魔法が解けたそのあとで

結婚、出産、育児、介護、お仕事。来た球を打ち返す、毎日のつれづれをつづりました。

しつこい怒りが消えてなくなる本

2011-10-10 17:43:01 | 夫のこと

そういう本を読みました。

でもまだわたしのこころの怒りは消えません。

実は、先々週、義母が突然来て、謝られました。

「夫婦のことに深く立ち入りすぎた、悪かった。申し訳ない。もう口出しはしない」

と涙ながらに謝られました。

わたしは、わたしだけでなく、義両親の口止めのために実家の両親も姉も弟も苦しんだ、と告げました。

夫とは、今は一応落ち着いているけれどこれからも分からない、何度も同じことの繰り返しだから、どうなるか分からない。

またやるんじゃないかと思っているけど、今は頑張ってはいる。

そう言いました。

そしたら

「今日は謝りに来ただけだから」

と話を切り上げ、お茶にも手をつけず、娘の冬物の洋服と、大量のペコちゃんのほっぺを置いて帰っていきました。

マンションの下にいた夫に、

「リツコさんは離婚したいと言ってる」

「お前のせいで謝りにくる羽目になった」

「すべてお前のせいだ」

そう言って帰ったそうです。

その話を聞いて

「もう口出ししないって・・・早速してるじゃないのね~

と思いましたし、夫のせいばかりじゃないだろう・・・と思います。

 

この謝罪で心が晴れたか?

答えは否です。

かえってもやもやとしています。

「謝ったんだから許せばいい」

そう思うのですが、そうできないんです。

苦しいです。

どうにも流せないのです、わたしの心が狭いせいなのでしょう。

「義両親に電話しようかな」と思う日もありますが、「このまま接触をしないほうがきっと精神衛生上ずっといいだろう」とも思うと、実行できません。

夫は家出の件から、両親には冷たくされているのですが、

先日も別件で、仕方なく夫が義母に連絡したのですが、レスはなく、再度連絡し、やっとかかってきた電話で

「今ゴルフ行って帰ってきたところだから忙しい」

と早々に切られてしまいました。

どうしたらいいだろう?

ずっともやもやしています。

許したい、許すなんておこがましいけど、「人を77回許しなさい」とか「右の頬を打たれたら左の頬も差し出しなさい」とか、昔習った聖書の教えを思い出さなければ、到底平常心には戻れません。

こうして吐き出すことで、少し救われています。

気持ちも整理できています。

こんな駄文・くだらないことを読んでくださって、感謝しています。

ありがとうございます。

家出からどのような経緯で帰ってきたか、随時書けたらアップしていきたいと思います。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「これから実家に電話するからな」

2011-10-10 17:28:26 | 夫のこと

携帯に電話してきた、夫の第一声がこれでした。

やっと姉の家に着いて、ほっとしてきょうだいが迎えてくれたとき、夫の帰宅時間でした。

携帯に出たわたしに

「お前、どこにいるんだ?これからお前の実家に電話するからな」

夫はそう言いました。

わたしは娘を姉に抱いてもらい、別室に移動しました。

「書置き見たの?」

夫は見てない、今帰ってきたばかりだ、とのこと。

それ見てから電話してきて、と言いましたが夫は電話を切らず、

「お前がしてること、お義父さんたちに言うからな」

などとまくしたてました。

「両親に言うと大事になるよ、それこそ『帰って来い、離婚しろ』って言われるよ」

と強く出たら、やっと黙りました。

今は大事にしたくない、離れたほうがいい、そう思ったから出て行った。

時間をおいて考えたい。だからしばらくそっとしておいてほしい、そう言いました。

夫は

「いいか、休みになったら迎えに行くからな、りお渡せよ」

と捨て台詞を吐いて電話を切りました。

暗い顔をして戻ったわたしに

「どうした?大丈夫?」

と声をかけてくれた姉の、携帯がすぐに鳴りました。

夫からでした。

姉はまた別室に行き、応対してくれました。

「まあ、今子供が小さくて大変な時だから、ちょっと離れて冷静になって・・・」

「わたしも子供小さいとき、主人としょっちゅう喧嘩してましたよ~」

なんてなだめる声が聞こえました。

姉はいつも主人を責めたりしません。めったに人に対して怒ることはない人です。

でも夫は姉を怒らせたことがありました。

わたしが出産た日の深夜の電話、早朝から病室に来たこと、それにまいって姉にわたしが泣いて電話して、夫に来るのをやめてくれと言ってほしいと頼んで、姉が電話したのです。

でも夫はやめませんでした。

姉に「わかりました」と言って、すぐその日の昼も夜も来たのです。

それで姉が切れて夫に電話したことがありましたね・・・姉を良く知る、わたしの以前勤めていた会社の社長が「え?切れたの?めずらしい・・・よっぽどだね、だんな」と驚いていましたっけ。

上手く姉に慰められたようです。

「あんたも大変だね~

と姉が出てきました。

「あんなことして、出て行かないと思っているのか?」

とわたしは思いました。相当甘く見られているのでしょうか。

 

こうして書いてきていると、「ほんとにひどいな~」って思います。

今、夫は大人しく、休みになると娘が好きなバスや電車に乗せて、連れ出してわたしに時間を作ってくれます。

でも、3人一緒では出かけないのです。

一緒にいるとイライラするから、それがよく分かってるんでしょう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家を出る。

2011-10-10 16:09:39 | 夫のこと

「子どもをおいて出て行け」と言われたわたしは、急に怖くなりました。

娘から引き離されるかもしれない。

そう思い始めました。

明日は夫は仕事。次の日はまた休み。

だったら明日、出て行くしかない。

夫にも、義両親にも分からない、追ってこられないところに逃げなければ。

そう思いました。

本当に、あのときは怖かった。

次の日、夫が出かけてから荷物を詰めたり、当座必要な額のお金を用意したり。

でもずっと怖かった。

今逃げなければ、この人たちから逃げなければ。

萎えてしまいそうな気持ちを奮い立たせて、とにかく大宮まで出て、どこに行くか考えよう、そう思いました。

 

その時、姉から電話が来たのです。

わたしは、つい夫と義両親のことを話してしまいました。

「もう出て行くよ。どこに行くか決めてないけど、とにかくここを出ないと」

と。

そしたら姉が

「明日からわたし達は両親の家に行くし、1週間後に弟夫婦も帰省するから、とりあえずうちにおいで」

と。

だれもいないから、犬はいるけど、ゆっくりしたら?と。

その時は、もうこのまま家を出て、死んでしまおうかとも考えていたので、夫への置手紙にも「姉のところにも行かない」と書いていました。

でも、姉が

「大事にする前にちょっと離れて考えてみたら?」

と言ってくれました。

「お母さん達には内緒にしておくから」

と、姉は本当に両親は何も知らないと思って、ずっと隠し通してくれていたのです。

それで、わたし達はようやく姉のところに行くために新幹線に乗りました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10分の間で。

2011-10-10 15:59:00 | 夫のこと

娘がひどく泣いていたので、わたしは「やめてよ」とお風呂場に入り、押し問答になりました。

夫はわたしを突き飛ばし、風呂場に鍵をかけました。

それなのでわたしは再度、義実家に電話しました。

義母が出て話しました。

「急に電話して、申し訳なかった。

わたしはいいけれど、娘が『パパはわたしよりモノが大切なんだ』と分かったとき、取り返しが付かない。それが嫌だ。」

「なんとか夫とやっていこうと、自分の実家にもここ3,4ヶ月連絡をしていない。だから今回のことは両親は知らない。」

と伝えました。

義母は少し落ち着いていて

「あれは病気じゃない、ああいう人はいる。自分が勤めていた会社にもいた。だから病気じゃない。

りおちゃんのことも考えてあげて」

と言われました。

のちに友達にその話をしたら「会社にいるくらいならいいけど、そういう人とずっと暮らしていかなきゃならないのはどう思うんだ」と言っていました

しかし、この風呂場での10分の間に、義両親はわたしの両親に即電話をし、

「離婚を勧めているって本当か」

と裏を取っていたことが判明するのです。

それを知らないわたしは、両親に心配をかけないように、ずっと黙っていたのです。

でも、両親は「リツコがそういう状況にいる」ということだけしか分からず、やっと連絡を取った2週間、ずっと心配していたのです。

突然電話がきた両親は驚き、

「そんな話は聞いていないし、ずっとリツコとは連絡を取っていない。

だけどそんな状況になっているのなら、これから迎えに行きます」

と言ったそうです。

そしたら義両親は

「それならいいです。リツコさんには内密に」

と言って切ったそうです。

なので、両親はわたしに連絡も出来ず、きょうだいたちもずっと黙っていた。

そういうことがあったことが、ずっとあとに分かるのです。

義両親の気持ちも分からないでもないですが、自分達のことしか考えない夫・その両親の考え方がよく分かりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子どもをおいて出て行け。

2011-10-10 15:36:29 | 夫のこと

さきの家出のさいに、夫と義母から言われたことばです。

家出の詳しい経緯は、ここに書いてなかったですね

もう2ヶ月前くらいになります。

でもなかなか自分のなかで消化できないというか、どうにも気持ちが沈んだり、頑張ろう、と思ったり。

本当にダメージが大きかったです。人への信頼を、またわたしは失いました。これで二度目。それもまた夫と、義理両親によってです。

一度目は夫に会った11年前。

その時は、自分の大切な友達や家族、その後に付き合った人たちによって、徐々に「人を信じること、愛すること」を取り戻していったのです。

でも、時間はかかりましたよ

今回は、いろいろなことが重なって、「負けるかもしれない」と初めて思いました。

「負ける」とは人生を降りることです。

これは、神戸の震災で、死ななくてもよい人が、たくさん亡くなった時に「自分で自分の命を絶つことは絶対にすまい」と決心したことですが、今、本当に負けそうなときがあります。

ただ、引き留めているのは娘の存在です。

そして東北の人たち。

歯をくいしばり、踏ん張って、静かにやり過ごして。

今はそうして行くしか、わたしにはどうしたらいいか、分かりません。

 

家出をするきっかけになった「娘が味噌汁をこぼした」事件。

この時、これに怒って、自分のシャツを脱いで拭き始め、怒鳴った夫。

こういう時に、すごいひどいことを言うのです。

「メシもつくらねえ」「山形に帰れ」「お前の親に言ってやる」等々・・・。

まあいつもその後土下座で謝ってくるんですが。

それで「もうこんな馬鹿みたいなことで喧嘩になるなんていや」と叫んだわたし。

止めて欲しくて、親から言って欲しくて、夫の実家に電話したのです。

思えばこれが悪かったんですよね・・・諌めてくれるはずがないのに。

 

娘が味噌汁をこぼしてまた怒っている。

もうこういう神経質さに堪えられない。離婚したい。わたしの両親も、去年暴力があった時に話している。

帰ってきなさいと言われたけど、その時は「帰っても解決にならないから」と言って帰らなかった。

 

わたしはそう言いました。

以前にもこういうことがあって、電話したときに義母は「夫婦のことだから、自分達で決めればいい」と言いました。至極当然のことですが、わたしには冷たい、と感じました。

今回は違いました。

「お義母さんは以前彼の神経質さを愚痴ったときに『わたしも困っていた。結婚して出て行ってくれてほんとに良かった』と言っていたじゃないですか」

と言ったら

「そんなことは言ってない!結婚してくれて良かったとは言ったけど、そんなことは言ってない!」

と怒り出しました。

わたしは「ああ、そう思ってんならもう言うことないや」と思って「そうですか」とだけ言いました。

いろいろやりとりがあったのですが、いつもは起きていない義父が電話に出てきて(9時くらいですが、いつも義父は7時に寝るのです)

「そんな話は電話でするな!だったら昨日来て話せばいいじゃねえか!」

(前日、義理実家に行っていたのです。でも、娘を可愛がってくれる義両親の姿を見ると、いつも言い出せませんでした)

とすごい言葉遣いで「お義父さんなんて呼ぶな!」と言われました。

義父に代わる前だったか、あとだったか・・・。

義母が言ったのです。

「離婚するならりおちゃん(娘の名前)を置いていって出てってください!」

何回も言われました。

 

夫がそのあと代わり、わたしの悪口を義母に言っていました。

メシを作らない、金がないだの生意気なことばかり言いやがって、と。スピーカーフォンにして話していたので、義母のことばも聞こえました。

ひどいなあ・・・と思って聞いていました。

「これから迎えに来てくれ。りおを連れてってくれ」

と言ってました。

電話を切って夫が

「お前、ひとりで親のところに帰れ」

と言いました。何度も。「りおは実家に連れてくから」と。

でもそれは脅しだったようです。

それは家出してから分かりました。

 

それから娘を風呂に入れるからと、夫は娘をうばってお風呂場に入りました。

乱暴な夫に、娘は泣き叫びました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮部みゆき「おまえさん」

2011-10-10 15:00:55 | 本・映画・テレビのこと

読了。

本を読む気にもならなかったのだけど、「ぼんくら」「日暮らし」の続編が出るとなったら

二日かけて読了。今回は文庫も発売ということで、お財布に優しい。

宮部みゆきのこの時代物は、優しい。江戸に生きたい・・・なんて思ってしまうくらいだ。

呑気な八丁堀のだんなと、その甥っ子の謎解き。周りの気のいい江戸っ子たちが魅力的で、切なくて、あったかくて、泣ける。

江戸では生来の仕事を継がなくてはいけない縛り、身分制度の縛りなんかがあり、そのなかで精一杯生きる人々がいる。

家を継げない武家の次男・三男なんかは、自分の特性を生かして、自分の生きる道を探さねばならない。

町人は大店でなければ、やはり自分にむいた道をさがし、自分で食っていけるようにならねば生きていけない。

今回は「跡継ぎ」以外の「余計ないのち」というものが底にあるテーマだった。

長男の跡取り以外は、養子にいったり、他の商売・ここでは医学の道に進んだりするわけだが、跡取り以外は余計モノであった江戸の時代。

そのために身を誤まる者もいたわけで。

なんか、身につまされた。

わたし、リツコは3人姉弟。上に姉、下に弟である。

わたしが産まれた時、父は母に「もう一度だな」と言ったそうである(父はそんなことは言ってないと言うが。それを当の本人に言う母も母である)。

東北の地主だった父の生家は弟で10代目。とにかく「男の子を、跡取りを!」という家であった。

そこに女の子、次はぜひにも男!と思っていたところ、また女だったわけだから、父もそう言いそうである。

それで次に産まれたのは弟だった。

父の実家に行った時に、弟は下にも置かない扱いだった。どこにいっても「10代目」。

祖父は金融機関の会長をしていたが、商売を継ぐとかではないのに、家を存続させてくれる男の子の扱いは格別であった。

わたしのような「2人目の女」はいとこたちにもなく、ある人からいとこたち全員にもらうおもちゃをもらえない事もあった。

「ああ」と、わたしは小さいうちに感じた。

だから、良い子で、親の自慢になる子でいなければ、と思った。

身体が弱い姉のことを母に頼まれた。弟の面倒を見てと頼まれた。「しっかりした子」としてやってきた。

大学も推薦で合格した。姉が働いている関西の大学を選んで進学し、姉の世話をし、浪人して一緒に暮らした弟の面倒を見て、家事を一手に引き受けてきた。

弟は1浪し、4留年した。

わたしは家族から離れて東京で仕事をしていた。そこに仕事を辞めた姉が転がり込んできた。

姉と一緒に暮らしながら、ほとんどの生活費はわたしが出していた。弟が上京すると、必ずお小遣いをあげていた。

それから、両親のどちらかがひとりになった時、面倒がみられるように、姉夫婦と同じマンションを購入した。

でも、今考えると、それは当然なのだ。

だって、余計ないのちだから。

育てて、大学を出してやって、きょうだいの面倒を見るなんて当然なのだ。

母はわたしが結婚をしないで、ずっと自分の側に居て稼いでくれていたらいい、と思っていたようだった。

あまりに自虐的・・・

と思うが。田舎というところは、江戸時代からあまりかわっていないのだろう。

実際、祖父の時代では、長男が財産を総取りするから、次男は家を建ててやる、三男は婿養子に出すってのが普通だった。

両親は、愛情と慈しみを持ってわたしを育ててくれたと思うが、子どもを産んだ今、よく分かる。

たった一人のこの子を、大切に育てようと思う。

うちはお金がないし、わたしの身体がもたないから子供は1人だが、これでもう1人いたら、どうなのか。

それを考えると、両親の気持ちも分かる。

父は、男の子より、弟より元気が良くて活発だったわたしを「○ん○んをお母さんのお腹のなかに忘れてきた」とよく言った。そしてよく泣いてばかりだった弟を「女の腐ったの」と言った(これも女性に失礼な話だほんとに)。

「リツコが男だったら」

とよく言っていた。

でも、今は弟も立派になり、頼れる男になった。男だけあるな、というのが今の両親の評価である。

男であったら。

わたしもよく考えた。男だったら、どんな人生だっただろう。

そしたら、父も母も、わたしのことをよく考えてくれただろうか。

中学の卒業式は、母が姉の試験についていって、父は会社の関係の葬儀があると、来なかった。

大学も自分で調べて決めた。転職も自分で考えてやってきた。

男だったら。もっと親身になってくれただろうか。

 

「おまえさん」は謎解きが終わり、みんな一段成長する。

どうしようもないこともある。でもそれでも生きていかねばならぬ。

宮部みゆきさんの江戸ものはあったかい。

わたしも、自分の向いた仕事をやって、自分を食べさせていけたら、と思う。

自分に与えられた分のなかで、つつましくやっていけたら、と。

前作のなかで「人の見た目の美しさ」について、ぐさりと刺さることばが、八丁堀の細君のセリフであった。

これを読むだけでも価値がある。

見た目で伴侶を選んでしまったわたしには、痛いことばである。

長いけど、良いです。ぜひ秋の夜長に読んでみてください

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする