魔法が解けたそのあとで

結婚、出産、育児、介護、お仕事。来た球を打ち返す、毎日のつれづれをつづりました。

出産2日目にして号泣したこと。

2022-03-06 18:12:19 | 夫のこと

夜明けに出産してからずっと、夫が部屋にいた&電話で全く休めなかった1日目。

やっと電話が切れて、少し眠ったところ、部屋の中でゴソゴソと音がして、目が覚めた。

あさの6時。夫がいた

「ヒッ!」と思いましたよ。「起きているとまた面倒なことになる」と思った私は息を殺して寝たふりをしていました。

夫は私の様子を伺っていましたが、洗濯物が入った袋を持って、部屋から出て行きました・・・。

妖怪!産後休ませないじじい!

もうなんだか、私の中でぷっつり何かが切れてしまい、号泣しました。

3日前の夜中もお腹で赤ちゃんが活発に動いていて痛くてよく眠れなくて、次の日ももっと痛くて眠れなくて、1分間隔て一日中陣痛があって、そのあと夜通し苦しんで明け方にやっと産まれて、食事もほぼ固形物摂ってなくて、それから全然休めていない

泣きながら、東京にいた姉に電話しました。そしてどれだけ私が休めていないか、夫に電話して、病室に来ないように言ってくれ、と頼みました。

姉は夫に電話して、「入院しているということは、静養が必要だからしている状態であるし、リツコは妊娠高血圧症でもあり家族以外は面会謝絶の状態なのだから、しばらく病室には行かないで欲しい」と言ってくれたそうです。

姉の説明に、夫は了承したそうです。

でも、また昼に夫はやって来たのです、出生届を書けと言って。

私は再度号泣してしまいました。なんで分かってくれないんだろう?

姉はまた電話をして「私の言ったこと、聞いてますか?!」と姉にしては強い口調で伝えたそうです。(姉は他人に対して怒ることは滅多にない人で、姉を怒らせた人は今までいないくらいの人です)

そしたら夫はこう言ったそうです。

「お姉さん、僕のこと、嫌いなんですか?」

「・・・私の言ったこと、聞いてます?💢」

姉はその時、とても違和感を感じたそうです。この人、なんかおかしい人だって。

まあ姉の剣幕もあって、流石にその日はもう来ませんでした、夫。

やっとホッとしてゆっくり休めたのは、2日目の夕方でした

母は1日休んで、顔を出してくれました。

その際、「リツコの出産が終わって待合室の椅子で疲れて座っていたらあっちのご両親が来てお父さんが私を見て『見ろ、母ちゃんのびてら』って言われたんだよね。こっちはやっと出産のお手伝いが終わって精根尽き果ててたんだけどね」と言うのです。

義母に「リツコさん、孫をありがとうね〜!」と言われてモヤッとしたり(私はあなたの孫を産むために頑張ったんじゃないです)」、「痛いけど、可愛いから忘れちゃってまた産むのよね!」みたいなことを言われたり(今回丸2日苦しんだからもう出産は絶対無理と思ってる、死ぬかと思った)、入院中何度かお見舞いに来ても、飲み物一本差し入れてくれないのはなんでなん?と思ったり。

ここで義両親に対してマイナス感情が生まれた頃でもありましたね

さて、出生届ですが、夫が自分で書いて提出したそうです。出生届を出す際に一緒に申請すると、地元の新聞に赤ちゃんの名前が掲載されるのですが、私の退院後にそこから電話がかかってきて「ちょっと字が読めないんですが・・・」とのこと。

この「夫の字が読めない問題」は深刻で、仕事上ちょっとしたメモもパソコンからプリントアウトしていたようです。私は夫に字の練習をしてほしくて何度も教材を購入して頼んだのですが、三日坊主に終わりました。字が汚い、というか、力の入れ加減ができないんですよね。だから全てが「はらい」で構成されているというか。だから読めない。

今も夫は、あの字を書いているのでしょうか

3日に姉を送り、母を迎えに、父が車で東北からやってきてくれました。

でも父は母を連れて、早々に帰ってしまいました。家に泊まらせない、と言われたことで、温厚な父は遠慮したんでしょう。

マスクをして娘を抱っこしてくれた父。写真を撮って早々に帰ってしまった父。「もう帰っちゃうの?」と本当に悲しかった記憶があります。

初めて夫に怒鳴られたのが、妊娠中の悪阻で具合が悪くて寝ていたときの事。

モラハラ夫は逃げられないようになってから本性をあらわすと聞きますが、妊娠して、出産して動けなくなってから、夫のおかしなところは次々に出てくることになるのですね。

今、父も母も、もうこの世にはいません。

あの時、本当に助けてくれた母。その母の葬式にも来なかった夫。

そんな夫を大事にして、母を疎かにしてしまったその後悔は、ずっと私の中で残っています。

夫と離婚したから、父の介護が出来た。父には、恩返しが出来たと思います。離婚してよかった。本当に今はそう思います。

 

 

 

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出産した日にあったこと〜食べられなかったトロのお寿司

2022-03-06 17:06:11 | 夫のこと

続きます。

私の陣痛は2日目になって1分間隔が丸一日続きました

もう本当につらく、夫に腰をさすってもらっても要領を得ず、飲み物を飲ませるとか気も利かない。はっきり言って役に立たない。むしろ邪魔。

いつもケアしてもらうことが当たり前な人は、出産に付き添うなんて、どだい無理な話だったのです。

俄然役に立ってくれたのは、母。

痛みが和らぐようにマッサージをしてくれたり、温めてくれたり、口に入りやすいゼリーなどを買ってきてくれたり。

なぜかまた義両親が来ていましたが飲み物一本持ってこず、ただ見て帰って行きました。(何のために来ていたんだろう・・・)

「やっぱりお母さんじゃないとダメだ」

そう思いました。つらい朝昼が終わり、夜になり、誰かひとり、付き添うことになりました。

私は迷わず「お母さん、お願いします」と頼みました。夫はさっさと帰宅して行きました。

夜11時くらいになり母も疲れ果ててしまった様子で、それを見た助産師さんが、「そろそろ分娩室に移って、お母さんはここで寝てください」と言ってくれました。

日中買い物に走ったり、腰をさすり続けてくれたので、母もベッドでバタンキューという感じ。

それから長い夜が明ける頃、やっと産まれる、と母が夫に連絡してくれました。でも、夫は1時間もたってからやっと生まれる直前になってやってきました。

うちから歩いて10分もかからない病院なのに、夫はシャワーを浴びて髪を整えてやってきたそうです

丸2日苦しんで、眠れなくて、食事もろくにとれない状態でやっと出産が終わり、部屋に帰った私。

でも、そこに夫が付いてきたのです。ずっと椅子にただ座っている。

「お前の母ちゃんが電話するのが遅いから、急いで来て病院の入り口で滑って転んで胸を打った」と言うのです。

どうも雨が降ったらしく、そこで滑ってしまったらしいのですが、ずっと肋骨あたりが痛い、と私に訴えるんです。

こっちはやっと出産が済んで眠ろうとしているのに、そばでうーんうーんと唸っている。なら病院に行ったら?と言うと「行きたくない、いい」と言う。うちに帰って湿布でも貼ったら?と言うと「お前の母ちゃんについててやれって言われた」と言う。だったらナースさんに言って湿布をもらって、と言ったら出て行って「ここでは湿布は出せないって言われた」とのこと。

そりゃそうですよね、ここ、産婦人科で整形外科じゃないし、あなたは患者じゃないし。

でもそこにずっといられても私も眠る事もできない

そもそも、なんで私があなたの心配をしなきゃいけないんだ?

夫は自分一人で病院に行かない人です。身重の私に付き添わせて食中毒で受診した時も、「奥さん妊娠してるのにこんなところに連れて来ちゃダメだよ!」と医師に怒られた人です。

もうだめだこりゃ、と思って私は苦肉の策、ナースさんに「頭痛がするから冷やすものを貸してください」とお願いして、それで夫にアイシングをさせました。

それで終わりではありません。

その後、夕方になり夫が「一旦帰って、出生届を書いてもらうから持ってくる」と言うのです。

は?産んだばっかですよ。しかも休めてないですよ?私。

自分で書けばいいじゃん、とお思いのみなさま。

夫は字が書けないんです。というか、字が汚すぎて、全ての書類は全部私に書かせるんです。

夫が帰ってやっと休める、と思ったのに。

恨めしく思いました。

一旦ホテルに帰った母が、戻ってきてくれていつも家族で行っていたお寿司屋さんからトロの握りを持ってきてくれました。

でも、私は妊娠高血圧で、出産時も光が目に入らないようにサングラスをかけ、産んだ後もカーテンを閉めた部屋で血圧が上がらないよう、病院食以外のものを食べないように言われていました。

私は食べられないよ、と言っても、母は「良いの、いいの」と言って冷蔵庫に置いていきました。

夫が戻ってきたら持たせよう、と思ったのですが、その夜夫が9時ごろ戻ってきて、医院のインターホンを鳴らしたのですが、開けてもらえなかったそうで、電話がかかってきました。

そして、その電話は2時まで続いたのです・・・

内容は主に「父親になっての感動」でした。それを延々と私に語る夫。

ハイになっていたんでしょうね、自分の子どもが生まれて。

でも本当につらかった

そして食べられなかったお寿司は、結局無駄になってしまいました。

お母さん、本当にごめんなさい。あのお寿司を食べなかったことは、ずっと後悔しています。

 

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「となりのチカラ」で思い出したこと。

2022-03-06 16:19:43 | 日々のこと

明日から普通の生活に戻ることになりそうです。

なんとなく以前のブログを見ていて「ここ抜けてるな〜」とか「就園前はテレビだけが楽しみだったんだね・・・」とかいろいろと思い出されていました。

しかし婚活からの結婚、妊娠、出産、育児、DV、離婚の流れがつぶさに見て取れて、大変興味深いですね・・・

これを見ていると元夫がなんとか結婚してくてあの手この手、甘言を弄してますね〜言葉はタダですからね・・・もう義両親が「若くて新しい奴隷が来た!」って感じ、すごいし。義妹、どうしてんのかな・・・。

もうラブラブな夫婦が、妊娠して逃げられなくなってからの変わり様がすごいですね。お互い。

元夫の「片付け」に対する執念とかあと浪費もすごいね

これ、娘が大きくなってきたらどうなってたんだろう・・・間違いなくぶん殴られてただろうな・・・などと思って読んでました。でも途中までしか読めてません。

やっぱり出産後はエントリーが少なくて。

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「ママになれるかな編」のブログ記事一覧-魔法が解けたそのあとで

「ママになれるかな編」のブログ記事一覧です。結婚、出産、育児、介護、お仕事。来た球を打ち返す、毎日のつれづれをつづりました。【魔法が解けたそ...

「ママになれるかな編」のブログ記事一覧-魔法が解けたそのあとで

 

出産の大変さは書き残してましたね。

出産の日、何があったか書かれてないことがあります。

ある意味、ターニングポイントになった日。

この日のことを思い出したのは、きっかけがあります。

「となりのチカラ」

https://www.tv-asahi.co.jp/tonarinotikara/story/0004/

このドラマの松嶋菜々子さん回の再放送が、偶然目に入ったんですね。

怪しい宗教に入信して、マンションの住人に水を売りつけようとする女性。どうも子どもを亡くし、もう一人の娘とも絶縁状態らしい。その娘の婿が訪ねてきて「仲直りさせたい」と言うので、また松潤演じるチカラがひと肌脱ぐ・・・という回。

良い人かと思った婿は、実は金をせびりにくるクズ野郎で、息子の墓前で鉢合わせした親子は思いを打ち明け和解する。そして婿に言い放つ。「二度と姿をあらわすな!」そして孫を迎えに行き、思わず娘が泣きながら言ったのが

「この子を産む時、一人で心細かったんだからね!」お母さんにそばにいて欲しかった、と。

そこで私の脳裏に浮かんだのは、トロのお寿司。

母が出産後に買ってきてくれたそのトロのお寿司は、誰にも食べられなかった・・・。

私の出産の際は、母親が出てきてくれて、そばに付き添ってくれた。腰をずっとさすってくれた。

そう、私はひとりじゃなかったのだ。

そう思い出したら涙が出て、止まらなくなった。

「ごめんなさい、お母さん。来てくれたのに、せっかく来てくれたのに、ごめんなさい」

ひとり、テレビを観ながら泣いていました。

私の出産に際して、退院後に手伝いに来てくれることになっている姉や、わざわざ姉の所によって姉を送ってきてくれる私の両親のために、夫はしばらく自分の実家に帰る、ということになっていました。

しかし、突然夫は「自分の親も泊めたことがないのに、なんでお前の親を泊めないといけないんだ」と言い出したのです。

姉が自分の子どもの幼稚園を休ませて一緒に連れてきて、退院後の私の面倒を一週間見てくれる。その姉を送るために、私の両親も来てくれることになっていたのです。

あちらの義母は、自分より実の家族の方がいいだろうということで何も申し出なく。(私はそれで良かったので、姉にお願いして来てもらうことになりました。)

姉だって、自分の家庭があります。でも「リツコには自分の時にお世話になったから」と義兄も賛成してくれて、来てくれることになってる。

それを再度夫に説明したのですが、夫は納得しませんでした。

夫が自分の親を泊めないのは、潔癖症だからです。

でも今回はお願いしてきてもらうのだから、夫も了解していたのに。

私はそう言われて困ってしまいました。

そしたら父は気を悪くしたようでしたが、ホテルを取るから大丈夫、心配するな、と言ってくれました。

そして迎えた出産。

私は妊娠高血圧症で検診からの入院になってしまいました。

それを両親に連絡したら、母は新幹線に飛び乗ってしまったとのこと。母は5時間もかけて駆けつけてくれたのです。

でも、私はそれに感謝できなかったんですね。「勝手に来てもらっても困る」と。

なんでそんな風に思ってしまったんだろう。今はそう思います。

夫と母は折り合いが悪くて、また夫の機嫌が悪くなるのが嫌だったんですね。事実、それを聞いてなぜか夫の両親が病院にやって来て、「お前の親が勝手に来るから、うちの親も来なくちゃいけなくなっただろうが」と夫に怒られました。

意味不明ですよね

そして夫の両親は何するでもなくただ私が陣痛で苦しんでるのを見ているだけで、帰って行きました。何しに来たんだ?

母が来てくれましたが、私は冷たい態度を取ってしまいました。

「夫婦でやるからいいのに」と言ったと思います。

母は帰りがけに「りっちゃん、お母さん来て迷惑だった?」と寂しそうに言いました。

今でも申し訳なく思います。本当に、あんな寂しそうな母の姿は初めてでした。遠くから、取るもの取りあえず駆けつけてくれたのに・・・

「自分たち夫婦で乗り越える」なんて、甘い見通しだったことを、私は次の日知るのです。

 

 

 

 

 

 

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コロナ陽性判明 その後の備忘録③

2022-03-05 13:29:00 | 日々のこと

こんにちは☺️

とりあえず、結果を書き残しておきます。
抗原検査キットで陰性が出た夕方からの一昨日の夜、激しい倦怠感と熱感があり、「これ絶対ヤバいやつ…」と思って次の日、娘が検査してもらった病院に電話したら「今日は検査やってないので明日早朝来れますか?」とのこと。
1日、なんだかスッキリしない感じで過ごし、日中は熱が下がり、夜になると微熱が出るという感じで朝を迎え、行ってきました。
まず、抗原検査をしてからとのこと。
娘は抗原検査してたので、すぐPCRしてもらえたのですね
私の場合、抗原検査で「出ないねー」とのこと。
これで娘が陽性じゃなかったら終わりなんだそうですが、私の場合は濃厚接触者なのでPCRへ。
ドキドキしながら待ちましたが、結果は…「陰性」でしたー❗️
娘の陽性が判明してから7日経ったら、娘からは伝染らないでしょう、とのこと。
今日で6日目…ゴクリ…
あと1日…❗️
これで晴れて仕事復帰できます。
あとは娘のこと。平熱に下がってますが、怠さはあるみたいです💦大丈夫かな…。
クリニックから帰宅して、ゴミ捨てのためにゴミ集めしていましたが、「うん?これはもう少しおいてから捨てた方が良いのでは?」と思い、ウイルスが滅するくらいまでしばらく置いて捨てることにしました。
しかし、私がうつらないというのは 
 
「私から伝染ったから(もう感染済み)」
「無症状で他から既に感染済みだった」
つまり、もう感染していて今の体調不良は後遺症なのか?
 
お医者様は「3回目ワクチン打ってたら寄せ付けないんだけどね」と仰っていましたが、私がワクチン2回目打ったのは9月の末です。まだ接種券も来ません。
ワクチンてそんなに効くんだ〜。
でも副作用がキツくて、私は39℃まで熱が上がり「怠くて寝ることが出来ない」という経験を初めてしました。
仕事も2日休んだし、3回目は躊躇してしまいます💦
 
娘は深く寝ています。
仕事復帰したあとはひとりで十日間の欠席期間の残り、ちゃんと出来るかな?
 
まあひとまず陰性ということで!
安心しました
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「月の夜 星の朝35」〜大人になったりおと遼太郎&麻衣ちゃん

2022-03-04 22:46:00 | 本・映画・テレビのこと

このブログ、今もアクセス数が多い記事があります。

なんと2012年の日記。

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「月の夜 星の朝 35」 - 魔法が解けたそのあとで

このコミックの題名を聞いて「懐かしい・・・」と思われる方はきっと同世代月刊「りぼん」に連載されていた漫画。映画化もされた作品だ。4歳の時に叔...

「月の夜 星の朝 35」 - 魔法が解けたそのあとで

 

「月の夜 星の朝」は子どもの頃大好きだった漫画。

私は主人公カップルより、りおの親友の麻衣ちゃんが好きでした

りおはすごく良い子で可愛くて優等生で、出てくる男の子がみんなりおを好きになっちゃう、という設定で。麻衣ちゃんが密かに好きな先輩・森村くんもりおが好きで

でもりおは、遼太郎のことがずっと忘れられなくて、彼のことを思い続けているのでした。

組み合わせるとクロスの形になるペンダント、憧れませんでしたか?

りぼんの裏表紙に通販で販売していたのを欲しいな〜と思っていたのも良い思い出・・・

本田恵子先生の絵も、カラーがとても綺麗で、女の子は可愛いし男の子はカッコいいし、大好きでした

そのりおと遼太郎が35歳になった時のお話がコレ↓

子どもが寝た後で、今回改めて読んでみました。

 

雑誌連載当時、追っていたのでなんとなくあらすじは憶えているんですが、まず22歳で結婚したりおと遼太郎、りおがイタリアから日本に5年ぶりに帰国する飛行機の中から始まるのですが、なんと遼太郎から届いたのは署名済みの離婚届だった・・・

というところからお話が始まるのは驚愕!

35歳の彼らは、離婚から始まるのですよ。

私の中で、りおはバスケも勉強も頑張る女の子で、特待生に選ばれるほど優秀だったのですが、アメリカでプロバスケット選手になった遼太郎と一緒に渡米し、彼を支えるために医学部も中退したみたいです

そこで28歳で流産をしてしまい、傷を癒すために始めたカメラで認められ、イタリアに渡っていたのです。

離れ離れの5年は、小さな頃からお互いしかいなかったふたりの心を離してしまう年月で。

怪我をして引退した遼太郎は、高校教師となり、バスケット部の顧問になっていた。

りおは帰国し、カメラの仕事に邁進する。

それぞれに新しい出会いや再会があり、その中で35歳になった仲間たちも、仕事やパートナーのことで悩み、傷つき、それでも歩いていく・・・という物語が6巻まで描かれています。

私の中で、これを読んで「りおってこんなに遼太郎だけの子だったっけ?」と思いましたが、りおが段々自分ひとりで立っていく姿に、応援する気持ちで読んでいました。

旧作で出てきていた女優の叔母さん、その夫の遼太郎の叔父さん、りおの両親は全く登場せず、逆に麻衣ちゃんのご両親が出てきていて、その辺の違和感が残りました

遼太郎の両親はお母さんは渡米し病死され、お父さんは伊吹のお母さんと再婚しているため、それに合わせてりおの両親は割愛されたのかな?

あと、本田恵子先生がおまけページで言及されていたのが遼太郎が教師になっていることにたいして違和感があった、ということ。

それは私も同じで、遼太郎という人は元々私、あまり好きじゃなかった笑って今回思いました。優しくないし、りおが自分を好き、ということは不動と思っている、りおが当然アメリカについてくると思っているし、愛想も良くないし、あまり魅力的な男性とは思えない

さらに友人の元妻と関係を持ってしまうとか、おーい!!!!としか

でも、怪我でリタイアし、埼玉の穏やかな街の中で教師をやっている、というのは腑に落ちましたスポーツ選手というのは引退が早く、第二の人生を歩む時間の方が長い。だからそれからの人生をどう歩むか。教師、というのはなんか良いな、と思いました。

本田恵子先生は、20代で初めての連載が「月の夜星の朝」で、30歳から35歳の間に3人のお子さんを出産されていたそうです。5年間はお仕事もセーブしていて、それから徐々に仕事復帰して、40歳で二輪免許を取得したそうです

仕事に邁進してきた20代、結婚出産した30代。本田恵子先生も、私たちと同じだったんですね。しかも、自動二輪免許取得なんてすごい

りおの友達もそれぞれ結婚して死別した人もいれば、歳上の人との関係を切れない人もいる。

そして私の好きな麻衣ちゃんは、森村先輩と付き合って別れてを繰り返して20年。

森村先輩といえば、北海道の大学に進学して獣医の道を希望していたのだけど、麻衣ちゃんが一人娘のため、獣医を諦め、東京の商社に勤務。

麻衣ちゃんの「お互い初めての人も別の人だった」という言葉が、おお、紆余曲折の20年・・・と思わせてくれました。

りおと遼太郎みたいに、初恋同士がずっと思い合っていて結婚する、というのは稀であって、周りの友達からは「りおと良太郎だけは永遠」と思われている節があって。

「そうはいかないのよ」というのが、この物語。ビターだな、と思います。

「初恋の相手と結婚したふたりは、末長く幸せに暮らしました」Ever Aftar、ではない。

麻衣ちゃんと森村先輩は、25歳の時に麻衣ちゃんのご両親に挨拶に行ったけれど、ご両親に許してもらえなくてそれから10年、激務を続けてきた森村先輩はようやくお許しをもらい、二人は結婚まで漕ぎ着けるのですが。

あることで揉めて、麻衣ちゃんはひとりで出産するのです。

お腹の赤ちゃんを守るために、ストーカーに付き纏われている森村でさえも「切る」と告げる麻衣ちゃん。

スゴツヨ。麻衣ちゃん、母は強し。ちゃんと納得するまで、一緒に生きていくことを許さない麻衣ちゃん

まあこれも太い実家と稼げる仕事があるからなんでしょうねえ〜と思うのはひねくれた中年だからなのでしょう

森村先輩って、旧作では麻衣ちゃんのこと、本当に好きなのかな?と思ってたけど、強くなった麻衣ちゃんに、本当に惚れたようですね

ここに出てくる男性、九頭竜先生とか若手バスケットプレイヤーとか、なんか惹かれる男性がいない・・「潰す」って言ったりプロポーズしてきたり、訳わからない笑 そんなことを言う人を愛せるわけないじゃん、と思ったり。女性は小鹿さんや聖子ちゃん、それぞれ共感できるんですけどね

まあなんやかやで大団円に至るのですが、まあいろいろあるのが35だよね・・・

 

麻衣ちゃん編がこの続編としてあるのですが、まだ未読です。

太いご両親に頼りながらお仕事と家事育児をする麻衣ちゃん。

バツイチ・イケメン上司が絡んできそうな続編。この上司が一番マシだったかな・・・

ハッピー・エンドのその先、読むのは怖いかもしれませんが、気になる方はご一読ください。

遼太郎が昭和49年生まれとは、思わなかったなあ。歳上だと思ってましたよ、ずっと

りおと遼太郎夫婦も出てくるみたいなので、楽しみにとっておきます

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コロナ陽性判明 その後の備忘録②

2022-03-04 02:59:00 | 健康

真夜中にこんばんは

私はひと眠りして起きたところです。
隣の部屋からなんか話してる声が聞こえる…と思ったら、娘が「星のカービィ」の新作ゲームのプレ版をやっていて、大興奮してました寝なさいよ、あなた…
えー…元気か…元気ならまあいいけど…
私が元気じゃないし
娘は朝、リモートで授業を受けたのですが、1時間目終わったところでダウン⤵️
熱を測ったら37.3度。休ませていました。でも今は元気になって起きてきた
コープのミールキットでブイヤベースを作って、姉が届けてくれたチーズパンと一緒に食べさせていたら、なんか熱っぽい…?
体温計で測ってみたら37.0度ジャスト。
微妙…。
でもなんだか熱が上がってきてる感じがするので、ベッドに潜りみました。
なんだか身体がだるくて動けない。
寒気もする。再度熱を測ったら37.6度。
でも、夕方検査キットで試したところ、陰性が出てました。明日もやって、陰性だったら出勤できる。
なのに、なんだかおかしいな…。
かつてない寒気で、手首が寒い。首にタオルを巻いて寝ていました。
暑くて一度起きました。汗をかいてる。
熱を測ったら37.4度。
あー、熱発しちゃったな〜
枕元のOSワンを飲んで、だるくてまた寝ました。
今さっき起きて測ったら36.7度。
下がってる…。
なんなんだろう、この感じは…。
さて、私に伝染ったのか、セーフなのか?
とりあえず、また寝ます。
おやすみなさい
 
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コロナ陽性判明 その後の経過備忘録①

2022-03-02 20:32:04 | 健康

こんばんは。

手短に経過を備忘録として残しておきたいと思います!

陽性判明当日。

娘、ずっと深く寝ている。熱は37.1度。熱感があり、鼻が詰まっている様子。

かかりつけの小児科は検査をやっていず、近くの小児科を当たるも「本日の予約は埋まってる、明日の朝かけてください」とのこと、しかし少し離れたクリニックで「夕方からなら枠を取ります」と受けてくださった。

時間に間に合わせて娘を起こし、あったかいタオルで顔と身体を拭いて、着替えさせる。

「ふわふわする」と言いつつもちゃんと着替えられた娘。

特に寒気などはしないとのこと、歩いて行けた。

クリニックでは少しふらついていたが、熱はやはり微熱。

PCR検査はそのクリニックで判定する機械があるため、10分ほどで結果が分かる。やはり陽性。

娘が医師に話した症状は「少し頭痛と喉の痛み。鼻詰まり。咳が少し出る」というもの。痰を切るお薬を処方してもらう。

処方箋は画像で送れるアプリで。

帰宅してすぐにベッドで横になるが、「お腹が空いた」というので鍋焼きうどんを作って食べさせる。それまで経口補水液とウィダーインゼリーしか食べてなかった。

それから比較的元気になり、スマホやスイッチをいじり始める。

逆に私が体調悪くなってきて、というかこれは疲れかな?

学校や塾に連絡し、自分の予定も変更。

なんだか頭痛がするので、イブを飲んで早めに休む。

娘は「明日から10日休み〜」となんだかご機嫌になってる。

姉が差し入れてくれたプリンも食べ、メキメキと復活している感じ。

ご心配おかけしました・・・

寝る前にまた熱が37度を越えてきていたので、まだ油断はできません。

父が使っていた血中酸素測定機もあるので、注意して経過観察します!

濃厚接触者の私が仕事復帰するには、4日目と5日目に抗原検査でいずれも陰性が出ることが必須。なのでこれをまた追加購入。

このキットとPCR検査が両方陽性が出たことから、信用できるかと判断しました。

どうか娘が治って、私が陰性でますように・・・

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