路地猫~rojineko~

路地で出会った猫と人。気付かなければ出会う事のない風景がある。カメラで紡いだ、小さな小さな物語。

猫を抱く少年

2011-10-12 | 『茜』



その日は、たまたまの秋晴れで涼しく

猫に会えるか解からないけれど、

思い切って出掛けた。




団地の中の道をとぼとぼ歩いていると、

小学生になったばかりとおぼしき少年が

たった一人、公園の入口でじっとしていた。

初めは気にする事なく通り過ぎるつもりだったのだが、

私の足を止めたのは、

その少年の腕の中に居た子猫だった。



少年が大事そうに抱えた猫はキジトラの子猫で、

眠っているのか少年の腕の中でじっとしていた。

これはチャンスと撮影させて貰うつもりで

交渉してみることにした。



「ねぇ、それ、君の猫?」

「そう」

「何処で拾ったの?」

「お店で買ったの」(少年の顔色が変わった)

「ふーん。猫の写真撮らせて貰っても良いかな?」

「だめ」

「そっか、ごめんね。じゃぁね。」


こんなやり取りの後、

今日の撮影は無理そうだなと

一人がっかりしながら歩きだした。




少年と別れて、歩き出すと『おにぎり』が横切った。

2~3枚撮影して歩き出すと『キジ』と『茶虎』に遭遇。

散々撮影出来たので、仕上げに『リー』の所に挨拶しに行った帰り道、

団地の芝生の上で、子猫と一緒の『茜』に会った。

直ぐに隠れてしまったので撮影は出来なかったけれど

子猫は一匹しか居なかった。

「前にもこんな事があったな」と思いながら

子育てでやつれた『茜』の姿を数枚撮影した。





少年はお店で買ったというけれど、

どう見てもキジトラの子猫。

団地の子供は殆どといって良いほど、

猫をペットショップで買わない。

猫なんてそこいらに居るからだ。

大抵、野良猫が子猫を産むと近所の子供がチリジリに

親猫から子猫をもぎ取って家に連れ帰るが

子猫が大きくなる頃には再び、野に放たれる事が多い。




多分「拾った」と言えば、

少年は私から子猫を取り上げられると思ったのか

下手な嘘をついているのが可笑しかった。

母猫が人の姿になって

「私の子猫を返してくれ」と言いに来たとでも

思ったのかも知れない。




思った以上に撮影出来た帰り道

あの少年は、

子猫を玩具みたいに片手にぶら下げたまま

他の友達二人と賑やかに公園を駆け回っていた。









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異国の挨拶

2010-09-13 | 『茜』





久々に公園通りを行くと、

『茜』が団地の一階のとあるお宅のベランダに居るのに気づいた。



いや、『茜』だけではない。

もう一匹、以前この近くで出会ったキジとサビの混じったような子が

こっちを心配そうな顔で見ている。



お腹の辺りに小さな乳飲み子が二匹見えたと思ったら

私の視線に気が付いて慌ててカーテンの後ろに隠れてしまった。



暫く夢中でシャッターを切った。

すると、ベランダから人が現れ、声を掛けて来た。

「アニュ、アニュハセヨー」

「ん?」

相手は日本人(に見えるが)なのか、外国人なのか、

私は何を言われているか解からず、立ち上がった。

怪訝な私の表情に不思議なイントネーションの日本語で

「アンタ、韓国の人ジャないと?」

「こんにちは、日本人です」

「動物が好キトね?動物が好きなら動物園で撮れば良いノニ…」

「(駄猫は動物園にはおらんがなぁ)はぁ…猫撮ってます」

トンチンカンな会話が続いたが、

相手が日本人なのかはかりかねた私は曖昧な笑顔で挨拶をし、

その場を後にした。




どうやら、私は韓国人に間違われたようだ。

被っていた帽子が中国人っぽいと言えばそうなのだが、

まさか韓国人と間違われるとは思ってもみなかった。

それにしても、

僅かばかり知っている異国の言葉で話し掛けるとは、かなりの勇気だと思う。

…いや、相手が韓国人だったのか?…頭をひねりながら帰る私は

ふと、友人から聞いたノルウェージャンの話を思い出した。



その子はそれはそれはよく喋る猫らしいのだが、

何と言っているか解かりかねた飼い主さんは本気で

ノルウェー語を勉強しようかと悩んでいると言う。

良く話し掛けるタイプの飼い主さんに対する、

単なる「鳴き返し」という奴かも知れないが…。




一つ言える事は、異国の挨拶をするのなら

相手を良く観て(知って)からにした方が良い。

人を理解するには言葉が邪魔で、

猫を理解するには常識が邪魔だからだ。









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猫とマタタビ

2009-02-14 | 『茜』

「猫にマタタビ」とは良く言ったもので、

大抵の猫はマタタビが大好きだ。

でも、酒嫌いの人間もいる様に

猫にだって

マタタビ嫌いの猫もいたって不思議はない。




私の記憶の中での統計だけれど

意外と体格の良い雌猫にマタタビは効かない。

小柄な雌猫に限ってヨタヨタと酔っ払ったように

欲しがるのだ。




とてもマタタビが大好きだった『ミーディ』を思い出す。

小柄な雌猫で綺麗な三毛猫の『ミーディ』に

初めてマタタビを振舞った時の事だ。

グルングルンと転がってはテンションが上がり、

やたら爪を立てて引っ掻かれたのを覚えている。

それ以降、私の顔を見るなり

「姐さん、今日アレ、持ってませんでしょうか?」

ってな顔をして、

私の事を薬の売人を見るような目で見るのだ。

ちょっと良心が咎める罪悪感があるのは何故だろう。

麻薬と違い、副作用は無いのだが。





久々に『』に出くわしたので

『茜』にもマタタビをあげてみた。




彼女もかなりの小柄な雌猫だ。

凄い効き目の猫のダンスが始まった。

『ミーディ』の様に爪を立てはしないが

かなりの興奮の後、

「姐さん、まだ持ってませんでしょうか?」

って顔をする。




やはり、複雑な心境は否めない。












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独 立

2008-01-10 | 『茜』

仲睦まじい親子『茜』と『尚人』と『直人』にも、独り立ちの季節がやって来た。

『小鉄』が去ってからも公園に居続けた『茜』の事だから、

きっと『尚人』と『直人』がこの公園を去り、それぞれに新しい縄張りを作るのだろうと思っていた。

…が、公園を去ったのは『茜』だった。



猫の独り立ちは、厳しく非常にすら見えるライオンの崖落しにも似ている。

ある日突然やって来るからだ。

住み慣れた公園には、近所に住む猫好きの人達がこっそり置いていってくれる餌もある。

近くには川もあり、車にさえ気を付けて渡れば水場も近い。

猫にとっては安心して住める場所(好条件の縄張り)は財産、誰にも取られたくはない筈だ。

追い出そうとしても出て行かなかったから、自らが出て行っただけかもしれないが

「親心」という人間の主観で見たくもなる。


親を慕う子の心も、子を想う親の心も同じ。

鬼の様に突き放して置きながら、実は一番住み良い場所を子供に残して去る『茜』は、

したたかな優しさと、しなやかな強さを持った本当の母親だ。



「金」の為に親が子を殺し、「嫌いだから」と子が親を殺すこの時代。

私達に欠けているとても重要で、とても必要な何かを、

路地を行く猫が言葉なく教えてくれる。


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面  影

2008-01-01 | 『茜』

お花見をする猫を初めて見た。

公園に面した駐輪場の屋根で優雅にも桜を見ている。

羨ましい限りだ…好きな時、好きなだけ特等席でお花見を満喫出来る。

小柄で木登りが得意なのか、駐輪場横の銀杏や桜の木に登り、

屋根に飛び移ってお花見をする雌猫『茜』は、お腹も大きいヤンママのお転婆さんだ。



夕暮れ時に姿を表すので『茜』と呼ぶ様になった。

『茜』には連れがいて、兄弟なのか夫婦なのか…同じキジトラで良く似た雄だ。

二匹仲良く餌を貰いにやって来る姿が可愛くて、公園に毎日のように通い詰めていた。


日もすっかり暮れたある日、いつもの様に駐輪場へ行ってみると…

ボーイッシュな若い女の子が猫缶片手に紙皿と缶切持参でウロウロしていたので、声を掛けた。

話してみると落ち着いた口調で、獣看護士の学校へ通う学生だと応える。

こっちへ引越す前にロシアンブルーの『桜』という雌猫を飼っていて

四歳数ヶ月で亡くしたのを期に、仕事を辞め、獣看護士の学校へ行く決意をしたそうだ。

余程悲しい思いをしたのだろう。

その思いが、彼女の次のステップへと力を貸したのならば『桜』の死は決して無駄ではない。

毎年、桜の季節にはその時の気持ちを胸に頑張れるだろう。


野良猫に遇うとつい足を止めてしまう人は、

無意識にかつての相棒の「面影」を探しているのかもしれない。




気が付くと、屋根上の『茜』が桜の花びらの様に足元に降りて来ていた。



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