「死ぬかもしれない・・・」
そう思ったのは、人生二度目のことだった。
鬱での希死念慮とは違って、物理的に「死」に直面したのは、大学生の時に被災した阪神大震災で箪笥の下敷きになった時の事。
今回は自分の頭のなかで何かが起こっている。
なんで?わたし、なにかしたっけ?
野菜も食べてるし、肥満でもない。
思いつくのは、寒い霙降るマンションの廊下で、野ざらしにして出されていた私と娘の荷物を段ボールに詰めて引越しをしたこと・・・。
姉と義兄が手伝ってくれ、業者も入ったけど、ずっと下を向いて作業していたし、水分も摂ってなかったかも。
でもまさか・・・脳血管障害だなんて。
引越しの次の日、朝、少し早く起きたので、日記をつけていた時に急に首が痛くなった。
そしてめまい。ぐるぐると高速で回る天井。
しばらく休んだけど、吐き気がきた。
今までに経験したことのない激しい嘔吐。
病院に・・・でも保険証を元夫に返してしまって手元にない。
吐いてからめまいもおさまった。
昨日食べた何かが悪くなってたのかも・・・そんなふうにごまかして、後ろ頭が痛む頭痛をやりすごしていた。
鎮痛剤が効かない、鈍い痛み。
でも明日は土日。父が心配するので自費でいいので近くのMRIを撮ってくれる脳神経外科へ。
結論は「脳も血管も細かくみたけど、きれいなもんだよ」と医師。
じゃあ脳じゃないんだ、一安心・・・と帰宅してから夕方、また吐いた。めまい。
病院で処方された薬を飲んで休んだ。
脳じゃないなら三半規管か・・・耳鼻科に行こう、と思って寝て、朝起きたら顔半分が下に下がっている気がする。片目がちゃんと開かないのだ。
おかしい。これはおかしい。
でも脳に異常はないってことだったではないか・・・
もう座れない。座ると右に倒れてしまう。
歩いても右に行ってしまう。
姉を呼んで、下まで付き添ってもらって病院に行こうと思ったのだが吐いてしまった。
これは異常だ、おかしい、なにかが起こっている、耳鼻科どころじゃない、外来してる場合じゃない。
「救急車呼んで」
と姉に頼んだ。
救急車はすぐ来て、車内で隊員にいろいろと確認される。
わたしは話せるし、意識もはっきりしてるし、手も足も上げられる。
「脳外科の先生にみてもらってるんですよね?」
と半信半疑という感じ。
でも絶対、この目が開かない、頬が下に下がってる感じはおかしい。
近くの病院に受け入れてもらえたのですぐに運んでもらう。
医師も半信半疑といった感じだったが、MRIなど検査に運ばれた。
MRIはほとんど意識なく、一回「もうちょっと撮りますね、大丈夫ですか?」と言われて再度、そして「もう少し大丈夫ですか?」と言われたときに「あ、これはなんかあるな」と感じた。
「おかしい」とは思ってたけど「自分の身に起こるなんて、冗談でしょ」っていう気持ちが吹き飛んだ。
脳に何か起こっている。
おいおいおいおい!昨日の夕方6時に何もないって言われたよ!
あとからよくよく考えたら、それから発症して処置が早かったから、今こうしてパソコンのキーを打ててる自分がいるわけです。
DVで通報、家出、離婚と、自分の身に起こったこととは思えないくらいのことが降りかかってきて、今度はなんなの・・・死ぬの?
そうなるとやっぱり娘のことが猛烈に心配になってきました。
困ったな、そしたら元夫に親権がいくんだろうか?姉の養子にしてもらえないだろうか・・・遺言書いておくんだった、遺言書いたらそれは有効になるのかな?とか。
でも、それからもう意識があまりありませんでした。
お陰様で日々の生活も落ち着いてきました。
まだまだ悩みは尽きませんが、ここに記すことで気持ちの整理をつけることができます。
これからは少しずつ更新していこうと思います。
どうぞありがとうございました!
離婚のこと、病気のこと、次々と降りかかる怒涛の人生を乗り越えて、生き抜いて、またブログを再開してくださってありがとうございました。
細かい嫌がらせが続いているということで、まだまだ油断はできませんが、まずは体調優先で、生活のほうも徐々に落ち着いていくといいですね。
りおちゃんの心の傷も気になりますが、お母さんが最善の判断をしたことが、時間をかけて少しずつでも伝わればと願っております。