寒いです。冬だから当たり前だろということではありますが、どうも年を取ると寒さに対する耐性が弱くなってきたように感じます。というのも、個人的な話で恐縮ですが、今から15年ほど前までは体重が90キロ以上ありまして、はっきりいってブーデーでした。で、今は60キロくらい。体脂肪率も10%前後。つまり痩せています。年を取ったというよりも痩せたからより寒さに弱くなったのかもしれませんね。もうこの時期はお風呂に入ってあったかいごはんを食べてあったかい布団に入るのが何よりの幸せです。若い頃は海外で生活していたこともあって風呂は湯船なんていらないシャワーだけでじゅうぶんなどとイキってた自分が恥ずかしいです。
以上、暑さ寒さも彼岸まで。
さて、帚木蓬生さんです。初めて読んだ作品が「閉鎖病棟」でした、たぶん。どっちが本業かわかりませんが作家であり精神科医でもあるので、医療小説も書けば時代小説も書かれます。この作品は「ひみこ」と読みます。歴史の教科書で習ったのは「卑弥呼」ですけど、あと国名も「邪馬台国」ではなく、文中では「邪摩大国」になっています。
物語は、西暦1~3世紀の九州北部の伊都(いと)国、現在の福岡県の糸島のあたりですね。10歳になる針は祖父の灰と話をしています。この針と灰、そして針の父親の圧は「あずみ」の一族で、「あずみ」は代々「使譯(しえき)」という役で、今でいうと通訳と外国との折衝もする外交官のような役割で、言い伝えだと遠い昔に大陸から渡ってきたとされています。名前は代々(木火土金水)のつく漢字を繰り返す慣わしになっています。
「あずみ」は伊都国だけでなくその周囲の国にもいて、それぞれ阿住、阿曇、安住、安潜、安澄と変わっています。灰はもともと那国の王に仕えていて、那国の時代に遠く海の向こうの漢の国に正使として渡って、漢の皇帝から金印をもらうのですが、その印には那ではなく奴という字になっていたのです。奴は卑しい、下僕といった意味で、これは使譯にとっては痛恨のミスで、しかもそれが分かったのが帰国してから。那の国王は漢字が読めないのでバレなかったのです。
それからまもなく那国は伊都国との争いに敗れ、那国王は処刑されます。その処刑の前夜、灰は王に呼ばれ、漢からもらってきた金印を灰に預けて、どこかに埋めてほしいと頼むのです。処刑の場所は志賀島。王は処刑されて、亡骸は持ち帰られます。そのあとに灰は志賀島に渡り、金印を埋めるのです・・・と、これはあの例の「漢委奴国王印」の」エピソード。
やがて針は成長し、伊都国の使譯として漢に行くことに・・・
なんと伊都国そして使譯の話で文庫の上巻が終わります。あれ日御子は、邪摩大国は?下巻になってようやく登場。針の娘の江女が邪摩大国の「あずみ」に嫁いで、その孫の炎女が巫女として城で王に仕えていて、国王の娘が産まれる、というところから。日の出とともに産まれたので日の御子で日御子と名付けられます。王は長年の夢として漢へ朝貢することで、娘に漢の言葉を教えてくれと炎女に頼みます。
日御子は3歳で邪摩大国の女王になるのですが、大人が話していることも漢の言葉も覚えるのがはやく、韓の国に行っていた使節がいついつ返ってくるというと本当にその日に帰ってきたり、神通力があるんじゃないかしらと炎女はビックリ。
邪摩大国の周辺国では戦が起きて、日御子は周辺国に争うのをやめて連合国になりましょうと提案、戦は収まりますが、南にある求奈国は「やなこった」と邪摩大国に対して喧嘩上等・・・
炎女の甥の在が「あずみ」として大人になったときに、海の向こうの大陸では漢が滅んで魏・呉・蜀の三国時代になり、在は魏に朝貢し、魏の特使といっしょに帰国します。このときの記録が例の「魏志倭人伝」なんですね。
この作品では邪馬台国は九州説をとってますが、畿内説もありどっちが正解なのかはわかりません。あと「あずみ」一族は、のちに東へ向かって今の長野県あたりに落ち着いた、そこが安曇野(あずみの)になった、という伝承がありますが、安曇野にある穂高神社のお祭りが「御船祭り」といって山車が船の形をしていて、もともと海人族だったという古代のロマンを感じます。
「あずみ」には代々言い伝えられてる3つの掟があり、人を裏切らない、人を恨まず戦わない、良い習慣は才能を超える。素晴らしいですね。
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