・ロスチャイルド財閥-345 アメリカの歴史-9 : 大量移民の流入 自由移民時代の開幕
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/73897b312cf4b19b121a762f57fd229c
・ロスチャイルド財閥-349 アメリカの歴史-10 ヨーロッパのアメリカ熱
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/28b8b4e9be09b50c2863d0ce8b16ef46
・ロスチャイルド財閥-350 アメリカの歴史-11 ヨーロッパ人のアメリカ移住の背景
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/455e4633d11b096e5a6ac0a030475f10
からの続き
北西ヨーロッパからの移民
一八八〇年まで移民の圧倒的多数を送ったのは、北西ヨーロッパ、特にイギリス、ドイツ、アイルランド、そして北欧三国だった。
移民誘致に特に効果的だったのは、先にアメリカに移住している者たちからの、いわゆる『アメリカ・レター』だった。
それらはアメリカがいかに素晴らしいかを伝え、親せきや友人たちにアメリカに来るようと誘った。
内容は口ずてに村中に広がった。 北西欧系の移民の大部分は比較的容易にアメリカに適応していった。 言語、宗教、思考形式、風俗習慣においてアメリカとの相違は小さかったし、彼らの持つ高い技術文化は、発展途上のアメリカで歓迎されたからである。
アメリカは大別して二つの機会を彼らに提供した。 一つは西部に赴いて自営農民になる機会である。 故国との気候・土地条件の差を克服して、多くの移民がアメリカで農民となった。
居住形態はヨーロッパと異なり、散村で、生活は孤独だった。 農具も農法も違った。 それでも移民は着実に新しい条件に適応していった。 何故なら、ヨーロッパにおける農民層分解の波にさらされた者たちは、アメリカの西部に行かなければ、プロレタリアートに『転落』せねばならなかった。
だから、『プロレタリア化』を避けるために、彼らは西漸運動に参加し、彼らはそこで、誰の命令にも服することなく日々を暮らす独立した小生産者の世界を作り上げようとしたのである。
アメリカが用意したもう一つの機会は、労働力不足に悩むアメリカの産業だった。 工業化が進むにつれて、産業労働力需要が移民吸引力において支配的となり、移民数はアメリカの景気変動に対応して増減した。
そして多くの移民が都市に居住した。 一八八〇年、移民とその子供たちの人口に占める比率は、セントルイスで七八%、ニューヨーク市で八〇%、デトロイトで八四%、ミルウォーキーで八四%、シカゴで八七%という驚嘆すべきものとなった。
アメリカの工業発展は、この移民労働者(プロレタリアート)の労働力によって可能となったのである。