サヨコの独り言

興味のあるものを「コンデジ」で撮影しに行ったり、
街で偶然に見かけたものを「スマホ」で撮っています。

《 中国陶磁器展 》 -新石器から清朝まで-

2023年04月11日 | 展覧会

4月11日(火)、「成田スカイタウンギャラリー」で《 中国陶磁器展 》を観て来ました。「おぶせ中国美術館」の元館長、「宋竹仙」氏の指導による「中国陶磁器研究会」である「中和堂会」の主催。その会員の皆様のコレクションの第2回目の展示でした。1回目の時は観てませんでしたが、今回たまたま観る事が出来ました。約60点の珍しいコレクションは見応えがありました。「景徳鎮」窯の陶磁器もたくさん展示されていました。

中国陶磁は紀元前5000年頃の土器の制作から始まり、陶器の発展により青磁・色絵が開発され進化しました。特に唐時代(7世紀~10世紀)以降は、宮廷の必需品として使用されました。宋・元時代(10世紀後半~14世紀)には、交易品として日本やヨーロッパ・中近東・アフリカ北部にまで輸出されました。明・清時代(14世紀~20世紀前半)まで青花(あおばな)・釉裏紅(ゆうりこう)・色絵磁器が進歩発展しました。

【A】左より 黒陶高脚盃 (新石器・紀元前4000~2400年頃) / 彩陶杷手付壷 (新石器・紀元前2600~2300年頃) / 漢緑釉大壷 (前漢・紀元前2~1世紀) / 白磁人物山亭壷 (三国時代・3世紀)  ── 因みに、日本では紀元前3500~2400年頃は「縄文時代」の中期の最盛期でした。「火焔型土器」や「縄文のビーナス」などの「土偶」が製作されました。「吊手土器」や「壺型土器」なども現われ、「縄文」に代わって竹管やヘラで文様をつけた土器が見られるようになったそうです ──

【B】左より 加彩楽人女子座像傭 (北魏・6世紀前半) / 山彩女子傭 (唐・8世紀) / 三彩宝志和尚立像 (唐・8世紀) ─ 顔が3つあります ─ / 三彩猿候と羅漢立像 (唐・8世紀) ─ 猿が頬を噛んで引っ張っています ─

【C】左より 白釉宝相華文水注 (北宋・10世紀) / 銹釉鳳首瓶 (金・12~13世紀) / 白釉鉄絵双魚文壷 (金・12~13世紀) / 殿青釉紅斑文三足香炉  (金・12~13世紀) ─ 内側の青と紫が美しかったです ─

パンフレット【表】 上段左より 加彩女子傭 (前漢) / 黒釉鶏首籠耳瓶 (隋・6~7世紀)

【A】 黒陶高脚盃  /  彩陶杷手付壷   /   漢緑釉大壷   /   白磁人物山亭壷 

【B】 加彩楽人女子座像傭  /  山彩女子傭  /  三彩宝志和尚立像  /  三彩猿候と羅漢立像

【C】 白釉宝相華文水注 / 銹釉鳳首瓶 / 白釉鉄絵双魚文壷 / 殿青釉紅斑文三足香炉

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《 春の花便り⓵ 》 -名残りの桜-

2023年04月03日 | 動植物

今年は桜の満開の時期と天候と私の都合が合わず、電車の窓からの眺めを楽しむだけでした。でも、天気も良く時間が出来たので、「房総のむら」の近くの「坂田ヶ池総合公園」に行って来ました。桜は盛りを過ぎて散り始めていましたが、何とか間に合って春を満喫する事が出来ました。姿は見えませんでしたが、「ウグイス」が競って鳴いていました。

「坂田ヶ池」の桜並木の「ソメイヨシノ」は半分位散っていましたが、まだ「葉桜」にはなっていませんでした。花が散っても「雄しべ」が残っていたので、全体的にピンクが濃い感じに見えました。池の周りに植えられていた「スイセン」も満開を過ぎて萎れかけていました。両方が盛りの時に観たかったです。

「大島桜」は「旧学習院初等科正堂」の駐車場に咲いていました。花と葉が同時に見られるもので、葉は桜餅に使われます。こちらは満開でした。

「坂田ヶ池」に行く途中、道の横の空き地に小さな畑がありました。畝毎に違う作物が植えられていました。「菜の花」の隣の畝の白い花はたぶん「大根の花」だと思います。

「坂田ヶ池」の桜並木  - 池の周りには「スイセン」が植えられていました-

「スイセン」は満開を過ぎ、少し萎れていました  /  「ソメイヨシノ」は半分位散っていました

「旧学習院初等科正堂」の駐車場の「大島桜」は満開でした

畑の「菜の花」   /   隣の畝の白い花は「大根の花」? 

「坂田ヶ池総合公園」 花のテラスの「花時計」 < 12時53分頃 >   /   「ツバキ」の花

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