世界には約140種類のフクロウ・ミミズクが存在するそうですが、島のフクロウならぬ「花巻ふくろうの会」の島二郎氏から
「・・・・材木町住居の最後の作品となることでせう」と、前書きに卒寿記念だと書き添えられた書面と「花巻文化財調査報告書」が送られてきた。
「花巻市の庚申塔 第十五報ー鍋倉前村庚申講と共に三十年ー」なる論考が載せられている。
上記の写真は、山の神さんに建立された七庚申石塔の部である。
「文字 宮沢賢治「雨ニモ負ケズ」手帳より拡大複写、手彫り刻字{石工 駅前大通り 阿部石材店}」とある。島氏は、「-手彫りの美を探してー花巻 碑 いしぶみ 」を平成六年にだしているが、「機械彫りになり、生きた文字の石塔が消えていく」のを歎いておられた。
島氏は、石仏の研究のみならず、多くの文化活動にも誠心誠意を尽くして来られた。フコロウの会もそうだが、現在の宮沢賢治学会が出来る前には、賢治精神高揚のために照井謹二郎氏と共に活躍をされて来たが、氏のフットワークの良さには感服の至りである。
「清水寺研究会」をたちあげられて、三大清水寺の一つであるといわれる「花巻清水寺」の研究に情熱を燃やして取り組んでいたこともある。「清水寺研究」は古刹文書特楫を合わせて計約600頁にも上る研究の集大成が為されている。
また、こんな事もあった。
清水寺研究会 2002年10月吉日
会長 島 二郎様
拝啓
錦秋の候、皆さまにはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
さて、今年8月キャラバン2002では、大変にお世話になりましてありがとうございます。
「音楽家になった喜びがわかるよ」 というスラバ(ロストロポーヴォチ)の言葉で始まったキャラバン、今回で四度めでした。スラバ、学生たちと岩手、秋田を回り、音楽をお届けできた事は、音楽家になって本当に良かったと思える日々でした。
多くの方々にサポートしていただき、現地では心温かな対応をして下さいましたことに、あらためて、心より御礼申し上げます。ありがとうございました。
皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます
敬具。
小澤征爾
このときの集会での警察からの警告 後に氏との一杯の時の苦労話が懐かしい。
(表題の書 小生への謹呈とある。 有難く拝受 お礼を申し上げます。)
く=(苦・九)
ろう=郎
小生旧生家の対岸に島という地名あり