「ワルトラワラ・第38号」(2015・2・1発行)を賢治研究者のA先生からいただいた。その122ページに
「●賢治周辺の聞き書き18 賢治エピソード落穂拾い 第二十一話 荻堀橋と安野橋 」と題して泉沢喜雄氏が書かれていたので、わたくしにとっては懐かしい場所なので拝読をした。泉沢氏は花巻の方のようですので、わたくしのこれから書きますのは蛇足です。
豊沢橋と荻堀橋との中間ほどに、砂利を運び出すための道路に沿って川原に下りる馬車道が作られていた。地図で言ふ荻堀と豊沢川の土手までの川原の草原が、佐藤隆房や関登久也の本に書かれている「エピソードの舞台」であった。
荻堀橋から約150m程の上流に、小川と少し高くなっていた小笠原農園の間に、我が家で地主から借りて耕作していた稲田が有った。この小川は「こおほね」等の良く生えていた湧水の小川で清流にふさわしい小川であった。南側の斜面崖伝いには、東北本線鉄橋ちかくまでクルミの木の古木に、夕焼け近くになるとカラスの大群が山にかえっる途中の集合休憩地であった。
この荻堀橋は南部叢書(第九册)「二郡見聞私記」(144・242p等)には「扇子堀」橋とある。