ロゴス古書

 年年歳歳 花相似たり
 歳歳年年 人同じからず 

佐藤紅歌と「岩手民報」

2012年01月04日 | 随想・日記

 

     佐藤紅歌についての覚書

 ≪佐藤紅歌氏・・・・本名佐藤源一(明30・1・13~ )は賢治とは小学校以来の友人。岩手毎日新聞・岩手日報・岩手タイムス・河北新報・岩手新報等の記者を次々に経て、現在は岩手民報社に勤務。書簡230を参照≫    「校本 宮沢賢治全集 第13巻 596頁 昭和49年12月20日発行」より

      写真コピーは、昆 憲治「岩手県の郷土紙物語:敗戦後発行の県中南部の郷土紙 1994・3)より

 上記によると、昆氏は岩手民報社の発行所が花巻町桜町2丁目で、編集兼印刷発行人は伊藤謹吾であるが、佐藤紅歌と同一人物と思ったが、やはり佐藤と伊藤は別人であろうとされて、伊藤謹吾はなに者か。と記されている。(文 要約しています)

 紅歌に付いては追々記するとしてここでは伊藤謹吾に触れたい。

 謹吾については桜の人なら知らない人はいないと思うが、佐藤隆房の自宅の近くに住んでいて、獣医(?)で伊藤熊蔵(克己の父)と戦時中賢治詩碑等でよく馬の交配を行ったりしていた。(詩碑の南側の松の間隔がてごろであったからであろうか) また 魚屋をしたこともあり、良く言えばなかなかのやり手人であった。紅歌ではなく、謹吾は別人である。

  つづく


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