そいつと出会ったのは私が12~13歳頃だったと思う。
当時は月に一回見掛けるだけの存在だった。
付き合い始めたのは20代の頃。
将来に幸せな夢を持たせてくれそうなタイプで、
多分そんな所を気に入っていたんだと思う。
でも、何となく変な奴だと気付いたのも丁度その頃だった。
ある日、暴力を振るいだしたのだ。
恋をしていた当時は良い奴だと勝手に勘違いしていたので
自分さえ我慢していていれば何とかなるのだと思っていた。
会社の同僚に、「あんたの彼、少しどころかかなり変だよ。」
と、言われたのを期に少し距離を置く事にしたのだが
強制的に離れる事は私にとっては、彼から日々受ける暴力よりも
かなり辛いものだった。
離れていた間、少しは性格が丸くなった彼が
暴力のぼの字も姿を見せず大人しくなった頃、
私達は再会した。
距離を置いた事が好転反応を起こし、暴力は嘘のように消えていた。
このまま一緒に居られるんじゃないか…という幻想を抱きつつ
またいつもの暴力が再開するのではという危惧もあった。
30代の時に仲裁役の友人に出会い、姿を潜めていた暴力だったが
その友人と連絡を取る事を止めた頃、
40代になって私の目の前に再び彼の暴力が姿を現す事になった。
その後は、歳を重ねるごとに暴力の酷さが増して行った。
他人に相談しても信じて貰えない。
自分が我慢すれば大丈夫。
若い頃と同じように、そんな風に思っていた。
友:「もう、いい加減別れちゃえば?」
私:「うーん、一度は距離を置いたんだけどね」
友:「今度はシェルターみたいな所に入って完全に行方を知らせないとか」
私:「そうだね」
友人の勧めもあって私はシェルターに入る事を決めた。
40代に入って直ぐの事だった。
シェルターを出て直ぐに別の彼と知り合った。
全く暴力は振るわないどころかとても優しい彼で3年程付き合った。
私の仕事が忙しくなってきた時期、すれ違いを感じていたある日、
優しい彼は元彼の親友である事を始めて知ったのである。
私は再び、元彼の暴力の日々に舞い戻る事になった。
この頃、度重なる暴力で受けた痛みも苦しみも限度を超えてきた。
「私がビルから飛び降りれば、この苦しみから解放されるんじゃないか」と
考えた程だった。そう、そこまで追い込まれていたのだ。
暴力で受けた傷の痛みで夜も眠れず、痛みで意識を失う様に寝て起きるストレスは
次第に私の心を蝕んでいった。
友:「シェルターでも別れられないなら、もういっそ殺したら?」
私:「え?でも、そんな…」
友:「殺し屋なら知ってるよ」
私:「・・・・」
私は仲裁役の友人と再び連絡を取り、殺し屋と組んで彼を殺す事にした。
決心したのは良いが結構人気の殺し屋で、依頼したのに3か月も待つ事なった。
仲裁役の友人が良い奴で3か月待っている間は暴力からは逃れられた。
もしかしたら、このまま殺さなくても良いのでは…と思われたが
依頼した以上取り消しは出来ない。
そして今年、長い付き合いだった「暴力彼氏」とお別れが出来た。
ここまで読んで何か可笑しいと思われるかと思いますが、「暴力彼氏」=(私の子宮)です。
あまり知られていませんが、「子宮腺筋症」という病気をご存じの方もおられるかと思います。
所謂、生理痛が特に酷いのが「子宮内膜症」という奴(出産の痛みよりも上回ると言われています)
生活の質そのものが食い荒らされるが命には別状がない。でも死ぬほど痛い人もおられます。
「子宮腺筋症」というのはその上、もっとイタイ奴です。
「何だか変だな~」と思ったら早く婦人科へ行きましょう。
ほっておくと、しつこいストーカーの様にあなたの生活を脅かす事になります。
あなたの毎日が、廻ってくる季節が、最良のものとなりますように。
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