高度なIT(情報技術)スキルを持ち、リモートワークで各地を移動しながら生活するデジタルノマド(遊牧民)の誘致に世界各国が躍起になっている。
滞在地での消費や技術伝承など生み出す経済効果は世界で100兆円を超えるとの試算もあるからだ。
日本政府も3月末に専用の在留資格を新設して旗を振る。デジタルノマドは日本に来るか。
「ビザの申請は取り下げた。認可までの時間が短ければ、実用的なのに」。4月にデジタルノマドビザを申請したオーストラリア出身の女性経営者はこう嘆く。
これまで韓国やマレーシアなど5カ国を渡り歩き、日本の景観や街並みを気に入った。短期滞在で来日を繰り返すデジタルノマドだ。
日本の行政書士と連携してビザを申請したが、入管当局からの返答は4カ月たってもなかった。
現状は認可まで数カ月から半年ほどかかっているとされる。「審査に時間をかけていてはニーズに合わない」と行政書士の金沢直樹氏は指摘する。
年収1500万円、30代の欧米系若年層
デジタルノマドは欧米系が多く、デジタルマーケティングやブロックチェーンに関するスキルを持つ。世代別では30代が全体の53%を占める。45%が年10万ドル(約1500万円)以上を稼ぐ。
旅行情報サイトのア・ブラザー・アブロードによると、世界のデジタルノマド市場は7870億ドルとされる。滞在先での宿泊や飲食に伴う消費額が大きい。
システムの設計や開発などデジタル技術の共有を含むビジネス交流に伴う経済価値の創出も見込まれる。観光庁の担当者は「デジタルノマドは仕事を持ち、所得も高い。消費額の底上げにつなげたい」と期待する。
日本政府は年収1000万円以上などを条件に、6カ月の在留資格を与えるデジタルノマドビザの制度を3月末に始めた。原則として海外の企業や団体の仕事に取り組むこととしている。
福岡市のデジタルノマド向けイベントには海外から220人が参加した(10月)
肝心の制度設計は申請者目線に立っているとはいえない。6カ月という滞在期間は欧米諸国出身者にとってはビザ不要の短期滞在(3カ月)と大差ない。
3カ月以上の滞在時に必要な在留カードの発行といった手続きを免除しているが、海外で申請する場合は現地の日本大使館や領事館での対面申請が必要だ。
デジタル人材を呼び込むのに対応がちぐはぐで、有能な人材を逃しかねない。
欧州からアジアに、日本は素通り懸念
デジタルノマドビザは欧州から広まった。法人の設立や銀行口座開設などをオンラインで申請できる電子政府を構築したエストニアは2020年に制度を設けた。
ポルトガルやスペインなど気候が温暖な国や地域が続くように誘致に名乗りを上げた。新型コロナウイルス禍でリモートワークが定着し、働き方が変わったこともある。
23年ごろからはアジア各国も誘致に力を入れるようになる。韓国は2年滞在できるビザを用意する。7月に制度を創設したタイは5年間有効で1回の入国につき180日、延長すれば360日滞在できる制度を用意する。
欧米諸国はオンライン申請ができる。アジア各国の動きを察知した日本も素通りされる事態を避けようと専用ビザの新設に動いた。
6カ月の期間に設定した理由について、出入国在留管理庁の担当者は「デジタルノマドらを対象にしたアンケート調査で、6カ月以下の滞在を希望する人が7割程度だった結果も参考にした」と説明する。「これより長くするのは在留管理上の懸念もある」と話す。
関係者の思惑が交錯し、デジタルノマドにとって魅力的な制度にしようとする視点が抜け落ちた。
山梨大学の田中敦教授は「今のままだと何人来日しているのか分からない」と指摘する。入国者数などを捕捉できなければ、制度改善に向けた議論も進めにくくなる。
それでも、受け入れ先となる地方自治体は取り組みを進めている。福岡市は誘致に向け、10月にデジタルノマドの祭典「Colive Fukuoka(コリブフクオカ)」を23年に続いて開いた。海外からの参加者は前年比5倍以上の220人に達した。
福岡市はインバウンド(訪日外国人)の8割がアジアからだが、コリブフクオカでは欧米からの参加者が6割を超える。
3人に1人は起業家だ。「地元で起業したり働いたりする人が増えるような機会も提供したい」と福岡市の担当者は話す。
10月には宮崎県日向市や北海道洞爺湖町など地方自治体や民間団体が参加するデジタルノマド官民推進協議会が発足した。
日本は食や文化など来訪者を魅了するコンテンツが豊富なだけに、戦略なき制度設計が機会損失の一端となっているのならばもったいない。
〈Review 記者から〉受け入れ、地域と一体で
「デジタルノマドが地域経済に溶け込めるようなエコシステムを作ることが重要だ」。デジタルノマドの誘致を支援するノマドXのゴンサロ・ホール最高経営責任者(CEO)はこう話す。
興味本位で訪れた後、その土地を気に入った10%の人材が移住し、そのうち20%が起業すればイノベーションの創出につながる可能性があると解説する。
例えば同氏が携わり21年から始まったポルトガルのマデイラ諸島におけるデジタルノマド誘致プロジェクトは、宿泊施設やコワーキングスペースの整備などを地域一体で進めた。
2023年には毎月2000人が訪れるようになり、月額400万ユーロ(約6億4000万円)の経済効果が地域に生じたとの試算もある。
誘致にはハード・ソフト両面の充実が鍵を握る。住居や働く場所の確保、生活情報を共有できるオンラインコミュニティーの形成、地域との対話などだ。
「日本は『コリビング』の整備がまだこれから」。デジタルノマドとして世界を4周した日本人女性のAkinaさん(ハンドルネーム)は指摘する。
コリビングとは、個室とは別にキッチンやリビング、ワーキングスペースなど共用部分が存在する施設のことだ。一般的に短期滞在を想定して建てられた日本のビジネスホテルにはこうした設備がない。
オーバーツーリズムなど負の側面もある。地域を巻き込み、受け入れ体制を整えていくことが欠かせない。(杜師康佑)
デジタルノマド
ブロックチェーンなどWeb3領域やデジタルマーケティングに関わる人が多い。新型コロナウイルス禍後、各国がビザ制度を創設し、誘致にしのぎを削っている。
現代の日本、世界が直面する構造問題の根っこに一体なにがあるのか。未来志向の「解」を求めて、記者が舞台裏や歴史を徹底的に探ります。
日経記事2024.12.22より引用