サヨコの独り言

興味のあるものを「コンデジ」で撮影しに行ったり、
街で偶然に見かけたものを「スマホ」で撮っています。

《 伽羅人形展 》 -妖艶な人形の世界-

2022年02月08日 | 展覧会

成田駅前にある「スカイタウンギャラリー」に行って来ました。人形作家「伽羅」(Kara)さんの人形作品と、写真家「たかはしじゅんいち」さんとコラボレーションした写真作品の展示が開催されていました。展示は4種類、⑴夢の中に出て来た人形を再現した物・⑵「異形」(いぎょう)・⑶絵入り人形・⑷商品としての量産型人形など約38点の作品。30cm位の物から等身大までと多様でした。成田市の主催で開催されていました。「伽羅」さんは成田市出身・在住で人形教室も開いています。

人形は石粉粘土で形を作り、胡粉を塗ってから磨き、油絵の具で仕上げています。関節部分は球体で出来ていて自由に動かせる様になっています(球体関節人形)。着ている服も全て手作り。和服は古着をリメイクしたものでした。髪の毛は化繊毛・人毛など様々。「異形」には鳥の羽も使われていました。人形を展示する空間にも拘っていました。アンティークな家具や調度品などは古道具屋さんで集めたのでしょうか?人形が展示してあるというよりは、そこに居る様な空気感で不思議な世界でした。

メイン作品の「玉」(ぎょく)の眼には玉虫が使われていました。他のガラスの眼とは違った輝きがありました。「絵入り人形」は上半身だけのマネキンみたいなボディーに、アクリル絵の具で細密な鳥などの絵が描かれていました。それは「伊藤若冲」の「動植綵絵」を思わせる様な絵でした。「異形」の作品である「ミネルヴァの梟」にはフクロウの羽がたくさん使われていました。森の中で撮った「たかはしじゅんいち」さんの写真もありました。「貝の家-鉱石収集の家-」は50cm位のドールハウスの様な作品でした。

気になっていたので序でに見て来ました。昨年の7月からJR成田駅参道口のロータリーに成田市観光キャラクター「うなりくん」のイラストが描かれたポストが登場しました。日本郵政150周年記念事業の一環で、既存のポストにラッピングが施されたもの。今年の3月末まで設置の予定だそうです。「ぽすくま」は日本郵便のキャラクターです。

パンフレットより「玉」(新作)  /  上:「阿吽」 下:「薔薇のヴァンパイア」

ラッピングポスト・左側 / 前面 / 右側 < 裏面もあります(略) >

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《 豊国の描く浮世絵展 》 -成田山・市川團十郎を中心に-

2022年01月04日 | 展覧会

「スカイタウンギャラリー」で「浮世絵」の展示会を観て来ました。「成田市文化芸術センター」の収蔵作品を中心とした展示会で、2期に分けて開催されていました。< 第2弾 >は《歌川豊国》の初代から4代目までの作品の展示でした。「成田山」・「市川團十郎」を描いた作品が中心に展示されていました。

「歌川派」とは、江戸時代後期から明治にかけて大きな勢力を持った浮世絵師の一流派で、「歌川豊春」を祖とします。《歌川豊国》は弟子のうちでも影響が大きく、「広重」・「国芳」などへと続きます。

2代目:《歌川豊国》の門下で養子となった「豊重」が初代の死後に2代目「豊国」を襲名しました。しかし、【同門不承知】だったことから、最後は絵師を廃業して本郷3丁目で陶器商を営んだそうです。

3代目:兄弟子だった「国貞」が「豊国」の名跡を継いでいるが、なぜか本来は3代目に当たるにもかかわらず、2代目「豊国」の存在を無視して自らを2代目「豊国」と称しました。「豊重」と区別する必要があることから3代目「豊国」と呼びます。作画期が長く、その作品の量も膨大なものになっているそうです。

4代目:2代目「国貞」などと称することもあったが、4代目「豊国」としています。

パンフレットより(部分) / 図は3代目:成田山繁栄図より(部分) 

初代:芝居大繁盛之図 < 愉快な江戸町民の歌舞伎鑑賞姿です >

初代(肖像画より複製)  / 2代目:美人時世姿  / 2代目:恵比寿大黒図

3代目:成田山棟揚図(現釈迦堂建立の時のもの) < 中央後列右の老人が七代目市川団十郎です >

3代目:相続栄三升 < 歴代市川団十郎の当たり役を演じた役柄を集合させたものです >

3代目:歌舞伎十八番の内「矢の根」 / 3代目:歌舞伎十八番の内「暫」 / 3代目(肖像画より複製)

4代目:東京新吉原仲之街盛景ノ図

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《 楊洲周延展 》 -幕末志士となった浮世絵師-

2021年11月24日 | 展覧会

11月24日(水)、「スカイタウンギャラリー」で「浮世絵」の展示会を観て来ました。「成田市文化芸術センター」の収蔵作品を中心とした展示会で、2期に分けて開催されていました。< 第1弾 >は《楊洲周延》(ようしゅう ちかのぶ 1838~1912)でした。

《楊洲周延》は越後国・高田藩の下級藩士の長男として生まれ、「歌川国芳」などに師事した浮世絵師です。「神木隊」に属し、「彰義隊」にも加わって「戊辰戦争」を戦いました。しかし、「戊辰戦争」が終結後は【~好める道を以って世を渡らん~】と決意し、浮世絵師としての道を全うしました。「時代絵」、「役者絵」、「風俗画」、「戦争画」などを描きました。美人画に優れ、「千代田の大奥」や「真美人」などのシリーズで人気を集めました。

ついでに、「なごみの米屋総本店」の「ギャラリーなごみ」で《第23回 版画の会展》も観て来ました。色は使わず、黒白だけの表現に拘っているそうです。8人の方々の作品は、どれも細かい所まで気持ちが籠もった力作でした。

パンフレットより(部分) / 図は「不動」より(部分)

高貴演劇游覧図 -天覧歌舞伎-

佐倉義民傳(雪別れの場Ⅰ) -佐倉宗吾の名場面-

千代田の大奥(七夕) -「千代田の大奥」シリーズ-

鹿児島戦争記聞(古野手花世) -西南戦争- <コノテハナセは「この手離せ」の語呂合わせ>

いにしえ 金閣寺 -最賀正明様-  /  サンマルコ寺院の尖塔群(ヴェネツィア) -中島秀幸様-

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《 徳川昭武と渋沢栄一 特別展Ⅱ 》 -幕府再興とパリ万博-

2021年10月27日 | 展覧会

10月27日(水)、期日前投票を済ませてから、電車でJR松戸駅に行きました。あいにく雨が降っていましたが、「松戸市戸定歴史館」に行って来ました。「松戸市戸定歴史館」には数回行った事がありましたが、久しぶりだったので懐かしかったです。令和3年度は大河ドラマに因んで「徳川昭武」と「渋沢栄一」に関する展示になっていました。私が観たのは【特別展Ⅱ】の後期でした。【特別展Ⅰ】はあいにく観に行けませんでした。

【特別展Ⅰ】 「プリンス・トクガワ」-新時代への布石 (2月6日~6月13日)

【特別展Ⅱ】 「幕府再興とパリ万博」-1867・運命の転換点 (7月3日~10月31日)                                       

        -前期:7月3日~9月20日 / 後期:10月13日~10月31日-                                           

【特別展Ⅲ】 「明治日本の国際化」-徳川昭武と渋沢栄一の到達点 (11月20日~令和4年4月3日)

「徳川昭武」と「渋沢栄一」の一行は、15代将軍「徳川慶喜」の命により1867年の「パリ万博」へ派遣されました。「昭武」は往路の船中でフランス語の学習を始めました。横浜出航から約1ヶ月半後、上海や建設中のスエズ運河・地中海を経て、貿易港「マルセイユ」に到着しました(到着時、満13歳6ヶ月位)。パリに着いてから、「昭武」は将軍名代としてフランス皇帝「ナポレオン3世」に国書を奉呈しました。「ナポレオン3世」は、自分の皇太子(11歳1ヶ月位)と年齢の近い「昭武」に親しく接し、友好関係を深めました。皇太子からは「愛犬リヨン」が贈られています。《 プリンス・トクガワ 》と報道され、当時のヨーロッパで最も有名な日本人の一人だったようです。

一方、この時フランス政府は、メキシコ独立運動などに由来する経済的な停滞が始まっており、幕府が再興の一手として期待する支援策が実現不可能になりつつありました。幕府再興への道が停滞する中、日本では「慶喜」が「大政奉還」に踏み切りました。次期将軍の有力候補だった「昭武」は、明治新政府から帰国命令が出されます。「パリ万博」の終了後も留学を続けていましたが、生命もかかった決断をし、わずか1年と数ヶ月で帰国しました。でも、「徳川昭武」と「渋沢栄一」は多くのものを学んだようです。

帰国後は長兄の水戸藩主「慶篤」が死亡した為、最後の水戸藩主になりました。水戸藩知事を経て29歳で隠居するまで、フィラデルフィア万博に参加し、フランスに再留学したり、ヨーロッパ各国を旅行しました。隠居の地の《戸定邸》には生母「秋庭」(しゅうてい)を伴い、家族と一緒に移り住みました。隠居後はたびたび静岡を往来し、「慶喜」と写真撮影や狩猟に出かけるなど交流を深めたそうです。「慶喜」も時々《戸定邸》を訪れました。「徳川斉昭」の7男と18男で年齢も16歳と離れていましたが、とても仲が良かったようです。

10月13日からは「慶喜」所用の「白羅紗葵紋付陣羽織」と陣笠(東京都江戸東京博物館・所蔵)、「昭武」所用の「緋羅紗地三葉葵紋陣羽織」と陣笠(松戸市戸定歴史館・所蔵)を合わせて、154年ぶりに兄弟の陣羽織が一堂に会しました。また、スイス特命全権公使から贈られた懐中時計には、表蓋と裏蓋があり、裏蓋内側に驚異的な精密さで「昭武」の肖像が七宝で描かれていて目を引きました。他には「大政奉還」の「建白書」や手紙・写真など貴重な資料が展示してありました。

余談ですが、7月5日(月)に大河ドラマで「徳川昭武」を演じた「板垣李光人」(りひと)さんが「戸定邸」を訪問したそうです。(写真と文はフリー冊子『松戸市×晴耕雨読』より) 

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                  パ ン フ レ ッ ト よ り                      表:イギリス訪問時に紹介されたニュースのイラスト 裏(部分):昭武の衣冠姿 / 断髪姿の渋沢栄一 / マルセイユでの集合写真 / 慶喜の衣冠姿 / 昭武の陣羽織 / スイス特命全権公使から贈られた懐中時計

徳川昭武年表(パンフレットより)

表座敷の縁側に腰掛ける板垣さん / 昭武が着用した陣羽織(複製)に袖を通した板垣さん

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《 橋本大輝選手・並木月海選手写真展 》 -スカイタウンギャラリーにて-

2021年10月13日 | 展覧会

《 橋本大輝選手・並木月海選手写真展 》
~東京2020オリンピック選手の記録・みんなの記録~
期間:令和3年10月2日~令和3年10月17日
※ 続けて両選手それぞれの地元と市役所でも開催されます

「東京2020オリンピック競技大会」に於いてメダルを獲得した、成田市出身の「橋本大輝」選手・「並木月海」(つきみ)選手の競技中の姿やゆかりの品を展示する写真展が開催されていました。また感動が蘇って来ました。あいにくメダルの展示はありませんでした。実物が見たかったので残念です。

「橋本大輝」選手は、体操の「個人総合」と「種目別鉄棒」で金メダルを獲得し、「団体」でも銀メダルを獲得しました。「個人総合」での金メダルはオリンピック史上最年少だったそうです。現在は順天堂大学在学中です。2人の兄の影響で6歳から体操を始め、高校は船橋市立船橋高等学校に進学しました。美しい演技が持ち味のオールラウンダーです。

「並木月海」選手は、「ボクシングフライ級」(51kg)で銅メダルを獲得しました。現在は自衛隊体育学校所属の陸上自衛官で階級は3等陸曹。格闘技一家に育ち、高校はボクシングの強豪校である埼玉県加須市の花咲徳栄高校に進学し、成田市から往復5時間かけて通学していたそうです。笑顔が可愛い22歳(オリンピック時)です。

予選・平行棒(7/24)  /  個人総合決勝・跳馬(7/28)  /  個人総合決勝・あん馬(7/28)

個人総合決勝・つり輪(7/28)  /  種目別決勝・鉄棒(8/3)  /  種目別決勝・鉄棒の表彰式(8/3)

成田市表敬訪問時(9/8)・うなりくんに直筆サイン / ミライトワに直筆サイン(左耳)

成田市表敬訪問時(9/8)・色紙へのサイン  /  出身小学校の在校生による寄せ書き

ボクシングフライ級・準々決勝(8/1) / 自衛隊体育学校のポスター / 銅メダルを獲得(8/7)

「並木月海」選手のシューズ  /  自衛隊体育学校の色紙へのサインと御礼の手紙

「鈴木月海」選手の出身小学校の在校生による寄せ書き  /  出身中学校の在校生による寄せ書き

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《 アニメトーイ水彩画展 》 -成田市役所にて-

2021年09月14日 | 展覧会

成田市役所・ロビーで、北総地区と縁の深いタイ人イラストレーターの「アニメトーイ」氏 (本名:チャットチャイ・タンマーピロム氏) の水彩画展が開催されていました。建築を専攻していたことから家屋を描くことが多い画風で、光の加減を巧みに表現しています。 幼い頃から日本のアニメに強い影響を受けたそうです。また、「日本政府観光局バンコク事務所」からは「訪日観光に貢献した旅行ガイドブック」の「ユニークガイドブック賞」を受賞しています。 全20作品を展示。 北総地区を巡回展示しています。馴染みの風景が多かったので、親しみを感じました。

成田市役所の正面には「東京2020オリンピック」でメダルを獲得した成田市出身の選手の垂れ幕が下げられていました。「橋本大輝」選手は、体操の「個人総合」と「種目別鉄棒」で金メダルを獲得し、「団体」でも銀メダルを獲得しました。「並木月海」選手は、「ボクシングフライ級」で銅メダルを獲得しました。9月8日(水)には、「橋本大輝」選手が成田市役所に表敬訪問し、「成田市市民栄誉賞」の授与式が行なわれました。「消防音楽隊」が【栄光の架け橋】を演奏し、職員の皆様で出迎えたそうです。今後の活躍が楽しみです。

尚、「並木月海」選手の表敬訪問・「成田市市民栄誉賞」の授与式は後日に行なう予定だそうです。

◆上段右:新勝寺の仁王門 ◆中段中:佐倉ふるさと広場 ◆下段左:房総のむら / プロフィール

成田市役所の正面  /  「橋本大輝」選手・「並木月海」選手の垂れ幕

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《 関東の山車人形と成田祇園祭展 》 -スカイタウンギャラリーにて-

2021年07月07日 | 展覧会

「五穀豊穣」・「疫病退散」などを祈願する「成田山奥之院」の祭禮(成田山祇園会)について、文献では享保6年(1721年)には行われていたとの記載があり、これを起源とすると今年は300年の節目を迎えます。そのことを記念して、6月5日~7月11日まで《 関東の山車人形と成田祇園祭展 》が開催されました。尚、「成田祇園祭」は昨年に引き続き中止になりましたが、「奥之院」の特別開扉などは執り行われていました。

スカイタウンギャラリーの4階で人形師・三代目「原舟月」の作品など関東各地にある有名な「山車人形」の展示がありました。途中、前期と後期で一部の「山車人形」の展示替えが行なわれました。尚、「原舟月」の初代は根付師・雛人形作りで有名でしたが、二代目・三代目から「山車人形」を作るようになったそうです。「日本武尊」と「神武天皇」が何点かありましたが、人形師によって顔が違っていました。三代目「原舟月」の作品(印)は武者人形の様な感じで、「日本武尊」はかなり美男子に作られていました。二代目「仲秀英」作の「日本武尊」は高さが2m位あって迫力がありました。

5階では「成田祇園祭」の「歴代ポスター」や「古写真」、今年の当番町・本町の「法被」や「獅子頭」が展示してありました。「山車」・「屋台」の「ミニチュア模型」の展示もありました。「ミニチュア模型」を出品したのは成田市の「岡崎典利」(おかざきつねとし)さん。15年前に娘さんの嫁ぎ先の「本三里塚」の「屋台」のミニチュアを作ったのがきっかけだそうです。1/10サイズで骨組みから細部の装飾まで再現し、車輪や仕掛けは本物同様に動かせるように拘って作ってあるとの事。1台作るのに2~3年位掛かるので現在8台が完成し、残りは制作中の「東町」の屋台と「土屋」の山車の2台となっています。

右上:神武天皇(山本福松)  / ◆左中:関羽(三代目・原舟月) ◆右中:日本武尊(二代目・仲秀英) 

三代目「原舟月」作(印) 右3段目:神武天皇  / ◆左2段目:日本武尊 ◆左3段目:神武天皇

上町の屋台 / 幸町の山車 / 田町の山車

仲之町の山車 / 囲護台の山車 / 幸町の山車 / 成田山交道会の山車 / 本町の山車

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《 日暮えむ展 》~ひぐらし日記より~ < 昭和の時代にタイムスリップ >

2021年05月18日 | 展覧会

5月18日(火)、買い物のついでに成田の「スカイタウンギャラリー」に行って来ました。「日暮えむ」さんは成田市北部の利根川沿いの村に生まれ育ち、居住しながら活動している漫画家です。小学3年生の時、担任の先生に勧められて「日記」を書き始めて以来、40年以上もずっと欠かさず書いてきたそうです。その日記を基に描かれたのがエッセイ漫画の《ひぐらし日記》。それが2019年「コミックエッセイ大賞」の「審査員特別賞」を受賞しました。

今展では、その中から15話を展示。人物とセリフは「日暮えむ」さんが描いてクラウドに上げ、その後に背景をイラストレーターで息子の「Dounta」さんが「i Pad」で描き入れているそうです。ユーモラスに描かれた昭和の時代の懐かしい話にほっこりと癒されました。

成田空港の開港により、空港側から騒音防止の為に小学校が木造から鉄筋コンクリートに建て替えて貰え、当時6年生だった「日暮えむ」さん達が新校舎への引っ越しをしたとの事。でも数ヶ月しか使えなかった新校舎。中学生になったら、今度は中学校を建て替えるからと今まで使っていた小学校の木造校舎への逆戻りで引っ越し。中2になったら、また新しく建った校舎への引っ越しと校庭の整備や芝張りなどの重労働が待っていたそうです。まさに呪われた世代となってしまった「日暮えむ」さん達の様子がリアルに描かれていました。

明治生まれの曾祖母さんの思い出話には、たくましさと愛情深さに溢れていました。また、成田山名物の「瓜の鉄砲漬け」の中に入っている「しそ巻き」の話は私にとっても身近に感じられました。畑で栽培していた「赤じそ」と「トウガラシ」を使って女4世代で内職で作っていたそうです。大好きだった曾祖母さんの葬儀の話では、昭和の時代まで残っていた「土葬」という風習の様子が詳細に描かれていました。これは私の知らない事ばかりでした。

尚、詳しくはクリエイターと読者をつなぐサイト、「cakes」(ケイクス)にて《新ひぐらし日記》として配信中です。

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《 第91回郷陽会展 》 -企画展示 <郷陽会90年を彩った人たち>-

2021年04月06日 | 展覧会

昨年、「郷陽会」は90周年を迎えました。コロナ禍により中止になっていた創立90周年企画 <郷陽会90年を彩った人たち> が今年、成田の「スカイタウンギャラリー」にて開催されました。

会の名前の由来は、故成田の太でありたいという願いを込めたと伝えられていますが、勉強会終了後、酒を酌み交わしながら絵画談議にふけった事から「今日酔おう会」という意味も。また、商店街の人たちが教養を高める目的で参加した為、「教養会」とも洒落たようです。それにしても、90年以上も続いているのは凄い事だと思います(1930年創立、研究会は1927年に発足)。歴史が感じられる見応えのある展示でした。

会員の作品83点、会員の紹介による一般作家の作品13点、企画展示として創立当初から続く作家の作品27点が展示されていました。一般作家の中には高校生の作品7点もありました。 【時間よ止まれ】は様々な大きさや色の花の紙を点描の様に貼って作られた作品でした。

「篠崎輝夫」先生は第8代と第10代の会長を務め、合計で24年歴任して会の発展に寄与して来ました。生涯のテーマは「シルクロード」で、取材旅行は17回に及んだとの事。「郷陽会」では90周年を迎えた昨年、今は亡き篠崎先生の言葉を正式に会の理念として掲げる事を決めたそうです。

パンフレット・表:題字は「篠崎輝夫」筆 / パンフレット・裏・右中:【長安の月】油彩(篠崎輝夫)


【群鶏】油彩(一般・櫟秀幸) / 【時間よ止まれ】ミクストメディア・コラージュ(一般・松丸典代)


【大顔面】木炭(篠崎輝夫) / 【大和田真理さんを描く】木炭(篠崎輝夫) / 篠崎先生の言葉

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《 文明開化と明治浮世絵展 》 -スカイタウンギャラリーにて-

2021年03月03日 | 展覧会

《手作りのおひなさま展》と同じ日、引き続き《文明開化と明治浮世絵展》を観て来ました。近世江戸時代に開花した「浮世絵」は、明治維新後には人工染料である「アニリン染料」(洋紅)を多用し、新時代を象徴する鮮やかな色彩として好まれました。この様な絵は「赤絵」と呼ばれ、空や森まで真っ赤に表現されていました。明治時代の「浮世絵」は、目新しい蒸気機関車や鉄道馬車・洋風の衣装や建築物などがその変化の象徴として描かれ、東京みやげとして全国に広められました。本展では、変わりゆく東京・横浜の風景や、成田市ゆかりの「市川団十郎」(九代目)の歌舞伎の「浮世絵」など45点が展示されていました。

【 東京浅草寺並二公園地陵雲閣ノ高塔其他近傍吾妻橋遠景之真図 】(横3枚続のうち2枚)には、「浅草十二階」として有名だった「凌雲閣」が描かれています。「凌雲閣」は当事の日本で一番高い建物で、「電動式エレベーター」を備えていました。関東大震災で半壊して解体されました。

【 東京名所之内 不忍の池競馬会社開業之光景 】(横3枚続)は「上野不忍池」で行なわれていた競馬が描かれています。馬券は発売されず、ギャンブルとしての開催ではなく、屋外の鹿鳴館ともいうべきものだったそうです。明治天皇をはじめ華族、政府高官や財界人を含む多くの観衆を集めて華やかに開催されました。

【 東京府下自慢競 駿河街三井 】(縦1枚)は現在の日本橋室町の「三井本館」と「三越本店」の間の「江戸桜通り」を描いたものです。「駿河街」の名は「富士山」の眺望がきく景勝の地であることに因んでいるそうです。

明治時代に写真術が輸入されると、「役者絵」・「相撲絵」に代わる物として【 ブロマイド 】が販売される様になりました。尚、【 江戸町壱丁目玉屋内 若紫 】(縦2枚続)は江戸末期の作品です。これと同じ「浮世絵」が「アメリカ・ボストン美術館」に収蔵されています。

パンフレット・表・下段左:【 東京府下自慢競 駿河街三井 】 <江戸桜通りを描いたものです>


【東京浅草寺並二公園地陵雲閣ノ高塔其他近傍吾妻橋遠景之真図 】 / 【 東京名所 二重橋 】


【 東京名所之内 不忍の池競馬会社開業之光景 】


日本橋室町の三井本館と三越本店の間の江戸桜通り / ブロマイド /【 江戸町壱丁目玉屋内 若紫 】

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《 手作りのおひなさま展 》 -スカイタウンギャラリーにて-

2021年03月03日 | 展覧会

3月3日(水)、成田のスカイタウンギャラリーで「手作りのおひなさま展」が行なわれていました。おひなさまをテーマとした手作りの作品展です。様々な材料や手法で表現されていて、どの作品もとても素敵でした。いっぺんに春が来た様な気がしました。

粘土細工のおひなさま(樹脂粘土)  / 押し花のおひなさま(バラ・パンジー・ユキヤナギ他)


重ねひな折りの段飾り(和紙) / 木目込みアート(額)


十二支のおひなさま(粘土) / ちりめんで作ったおひなさま


くす玉折りで作ったひな人形(和紙・リボン)  <今にも踊り出しそうです>


吊るし雛・2種 <他にも様々な吊るし雛がありました> / 木で作ったおひなさま  

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《 なりた市民コレクション展 》 -スカイタウンギャラリーにて-

2021年01月11日 | 展覧会

「成田のスカイタウンギャラリー」で《なりた市民コレクション展》が行なわれていました。市民が所蔵する逸品を公募したものです。千葉県にゆかりのある文化人の作品、書道・洋画・日本画・陶芸などが多数展示してありました。

「山岡鉄舟」氏の「扁額」は作品リストによると【倶随恵化春】。「李白」の詩に【風随恵化春】というのがありますが、これをもじったものでしょうか。また、明治21年に山武市立「蓮沼小学校」の木造2階建ての洋風校舎が完成した折には、玄関に「山岡鉄舟」氏の【蓮沼学校】の「扁額」が掲げられたそうです。

「伊藤公平」氏は現在の成田市押畑に生まれ、絵画に親しんだが、親に諭され教職へと進んだそうです。教職のかたわら歌人としての活動にも力を入れ、それは晩年まで続きました。39歳で退職後は小説・随筆・歌集が出版されました。また、千葉県内の小・中・高校の校歌の作詞も多数手掛けました(14校)。展示してあった作品はユーモラスでほのぼのとした絵でした。

「篠崎輝夫」氏は地元の成田市に生まれ、成田市立成田中学校に美術教諭として8年間勤め、「光風会常任理事」・「日展評議員」などを歴任していました。パンフレット・表(左中)の「椿」など4作品が展示してありました。

2020年12月22日に行きましたが、マスクの着用、検温、手指の消毒、連絡先の記入などのコロナ対策がとられていました。

パンフレット・表・・・右上:「かぼちゃ図」(武者小路実篤) / 中:「短歌」(正岡子規)
パンフレット・裏・・・左上:「短歌」(斎藤茂吉) / 右中:「ふくろう」(西俊夫)


うなりくんと会場の様子 / 上:「扁額」(山岡鉄舟) / 下:「金太郎図」と「笑喜さま」(伊藤公平)

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《 手作りのクリスマス展 》 -スカイタウンギャラリーにて-

2020年12月22日 | 展覧会

成田のスカイタウンギャラリーで「手作りのクリスマス展」が行なわれていました。クリスマスをテーマとした手作りの作品展です。様々な材料や手法で表現されていて、どの作品もとても素敵でした。楽しいクリスマス気分を味わって来ました。

入口のツリーには願い事を書いた「うなりくん」のカードがぶら下げられていました。「リース」は折り紙で作った小さなパーツを何枚も貼り合せて作られていました。「マスクツリー」は手作りのマスクを縫い付けてツリーの形にしたタペストリー。「アマビエ」のマスクもありました。
 
入口のツリー <うなりくんのカードがたくさん> / ランプ / リース(折り紙)


アマビエをのせて(チョークアート) / ボンボコくんのクリスマスマーケット(水彩・色鉛筆)


もみの木(書) / サンタのオーケストラ(樹脂粘土) / マスクツリー(タペストリー)


サンタの森(バルーンアート)

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《 倉本聰 点描画とやすらぎの刻展 》と《 傘寿記念 デヴィ・スカルノ展 》

2020年03月17日 | 展覧会

家で早めの昼食を済ませてから、「松屋銀座」8階の「イベントスクエア」に行きました。エレベーターは好きではないので、8階まではエスカレーターを使いました。待つ事、混んでいる所、閉ざされた狭い空間が苦手なので、1人で行く時は10階までだったらエスカレーターを、3階までは階段を使う事が多いです。《倉本聰 点描画とやすらぎの刻(とき)展-森のささやきが聞こえますか-》が開催されていました。

脚本家「倉本聰」さん(85歳)はSMBC環境プログラム NPO法人 C・C・C富良野自然塾》を主宰しています。「富良野自然塾」は、ゴルフ場跡地を元の森に還す「自然返還事業」と、そのフィールドを使った「環境教育事業」を行っています。その仕事の傍らライフワークとして十数年にわたり森の樹々や生物を「点描画」という手法を用いて描いていました。そうした物言わぬ者達のささやく心の声を文章として添えています。本展では約70点が展示されていました。絵を描くにあたって「点描画」という手法を選んだのはテレビの「画素」がヒントだったそうです。

ドラマ「やすらぎの郷」に続き、2019年4月から1年に亘り「やすらぎの刻~道」が現在放送中です。脚本家人生で初めて通年放送という長丁場だったそうです。そのドラマの再現セットや小道具が展示されていました。「与勇輝」(あたえ ゆうき)さんの人形の実物を観たのは初めてでした。木綿の古布を使ったノスタルジックな子どもの人形は、表情豊かで可愛かったです。ドラマで観た木彫りの人形が展示してあり、その時のシーンが蘇えって来ました。また、「裂き織り」の織機や袖なし半纏も展示していました。「裂き織り」と言えば、母が若い時に織ったという帯を見せて貰った事がありました。裂いた布に思い入れがあったのか、大事そうに茶箱に仕舞ってありました。台本もありましたが、量の多さにビックリしました。「倉本聰」さんの体力と気力に感動してしまいました。

途中で「八千草薫」さんが降板する事になり、脚本を修正して5シーン撮影しました。撮影に立ち会った「倉本聰」さんは《お能の世界で最後に演者が一生を終えることを「入舞」(いりまい)と言いますが、「入舞」を観ているような厳かな雰囲気でした》としみじみ振り返っていたそうです。年を取っても可愛い人でした。昔、私の父がファンだったと聞いた事があります。 私は「銭形平次」をずっと観ていたので、その時の「お静」役が印象に残っています。



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予定には無かったのですが、隣の会場で《傘寿記念 デヴィ・スカルノ展-わたくしが歩んだ80年-》を開催していたので、序でに観て来ました。こちらは会期が明日までだったので、少し混んでいました。「新型コロナ」が心配だったので、人の少ないコーナーを選びながら、隣の人と1m位離れて観る様にしました。

若い頃の写真を見ると、とても美しくて「スカルノ大統領」に見初められたのが分かる様な気がしました。「スカルノ大統領」からの書簡が多くありました。貧しかった子どもの頃から一貫して夢を追い続け、人生を切り開いて行った姿に感動しました。「藤田嗣治」などの美術品のコレクションや趣味で描いた自身の絵画も展示してありました。バライティー番組などで色々なものに挑戦している姿を良く見ますが、80歳とは思えない体力と好奇心・気力には驚いてしまいます。高い美意識とポリシーで、今でもハイヒールを履いているそうです。

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《 松本零士の世界展 》(漫画界のレジェンド) -宇宙と時を超えた旅を-

2020年02月29日 | 展覧会

「成田市文化芸術センター」スカイタウンギャラリーで行なわれていた《松本零士の世界展》に行って来ました。「松本零士」さんは1938年1月25日生で「石ノ森章太郎」さんと生年月日が同じだそうです。「石ノ森章太郎」さんの作品は「サイボーグ009」を読んだり、初代の「仮面ライダー」を観ていたので、とても馴染みがありました。「松本零士」さんの「宇宙戦艦ヤマト」が放送されていた時は、「ささきいさお」さんのアニメソングは聴いた事はありましたが観てはいませんでした。「銀河鉄道999」も放送されていた時は、タイミング的に我が子が幼児だったので、リアルタイムでは観ていませんでした。たまたま再放送か何かで観た時、その世界観に魅せられてしまいました。

入口では「銀河鉄道999」の車掌さんが出迎えてくれていました。直筆の漫画原稿やアニメのセル画と背景画、立体模型などが展示してありました。水彩画や「ミクストメディア」(複数の素材を用いる技法)は色が鮮やかで綺麗でした。尚、「銀河鉄道999」は「宮沢賢治」の「銀河鉄道の夜」と「モーリス・メーテルリンク」の「青い鳥」をヒントにしたそうです。自伝的(?)ギャグ漫画の「男おいどん」も面白かったです。

「TOKYO CRUISE」(東京都観光汽船)が運営する水上バスの ◆「ヒミコ」:浅草~お台場海浜公園~豊洲~浅草 ◆「ホタルナ」:浅草~日の出桟橋~お台場海浜公園~浅草 ◆「エメラルダス」:浅草~お台場海浜公園は、実は「松本零士」さんがデザインを監修。メタリックな素材を用いた宇宙船のようなフォル厶になっています。乗船区間にもよりますが、運賃もそれ程高くありません。新型コロナウイルスが終息し、機会があったら乗船してみたいと思います。


話は変わりますが、2011年11月13日に抽選で当たって「東京湾クルーズ」の御座船「安宅丸」に乗った事がありました。御座船「安宅丸」は三代将軍・徳川家光が命じて造らせた御座船の外観を模したものです。最初は1988年4月の瀬戸大橋開通を記念して1986年7月に御座船「備州」として造られました。2011年4月に東京湾にやって来て、「安宅丸」と改名してデビューしました。絢爛豪華な和船で、まるで宝船の様な感じでした。私が乗った時は食事なしのクルーズでしたが、「レインボーブリッジ」の近くを通った時の眺めは壮観でした。尚、水上バスも乗船区間によって「レインボーブリッジ」の近くを通るコースがあります。



入口に車掌が立っていました / ポスター「銀河鉄道999」より


宇宙海賊・キャプテンハーロック / エメラルダス / 「男おいどん」の部屋を再現

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