魔法が解けたそのあとで

結婚、出産、育児、介護、お仕事。来た球を打ち返す、毎日のつれづれをつづりました。

ドラマ「家政婦のミタ」

2011-12-24 12:21:46 | 本・映画・テレビのこと

出来る限り観ていましたが「家政婦のミタ」、なんと最終回40%の視聴率をたたき出したとは・・・

みなさんは観てましたか?

「どうなるのか・・・」と思って観ていましたが、最終回、脚本のちからってすごいな・・・と。

「ミタさんってサンタさんって読めるから、サンタさんだったのかも」とか。

「一生笑わないで!」と言われてそれを守っていたミタさんだったが、言った当の本人の義母はまったく忘れていた・・・とか。

番組宣伝に松嶋奈々子さんは出ない、続編など一切やらない、伝説のドラマになる、という戦略もアタリでしたね

それに、最終回のミタさんが微笑んで、家族一人一人を見つめながら・・・花が開いたというか、光が見えた素晴らしいシーンでした。

「笑顔の力」というものの素晴らしさを実感したシーンでもありました

微笑むだけで別人に、旦那さんと息子さんが亡くなる前のミタさんに・・・「ママ」と呼ばれていた頃のミタさんに戻った瞬間・・・ミタさんがどんなに幸せで美しく賢い人だったか、そしてその失ったものの大きさ、絶望・・・。

それを一瞬にして感じさせた、松嶋さんの演技力に目を瞠りました

夫と黙って真剣に観ていました

うららちゃんを滅多打ちにするシーン。

本当に、大きなものを失った者だけが言える言葉。

「私のようになってはいけません」

不覚にも、ドラマで泣いたのは久々でした

 

今期、他に観ていたドラマ(といってもワンセグで録画できたら、携帯で観ていたのですが)ではクドカン好きなわたしは「11人もいる!」、単純に笑える良いドラマでした

「蜜の味」、禁忌の恋という盛り上がる展開でしたが、ふたりが結ばれるシーン、菅野美穂さんの美しさと怖さ、最後の許しが印象的でした。

「私が恋愛できない理由」、最後に「恋愛だけがすべてではない。仕事がある」という結末とヒロインに好感が持てました。AKB大島優子さんは、歌っている時の方がすっごい魅力的あまり前半良い役ではなかったからかな?

将来のことを考えると眠れないので、ドラマを観ていたのですが、まだわたしには余裕があるかな?

心に残ったドラマって、今まで「あ・うん」「思い出にかわるまで」「抱きしめたい!」「ロング・バケーション」「殴る女」「木更津キャッツアイ」とかいろいろありました。

「家政婦のミタ」はわたしの中でそのひとつになりそうです。

 

 

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子どもを叩くか叩かないか

2011-12-24 11:37:14 | 日々のこと

わたしは子どもを叩かない、と決めた。

入院していて帰ってきたら、夫が娘を叩いていた。それまで娘を叩いたことはなかったのに。

でも「叩くことも必要」という夫の持論に「そうなのかな」と思い始め、叩いた。

そしたらわたしのことを叩く様になった

悩んでいろいろ育児書などを読んだりして、自分でも調べて考えて、叩くのはやめようと決めた。

けど、先日サークルで娘がぐずり、役員の仕事もあり、いらっとして手が出た。頭をぺちんとやってしまった

ぱっと手が出たことは初めてで、正直これが「気が付いたら手が出ていた」状態か、と思った。

ママ友でびしびし叩く人がいるのだけど「口が出る前に手が出てしまう」と言っていて、その時は「そんなことってあるのかな」と思っていたのだけど、それがこれか、と。

最近特に「自分でやる」が出てきたからなのか・・・自我が強くなってきて、いらっとすることが増えた。

わたしは人の目が気になる。娘と2人のときはそういうことがない。叱らないと、と思ってしまう自分がいる。

サークルの役員を1年した。サークルに行っても打ち合わせや役員の仕事で楽しめなかった。

今月でやっとお役御免だ。

その間、目が届かなくて、娘はサークルをやっている児童センターから毎回脱走した。

止めてくれる人はいつも同じで、助かった同じくやんちゃな女の子がいる役員さんだった。

これからは幼稚園まで、サークルに行って娘とたくさん遊んであげたい。

 

いつもお友達にやられっぱなしの娘だが、先日ついにお友達にやりかえして叩くことがあった

よく遊ぶ、同じマンションに住んでいる同じ歳の女の子。

その子はとても賢くて、娘より遅く産まれたのだけどぺらぺら喋り、手先も器用だ。

娘はその子が好きで、ふたりで走り回っている

でも、その子はおもちゃの取り合いなどなったとき、娘を叩く。髪を引っ張る。

最近は強くではなく、かするくらいの間合いで、おもちゃを取られないように手を出す。

娘はやり返さないし、他のお友達を叩いたりすることがなかった。

大きい男の子に突き飛ばされたりすることもあるが、泣いているだけである。

その子のママは「うちの子はりおちゃんを子分みたいに思っているから」とも言っていた。(これはちょっとカチンときた

そのママは、その子を叩いているのだ。

先日も娘の髪をひっぱったその子の髪を、ママが怒ってその子の髪を引っ張って、「やられたら痛いでしょ」と叱ったのを見て、周りのママ共々ドン引きしていた

いつも毎回叩かれて泣いている娘だが、そういうことはこれからもあるし、それもお互い様と思ってきた。

叩く、叩かないはそのうちの教育方針、しつけだし、うちは叩かないし、そのうちは叩く、という違いだけだ。

しかし先日、また支援センターでおもちゃの取り合いになった娘とその子。

また娘が叩かれて、娘が泣き出した。

そうしたら、ついに娘がその子を叩いたのだ

1年以上叩かれ続け、ついに娘が反撃に・・・

正直、驚いた

あわてて止めたけど、頭を一発、ばしっと叩かれたその子はびっくりして呆然としていた。

保育士さんも「泣くわけでも、ママに助けを求めるわけでもないから、大丈夫よ」と言っていたけど、子分に反撃されてびっくりしたのだろう。

わたしは「やられてもやり返さない子だ」と思っていたのだけど、ついにやり返してしまったわが子にとまどった

母としては「よくやり返した!」という気持ちもちらっとあって「はっいけないいけない」と思ったり

やっぱり「やり返さない子」でいて欲しかったなあ、という気持ちが大きく・・・。

その後、いろいろ忙しかったりしてその子と2週間ほどふたりで遊ばなかったら、娘は私を叩かなくなった。

サークルで会うことはあったけど、ふたりで遊んでいないので、また叩く・やり返すがあるかは分からない。

でも、やっぱり叩く子になって欲しくないし、やり返す子にはなって欲しくない。

だからわたしは叩かないで言って聞かせたい。

しかしこれがやんちゃくれで・・・ごめんなさい、を覚えたら、やたら外で怒られると「ごめんなさい」を連発する。

わたしがすごいうちで虐待してるみたいじゃん・・・それなのに、スパゲティを散らかしたときはぜったい「ごめんなさい」を言わないのだ

育児は難しい

助けがない、一時保育で預けるお金も出せない(夫曰く。たった2600円なのに)状態で、夫が土日が休みではないので娘と2人だけで過ごしている。

正直、行き場がない気持ちがすることが多々ある。以前は車に乗るな、と夫に言われていたので、本当に行くところがなかった。

今はどんどん出ているけど、夫が「雪が降ったら車で出るな」とまた言ってきた

でも娘もずっとこのままではないので、気を長く持ってやっていきたい。

娘はたった一つ、この結婚で得たもの、それも人生最高の宝物だから

 

 

 

 

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2011年

2011-12-24 11:17:17 | 日々のこと

あと一週間足らずである。

今年は東北の大震災、福島の原発事故という大きい災害で揺れた一年だった。

わたしにとっても大きく変化があった年だった。

去年の今頃は、夫に対して離婚したい、という気持ちでいっぱいだった。

離婚しようと動いていた。

それが3月の震災で一変した。

それからいろいろな変化があった。

もう逃げられない。行くところがない、帰る場所がない状態になった。

ここで腹をくくってやってくしかない、と

自分では、サークルの役員を一年間通してやったこと、もうひとつのサークルの代表として表立った活動があったこと、ボランティアを始めたこと

もう、ここから逃げられない。ならば自分を、この場を変えていくしかない。

そしてたくさんの出会いもあった。人脈を作って、いつかこれを収入に結び付けられたら。

お金がないなら、お金がかからない方法で娘に習い事をさせていこう。

市で運営しているものや、安いレッスンを捜して通い始めた。

来年はもっと娘と一緒にいろいろなことをしたい。

段々車や電車に長く乗れるようになってきたので、幼稚園までの一年、いろいろな体験をさせてあげたい。

友達をたくさん作って、きょうだいがいないハンデを埋めてあげたい、と思っていたが、ママ友といろいろあり、やっぱりわたしが娘と遊んであげよう、一人っ子は一人っ子なりに・・・と思うようになった。

ショーコは「子供は嫌いだから、ぜったい一人しか要らない」と宣言していたのだけど、その通り、子供は一人だ。

「ママ友はわずらわしいからいらない」と言い、子供とママで過ごしている。

実に上手く子育てをしていて、強く怒ることもないし、叩くこともないそうだ。

わたしもショーコを見て、考え方を変えた。

来年は、娘のことをちゃんと見ていこうと思う。

そして辛抱強く、夫との関係を強くしていこうと思う。

優しくなりたい。

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めまい

2011-12-24 10:44:54 | 日々のこと

この間、また義理実家に行きました

行くのに1時間・・・やっぱり若干遠いよなあ~

暖房はこたつと灯油のストーブのみだし。

夫は寒さのためか、義母が作った料理がなにか古かったのか・・・(よく聞く話。)お腹を下した

わたしも次の日、お腹下したから揚げが脂っこかったのか・・・義理実家では揚げ物がごちそうなので、揚げ物が必ず出る。

あとは賞味期限が行ったその日のものとか。

なんか疲れてしまったのか、次の日の夜、なんか目眩がするなあ~と思っていたのだけど、朝起きたらちょっと立ってられないくらい目眩がした。

天井のライトが少しずつ移動しているように見える。かたつむりみたいに。

それで横になっていたら、娘がリビングいっぱいにスパゲッティを撒き散らしていた

少し使ってあった一袋、全部である。

これがまた片付けるのが大変ポキポキ折れて拾いにくいずいぶん時間がかかった。下を向くとめまいがひどくなるし。

それで今度はリビングに横になっていたのだけど、少しうつらうつらしていたら、またどっかから麺を拾ってきて散らかしていた

またすんのか?なぜに?でもそれが二歳児。

それでも夕方まで横になっていたら、ようやく治ってきた。

床暖房のリビングで、毛布をかけてほっかほかになっていたので、ようやく身体の冷えが取れたのか。

ほんと、疲れてうとうとしていた一日だった。

先日、夫にボーナスが出た。

でもそれはローンと税金で飛んでしまう。

月々は足りないし、生きることで精一杯。

わたしが働かないと、幼稚園代も出せない、どうにもならないこの生活。

だれも助けてくれる人はいない。

夫婦でなんとかするしかないのだ。

こうやって、どちらかが動けなくなったらアウトだ。

本当に、空恐ろしくなる

今までは収入が低かったら、仕事に不満があったら、転職したりスキルアップするなり努力してなんとかしてきた。

自分でなんとかしてきた。なんとかしてこれた。

でも、今は自分ではどうにもならない

収入が少ない配偶者を選んだ自分がいけないのだ。

自分が頑張っても、今のこの状態では出来ることは限られているし、娘のことを第一にしたい。

切り詰めればなんとか娘が幼稚園に上がるころまでやっていける。

幼稚園に行ったら延長保育で働く。

月に10万も稼げないかもしれないけど、こうしないと生きていけない。

夫は仕事の評価を下げられ、来年からボーナスが5万減るそうだ

今月から貯金をやめた。

貯金していたら、生活できない銀行残高になったからだ。

夫は出世コースからドロップアウトした。定年時の年収も見えた。私の父の年収の半分にも満たない。

本当に、将来のことを考えると不安で眠れない。

自分が、経済的な理由で子どもをひとりしか持てないなんて、思いもしなかった。

自分の家族のために、大学時代は姉と弟と住んで家事をやり、自分で生計を立て、親に援助してもらうこともなく(当たり前だけど、姉は家賃も出したことがないし、弟は4留年、仕事をしてからも両親に仕送りしてもらっていたし、車も買ってもらっていた。)、姉の子どもを育てるサポートをして、両親がどっちか一人になったときのためにマンションも買って、出来ることはしてきた。

でも、今だれも助けてはくれない。

夏の騒動で、母親からも「もう連絡してくるな」と言われた。

姉も、電話してもほとんど出てくれない。

自分の家族ではなく、夫の家族に頼ってやっていこうと思っていたが、あっさり「出て行け」と切られた。

身から出た錆なのだろうけど、なんでこうなってしまったのか・・・自分では分からない。

ただ、今は家族三人で頑張っていくしかないんだな、と思う。

娘だけが希望だ。

 

 

 

 

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