こんにちは

「看取り」って聞いたことありますか?
「最期をみとる」「その死を見とる」などと使われる言葉ですが、そのまま、死をみとる事を「お看取り」と言います。
私の母は7年前、父は2年前に看取りました。
お看取りがつい先日から始まったのは、姉の義両親、お義父さんです。
(ややこしいので「姉の」を略してお義父さんと表記します)
ずっと夫婦2人暮らししていた義両親の様子がおかしいので、見に来てほしいと市役所から連絡が来たのは3年半前。
それまでちょくちょく様子を見に行っていましたが、家がどんどん荒れていく様子でヘルパーさんを入れていましたが、市役所からの連絡。
すぐに姉夫婦は行きました。
そしてそのまま両親を自宅マンションに連れて帰って来たのです

これは私も驚きました。
それから地域包括支援センターに連絡してケアマネジャーにプランを作ってもらい、和室に介護用ベッドを2台並べて入れ、デイサービスに見学に行き、週数回行く様に契約。通院も近くの病院に紹介状書いてもらい手配。
そして子どもの受験期などはショートステイに行ってもらい、自分もレスパイトして3年半自宅介護してきました。
その、今年90歳になるお義父さんがここ2ヶ月ほど食が細くなってきたと聞いていたのですが、何しろ私が事故に遭い、子どもが陽性になってしまったため、しばらく会えない生活でした

そして先日、弟さんが急死したという連絡があったのです。7歳下の弟さんの急逝は、親代わりで弟妹を育ててきた惣領息子だったお義父さんには、大変なショックだった様です。
その時に自分の遺影を選んでいたと、夫婦で海をバックに写した良い笑顔の写真を見せてもらいました。
そしてその時、今の夫婦の姿を姉に撮ってもらってそれを見て
「こんなに禿げてるのか⁉️こりゃ老けすぎだな❗️」
と言っていたそうです☺️💦
そうこうしているうちに、「立つのが難しくなってきた」「トイレに支えて行ってる」「寝てばかりいる様になった」「食べなくなった」と進んで来ました。
そして私が久々に行った時は、ベッドから起き上がらず、何かを小さな声で話していました。
ハイカロリーの飲み物を姉宅に送っていたので、その中で「美味しい」と言っていたコーヒー味を少しずつ飲ませ、手をさすって、ずり落ちてきた身体を上げ、ポジショニングを整えて、手や顔を拭いてクリームを塗りました。
その間、お義父さんは今までの人生を振り返っていたみたいです。
そして私に
「人は許しあわなきゃいけない」
「言葉は難しい。誤解は解けにくい。だから自分から許さないと。許せば相手も許してくれる」
と話してくれたのです。
これは、今の私に刺さる言葉でした。
豪雪地帯の代々続いた家の長男として生まれたお義父さんは、育った土地に見切りをつけてまず自分が東京に出て、その後親兄弟を全員呼び寄せて大所帯を義母と一緒に養い、親を看取り、弟妹を学校に行かせた人でした。
たくさんの苦労をしてきた人。努力してきた人。
お義父さんは、手を握ったら
「がんばる…」
と言ったのです。
私の父は、そんな言葉を言ったことがありませんでした。
生きるのを、頑張る。
すごい人だな、と思いました。
身体は父の方が華奢に感じるくらい、屈強な身体をしていました。
頑張って頑張って、皆のために頑張って、リタイアして夫婦2人で仲良く暮らして、子どもに引き取られて同居して。
本当に頑張ってるお義父さん。
その人生は、もうすぐ終章の様です。
