『小鉄』が長い旅に出てから
殆ど川沿いの路は通らなくなっていた。
ふと、違う用事でその道を通り気付いた事がある。
納骨堂の裏のベンチの上に
こっそりと置かれた一握りの炒り子の山だ。
『小鉄』が来るのを楽しみにしていたおばあちゃんは
今でも、納骨堂の裏で煙草を吸うのが日課らしいのだが
毎日ベンチに炒り子を一握り置いて帰る。
多分『小鉄』が自分と違う時間にココへやって来て
お腹が空いていたら可哀想だからと
こっそりと置いていくのだ。
すると不思議な事に
翌日には綺麗になくなっているという。
勿論、『小鉄』が食べてなくなっている訳ではない。
近所に住む他の野良猫が平らげているだけなのだが
おばあちゃんは『小鉄』が食べたと思っている。
何だか切ない話だが
多分、
おばあちゃんにはそんな事はどうでも良いのだ。
こっそり積まれた炒り子の山は、
家を長く離れている者が無事でいるようにと
留守の者がそなえる「陰膳」のようで
河原の夕日が眩しく少し歪んで見えた。
おばあちゃんの煙草の煙が
少しだけ
目に沁みたのかも知れない。
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