先日、近所のショッピングセンターで
食品を買いに行った時の事。
商品棚の通路をかごを片手に
うろついていると
後方から賑やかな子供達の声が響いた。
子:「一周して来たけん、よかろうもん!」
販売員:「だけん、大人と一緒に来てね」
子:「えー!!周って来たら良いって言ったやん」
販売員:「だから、お母さんと一緒に来たらあげるから」
…姉弟と思しき子供達が店内に響き渡る声で叫んだ。
どうやら、試食販売をしている販売員さんに
子供達が集っているのが見えた。
どうしてもお腹がすいていて何度も試食したがったのを
販売員さんが親を連れて来いと条件を提示していたのだ。
子供のやることだからと思って呆れて見ているのか
注意すべき親の姿はない。
怖い話だが、
ネグレクトではないかと子供達の服装をみたが
くたびれた服を着ているようにも見えなかった。
黙って何度も試食を繰り返してお腹いっぱいになるまで
食品売り場をぐるぐる回っている大人は見たことあるが、
子供達だけのこんな光景を見たのは初めてだった。
何だか怖い買い物だったのは間違いない。
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野良猫らしい顔というものがある。
所謂、誰にも頼らず独りで生きていく為に
過酷な環境を潜り抜けて
険しい表情をした野生の顔という奴だ。
そんな険しい顔をした野良猫達でも
ひとたび、猫を愛して止まない人に拾われ
愛情に包まれた日々を送るうち、
険しい表情や貧しい食事情から解放され
徐々に優しい愛され顔に変貌する幸せ者もいる。
人だって同じである。
過酷な環境(学校や職場という集団生活の中の虐め)で
険しさや貧相さを増す人もいれば、
不登校になったり、自らの命を絶つ人も存在する。
これらの原因の全ては「出会い」の成せる業なのだが、
素敵な出会いであれば幸せになり
はたまた、不幸を招く出会いになったりもする。
自分だけ損をしたくない狡猾な輩に
身ぐるみ剥がれて悔しい思いをする位なら
いっそ、怒りを示すか
その環境を捨てる勇気も持った方が良い。
何もせずその場に留まっていても
不幸の上乗せで、状況が悪くなる一方だからだ。
しかし野良猫だからといって、
貧相で険しい顔ばかりしているかと言えば
私の見てきた路地猫達の顔を見る限り、
そうとも言えない気がする。
野良猫とは思えない程、綺麗で可愛らしい顔をした奴らが
沢山存在するからだ。
猫は七つの家を持つと言う。
虐めで苦しむ人達に言いたいのは、
出来るだけ自らが居心地の良いコミュニティーを
猫のように七つといわず、二つ以上持つ事だ。
気軽にガス抜きをしていれば
その場所に拘り続ける事もない。
さっさと次を見付けて笑っているほうが
幸せで穏やかな顔をしていられる。
心地よい場所を誰よりも知っている奴(猫)に聞いてみると良い。
そして、自らの前から去って行く人がいても
しつこく後を追ってはいけない。
それがお互いが幸せでいる為のルールなのだから。
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