この作品は、ルネッサンス期のイタリア、フィレンツェで最栄華を
極めたメディチ家と、その名家と関わりを持つことになる稀代の
天才画家、レオナルド・ダ・ヴィンチの話で、冒頭、レオナルドは
老いのため寝たきり状態で、周辺の世話を弟子のフランチェスコに
まかせています。
このフランチェスコのもとに、不思議な微笑みの女性を描いた絵の、
モデルとなった人物は誰なのかと、その絵を買った持ち主は聞いてく
るのですが、レオナルドは明かさず、それがさまざまな憶測を呼びます。
晩年のレオナルドは、小説などを書いたりもするのですが、編纂を弟子
フランチェスコは毎日行い、いつの日にか、師匠レオナルドの本が世に
出回り、画家として名声もあり、さらに学問でも名声を轟かすことにな
ると意気もあがります。
しかし、レオナルドの回顧録は、生まれてからの十数年間と、その後
ミラノへ移り、フランスに渡っての生活は弟子に話したのですが、ミラノ
へ移る前のフィレンツェでの十六年間がまだ話されていないのです。
これを話すには、フィレンツェでの艱難辛苦、神に対する冒涜を吐露する
ことになるので、レオナルドは避けてきたのですが、死が間近に迫ってきて
いると感じてきたレオナルドは、今こそ語ろうと決意します。
そこで、語り手の自分を女性とし、女性の物語としようと・・・
そして、ここから描かれるのは、1460年、70年前後のフィレンツェ
の領主メディチ家を中心に、イタリアの都市国家の情勢、ローマ教皇会の
陰謀渦巻く世界。
メディチ家当主ロレンツォ、弟ジュリアーノ、当主の座をロレンツォに奪われ
幽閉されることになるレオーネとひょんなことから出会うことになる、ひとり
の少女アンジェラ。
アンジェラはロレンツォの計らいで、フィレンツェの有名な工房に弟子入りを
させてもらうことに。その工房によく顔出ししていた人物は、なんと「ビーナス
の誕生」や「春」で有名なボッティチェリ。
アンジェラは工房に入りめきめきと上達してゆくのですが、感性が時代をかなり
リードしている部分もあり、人物画こそすべての時代にあって風景画を重要視
したり、キリスト絵画で天使をバックショットのみで表現したりと、たびたび
周りの人たちと衝突します。
やがてアンジェラは独立、大きな仕事がくるのです。それはフィレンツェの花と
うたわれた当代一の美男子、すれ違う女性はみな彼に惹かれるとまでいわれた
当主の弟君ジュリアーノの肖像画を描くことに。
初めて出会ったころからアンジェラはジュリアーノの美しさの虜となるのです
が、しかしとうとう描けることに喜びかと思いきや、メディチ家を取り巻く
情勢は悪化の一途、さらに当主になれずに幽閉されていたレオーネがいつの間に
か、教皇の秘書となっていて、メディチ家にたいする恨みつらみをはらしてやろう
としており、こんな状況ではフィレンツェの花も曇り顔で、アンジェラはこれぞ
という表情を描けません。
そして、フィレンツェそしてメディチ家に恨みを抱く者たちが集結し、とうとう
打倒メディチの狼煙が上がることに・・・
作品中には1,2回しか名前は出てこないのですが、この時代メディチ家と交流の
あったヴェスプッチ家には、アメリゴという男が。
アメリゴ・ヴェスプッチとは、世界史のトリビア的人物で、さほど有名ではない
のですが、コロンブスが1492年にアメリカ大陸に辿り着き、しかしコロンブスは
この新大陸をアジアだと思っていたので、これをアメリゴが「いや、アジアではなく
別の大陸、新しい大陸である」と初めて明確にしたのです。
しかし、それがどういう経緯があったのか、新大陸の名前は彼の名前から「アメリカ」
となり、その後、後出しジャンケンのずるい奴、他人の業績を横取りする奴のこと
を「アメリゴのようだ」と不名誉な慣用句として残ってしまったのです。
この時代、芸術家というのは、男色であることが多かったようで、いやむしろ
芸術家の条件のひとつだったようですね。
アンジェラの話は、冒頭にもあったように、これは女性の名を借りたレオナルドの
話だと終わりごろになって気づき、芸術の追求とりわけ美への執着の前では、同性
ももちろん対象となるわけですが、後年になって「あれは冒涜だった」と思うように
なるのは、やはり背徳的ではあったのでしょう。
解説によると、作品中に出てくる事件、出来事などはだいたい史実通りだとのこと。
とすれば、内紛だの暗殺だのきな臭いことが日常ありふれていたり、昨日の味方は
今日の敵(逆もしかり)で、ルネッサンスといえば、中世という暗黒の冬の時代から
ようやく明けて、春真っ盛り!といったイメージだったのですが、そうでもなかった
ようですね。
極めたメディチ家と、その名家と関わりを持つことになる稀代の
天才画家、レオナルド・ダ・ヴィンチの話で、冒頭、レオナルドは
老いのため寝たきり状態で、周辺の世話を弟子のフランチェスコに
まかせています。
このフランチェスコのもとに、不思議な微笑みの女性を描いた絵の、
モデルとなった人物は誰なのかと、その絵を買った持ち主は聞いてく
るのですが、レオナルドは明かさず、それがさまざまな憶測を呼びます。
晩年のレオナルドは、小説などを書いたりもするのですが、編纂を弟子
フランチェスコは毎日行い、いつの日にか、師匠レオナルドの本が世に
出回り、画家として名声もあり、さらに学問でも名声を轟かすことにな
ると意気もあがります。
しかし、レオナルドの回顧録は、生まれてからの十数年間と、その後
ミラノへ移り、フランスに渡っての生活は弟子に話したのですが、ミラノ
へ移る前のフィレンツェでの十六年間がまだ話されていないのです。
これを話すには、フィレンツェでの艱難辛苦、神に対する冒涜を吐露する
ことになるので、レオナルドは避けてきたのですが、死が間近に迫ってきて
いると感じてきたレオナルドは、今こそ語ろうと決意します。
そこで、語り手の自分を女性とし、女性の物語としようと・・・
そして、ここから描かれるのは、1460年、70年前後のフィレンツェ
の領主メディチ家を中心に、イタリアの都市国家の情勢、ローマ教皇会の
陰謀渦巻く世界。
メディチ家当主ロレンツォ、弟ジュリアーノ、当主の座をロレンツォに奪われ
幽閉されることになるレオーネとひょんなことから出会うことになる、ひとり
の少女アンジェラ。
アンジェラはロレンツォの計らいで、フィレンツェの有名な工房に弟子入りを
させてもらうことに。その工房によく顔出ししていた人物は、なんと「ビーナス
の誕生」や「春」で有名なボッティチェリ。
アンジェラは工房に入りめきめきと上達してゆくのですが、感性が時代をかなり
リードしている部分もあり、人物画こそすべての時代にあって風景画を重要視
したり、キリスト絵画で天使をバックショットのみで表現したりと、たびたび
周りの人たちと衝突します。
やがてアンジェラは独立、大きな仕事がくるのです。それはフィレンツェの花と
うたわれた当代一の美男子、すれ違う女性はみな彼に惹かれるとまでいわれた
当主の弟君ジュリアーノの肖像画を描くことに。
初めて出会ったころからアンジェラはジュリアーノの美しさの虜となるのです
が、しかしとうとう描けることに喜びかと思いきや、メディチ家を取り巻く
情勢は悪化の一途、さらに当主になれずに幽閉されていたレオーネがいつの間に
か、教皇の秘書となっていて、メディチ家にたいする恨みつらみをはらしてやろう
としており、こんな状況ではフィレンツェの花も曇り顔で、アンジェラはこれぞ
という表情を描けません。
そして、フィレンツェそしてメディチ家に恨みを抱く者たちが集結し、とうとう
打倒メディチの狼煙が上がることに・・・
作品中には1,2回しか名前は出てこないのですが、この時代メディチ家と交流の
あったヴェスプッチ家には、アメリゴという男が。
アメリゴ・ヴェスプッチとは、世界史のトリビア的人物で、さほど有名ではない
のですが、コロンブスが1492年にアメリカ大陸に辿り着き、しかしコロンブスは
この新大陸をアジアだと思っていたので、これをアメリゴが「いや、アジアではなく
別の大陸、新しい大陸である」と初めて明確にしたのです。
しかし、それがどういう経緯があったのか、新大陸の名前は彼の名前から「アメリカ」
となり、その後、後出しジャンケンのずるい奴、他人の業績を横取りする奴のこと
を「アメリゴのようだ」と不名誉な慣用句として残ってしまったのです。
この時代、芸術家というのは、男色であることが多かったようで、いやむしろ
芸術家の条件のひとつだったようですね。
アンジェラの話は、冒頭にもあったように、これは女性の名を借りたレオナルドの
話だと終わりごろになって気づき、芸術の追求とりわけ美への執着の前では、同性
ももちろん対象となるわけですが、後年になって「あれは冒涜だった」と思うように
なるのは、やはり背徳的ではあったのでしょう。
解説によると、作品中に出てくる事件、出来事などはだいたい史実通りだとのこと。
とすれば、内紛だの暗殺だのきな臭いことが日常ありふれていたり、昨日の味方は
今日の敵(逆もしかり)で、ルネッサンスといえば、中世という暗黒の冬の時代から
ようやく明けて、春真っ盛り!といったイメージだったのですが、そうでもなかった
ようですね。