本高稔・日立製作所報酬委員会委員長
野村総合研究所を経て、1989年モルガン・スタンレー証券(現三菱UFJモルガン・スタンレー証券)入社、99年マネージングディレクター兼副会長。2005年UBS証券マネージングディレクター兼副会長。09年カシオ計算機常務取締役。16年から日立製作所社外取締役、22年6月から報酬委員会委員長(写真:日立製作所提供)
「賃金が安いニッポン」を変えるには、企業トップ層の報酬も見直す必要がある。ただ、やみくもな引き上げではなく、投資家にも従業員にも納得してもらえる体系はどう構築すればいいのか。
UBS証券の元副会長で日立製作所の報酬委員長を務める山本高稔氏(社外取締役)に、いかなる観点で変革しているのか聞いた。
多くの日本企業が役員報酬を見直す中、「報酬委員会」の重要性が増しています。
山本高稔・日立製作所報酬委員会委員長(以下、山本氏):2016年に日立の社外取締役に就任してから7年経ちますが、報酬委員長になる前とその後では風景が全く異なります。
22年6月から報酬委員会の委員長となり、それまで日本企業に対して抱いてきた課題意識に基づき、具体的な改革案を提示できるようになりました。まず透明性、客観性、公平性という3点が前提です。
その上で大事なのは、ステークホルダーと目線を合わせながら、いかに企業価値向上へのインセンティブとして役員報酬を設計できるかということです。
株価と連動する役員報酬部分について、シーメンスなど海外の競合10社とも比較するように変更しました。狙いを教えてください。
山本氏:2023年4月に執行役の報酬改革を実行し、新たな方式の導入には投資家の方々から高い関心が集まっています。日立の役員報酬は固定報酬、STI(年次賞与に当たる短期インセンティブ)、LTI(中長期インセンティブ)という3段階の構成です。LTIは譲渡制限付きの株式報酬で、従来はその50%相当が「在任を条件とする報酬」と定義しており、残りの50%が「株価連動部分」でした。
具体的には、東証株価指数(TOPIX)と自社の株価との比較によって決めていました。今回はまずLTIの内訳として、株価連動部分を70%へと引き上げました。
そして自社の株価の比較対象について、TOPIXだけというのは明らかにガラパゴス型の評価でした。日立が上場しているのは日本ですが、株主は世界中にいます。国際的な投資家に、長く一緒に歩んでもらえる体系を考えねばなりません。
昔なら日本市場の存在感が大きかったので、彼らもグローバルな株式ポートフォリオの中で日本の電機銘柄を3割ほど組み込んで運用していました。
しかし、現在は様相が異なっています。例えば韓国のサムスン電子、日立、仏シュナイダー・エレクトリックのいずれを組み入れ、どの銘柄をショート(売りポジション)にするかなどと、あくまで世界の企業群の中で日本企業を捉えています。
国際的な投資家の目線に合わせ、株価連動の報酬のうち半分は、グローバルピア(国際的な競合相手)と呼ばれる企業群と比べることにしたのです。この方式を社内で議論する過程で、過去10年分の株価パフォーマンスを検証しました。
もし海外競合企業の株価が日立とは全く異なるボラティリティー(変動率)を示すなら、不確実性が大きすぎて参照先として不適切かもしれませんから。しかし、海外競合の株価推移にも違和感はないとの結論が出ました。そこで「不合理に報酬の変動リスクが高まる方式ではないので、いかがでしょう」という報酬委員会からの提案になったのです。
ー報酬体系は、役員の行動原理に深く関わります。動機付けとして、国際的な視点が強化されたのでしょうか。
山本氏:報酬体系を国際的な投資家目線に合わせるのと同時に、もう1つ大事なことがあります。経営幹部にとって「自分たちの意識している海外企業が、株価参照先の中に入っている」ということです。
つまり、自分たちの報酬体系の一部分に入っているという事実です。そういった会社が具体的にどういった経営戦略を実行し、いかなる収益を出し、どんな企業価値があるのか。こうした点を気にかけてほしい、というメッセージなのです。
日本国内の場合は東芝や三菱電機、NTTデータや野村総研などの動向を気にかけてきたと思います。さらに、グローバルの競合企業群に対しても注目の度合いを引き上げることが大切です。そういった議論の末、今回の報酬体系を設計しました。
超過リターンを重視
ーTSR(株主総利回り)を役員報酬の指標として取り入れる企業は増えてきましたが、特に市場平均に対する超過リタ
ーンである「アルファ」を国際的に求めることが重要なのですね。
山本氏:そうです、国際的なアルファを取りに行くのです。逆に言うと、資金調達や株主還元などのコストを示すWACC(加重平均資本コスト)を考えるとき、株式市場全体の値動きと個別株価との相関関係である「ベータ」をいかに低くするかが重要ですね。
それは経営においても、経済環境の変動が自社にもたらすリスクを低減することにつながります。それならば、この報酬体系で使っている算数は正しいと思うのです。
そうした市場平均に対する超過部分を生み出すには、中期経営計画を遂行し、市場の評価を得ることも大切です。このため今回の報酬体系の変更では、LTIの基本総額に対し、最大20%の上乗せ部分を設けています。中計で定めたKPI(評価指標)のうち、ROIC(投下資本利益率)と持続可能性についての指標が目標値に達したら、報酬を上乗せします。
ー報酬の土台となる企業価値について、日立の株価は上場来高値を更新していますね。
山本氏:中西宏明元会長(21年に死去)、東原敏昭会長が実行してきた構造改革が花開き、小島啓二社長兼最高経営責任者(CEO)に引き継がれていることが大きいと見ています。グローバルで通用する会社となるべく、事業ポートフォリオを再構築したことが直近2〜3年の資本市場で高く評価されています。
しかも、新型コロナウイルス禍での困難な状況下で、目標数字を達成しましたから。一方、こうした成果とコンペンセーション(報酬)がうまくリンクしているかどうか検証する必要がありました。グローバル企業として活動していく上で、報酬体系がコンペティティブ(競争上優位)かどうかは重要なのです。
今や日立の連結売上高の6割が海外で、従業員も6割が海外にいます。ボードメンバー(取締役)も外国籍の方が増えました。今後もそうした優秀な外国人材を招く必要があり、国内でも人材の流動性は拡大傾向にあります。競争力のある報酬体系が不可欠でしょう。
そこで議論の大前提に戻りますが、「企業価値をいかに測って報酬に反映しているか」を報酬委員会がきちんと説明せねばなりません。逆に企業価値が縮小した場合には(報酬水準を)留めることはあり得ない。その状況をきちんと反映する報酬体系でなければ、説明責任を果たせませんね。この1年間でそうした洗い直しを実行し、我々は新しいステージに入ったという意識を持っています。
こうした客観的な指標に基づく報酬改革は、日立が大型のM&A(合併・買収)を繰り返したタイミングにおいて、重大な意義があります。
過去3年ほどで米IT(情報技術)企業のグローバルロジックと欧州ABB社のパワーグリッド事業(現日立エナジー)を傘下に収め、日立ハイテクもTOB(株式公開買い付け)で完全子会社化しました。
日立の時価総額が5〜6兆円の頃に合計約3兆円のディールを実施したのは、大変な重みがあります。例えば時価総額が15兆円や20兆円の会社が3兆円のM&Aを実行するのと比べ、当時の日立が3兆円を投じたのはチャレンジでした。
幸いにしてうまくいっていますが、さらに(顧客企業に複数サービスを購入してもらう)クロスセリングを含め、グループ内の相乗効果を発揮していく必要がある。
取り込んだ企業群を空中分解させず、継続的な成長を実現するためのエンジンとして、報酬制度を機能させたいのです。将来は幹部だけでなく、各従業員にとっても(グループ間のシナジー発揮が報酬増につながるような)新たな体系構築が理想ですね。
従業員のためにも経営層の報酬改革を
ー多くの日本企業は欧米より役員報酬が低いにも関わらず、情報開示が不十分という指摘を受けてきました。
山本氏:日本全体の文化なのか分かりませんが、報酬に対するセンシティビティーのようなものがあったのではないでしょうか。情報開示と表裏一体ですが、報酬の決定方法にある種の奥ゆかしさのようなものを求めてしまったのだと思います。
ただ、空気感のような形で役員報酬を抑制するのは、従業員の賃金が上がりにくい一因にもなっています。例えば地方の優良企業で、オーナー経営者が持ち株の配当金を受け取る一方、報酬額としては抑えている場合も典型的です。
まずトップの報酬を上げないと、従業員の賃金も上げづらい。一方、米国の場合は地方の企業であっても、業績が良ければ賃金のベンチマークは地域内の横並び意識で抑えるのではなく、国際基準で設定するでしょう。
ー日立では役員報酬の連動指標に、従業員エンゲージメントも入れていますね。
山本氏:広い意味でのステークホルダーを見ているからです。例えば地球環境に対しては、(取引先の温暖化ガス排出量も考慮する)「スコープ3」の改善も重視しています。そして従業員のエンゲージメントも大事です。
人的資本を含む非財務の指標について、企業価値にどう影響するかという実証研究はまだ少ないのですが、明らかに関連性があります。従業員のモチベーションが高いか、低いかというのは各部門の成果にいずれ現れますから。
23年に実施した役員報酬改革では、STIの判断基準として、2割相当を「持続可能性」についての指標としました。さらにLTIにも、中期経営計画を達成した場合に、持続可能性指標にもとづいて上乗せする部分を設けています。
ー現在の経営者による種まきが、数年後や10年後に事業として開花することもあります。役員報酬において、そうした時間軸の調整は何か工夫していますか。
山本氏:まず私が社外取締役になった2016年、「本来の実力に比べて株価も報酬も安すぎる状況です。報酬をもっと上げても何の違和感もありません」と申し上げました。当時は中西さんがCEOで、東原さんにバトンタッチしつつ、21年にかけて相当に難しい事業の入れ替えを実行しています。
その期間の大部分において、時価総額は3兆円台を中心に推移し、まだ本格的な市場評価を受けていませんでした。ただ、日立の経営努力を反映し、CEOの報酬を徐々に引き上げて4億7400万円(21年3月期、株式報酬を含む)としました。全社的な構造改革に対する報酬として、証券アナリストからも理解を得ています。
従来の日立の株価には、(多岐にわたる事業を投資家が評価しづらい)コングロマリット・ディスカウントが発生していました。結果として株価純資産倍率(PBR)が1倍を割れていたのです。事業構造改革によって(投資家が成長性を判断しやすくなり)、22年春から日立株は顕著に上昇し、TOPIXや米ダウ工業株30種平均をアウトパフォームする成果が出ています。
結果的には16年3月期から23年3月期にかけての年次成長率が、時価総額は15%で、CEOの報酬も15%と、整合性が取れています。ただ、こうした成果を大きく先取りして役員報酬を引き上げた訳ではありません。まず実力に比べて低すぎた報酬額を是正したのです。その上で、23年には報酬体系のさらなる改革を実施しています。