朝から曇っていて、時々小雨が降っていました。昼には晴れるとの事だったので、昼食後に【特別展Ⅲ】を観に松戸駅に行って来ました。因みに【特別展Ⅱ】は2021年10月27日に行きました。
「徳川昭武」は「パリ万国博覧会」終了後はヨーロッパ各地を訪問し、元首らと対面したりして留学生活を送りました。帰国後は「水戸藩主」となり、藩内抗争で混乱していた藩をまとめようと尽力しました。また、藩の事業であった北海道開拓にも着手しました。「版籍奉還」後は「藩知事」という身分となり、「廃藩置県」まで務め上げました。
1876年(明治9年)にはアメリカの「フィラデルフィア万国博覧会」に御用掛として派遣されました。滞在中は大陸横断や視察、観光旅行などを楽しんだようです。万博閉幕後は10年ぶりに渡仏し、教育係だった軍人「ヴィレット」と再会して亡くなるまで交流を続けたそうです。「シーボルト」兄弟やナポレオン3世皇后「ウージェニー」との書簡もありました。4年半に及ぶ留学生活を送り、在留日本人との交流を深めました。
前年の1875年には「明治天皇」の「水戸徳川家」への行幸があり、「光圀」や「斉昭」の勤王の志を称える形を取りつつ、「慶喜」への和解の意思を間接的に示しました。「昭武」は徳川家一門の人脈の要として、親族や皇族との調整役、甥たちの後見人や自身の兄弟姉妹の家政運営の相談に乗るなど、人望があった事を伺わせる記録が残っていました。「慶喜」の良き理解者でもありました。「昭武」と「渋沢栄一」の関係は「慶喜」を加えて明治以降も続きました。「昭武」と「渋沢栄一」の交流は子供たちの時代になってからも続いたそうです。
敷地は標高25m位の高台にあり、復元された「東屋」からは眼下に常磐線の線路が見え、遠くに「富士山」も望めます。江戸川も見えていました。「富士山」を見たかったのですが、「戸定歴史館」と「戸定邸」は16時30分の閉館、「戸定が丘歴史公園」も17時には閉門になってしまいます。仕方がないので、「戸定が丘歴史公園」の外の「東屋」あたりの道から「富士山」を見に行きました。行ってみたら道は「東屋」よりも10m位低く、私の背丈位の笹薮があって隙間からしか見えませんでした。腕を目一杯に伸ばして何とか撮りました。あいにく空が霞んでいて残念でした。
令和3年度の展示(ホームページより) 【特別展Ⅰ】 / 【特別展Ⅱ】 / 【特別展Ⅲ】![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/58/01b2d3c2e6194259f7c4d954c3c8a61f.jpg)
茅葺門(右の木はイチョウ、左には白梅が咲いていました) / 戸定歴史館 ![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/5b/b27d9b4c8b3251c3de31e15e4ddce64b.jpg)
戸定邸の入口(右にみえるのは河津桜) / 入ってすぐの所に内蔵(2階建て)がありました![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/88/674eff9bbde0ec12a15e8df7ac93cc03.jpg)
電気の傘には葵の葉のマーク / 上段:欄間にも葵の葉 / 下段:使者の間の欄間にはコウモリ![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/4f/aa01aca7f84efcec842e76ad0da408ef.jpg)
戸定邸平面図(表座敷からは富士山が・・・) / 戸定が丘歴史公園(東屋からも富士山が・・・)![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/cf/6eb0ac9398d8ae659a313c0352a667bc.jpg)
復元された茅葺きの東屋 / 東屋からの眺望 / 「戸定が丘歴史公園」の外の道から見た富士山![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/64/bec0b4b8b8956f38e7e6934f98f3b1a3.jpg)