サヨコの独り言

興味のあるものを「コンデジ」で撮影しに行ったり、
街で偶然に見かけたものを「スマホ」で撮っています。

《 春の花便り② 》 -成田山公園にて-

2022年03月29日 | 動植物

用事のついでに「成田山公園」に行って来ました。桜が咲き始めていましたが、花冷えというのでしょうか、とても寒い日でした。お陰様で桜は長く楽しめそうです。

駅前交番の裏の「権現山」の「枝垂れ桜」は満開でした。「成田山公園」内の桜は散ってしまった花、まだこれからの花、満開の花など色々でした。

「高浜虚子の句碑」のところには、かつて「七代目団十郎」と「六代目団蔵」の銅像がありました。戦時中供出されたので、昭和18年に「八代目団蔵」は「七代目団蔵」の追善供養の為、台座の上にこの句碑を建てたそうです。右側の碑には【 名優七世市川団蔵碑・坪内遊人題(坪内逍遥の揮毫) 】と書かれています。この碑は「東日本大震災」により倒れて折れ、修復されています(修復の跡があり)。

「権現山」の「枝垂れ桜」 後ろに「スカイタウン成田」(ギャラリー・ホール・マンション)が見えます

「竜智の池」から見た「平和の大塔」 / 「竜智の池」の「浮御堂」

公園内の「ソメイヨシノ」 手前の石は奉納された北海道日高産の「赤石」

公園内の歩道の脇にレンギョウ(連翹)が咲いていました

「高浜虚子の句碑」 -凄かりし 月の団蔵 七代目-

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《 春の花便り⓵ 》 -戸定が丘歴史公園にて・その1-

2022年03月21日 | 動植物

3月15日(火)に「戸定歴史館」と「戸定邸」を観覧後、「戸定が丘歴史公園」を散策しました。梅の花は終わりかけていましたが、まだ何本か咲いていました。「河津桜」が「戸定邸」と「松雲亭」の間に咲いていました。花は散っていませんでしたが、葉桜になりかかっていました。東屋庭園の「カンヒザクラ」(寒緋桜)は名札がなければ梅だと思いました。釣り鐘状で緋色の花は目立っていて存在感がありました。

帰りがけに「茅葺門」の近くで「ヒイラギナンテン」(柊南天)が咲いているのに気が付きました。葉はヒイラギに似ていて、実の付き方がナンテンに似ている為にこの名前になったそうです。黄色い小さな花で、ぶどうの様な色の房状の実がなります。

「戸定が丘歴史公園」の外で富士山を見る為に日没を待っている時、偶然に太陽がマンションの屋上に乗りました。

駐車場入口付近の「紅梅」

「松雲亭」(市民の憩いの場として昭和53年に建設された茶室)の前の「河津桜」

梅園の「白梅」

東屋庭園の「カンヒザクラ」  -左上に月齢12.4の月が見えました- 

茅葺門に入って直ぐの所の「ヒイラギナンテン」 / 【おまけの画像】ダイヤモンド・マンション?

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《 徳川昭武と渋沢栄一 特別展Ⅲ 》 -明治日本の国際化-

2022年03月15日 | 展覧会

朝から曇っていて、時々小雨が降っていました。昼には晴れるとの事だったので、昼食後に【特別展Ⅲ】を観に松戸駅に行って来ました。因みに【特別展Ⅱ】は2021年10月27日に行きました。

「徳川昭武」は「パリ万国博覧会」終了後はヨーロッパ各地を訪問し、元首らと対面したりして留学生活を送りました。帰国後は「水戸藩主」となり、藩内抗争で混乱していた藩をまとめようと尽力しました。また、藩の事業であった北海道開拓にも着手しました。「版籍奉還」後は「藩知事」という身分となり、「廃藩置県」まで務め上げました。

1876年(明治9年)にはアメリカの「フィラデルフィア万国博覧会」に御用掛として派遣されました。滞在中は大陸横断や視察、観光旅行などを楽しんだようです。万博閉幕後は10年ぶりに渡仏し、教育係だった軍人「ヴィレット」と再会して亡くなるまで交流を続けたそうです。「シーボルト」兄弟やナポレオン3世皇后「ウージェニー」との書簡もありました。4年半に及ぶ留学生活を送り、在留日本人との交流を深めました。

前年の1875年には「明治天皇」の「水戸徳川家」への行幸があり、「光圀」や「斉昭」の勤王の志を称える形を取りつつ、「慶喜」への和解の意思を間接的に示しました。「昭武」は徳川家一門の人脈の要として、親族や皇族との調整役、甥たちの後見人や自身の兄弟姉妹の家政運営の相談に乗るなど、人望があった事を伺わせる記録が残っていました。「慶喜」の良き理解者でもありました。「昭武」と「渋沢栄一」の関係は「慶喜」を加えて明治以降も続きました。「昭武」と「渋沢栄一」の交流は子供たちの時代になってからも続いたそうです。

敷地は標高25m位の高台にあり、復元された「東屋」からは眼下に常磐線の線路が見え、遠くに「富士山」も望めます。江戸川も見えていました。「富士山」を見たかったのですが、「戸定歴史館」と「戸定邸」は16時30分の閉館、「戸定が丘歴史公園」も17時には閉門になってしまいます。仕方がないので、「戸定が丘歴史公園」の外の「東屋」あたりの道から「富士山」を見に行きました。行ってみたら道は「東屋」よりも10m位低く、私の背丈位の笹薮があって隙間からしか見えませんでした。腕を目一杯に伸ばして何とか撮りました。あいにく空が霞んでいて残念でした。

令和3年度の展示(ホームページより) 【特別展Ⅰ】 / 【特別展Ⅱ】 / 【特別展Ⅲ】

茅葺門(右の木はイチョウ、左には白梅が咲いていました) / 戸定歴史館 

戸定邸の入口(右にみえるのは河津桜) / 入ってすぐの所に内蔵(2階建て)がありました

電気の傘には葵の葉のマーク / 上段:欄間にも葵の葉 / 下段:使者の間の欄間にはコウモリ

戸定邸平面図(表座敷からは富士山が・・・) / 戸定が丘歴史公園(東屋からも富士山が・・・)

復元された茅葺きの東屋  /  東屋からの眺望  /  「戸定が丘歴史公園」の外の道から見た富士山

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《 第44回 パソコン絵画展 》 -生涯学習市民ギャラリーにて-

2022年03月01日 | 展覧会

銀行などの用事があり、成田駅周辺に行って来ました。ついでに「世界デジタルホビーアート協会」公認の《パソコン絵画・ワード会》の展覧会を観て来ました。始めてから1年以内の人や「近江八幡」からラインで投稿された作品など18名42点の作品が展示されていました。

代表の「丹野朝二」さんは奥様が43歳の時に乳がんを患い、その看病の為に会社を辞め、7年後に奥様を亡くされました。その後61歳で初めてパソコンを習い、65歳からワード絵画を始めたそうです。今は自宅や成田市内で教室を開き、教えるための教材【パソコンで絵を描こう】と【ワード絵画】を執筆発行しています。

「丹野朝二」さんは先月81歳の誕生日を迎えてから発想の転換をし、その日からは18歳、来年は28歳と10年を凝縮した人生にし、88歳の米寿を迎える事にしたそうです。公募展にも出品して何回か入賞したそうで、精力的に活躍しています。この時は私一人だったので、少しお話を伺いましたが、エネルギッシュな方でした。

JR成田駅の6番線から電車に乗ろうとしたら、3番線のホームに見た事のない電車が停車していました(14時45分頃)。 乗る電車が発車1分前だったので、取り敢えず乗車して車内から撮りました。【B.B.BASE】と書かれていました。家に帰ってから調べたら、「BOSO BICYCLE BASE」(房総バイシクルベース)の略称でした。サイクリングを目的に自転車を電車に積み、房総地区に向かう為に改造された電車です。前身の「サイクルトレイン」を経て、2018年から現在の形になって運行開始しているそうです。【団体】と表示してあったので、この日は臨時電車だったみたいです。偶然の出会いでした。

「丹野朝二」さんの作品 < 案内ハガキより >

「B.B.BASE」の電車が停車していました 

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