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切石区最古の馬頭観音像(宝暦3年(1753)作)
今回は、先日長野県飯田市まで遠征し市内の巨石巡りをして参りましたそのご報告です。
まずご紹介したいのは、“切石”の地名にもなっている飯田市鼎(かなえ)切石地区周辺に点在している“七妙石”です。
飯田市鼎切石地区には、この近くを流れる松川によって運ばれて来た石が豊富で昔から石材業が盛んだったそうです。今でも飯田市に石材店が多いのは、そんな理由からなんだそうです。
現在も周辺に点在するそれらの巨石にそれぞれ名称を付け伝承と共に語り継がているのが“七妙石”のようです。
七妙石は切石の他に、蛙石、駒石、太鼓石、鬼石、蔦石、分福石があるそうです。
まず訪れたのは、地名の由来にもなっている切石です。
ここの場所は、マップにも史跡として掲載されていましたのですぐわかりました。
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切石 行く手に邪魔だったので義経と弁慶が切ったとの伝承があります。良くある中央より亀裂の入った巨石です。過去に割れた片方が崖から落ちそうになったエピソードがあるそうです。(切石誌)お隣駒ヶ根市にも同名の巨石がありました。
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蛙石(蟇石)赤鬼が“蟇”ガマガエルと見間違って怖気づいて死んでしまったと伝わります。この角度からだと蛙に見えなくもない?
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駒石(駒の爪石)弁慶が大石を切っている姿を駒に騎乗した義経がこの巨石の上で見ていたと伝わる石。馬の蹄が火花を散らし石に食い込んだとも伝わります。蹄の跡にしては、大きいかも。
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太鼓石© 踏みつけると鼓のように響くと伝わります。静御前愛用の鼓を埋めた場所とも伝わります。駒石の先、道路沿いの民家の軒先にありますが荷物などが置いてあったりと見落としがちです。
(写真ご提供:飯田市教育委員会 文化財保護活用課 S様)
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蔦石© 山椒魚に引き込まれた男の変わり果てた姿がこの巨石と伝わります。民家の敷地内にあるので、注意ください。
(写真ご提供:飯田市教育委員会 文化財保護活用課 S様)
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鬼石© 山姥の化身、鬼の化身とも云われています。夜上がりの雨の朝方この石のどこかに鬼の顔が浮かぶという石
(写真ご提供:飯田市教育委員会 文化財保護活用課 S様)
以上六つの石までは、現在も所在地が判明していますが残りの一つは、諸説あるようです。鼎町誌(下巻)には「第七の石」として、以下の記述がありました。
⑴公会堂東裏、今は半分ない古墳の一部の文福岩(切石記)
※以前あった公会堂周辺は、大規模な道路整備工事のため現在消滅しているようです。
⑵大井川取入口にあった巨岩(現地立札)
※現在は、存在していないようです。
⑶大井川取入口の巨岩を指し示している「村界見当石」など
※こちらに関しては、今も現存しているか不明ではありますが、平成5年 切石公民館文化部発行の「切石区石造文化財30選アルバム」に、よれば“十二号村界見当石”として、掲載されていました。
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十二号村界見当石©(“切石区石造文化財30選アルバム”より転載)
- 妙琴浄水場の前の道路を隔てた草むらの中にある。
- 道路整備に伴い周囲が大分埋められてしまって、今は石の最上部がわずか1㎡位露出しているに過ぎない
この周辺には、他にも名も謂れも無い巨石が点在しています。
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切石のある旧道と思われる道沿いにあります。
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こちらも駒石の近くにありました。
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この配置は、意図があって故意に置かれたとしか思えないのですが如何でしょうか?
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田んぼの一画にある巨石 特に謂れなどはない様です。
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旧道沿いに並ぶ石造物群
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長野県で良く見かける甲子碑(☞関連記事)
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三界万霊塔 三界とは「欲界 色界 無色界」のこと。私たちが悟りを得て、仏に成るまでの間に、延々と生まれ変わり死に変わりするこの世あの世をまとめて、大きく三つに分けた世界のことです。
長野県諏訪地区には「諏訪七石」と言う全てでは無いにせよ何らかの祭祀を執り行う目的として祀られて来た巨石がありますが、以前訪れたお隣の駒ヶ根市にも「七名石」と言う伝承(後付け感は否めませんが)に伴う巨石がありました。
ここの「七妙石」も何時ごろからあったのかは、分かりませんがそんな諏訪にあやかったものである事は、十分予想はできます。
(9/9 写真 本文追記修正)
※所在地を特定するに辺り飯田市教育委員会文化財保護活用課 S様には、資料と、取材しきれなかった写真などのご提供を頂きました。この場を借りて御礼を申し上げます。
©と、ある写真に関しましては、転載禁止とさせて頂きます。)
【マップ】
※各石の、所在地に関しましては、なるべく正確にプロットしたつもりですが、多少位置が異なっている可能性もありますことをお断り致します。
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