試写会(ハンサム☆スーツ)の待ち合わせで
友人を待っている間、
特設展示会があっていたのでチラチラと
写真を撮っていました。
ナチュラルな空気感と素朴な質感が
毎日の生活を彩りと和みのある空間にしてくれます。
そこには、
本があり
パンがあり
器があり
お菓子があって
家具がある。
お洒落なテーブルセッティングも魅力的。
インテリアの参考になるものばかりです。
偶然足を踏み入れた展示会でしたが、
「そこにある毎日」を素敵なものにする…
そんな何かに出会える展示会でした。
今日は何位?
←そこにある毎日に、クリック一つ。
寄り道するなら、
←村にも素敵な毎日がありますよ。
生まれ生まれ生まれ生まれて
生の始めに暗く、
死に死に死に死んで
死の終わりに冥し。
-空海-
食の恐怖が蔓延している。
今に始まった事ではないだろう。
食べることは生きること。
生きることは 他の命を いただいて いくことだ。
つかの間の利益の為に安全性に疑いのあるモノを
不特定多数の人々の口に放り込んだ罪は
どうやったら償えるのだろう。
「何処でもやっていること」
死人が出た訳ではないので
まだ大丈夫とでも言いたげな物言いだが、
毒性が強く蓄積するとなると
明らかに「長期大量殺人」になる。
人は 食べもしないのに 何故人を 殺すのだろう。
最近、小さな子供の命が
被害者であるその母親によって奪われ、
公園のトイレの裏で発見された。
母親は交通事故に遭って足が悪く、
育児で悩み、将来を悲観しての犯行と聞く。
まだ犯人が捕まっていなかったら
近隣に住む同じ位の子供を持つ親は心配で仕方なかっただろう。
でも皮肉な事に、
最近の殺人の殆どが身内による犯行と言うのも現実だ。
GPS携帯や防犯グッズ、そんな物すら
役に立たない相手が犯人だったりする。
沢山のヘリが空を飛んでいたその日、
私は事件を知らず外に居た。
川の向こう迄足を伸ばした時に
子猫の悲痛な鳴き声が聞こえた。
一匹の目が未だ開いていない子猫が
車の下で鳴いていた。
母猫はちょっと離れた所で
残りの三匹の子猫にお乳をあげていた。
母猫を見て、ハッとした。
片方の前足がグニャリと曲がって固まっていたのだ。
おそらく、交通事故だろう。
子猫を私から守る為、物凄い形相で威嚇した。
目が見えない子猫は見えないが故に親からはぐれてしまったのか
親猫も不具の体では取りこぼしたのかも知れない。
私は慌てて盲の子猫を抱え、母猫の元へ連れて行った。
母猫は私をちらりと見て、子猫を優しく舐め始めた。
再び、威嚇する事はなかった。
私達は人間としての尊厳や分別(フンベツ)を
ゴミと共に分別(ブンベツ)し、それを棄てて行く事で
自然淘汰を実践しているのかも知れない。
今日は何位?
←暗くてすいません。
←長くてすいません。
小雨の中歩き出すと、道路の向こうにキジトラの後姿。
『影虎』かな?と思って追いかけてみたが
振り向いた顔を見て愕然とした。
口の感覚がもう無いのか
よだれが止まらない猫の顔が恐怖に引きつっていた。
猫は死に際に姿を隠すと言うが、
自分で病気や傷を癒しに出て行くのだそうだ。
治ったら、戻って来る。
そうやって出て行っても、老猫には体力の限界があって
力尽きて家に帰れなかった猫は二度と戻らない。
病気のその猫は感覚が研ぎ澄まされた状態で、
麻薬患者が何者かに追われている幻覚を見るように
私に追い回されていると感じたのかも知れない。
どうする事も出来ないで足が固まった。
こちらを振り向いたその瞳には
出来ていた事も出来なくなる惨めさとか哀れとか、
おおよそ人間が老いや死に感じる感情は無い。
ただ逃げ切る気力と私への恐怖だけだ。
きっと最期の瞬間まで自分と戦うのだろう。
口からよだれを足元まで垂らしたまま
家と家の隙間によろよろと逃げて行く後姿を
ただ見詰めるしかなかった。
あの老猫にはあれから二度と会っていないが
私の頭の中で、今日も死に場所を探し彷徨っている。
今日は何位?
←老いぼれ猫に、クリック一つ。
←村にも捜索願いを…。